はてなキーワード: おろしとは
2週間くらい前の話。
隣駅にある保育園からの帰り道、保育園用のリュックと通勤カバンを提げ、前には約9キロの娘を抱え、「よいしょよいしょ」と地下鉄の階段をのぼりきって(けっこう重かった)、歩かせるために娘をおろしたら娘が転んで泣いた。それを見た通りすがりの見知らぬおばあさんに「悪いママね!ひどいね!」と怒られた。
その翌日の話。
私の見ていないところで娘がお皿を机の上から落として割った。その音に驚いた私が「わ!」と大きな声をあげたら、義母に「お皿落としただけで大声あげるなんて、悪いママだね、こんなことで大声あげるなんて!」と責められた。
この頃、夫の帰りが遅くて家事も育児も一人ですべて抱え込み、仕事も忙しかったが娘のお迎えのために毎日必死になって片付けた。
娘の体調が悪かったが会社は休めるわけなく、なんとか時間を作って小児科に連れて行ったり、とにかく自分なりに色々一生懸命だった。朝起きてから寝るまで疾走している気分だった。
忙しかったけど、娘のごはんは栄養を考えてきちんと手作りしているし、昼間に仕事で一緒に遊べない分、散歩がわりに通園時に手をつないで遠回りしたり、夕食後も娘と鬼ごっこしたりブロック遊びしたり、寝る時は添い寝して絵本を読んだり子守歌を歌ったり。
自分なりに、愛する娘を幸福にする「良い母」になろうと努力していた。
色々とせっぱつまっていた時期だったのもあって、他人に「悪い母」と言われたことに泣くほどショックを受けた。
いまだにこのことを思い出すと腹ただしい。
1歳の子供が歩いて転ぶのは当然じゃないか。それともあれか、転ぶと危険だから歩かせるなとでも言うのか。そんなんじゃ体力の無い子供に育つだろ。
大きな音に驚くのは当然じゃないか。それともあれか、大きな音でも驚かないのが「母親」か。お皿の割れる音にも動じないって、いくらなんでも鈍感すぎるだろ。
怒ったり泣いたり、その結果思ったのは、これから子供を育てていく上で、こういうことは何度もあるんだろうということ。
100のうちの1を見て、それで100を理解した気で口出してくる他人は、きっとたくさんいるってこと。
だから、いちいち怒ったり泣いたりしていても仕方ない。
自分でも「良い母」にとらわれすぎてると思う。
しかし、父子家庭で育った私にはドラマや映画や小説や育児書にでてくるような「良い母」しか知らない。
変な話だが、母親もウンチするのだろうか。母親もオナラするのだろうか。母親も鼻クソほじるのだろうか。
とはいえ、保育園のお迎えで娘の顔を見るとホッとするし、娘とのお風呂の時間は楽しいし、娘の柔らかなほっぺをプニプニするのは至福だし、歩くときに娘から手を伸ばしてきて手をつなぐと嬉しいし、とにかく、娘のこと大好きだ。宝だ。私の生きる意味だ。大好きというか愛しているのだ。
ようは、愛する娘のために何かすることは苦にならない。どんな努力も。
桐乃のキモオタっぷりや、黒猫の痛さウザさなどの残念要素が「萌え」に取り込まれたことに反吐が出る。
はがないで、友達が居ないという残念さが「萌え」に取り込まれてしまったことにも虫唾が走る。
「残念かわいい」とかいって残念要素を愛玩している豚ども一人ひとりの顔面にガソリンを塗って火をつけて回りたい。
元々「貧乳コンプ萌え」とか「低身長コンプ萌え」みたいな、残念要素を本人が気にしている様子に萌えている連中に対しては
スパイクで股間を踏みつけて回り、一人残らず不能にしてやりたいとかねがね思っていたんだけど、
その憎悪が「残念系美少女」というジャンルの誕生で火を噴いた感じ。
キモい。そして憎い。顔の皮膚をおろしがねですりおろしてそこに塩とタバスコを塗り込みたい。
なにを二次元で残念な現実を取り入れようとしてんの。二次元なんて100%現実逃避の塊だろうがよ。
おとなしく完璧美少女にブヒブヒ言ってりゃいいものを、なに「顔は完璧だが、リアリティある残念要素を持っている」なんていう
半端に現実取り入れんじゃねーよきめーんだよ死ねよクソどもが。四肢壊死しろマジで。
顔が可愛けりゃ残念要素も愛玩要素になる?きっしょ。マジきっっっしょ。溶鉱炉に落ちて死ね。下水で溺れて死ね。焼け死ね。速やかに死ね。
http://opitziu.hatenablog.jp/entry/2011/12/14/220016
わかってないよ、おまえ。凡人であることを主張するあまり、自分が「虚栄心の奴隷」になることを恐れるあまり、おまえは大切なものを捨てようとしている。それは向上心や自尊心とかプライドとか誇りとか呼ばれるものだ。そしてこれらは、虚栄心とは異なるのだが、凡人にはすべて同じように見えるのだ。凡庸な人間の目には、すべて同じように見えてしまうのだ。自律できない人間の目には、虚栄心だと映るのだ。馬鹿だ。
向上心を虚栄心だと変換された人間は、どう思う。化粧をする人間は、「少しでも自分を美しくしよう」という向上心、もしくは自尊心を持っているのではないか。これは虚栄心ではない。見栄っ張りではない。現にそこには美しくなれる手段としての化粧があり、肌の手入れがあり、スキンケアがあり、美容のための、半身浴が、食生活が、睡眠が、存在する。これは虚栄心なり哉?
