仲のいいやつらとだったんで旅行はまあ楽しかったんだが、熱海ってところは自分と合わないなあと感じた。
パワースポットがあり、秘宝館があり、バブル期に立てられた店がその後不況でバーッと潰れて廃墟みたくなってるところがあり……要するに熱海は「潜る」土地だった。
その点、江ノ島〜七里ケ浜周辺はそういう深みがないんじゃないか?と思わされた。
海を眺めながらビール片手にボーッとするのが好きなんだけど、なんというか「大いなる自然に抱かれて」という壮大な気分にはならない。単に海があって空がある、って感触なんだ。
週末ごとに彼氏が遊びに来てさ
週末ごとにぴゅっぴゅこぴゅっぴゅこ出させてさ
避妊バッチリしてるから行為自体に確認以外の意味はないんだけど3年くらいそんなことしてて
たまに旅行行ったり食事行ったりするでしょ
でもこれって恋人じゃないような気がするんだよね
このままだと結婚しない予感はある
しんどいなあ
サークルなんて行かずにブックオフでおもしろい漫画てきとうに読んでたい
でも1回行かなかったらずっと行かなくなっちゃうからちゃんと行かないと
友達はいないけど毎日予定があって、たぶんちょっとは充実してて、楽しいけど、楽しいのかなこれ
過去も今も未来もめんどくさくて、生きる理由はいっぱいあるんだけど、死にたいとかどうやって死のうかとかあんまり考えなくなったからそれはとてもとても幸せなことなのだけど
未来に希望がない状態でみなさんどうやってがんばってるんでしょう
めんどくさいという感情がめんどくさい
そうやって何もかも親のせいと決めつけて、世を妬みながらひっそり生きていけば?
お前が毎日マスかくのに使ってるエロゲーと違って、自分から求めない人間に何かを勝手に与えてくれる程世の中の人間は暇じゃねえんだよ。
知ってて小中学生時代の同級生だが卒業後20年近く没交渉だった人間と何故今更コンタクトを取れると思ってるのか。
そう思いながら通知を消しつつ、ここでサラッと「あああの人か懐かしいな、フォローしとこ」とフォローリクエスト出せるかどうかが常人とコミュ障の違いなんだろうなと思った。
両親が離婚したときから、何もかもどうでもよくて、私は自分の人生に主体的な関わりを持ちたくないと思っていた。
高校の進路だってあなたの言うとおりにしたし、私は真の意味で何もしなかった。
大学の進路も、何もしたくない以外の意思は存在しなかったから、あなたと先生が話しているのを聞いているだけだったし、頷くだけだった。
ずっとずっと辛かった。リビングに私の私物が何一つ存在しないことに違和感を覚えなかったのですか。
食事の時だけ、言い訳のように呼び出され一言も発さずに、会話にも加わらない子供に何も思うところはなかったのですか。
私はあなたとまともに話すことができない。あなたの声に萎縮してしまう。向かい合うと圧迫されている気がする。今でさえここにある言葉のどれもあなたに言うことができない。それは中学生のとき、あれほど辛いと言ったのに、何も解決されなかったからです。
中学生の時、塾を二度サボったことがありました。家に帰れば離婚間際の怒鳴りあいと家庭内暴力、学校ではいじめ、勉強もできなければ塾で吊し上げ、居場所がなかった。どこにも行きたくなかった。
あなたは何も気づかずサボらずに行きなさいと言うだけだった。私が学校が辛い、高校なんて行きたくないと言ったときも、高校は人生で一番楽しい時期だからと言いましたが、それは嘘だったじゃないですか。
やっぱり高校なんてつまらない、苦しいだけだというと、大学はもっと楽しいからと言いました。思い返すとあれは私の最後の意思表示でした。それ以来、家族とまともに会話をした記憶がありません。極力、会話を避け、意思表示を避けていました。
私は騙されながら生涯の半分を辛いだけの時間で過ごしました。しかし、もう気づいている。私は今後、絶対に幸せになることはないということを。
学生時代というあなたが言うところの人生で一番楽しい時期が、これほど辛く苦しかったのです。満身創痍の私にはもはや社会に立ち向かう力はないのです。
