2020-12-05

推し共々公式に殺されそうで怖い

先に言ってしまうが、推しは既に公式公式に死んでいる。少なくとも私の中では。



彼は主人公らしくない主人公だった。

真っ直ぐで捻くれていて、冷徹感情的で、家族を想いながらどんな手でも使い、そうして最期には自らの役目として自ら死に向かっていった。

彼の目標を実現し世界理想へと近づけるための駒となった。

彼以外の人物を主軸に据えたスピンオフも、かなり早い段階から幾つもあったように記憶している。私がそれらに手を伸ばす事は無かった。

時間的金銭的余裕があまりなかったこともあるし、彼の物語を追うので手一杯だったというのもある。とにかく原作だけを追って、彼の生きざまに熱を上げた。

その末に見届けた彼の死は、悲しく寂しいものであったが納得のいくものだった。

不遇の死でも理不尽な死でもない、彼自身選択した、芯の通った終わり方であった。

最終回の後、「実は彼は死んでいない」という二次創作が大いに流行った。

私とて彼に死んで欲しかったわけではない。けれど彼の想いと死に至るまでの展開を思うに、生きてました~☆というノリは受け入れ難かった。

私は二次創作を見るのをやめ、彼への想いも胸の内に留め、一人静かに寂しさを反芻する事にした。

(幸いにも当時はまだSNSではなく個人サイトが主流であった。自ら見に行かなければ目に入る事もない。今にして思えばこれはかなりの救いだった)

彼を失い半ば虚無に身を浸しながら、劇場版の発表を聞いた時には既にTwitter拠点を移していた、気がする。

この辺りから時系列記憶が酷く曖昧である。この件に関してあまり関わりたくない、考えたくないと思っていたからだろう。

劇場版三部作だった。たぶん。主人公は勿論彼ではない。

この時点では単発なら見に行ったかも、くらいの気持ちはまだあったが大して心動かされはしなかった。なんせ私の中ではこの作品主人公は彼なのである

作中に彼が登場するという話も耳にした。原作では描かれなかった空白の時間物語という事だったと思う。

彼のエピソードは、彼が主人公として描かれる中で知りたかった。意地になっていたのかもしれないし、拗らせていたのかもしれない。映画館に足を運ぶ事は終ぞなかった。

不思議な事に、劇場版評価感想を耳にする事は一度も無かった。

それから更に幾年か経ち、新たに発表されたタイトルは、私に大きな衝撃を齎した。

彼が生きていたか、はたまた生き返るか、そう思わせるに十分なタイトルは到底受け入れられるものではなかった。

しかすると納得のいく展開や説明があるのかもしれない。そもそも彼の死後の時間軸ではないのかもしれない。

そう思っても、どうしてもその作品に触れる事は出来なかった。

公式解釈違い」などというアホ極まりない言葉が頭を過ぎる。あれほど厭った展開をまさか公式にやられるのだろうかと、大好きな作品を、それを生み出した側の人間を、呪いそうでさえあった。

結局私は何も言わずに最大限の距離を取るという事しか出来なかった。愛した作品を嫌いたくない一心で。

未だに、真相を確かめることは出来ていない。

自らの目で確かめた上で折り合いをつけなければ、この感情は消化される事は無い。

長きに亘り胸中に秘めてきた感情をこうして吐露したところで何ら意味は無いのだが、この匿名ダイアリーという場所でなら書けるような気もして初めて文章として認めてみた次第である

殆ど読み返すこともなくそのまま投げるのでどのような文章になったかは分からない。きっとよく分からない冗長ものになっているだろう。



彼の死を見届け、もう10年以上が経った。前へと進むことが出来ないまま彼との歳の差は開くばかりだ。

誕生日、おめでとう。

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