横だが
反対意見とかならいくらでも寛容に聞けるけど
書いてもいないようなことについてレスや反論してくるトンチンカンさんには寛容になれない。
そういう人相手にはとげとげしく接して自覚させるか追い出すかしたほう場の公益に資すると思う。
最低限の知能や国語力を具備しない相手にはどんどんとげとげしくしてよい。
http://anond.hatelabo.jp/20120223004052
最近の彼の主張は、自己責任論が過ぎ、ついには小学校で留年を認めるべき、なんておバカなことを言い始めた。
そのトラウマは、小学校の知識を習得することよりも、もっと深刻な悪影響を与えるだろうと、彼は考えないのだろうか。
彼には、弱者……特に、いくら努力をしても結果を出せないような、真の弱者をいたわる根本的な感性が、欠けているのじゃないか。
過労死を従業員に強いた渡邉美樹を、大阪市の特別顧問を迎えたのは象徴的ではないか。
低所得層からのし上がり、努力家で、基礎能力やコミュニケーション能力が大変高いという点で、共通している。
そして、努力への過度の信仰と、無能者への強烈な侮蔑感も共有している。
学力差の無い集団に入っていたほうが、劣等感を刺激されずに済むじゃない。
>いくら努力をしても結果を出せない
>強者へなれる素質があるのに、社会的な要因で弱者であることを強いられてしまった者たち。
この書き方では、この二者は同等でしょ? 「社会」が「勉強が出来ること」を「強者の条件」として設定しているから、「いくら努力しても結果を出せない」人間が出てくる。
「社会」が、一人一人の能力の評価を正しく認識できないから、自分の能力をきちんとアピールできない人たちは「結果が出せない」んでしょ。
だいたい、人間は、どんどん変化していくんだから「過去の付き合い」なんか持ち出しても、現在信用できない理由にはならない。
で、今はどうなの? 懇意にしているの?
はぇ?
「それを理由に死刑制度を支持する」なんてどっかに書いたっけ?
ていうか死刑について支持とか反対とか書いたっけ?
10行にも満たない文章で空目すんのやめてくんね?
脳に虫でもわいてんの?
http://anond.hatelabo.jp/20120222005841
「無期なら、最速7年で出られる可能性がある」というのは間違っていないんだが、平均すれば23年から30年は服役しているものなんだ。「7年で出られる」と希望を持って刑に服した罪人が、10年経っても15年経っても釈放される気配もないとなったら、徐々に「刑を科されている意味」を理解していくかも知れない。
つまり「これは罰なのだから、決して、楽に生きさせてくれはしないのだ」ということを理解する可能性はある。
私は本人が「自分は更生できないかも知れない」と思っているのなら、あっさりくくってやるのが慈悲というものだと思うけど。冷たいかな。
あーなるほど。そこが争点だったのか。なるほどね。
アカシックレコード的なアレがあるのかどうかとか、オモシロ電磁波的な五感以外で未知のコミュニケーションが可能なの感覚チャネルがあるのかどうかというのは現在分かっていないよね。
あると思うからあるように感じる典型例かも知れんし、あるかも知れない。
未知のコミュニケーションのチャネルは、サカナの群れが一瞬で同時に同じ方向に向きを変えたりとか、遠隔気功とか、トップスポーツ選手とかが脊椎反射よりも早く反応したり(なんらかの方法で細胞間通信が行われている?)とかありそうな気もするが、超高度な予測を行ってるだけかもしんない。
ここは物好きな研究者にお任せしたいw
購入希望を書く人の割合って低い印象
おらの地方では、冬に雪が降るんだ。まぁあれだ、日本海側、裏日本地方ってやつだ。裏日本を放送できない言葉というならば、西海岸地方と呼べば、太陽サンサンって、暖かそうでいいと思うんだけど。
冬になると雪かきをするんだ。でも、あらかじめある程度は降ることが想定されているので、早く起きたり、夜中にこっそりと、除雪をするんだ。