認めてもらいたくてお金を稼ぐのではない。お金を稼ぐことが人生の目的になっているのではない。お金が大切だという人間は、お金を使うことができないからその人生は不毛である。しかし、「お金がないけど楽しめる」というのは、まさに向上心の放棄であり、自尊心の欠落であり、プライドの自堕落である。誰がそんな人間を魅力的だと感じるのだろう。努力することをやめようとしている人間に魅力があるというのか。なぜなら、お金を稼ぐことが目的となっていないのであれば、お金を稼ぐことによって楽しめることが増えるわけであり、それは結果的に人生をより豊かなものにすることになる。
虚栄心の奴隷を扱きおろしたおまえの文章は、どっからどうみても、「向上心を捨てた人間による言い訳」にしか見えない。つまり、向上心の放棄に対する後ろめたさからくる、圧倒的な虚栄心によるものなのだ。誰の目から見ても、虚栄心の奴隷はおまえであり、おまえの虚栄心はそのエントリを書くことによって満たされたことだろう。虚栄心の奴隷はおまえの方だ。
自分がどう思うか、ということに焦点を当てて人生を贈ろうとしているぼくにとって、おまえのそのエントリは心にまったく刺さらなかった。虚栄心はコントロールできないのだ。好きな人によく思われたい。尊敬する人によく思われたい。不特定多数の人に共感されたい。全方位的にモテたい。人の欲望というのは際限がなく、まただからこそ生きる原動力になる。
果たして、本当に「自分」というのは存在するのだろうか。人間は関係性の中で生きている。「自分」というのは、その関係によってその都度その都度規定されていくものであり、枠組みが違えば変化するものである。会社では偉い社長でも、家ではクソダメな親父ということがありえるように、関係が違えばそこの論理だって変わってくる。人は、評価してくれる他人がまずそこに存在して、はじめて「自分」というものを見つけることができる。
だから、虚栄心はあって当然なんだ。自分が思っている自分というものが、そもそも虚構なのかもしれないと思いつく人ならばそうではないのかもしれないが、自分の持っている感覚を疑うことが出来る人というのはやはりどこか人間味があるとは言いがたい。だから不毛であるとわかっていながら、理解されないことを嘆き、「自分」探しの旅に出かけようとし、結果、「自分」が何であるのかわからず終いで終わる。
没個性化が進む大学生ども、自分の頭で考えろ。何のためにその企業へ行くのだ。何がしたくてその企業へ行くのだ。自分に正直になったとして、自分の感覚に正直になったとして、それは果たして本当の「自分」だと胸を張って言えるのか。目標を失った人間はおもしろいだろうか。夢を持っていないと公言する人間はおもしろいだろうか。
騙されるな!
