はてなキーワード: 関大とは
個人的には、(自営はともかく)それは最初から閑職を選んでるというイメージだな〜。優劣の意味ではなく価値観として。競争的で志望者がいくらでもいるような仕事ではないという意味で。
うーむ難しいなあ
地方って仕事ないから工場とかでも給与よければそれなりに人集まるから競争的とは思うなあ
そういう業種は企業はいわゆる難関大はとらないだろうから、東京からだとそういう構造は見えにくいよね
もちろん地方の大企業のお偉いさんの息子とかはコネで父さんの会社に入ったり、より大きな都市部に行くことが多いからトップというより中の上のエリートというのがしっくりくる
そういう工場にありつけなかった人はもっと低賃金の労働者として頑張るか東京に行くかしかなく次世代は作れなくなる
上層と女含めた下層が東京に輸出されるからこういう実態ってわかりにくいよね
あとは労働者としての女は徹底的に低賃金労働者とケアワーカーとしてしか求められてないのが特徴だから、男は勤務時間が短くても稼ぎは大黒柱求められるから、稼ぎの大黒柱嫌な男性は結構辛いと思う
大学で物理学はよく修めたが、高校でそこまで参考書オタクになりきってなくて解いてない問題もあったという状況で、難問題の系統とか開いてみて初見の問題とか難なく解けるもんなのかね?
でも大学教授は物理学を修めたうえで受験の問題を「作ってる」ぐらいなのだから、やっぱ大学以降の物理を本当によく理解してるなら、大学受験の問題なんて普通に何が出されても解けるもんなのかなぁ?
実家のものを片付けろっていわれてまだほとんど手をつけてなかった難関大向けの問題集たちも処分しちゃったんだよね…
これで前を向いて大学の勉強頑張ったところで、高校レベルの問題は解けるようになるようになるもんなのかあとコンプレックスになってる。
いや大学で解くような問題はよく解けるのに、高校生に突っつかれて解いてと言われた参考書とかの問題が解けないってなってたらなんか恥ずかしいじゃん?
特に物理数学、いやそ例外でもいいんだけど難関大見据えた参考書に書いてある「ひねった問題」をいまだ解けないであろう状態で断捨離するのに抵抗があった。
ああいうのってかりに大学レベル以上の知識や問題演習を積み重ねても、それより下位の問題としてのああいった受験特有の問題が自ずと解ける力が身についてるとは限らないと思うんだよね。もちろんずば抜けて応用力がある、一を聞いて十を知るタイプなら、高校の参考書なんか全部捨てちゃって、常に前を見て学び続けた方が効率よく賢くなれるんだろうが。
んでそういうひねった問題を解くのに必要なものの考え方が足りてないのがネックになって、大学レベルの理論の理解でつっかえるというケースも多分無きにしもあらず。微積分の極意とか難問題の系統に載ってるような問題を解くのに使うものの考え方が、学術書の解説ではそんなの当たり前というように省かれているのだと思う。問題演習してきてる人はその経験が思考のエンジン、目の前の文章にパズルのピースとして情報を補うようにしてなんなく読みこなせるが、それを怠ってる人はつまづいてしまう。
望月新一とか言う人の証明がもし本当に正しければ彼の理論を知ってればフェルマーの最終定理は数行で証明できるそうだが、全てが全て、上位の理論を理解してればそれより下位の理論を解けるというようにはできてないだろう。
でもまあ結局親から迫られて捨てちゃった…赤チャートの数Cだけ線形代数とかベクトル解析とかする前にやっといたほうがいいんだろうってこっそり残しておいたが…うーんコンプレックス。
下の子は上の体たらくを見て早いうちから塾に入れてたのに万年1番下のクラス
12月に入塾して下のクラスから上のクラスに駆け上がるような同級生もいるようだが、うちのには無理
家でも勉強を見たり、夏休みは親戚の大学生をカテキョに雇ったりと手は尽くしたが偏差値は一向に上がらない
発達も疑って相談したりもしたが、発達は正常
ただの「馬鹿」らしい
うちの親族は皆当たり前のように公立から塾なしでストレート難関大コースで
まあそれなりに努力すればどんな奴でも平均は超えるよね、という考えで生きてきたが
考えてみれば、ガリ勉の馬鹿(運動神経も酷い)みたいな子が小中学生の頃のクラスにはいたわけで
そんな奴がいること自体は知ってたはずなんだが
こんなことなら小学校の時点でお受験させときゃよかったが後の祭り
勉強や学歴が全てだとはまったく思わないが子供が自分の子供がここまで頭悪いと流石に凹む