近所のおばあさんの家の前とか手伝ってあげたり、除雪車が除けた雪の壁をちょっと崩してあげたりとか、若い分だけ、余計に働く。
そういうもんだし、わざわざ人にいうほどのこともなく、やって当たり前のことをもくもくとやっているだけだ。
雪で大変って書くのもアホくさいので、黙って除雪をこなすだけだ。変な同情は求めない。
変に自己主張する人がくるくらいなら、雪国減税とか日照時間減税とか気候が過酷な分だけ、税制でバランスをとってくれるだけでいいと思う。
最近、わざわざ除雪ボランティアとか、自己主張する人たちがあらわれた。手伝ってくれるのはありがたいんだけど、facebookやtwitterでボランティア雪かきしてます的な発言をわざわざする人ってなんなんだろう。
みんなの役に立つことをするのはいいと思うんだけど、やって当たり前のことを点数稼ぎみたいにいうのも、微妙に引っかかるものがあるんだな。
目の前にいる人が喜んでくれれば、いいわけで、世界中に向かって、「雪かきボランティアする私ってすごい。人事の人見てる」的見え透いた感が、途方もなくいらいらするんだ。
(と言っても、モバゲーゲームランキングでは男性カテゴリーにギリギリ入っている程度の順位ですが。)
では実際どの程度の成果をあげているのかを、ちょっと前にソーシャルゲーム開発をかじったことのある立場として考えてみたいと思います。
なお、あくまで今までの自分の経験から勝手に想像しているため、実際の数値とはかけ離れている可能性が大いに考えられますのでご了承ください。
まずソーシャルゲーム運営では、DAUと呼ばれる値が重要視されています。(ググれば簡単な解説が出てきます。)
これは会員数とは別に、実際に1日に何人がそのゲームをプレイしたのかの値です。
ここからは推測。
直近で開催されていたバレンタインイベントにアクティブに参加していた人数を考えてみます。
順位をそれなりに気にしていた人のtwitterへの投稿を少し見かけたところ、およそ5~6万位程度まで居るようです。
下の方の数字はあまりのめりこまずマイペースに参加していた印象ですので、もう少し数を絞って30000位台の人あたりまでは毎日コツコツアクセスしていたと予想することにします。
ちなみに継続率(チュートリアル以降もちゃんとプレイし続けている)は、一般的に初日が50%前後、そこからだんだんプレイ日数が進むごとに下がっていきます。
100万人のうち、半分以上は数日のうちにプレイしなくなっているということになります。
平均金額についてはゲームによってまちまちだと思いますが、せいぜい数千円というのが一般的だと思います。
(モバマスがこの課金率や課金額の平均値に当てはまるのかは分かりませんが。)
ネットで話題になっている廃課金が、どれほど全体の平均値からかけ離れているのかが分かります。
数千人課金する中、一人で一日の売り上げの5~10%くらいをまかなっているわけですから。
そしてこの辺について意外と知られていないのかもしれませんが、アクティブユーザや課金率、金額はデイリーの値が重要視されています。
「昨日と比べて今日はこれだけ売り上げが落ちているのは何故か?」ということが毎日やりとりされ、
中期的なイベントに加え、イベントに有利なアイテムの24時間限定ショップがオープンするとか。
このような施策が事前告知も無く絶え間なく施されることになっているのです。
この先の予定について事前告知が無いため、これが射幸心を煽ることになっているのだと思います。
つまり限定ショップが現れても、近いうちにもっと少ない資金で本当に必要なものが手に入る可能性を考えて、
(実際バレンタインイベントでも、終盤に行くほどイベントを進めるのに有利なものを購入するショップが突然現れていましたし。)
色々書いてきましたが、一番注意することはごく一部の廃課金の金額につられて平均値を上回る金額をつぎこまないよう程々にしましょう。
ということです。