こいつは、「理想なんかいらない、理想なんか捨てろ。人生の目標もいらない。それらはみな、叶えられなかった場合に自分を苦しめる原因となる凶器だ。」ということを主張することによって、虚栄心を満たしているクズだ。騙されるな。「俺はその辺の学生とは違う!俺はその辺のクソみたいな凡人とは違う!俺は自分が凡人であることに気付いている!」と主張しているクズなのだ。
凡庸であるということに気付くことと、そこから抜け出す意欲を持つこととは、また別の話だ。それは断じて虚栄心によるものではない。向上心によるものだ。そしてかの有名なKは、向上心のない者を馬鹿だと呼ぶ。これに従うと、馬鹿なのはおまえだ、opitziu. プライドを持て、自尊心を持て、向上心を持て。そうすれば、虚栄心は自ずと消えるのだ。自分を実質以上に見せようとするのではなく、現在の自分以上の存在になろうとするのだ。
「虚栄心の奴隷」で何が悪い おまえが捨てようとしているのは虚栄心ではなく、向上心だ。自分に自信を持て。そして、そのまま加速していけ。自信がないなら、「若さ」を誇ればいい。現状認識が済んだら、足を止めるな。一歩でも前に進め。
「虚栄心の奴隷」から逃れる方法があるとすれば、それは向上心によって常に実質以上の自分になろうとすることであり、現状認識と将来への努力とは別に語られるべきものである。最悪のケースを想定して、それに備えることができたのならば、進め。
おまえは他人の努力を揶揄するような人種になってはいけない。そうそれは、「意識の高い学生(笑)」と笑うことによって虚栄心を満たしている凡庸な学生と同じ人種になってはいけないということであり、おまえの書いたエントリに偉そうにコメントを書こうとするも考えをまとめることすらできない馬鹿な学生(そしてそいつらは総じて「意識の高い学生(笑)」である)と同じ人種になってはいけないということであり、海外の良いところと日本の悪いところを比べて日本オワタ論を唱える外国かぶれと同じ人種になってはいけないということであり、そして、こんなエントリを書くようなクズになってはいけない、ということだ。
僕はクリスチャンだがフーゾクに通う習慣がある。ソープとかヘルスとかだ。3ヶ月も女の子に触れないと世界中の何もかもを憎むようになるので、それが嫌でフーゾクに行ってしまう。オナニーでは収まらない、というかオナニーするともっとひどく世界を憎むようになる。女の子のからだが必要なのだ。彼女を作って結婚すればいいのかもしれないが、昔恋愛に失敗してそれきりやり直せずにいる。
客としてお店に行き、女の子にイエス・キリストを宣べ伝えたことが3度ある。こんな話は教会ではできないのでここに書く。
1度目は洗礼を受けて2年くらい。店で写真を見てずっと気になっていた女の子を指名して、遊んで帰ってきて、すごく不思議な気分になった。それまでにたぶん200人くらいの女の子と遊んできたけど、あんな女の子に会ったことがない。全く説明できないけど、不思議な気分になった。
それで、キリスト教書店で安い伝道用聖書を買ってその女の子をもう一度指名し、服も脱がずに「イエス・キリストを貴女の救い主として受け入れますか?」と聞いた。すると彼女は言った。
僕は驚いた。そんな返事が返ってくると思わなかったのだ。聖母マリアというのはこんな人だったのかもしれないと思いながら「もちろんです」と答えて彼女に手を置いて祈った。彼女は喜んだ。それから半年くらい彼女は店を続けていたがクリスマスの前に辞めた。弟の学費のためにこの仕事をしている、と彼女は言っていた。彼女はぼくの好みだったが、ぼくはそれきり彼女とは遊ばなかった。
2度目はそれから5年くらい、出張先での話だ。適当に入ってついた女の子が良かったので、一月後だったか、指名で予約した。予定から2時間待たされて、遅れてきた女の子に謝られながら服を脱いで身体を洗ってもらったのだが、彼女が言うには「占いって信じますか?」