かなりの下方婚(相手はFラン大中退・ブルーカラー)した15年前の自分に、ほんの、ほんの僅かだが後悔を感じる
配偶者の性格や容姿は今でも大好きだし、幸せではあるんだけどね
でもやっぱ心のどこかで期待してたんだろうな
配偶者親族は中卒高卒が当たり前だが、それなりに生きてるしめちゃくちゃ人生楽しんでるし、うちの子らもああなればいいんだろうけどさ
ここでぐらい言いたい
あーあ、だよ
ほんと
ここまで強い言葉で言う気にはならないけど、気持ちはとてもわかる。勉強全般はかなり得意な方だが、研究がとにかく嫌いだった。卒業して数年経つけど、いまだに嫌悪感が抜けない。たまたま卒論が必須でない学部に進んで就活も終えてて単位も余りまくってたから夏前にゼミを辞めて卒論を放棄することで(ゼミに入っていると卒論を書かないといけなかった)問題なく卒業できたけど、もし卒論が必須だったら4年生の1年間は楽しめなかっただろうし最悪留年していたかもしれない。成績が良かったから院進を勧められていた時期もあったけど、本気にしていたらどうなっていたかは想像したくもない。
普通に大学生活を送ると4年生になっていきなり卒論/研究とかいう存在だけは聞いていたよくわからないものが降ってくることになるんだが、その段階になって初めて適性が判明するからゼミや研究室の厳しさや求めるコミットと本人の適性や興味次第では心理的にめちゃくちゃ大きな負担・苦痛になるし、教員や大学院生にはたぶんそれが理解できていない(そういうのが好きでそこにいる人間なんだから当然だが)。怠慢と切り捨てられたらそれまでだけど、片脚がないのにサッカーをさせられている人というのはこういう感じなのかな、と思ったりもした。
増田と同じ感覚なのかはわからないけれど、とにかく自分がそこに時間を割く意味があるとは思えなかったし、そういう言わばエイリアンだらけの空間で時間を過ごしてエイリアンの決めたルールに従って何かをするというのが気持ち悪くて仕方がなかった。いま学生を指導している立場の人が読んでいたら、そういう人間もいるんだ、ということは知っておいてほしい。
そんなわけでゼミを辞めて卒論で身につけるはずの能力を身につけなかったのだが、それで困ったことは全くない。仕事も楽しいばかりではないが充実してやれていると思う。増田がどういう選択をするかわからないけど、卒業さえしてしまえばどうにかなるはずだからなんとか耐えてほしい。
増田を叩くコメントも多い。確かに大学は研究機関だと言われたらそうなんだろうけど、ほとんどの人は研究するために入っているわけではない。(それは大学院の役目だと思う)
難関大とされるところであればあるほど「高校の次に行くもの」という認識になっているし、周りのほとんどが大学に行く中で自分だけ「研究をする気がないから」なんて理由で行かないやつは見たことがない。もちろん、入学の段階で卒業論文の有無を気にするやつなんているわけがない。入試でも研究に向いているかなどは一切問われない。そうして入った中の一部にたまたま研究に全く興味のない、向いていない人間が存在したとしても仕方ないだろうと思う。しかも、それで3年生までは問題なくやれてしまうんだよな。
問題は卒論・研究に全く興味のない、意義を感じない人間に逃げ場がなく、しかも4年生になるまでそれを自覚しないで過ごせてしまうシステムじゃないだろうか。1年生からゆるゆると研究の真似事に触れるようになっていて、研究との関わり方の自由度も確保されているなら、自分が向いていないことを自覚して所属する学科やコース、研究室を選んだりもできるが、多くの大学だと入学時点で詰んでいる気がする。(自分のいたところはわずかにそれらしき「研究に触れよう」のような授業があった&学部レベルで入学後に選択できたので、事態をわずかに想定して卒論が必須でないところを選べた)
長くなったが、とにかくこういう人間が一定割合で出てきてしまう仕組みになってるんだから個人を叩いても仕方ない。増田にも責任はない。大学側にこういう人間が発生したときの対処法が確立していたらとは思うが、まあ無理だろう。同情するしかできないが、強く生きてほしい。
現実的には増田の卒論が免除されることは考えづらいから、教授とかには下手に喧嘩を売らずに媚びまくって負担を軽くしてもらえるように働きかけるか、あるいは「やる気がないわけではないが本当の無能だ」と思わせて院生あたりの助力を得るようにした方がいいと思うけども。