なにより、自分の人生を手放して、それがズタズタになるのを他人事のように眺めていた自分には、この見るも無残な人生の後始末をしろと言われても今更何ができるのですか。
実の父親でさえ早々に養育費も止めて、私を捨てた、もっとも、私が捨てられたのだと自覚したのはつい最近でした。ことここに至っても両親を信じていた自分が悲しくて仕方なかった。
祖父母やあなたはどうして、と子育ての失敗に首を傾げているでしょう。私がこの結末に至るのは十年前から分かっていたことなのです。高校生の頃には、はっきりとした確信をもって、己の死がどうあるべきかについて、目標が出来ていました。それがあなたたちには理解できない。
中学生の頃の、どこにも安心を得る場所のなかった私が、死にたいと願っていたのは間違いではありませんでした。惜しむらくは十年前の先見性に満ちた私が、七年前の計画的であった私が、臆病であったということ。あの時終わらせておけばよかったのに、十年間、ずっと願い続けていたのに、ついぞ最後の一歩を踏み出すことができず、惨めに生きながらえてきました。
しかし、この三年、私はずっと自分に言い聞かせてきました。死の恐怖を超克するために、死なねばならないと唱え続けた。
どうか、この臆病を消してください。
Twitterみたいに使ってる人、意味不明な煽りしながら消した消した消した消したと騒いでる人(消してくれてる人は害がないからいいや)、就職や恋愛の釣り長文、小学生みたいネタをブクマして引き上げる腐ったブクマカ。。。
いろんな人が自由に意見を言えるのは匿名の利点だけど、キチガイが居座ってるせいでゴミ箱状態。はやくアカウント削除されないかな。
だからさぁ…。駅間とか乗り換え考えたら、都心部に住んでて都心部を移動する分には地下鉄のが全然便利だよ。仮に近くにJR駅があってもJR利用しない人も多いでしょ…
解消する方法はあるよ。
って言えばいい。
で、飲みになったら、えっちは絶対しない。
ただ、そこでズコバコしちまったら、もう戻れないよね。
「君がッ 泣くまでッ 殴るのをやめないッ」とは某ジョジョのセリフだが、
そういえばマザーでも「歌をやめろ」ってギーグのセリフがあったっけ?
「わたしと共にマザーシップに乗りなさい」 「歌うのをやめなさい」 「歌を…やめろ」 「う、うたをやめろ!」 「うたをやめるんだ!」 「地球のむしけらども!黙れ!歌うな」 「うたを…」「やめろ!」
ユング的原体験じゃないけどこういうのってあるよね。わからないって人は慎重に話を聞いてくれ。
DQ8では全員で杖に向かって祈り1人でも死んだら祈りは中断される仕様だったし、
魔法の詠唱が中断されると台無しになるという仕様は多くのファンタジー作品で共通している。
それがどうした?と思うかもしれないが、よく考えてみるとあまりに独特な仕様なんだよね。
2.一瞬でも途切れる(または条件から外れる)とリセットされる(=台無しになる)
3.祈りや歌を継続すると強大な力が得られる
この仕様が無批判に受け入れられて広まっているのは、単に都合のいい設定だからパクられているといったレベルではなく、
物事の真理を言い当てているからなのかもしれない。もう少しリサーチを続けてみよう。
卑近になるがPCにアラートの類いを入れると集中力が途切れるから一切入れないって人がいる。
熟考中に話しかけられると考えてたことが木端微塵に大破するがごとくリセットされるという経験も皆様には数多いことだろう。
また百年の恋が一秒で冷めるとか、信頼を失うのは一瞬取り戻すのは一生という故事成語の通り、
詠唱がわずかでも一瞬でも構成要件というか要件定義から外れると台無しになる。
ピアノの練習だって一日でも休むとすごく鈍るのは多くの人が経験しているだろう。
これでもまだ「抽象的構造だから偏在して当然」と思うだろうか?それとも精神の重要な性質を表していると思うだろうか?
現代社会は多忙で突発タスクの割り込みが多い。歌がすぐ途切れる時代といえよう。
そんな今、歌い続けることに如何ほどの意味があるのか、歌い続けるならどんな歌を歌うべきなのか?
それをみんなで考え始める時期に来ていると言えるだろう。