借金が少しあってこの仕事をしているそうだ。遠距離恋愛の年下の彼氏がいるのだが最近もうダメかと思っている。そんなところに客で来たのがクリスチャン(カトリック)でバツイチで娘がひとりいる男性なのだという。お互いに気に入っていてつき合って、結婚しようかと考えているのだけれど迷っている、という。で占い師のところに行って相談していて、出勤が遅れたのだそうだ。
身体も洗ってもらったのだが、僕は言った。「それは、男に信仰があってちゃんと神さまに聞き従う気があれば、神さまが正しく導いて下さるだろう。ところでオレはクリスチャンだ。よかったら貴女と彼氏とのために祈ろう。イエス・キリストを貴女の救い主として受け入れますか?」もちろん彼女は信じると答えたので僕は手を置いて祈った。それで、時間もなくなったので、僕はそのまま帰ってきた。お金を払って待たされて、手を置いて祈ってきただけだ。仕方ない。それからしばらくして彼女はお店を辞めた(ことをお店のサイトで知った)。
3度目はそれから2年くらい。単位制高校を卒業して大学の入学金を稼いでいるという18歳の女の子だった。なんというか、前しか見えない、バカな子だった。僕は気に入った女の子はあまり変えない。その子が在籍している間はその子としか遊ばなかったが、クリスマスの頃に遊びに行って、「こういう店で働いたことが後の人生でわざわいにならないよう、オレが祈ってやろう。イエス・キリストを救い主として受け入れなさい。」と言った。素直な子なので(分かってなかっただけかもしれないが)彼女は受け入れた。それと、「貴女は下手すると一生この世界で暮らすことになりそうだから、もし3月の時点でお金が足りなかったら連絡してきなさい。出してやろう」と言って実名とメールアドレスの入った、当時勤めていた会社の名刺を渡した。
3月に電話がかかってきて「ごめんなさい、足りないので出して下さい」と言う。いくら足りないときくと40万円と言う。あの仕事を5ヶ月やって60万円しか稼げなかったのか!?と思うが「身体を壊して病院で40万円使った」と言う。あとで知ったことだが、その子は本番禁止の店で本番をさせるといってネット上で有名だったのだ。子どもができておろしたのかもしれない。出すよというと「なんで他人の私にそこまでして下さるんですか?」ときくので「自分から言い出してしまったからです」と答える。神さまがこうしろと言っている、とは思わなかった。20万円程度で済むと思っていたのだ。僕がバカだったのだ。指定口座に40万円入金した。後悔はしたが、彼女に対しては悔しくなかった。一度神さまの名前を出しているのだから、彼女が僕をだましたのであれば、彼女はそのせいで苦しんでいるだろう。今はちゃんと学校に行っていると信じたい、いやちゃんと学校に行っていたら、今頃卒業しているはずだけれど。ちなみにその店はつぶれて今はない。
こういうことは、やっているときには「火の中からつかみ出してでも救い、」という聖書のことばを思い浮かべるのだけれど、あとで考えると「自分がクリスチャンであることを思い出して、自分のやっていることを恥ずかしく思え」という神さまのみこころだったのだろうか、とも思う。
http://anond.hatelabo.jp/20110925204621
たぶんね、もっともっと根本的なところからじゃないと入門にならないと思う。
いきなり前提を崩すけど、脱オタだけに限らない。
出かけなきゃいけないけど、服装で気後れする、そういう人向け。
予算4万5千円ぐらい。さらに安く上げたいなら2万ぐらい。
あ、カジュアルなお出かけ先ね。あと男対象な。
そして買い物に出かけよう。
黒いのが欲しいといえば店員が選んでくれる。相手はプロなのでちゃんと薦めてくれる。
ベルトも勧められると思うが、それは断っとけ。
ダメージ加工の無いやつなら、たぶん1万~1万5千円ぐらいで買える。
繰り返すが相手は接客販売のプロだ。どんなにキョドってようが売ってくれる。