音楽の時間に合唱で歌う曲を選ぶときに「歌謡曲はダメです。」と、泣いてまで主張した先生がいたが、
その曲は、何年後かに教科書に載るようになっていた。
ふと考えてみると、もっと古い曲で
丘を越えて、てんとう虫のサンバ、コンドルは飛んでいく、翼をくださいなど、このほかにもたくさんあると思うけど
橋下大阪市長が府知事時代におこなった行政改革を陰ながら応援していたものの、
彼を今ひとつ信用出来なかったのは、長い間、島田紳助の盟友だった、という事実のせいだ。
昔の交友関係だけで人を判断するのは間違っているのだから、随分と私の心は狭い……。
そう自分を責めていたが、最近の彼の言動を知ると、直感の方が、どうやら正しかったようだ。
島田紳助が昨年引退したのは、暴力団との親密な交際が発覚したという理由だった。
だが、彼が責められるとしたら、それ以上の理由があるだろう。
吉本の女性社員を、人気のない部屋に引きずり込んで、壁に顔面を4、5発以上もたたきつけ、ツバをはきかけた。
これまでも立場の弱い者に対して、裏では暴言や暴力をふるっていることが関係者から暴露されていたが、
彼の嗜虐性、異常性、卑怯性、利己主義ぶりなどが明らかになった。
事件が発覚してもなお、数年もの間、なぜ、人気司会者として、テレビという公器で権威をふるい続けられるのか。
これほど理不尽な話はなかった。
橋下は、紳助の暴力行為の発覚後も、紳助の番組で長い間、出演を続けていた人気弁護士の一人。
弁護士が、最低な人間の人権を守るために活動しなくてはならない場合は、たしかにある。
だが、紳助の番組に出演することは、弁護士の倫理観とは別物だ。
むしろ倫理を重んじるならば、潔く番組を辞めるべきだったが、橋下はそうしなかった。
つまりは彼の価値観では、紳助が弱者を殴りつける行為は、許容範囲だったのだろう。
教室の中で勉強がわからない、と心の中で悩むことと、同級生の友人から引き離され、一人、劣等者として教室で孤立することとは、大きな違いがある。
前者の記憶は薄れるが、後者の惨めさがどれほど辛いものなのかは、海外の昔の小説や映画で、いくらでも描かれているではないか。
高校生で留年が認められるのは、それに耐えうる精神力があるからだが、小中学生の未熟な精神にとっては、それは限界を超えたトラウマだ。
そのトラウマは、小学校の知識を習得することよりも、もっと深刻な悪影響を与えるだろうと、彼は考えないのだろうか。
小学校で授業についていけない子供の中には、知能には問題がなくとも、精神力や意志力が弱く、勉強が続かない子供たちも多いだろう。
精神力がそもそも弱いのだから、そのトラウマがどれほど彼らを蝕むのか、想像力に難くない。
思うに橋下は、努力ができない人や、いくら努力をしても結果を出せない人々に、共感できないのではないか。
彼の周りに集まる人々を見ればいい。
低所得層からのし上がり、基礎能力やコミュニケーション能力が大変高いという点で、共通しているが、何より両者は努力家だ。
努力家は得てして、他人の数倍の努力ができるのは、それだけの精神力や体力を持ち合わせた者に許された特権だということが理解出来ない。
だから渡邉は、従業員が過労死をしても、それが悪いことだとは考ない。
自責の念に囚われることもない。
生まれつき、精神力や意志力の弱い人々がいることが、理解出来ず、もっと頑張れと声を張り上げ、叱責し、責め立て、罰を与えることは当然だと考える。
精神論者はここが怖い。
橋下が嫌われるのは、ドラスティックな改革手法のせいもあるが、何より激しい痛罵の仕方にある。
そうする権利が自分にはある、というのが橋下の考えなのだろう。
怠惰な連中を恵まれた独占的地位から排除するのには大いに賛成だ。
だが、人並みの努力をして、人並みの結果を出せない人々に罰を与え、精神的に追い込むことも、強者に許された権利なのか。
……そうではないだろう。
橋下の目には、帰国子女という恵まれた立場でありながら吉本のマネージャーをしている女性などは、努力を怠った怠惰な人間に見えたのかもしれぬ。