できれば2枚買え。無印は薦めてくれたりはしないから、種類の違うのを2枚買え。
よく判らんと思うが、胸ポケットがついてる奴とついてない奴と2枚も買っときゃ良い。
2枚で5千円ぐらいで買える。併せてVネックTシャツも買っとけ。色は白な。
靴下は無地の黒で薄いやつな。肌着は白のVネック。トランクスとかブリーフは好きなの買っとけ。
だいたいセットになってるから2~3枚ずつ揃えとけ。無印で買った奴はここは飛ばせる。
まあ、4千円前後だろう。
注意点として、ポケットには何も入れるな。
おろしたての服でとりあえず出かけよう。
黒か茶の、革靴を買おう。チャッカブーツとか適当に自分で選んで買おう。
基準は、靴紐のあるやつ、外羽根式(靴紐結ぶ所がぱかぱか空くやつ)、プレーントゥ(足の先にかざりがない一枚のつるんとしたやつ)。
店の人に「カジュアルだと変ですかね?」と聞いて、違うの勧められたらそっち買っとけ。
1万5千円~2万円ぐらいだ。
買った服を全部洗濯して、アイロンをかけて(難しかったら襟と袖だけか、干す時に手で叩いて伸ばして干しとけ)、風呂に入ってから着ろ。
駅前にある、なんかそれっぽい美容院が良いぞ。ちゃんとネットで調べて電話で予約してからな。
気遅れすることはない、相手はプロなのでちゃんと客として扱ってくれる。
「さっぱりしたいので短めで」とだけ言っとけ。
あとはなんか提案してくれるから適当に頷いとけ。ヒドイ事にはならん。
あと、最後に整髪料を付けてくれるだろうから、「それ欲しいんですけど」と言えば売ってくれる。
カットも含めて、全部で多分1万ぐらいだ。
くれぐれも、買った服と買った靴と買ったベルトでポケットには何も入れずに行けよ。
それはお前が慣れる意味もある。
まず、お出かけ3日前ぐらいから、洗濯を除いて「下準備」を毎日やれ。
普段爪切ってない奴は指先が荒れてるかも知れないから、風呂場で歯ブラシ使って爪の間洗っとけ。爪楊枝とか使うな。
洗濯は、服を着た日の夜にやれ。服は毎回洗え。
ジーンズだけは別に分けて、裏返して毎回洗え。育てるとか言うな。そういうのは臭くないやつがやる。
靴も出来れば磨いて欲しい。最低でも出かけて帰ってきたら、表面のほこりは落としてやろう。
けっして走るな。汗っかきは洗濯したハンドタオルを持っていけ。
お前は少なくとも不潔ではないし、不快ではないし、近寄って欲しくないタイプの服装じゃない。
まずはそこからだ。
そして、それさえ出来ていれば人前に出ていける。
カバンだとか財布だとかは、気にすることはない。どうせそこまで手は回らない。
そして、自分が清潔で綺麗な服を着ていれば、そのうち自分から気になってくる。
どうもシャツやジーンズがくたびれて来たと思ったら、新品を買いに行けば良い。
古いのだって着てたら良い。出かけようと思った時に新しい方を着れば良い。
そのうち、安く似たやつを買ってこれるようになる。
追加で買いたいなら、ジーンズと靴は濃い色にして、あとは淡い色合いの無地を買っとけ。
色々やってみても良いけど、風呂入った後に洗濯してアイロンかけたのを着るのだけは忘れるな。
清潔で、ポケットに何も入れず、ベルトにも何も付けず、常に髪を切ってヒゲも剃った状態なら、それで良い。
イケメンじゃなくても、清潔でありさえすれば嫌がられることはない。
お前はそこに居ていいんだ。
最後にくどいほど繰り返すが「下準備」を忘れずに、洗濯あがりの服を着ろ。靴のほこりは落とせ。
それを忘れなければ、何処に出ても嫌がられることは無い。
1年くらい前までは頭の中が欝っぽい考えでグルグルに回ってても「それでも働かないと生きていけないし」などと言いながら過ごして
まだ20代なんだけど、若いながらも死にそうになっていた。親類が死んだこととかも関係して精神が滅入ってたのもある。
元々病みやすい部類には入っていたのかもしれない。
よく病んだとか言ってたし。今だったら10代の娘とかでも、「ちょー欝なんだけどー」だなんだの言ってない?
そういう悩みから解放されたい一心で、例えばカウンセリングに行ったりとか、まぁ各種様々な方法を探しまくった。
自己啓発とかそんなんに頼ろうが、もう身体が辛くてどうあがいても生産性が上がらなかった。だから直接的に効く方法を探しまくった。
でも効果がそもそもなかったり、一過性であったり、副作用があったり、なにぶん辛いことが多かった。
「金と時間と気力を消耗する」ものばかりだったわけだ。んな方法が続くわけない。
もしかしたら体質でどうにもならないもんなのかと思っていた時に出会ったのが今回ご紹介する「ヴィパッサナー瞑想」。
最近はテレビなんかでも出ているときがあるので知っている人がいるかもしれない。
それなりに有名になってきたのだ。この記事を読んでからでいいんで、googleで「ヴィパッサナー瞑想」で検索してください。
俺が絶対的に要望としてもっていたのは
1.金がかからず、高い質
2.気力がいらない
精神の悩みでいうと
1.胸のつまり(なぜつまるのか、よくわからんが、呼吸するのが辛かった。生きるのがむなしかった。)
2.心の疲れ(潤いがない。乾きまくり、人間にとって優しさが大事とはよく聞いていたけど、なぜかそれを心でよく感じていた。イライラがしんどかった)
3.頭ん中グルグル回る悪い想像(これは今思うとこれに振り回されていたんだなという感じで、重くて、辛かった。)
の3つ。今思うと、よく↑で仕事していたと思うわ。過去の自分を振り返って、自分で自分を尊敬もするが、もっと早くヴィパッサナー瞑想を探せよ!という気持ちにもなる。
「ヴィパッサナー瞑想」は、簡単に言うと今という瞬間に完全に注意を集中するメソッド。俺が最初に読んだのは「意のままに生きられる―ヴィパッサナー瞑想法 」という本だった。
アマゾンの評価も高かったので、買ったのだが、この本が今思うと当たりだった。
開発者のブッダさん自身のむなしさから抜け出すために作られたエピソードとかが載っていて、意欲をかき立ててくれる。(DVDがついてないのが、惜しいけど。)
瞑想法自体はとにかく簡単だった。何しろ一番始めに乗っていたのが歩くままやる瞑想法だったから。
さらに「イライラが止まる」やら「頭の中のガラクタがなくなる」やらの効果が書いてあった。
「本当に歩くだけの瞑想法でこんな効果あんのかよ!?」と思いながら、本を読みながら部屋の中を歩いて、「歩く瞑想」をやったのだった…
「左足から歩くならば、左足に神経を集中させ、「左足」とこころの中で言葉で確認し、同じく「あげます」と実況しながら左足を上げ、
「運びます」と実況しながら左足を運び、「おろします」と実況しながら左足を降ろす。同様に右足も、足の感覚を丁寧に感じながら、ゆっくり歩く。
このように実況中継を絶やすことなく歩くことを続ける。」
というのがやり方。実に簡単。
で、これがめちゃくちゃ頭の中でうずまく妄想を止めるのによかった!
寝る前に座る瞑想法も試してみたのだが、同じようにからだの感覚やこころの感覚を、実況し続けたのだが、いつもはなかなか寝れないのにそのまま寝ちゃっていたのだ。
そして爆睡。ほんとは寝ちゃだめなんだけど。
子供の頃なんて毎日爆睡だったけど、大人になってからは、そういう感覚ってなかった。それが1日にして蘇った。
朝起きたとき「え?……あぁあの瞑想して寝てしまったのか」という感じでぽかんとしていた記憶がある。
で、いつもだったら起きたくないなぁ、あれやらなきゃなってふとんの中でグズグズ妄想が頭ん中を回るんだけど、それに気づく。
あぁ、いつもこの頭の中を回るガラクタに惑わされていたんだって気づく。
精神学者の名越康文も朝の自動思考について仏教を例に説明している。http://igs-kankan.com/article/2011/08/000476/
1日にして「ヴィパッサナー瞑想法すっげえええええええ」となったのだった。
んでその後は、買った本に乗ってある奴を徹底的にやった。歩きながら瞑想するのは体と心が同調されていい。
とにかく気力がいらないという点がよかった。つまり、今に集中しろ、現在に気づけ、観察しろ、ただ知れってことだから。
つまり、"Don't think, Feel!!!"というブルース・リーが説く状態に持っていくということ。
1週間くらいしたら、こころの状態がすこぶる良くなっていた。身体が新しくなった感じがして、呼吸するのが気持ちよかった。
心の疲れはちょっと残り続けていたのだが、3ヶ月くらいやってたら、気付いた時には「あれ、心がなんか静まってる」となってあの重い感覚は7割方消えていた。
怒りも静めることができるようにもなった。
で、今ちょうど1年くらい経ったんだけど、すこぶる調子が良い。歩くのが楽、呼吸するのが楽、良く笑うようになった。このヴィパッサナー瞑想法との出会いが間違いなく自分を変えた。
心の調子がよくなると、体の調子が変わるのは確か。「なんか悟り開いたみたいだな」とよく人から言われます。前までは悟り開いてなかったのかもしれない。
俺のオススメはスマナサーラ長老と小池龍之介。まあ前者の方が俺は好きかな。
大抵この2人が今の瞑想入門の売れっ子って感じ。(他にも色んな入り口があるってことね)
是非、オススメなので、ヴィパッサナー瞑想法知って下さい。大きい本屋にいくと、ヴィパッサナー瞑想コーナーがあったりします。店員さんに聞くといいです。
ちなみに日本テーラワーダ仏教協会というところに載っていました。無料で見れます。http://www.j-theravada.net/4-vipassa.html
余談だけど、このヴィパッサナー瞑想法を開発したブッダさんという人は、凄まじく天才なんだそうだ。
若いときは、王国の王子として生まれて恵まれた生活を送ってたんだけど、生きることのむなしさを感じて、出家して、悟りを開く(笑)
で、仏教っていうの教えるんだけど、それは神やら儀式やら主義じゃなくて、内なる現実をありのままに観察することによって、その本質を理解しろよって言ったんだ。
話が、本当かどうかはこの際どうでもいい(俺は本当だと思うけど)。ヴィパッサナー瞑想法が効果あるのは間違いないのだから。
匿名ダイアリーは巨大ブログだと誰かが言っていた。是非、ヴィパッサナー瞑想法を拡散してほしい。
ちなみに仏教団体(色んな怪しい人達もいるから気をつけてね)の回しもんじゃありません。とにかく良いものには広まってほしいと思う一心です。
勝手な言い草だけど「ヴィパッサナー瞑想法合わない」なんて言う奴は、この世にいないと思う。万人向けに作ってあるから。
というか、西洋人でも瞑想を生活に組み込んでいる人がいるのに、日本人が正しいやり方を知らずに実践していないのはマジでもったいないと思う。
自分の予想では、あと15年。
少子高齢化が多少改善しても、焼け石に水程度。これから学生運動で暴れた世代(今の首相もその筆頭)や暴走族世代が次々と定年を迎え、彼らがありあまる時間を病院で過ごす事により、権利権利を振りかざして医療費高騰に医師不足。他にも、国民年金はそのうち支給額増額、厚生年金組は十分もらっていたとしても権利だからと会社が倒産させても年金確保(JAL破綻は良い典型例)、支払えない場合は国が補償。
もちろん支出増の財政難で国債は減るどころか増え続けるか、たとえ増税で補おうにも経済縮小となり国の財政の多くを支える法人税収入や所得税も減少。どちらにしても収入は減るのに、支出は増えるばかり。
公務員給料を減らせないでEU全域に迷惑をかけているギリシャの状況は、似たような形で将来の日本でも起こりえる光景。
TPPが妙に一時期騒がれた時期もあるけれど、全部、こういった将来の日本を見据え、EUの真似事だか擬似日本大帝国を作り上げようという逃げの布石な訳でしょうが、EUで起きている事を考えたら、普通は流れが逆。てことは、そんな話自体もそのうち無くなり、退路さえも無くなる。
他に、権利権利を唱える集団のお願いを叶える為には、一番てっとり早いのは大国の属国になること。アメリカの属州でもいいけれど、中国の属国という選択肢もある。
福島みずほが内閣に居た時にうっかり自己申告してしまった謎の資産2.5億円。その後、彼女が内閣辞めてから妙に固執したのが、リーマンショック後の派遣労働者問題でなく沖縄米軍基地だったあたり、政界では日本売却論が出回ってるのではないかとさえ思えてくる。無論、似たような動きで親米派が動いているのもあるだろう。
これらが現実になると予想するのが、学生運動&暴走族世代が定年となってゴタゴタが膨れ上げる15年後、と見ている。いや、10年かも。
たとえ誰が首相となろうが、どの政党が政権を取ろうが、現実問題山積みになっている状況が状況。マスコミはひたすら叩いて引きおろし、一般人もそれ見て引きずり落としたい感覚に陥る。日本は末期癌。そのうち死ぬでしょう。
最近、鬼女の「特定力」や「ひきずりおろし力」が話題になってるけど
一部のアイドルファンも自分が気にいらない芸能人やファンに対して
ネットの陰の部分では相当えげつないことをネットの片隅でちょくちょくやってたりするわけで
QBのいうところの魔法少女の「ソウルジェム」が黒く濁っていって魔女になるというシステムによく似てるなと。
アイドルの人気の為に誰かをひきずり貶めたいという願いが悲劇を生み出すところとか
こういうタイプが成長したら「鬼女」になるんだろうなと
前略、ニート。
暇なので散歩した。
ルートは、所沢~小平(西武新宿線沿いをあっち行ったりこっち行ったり)
途中から暑くて汗がすごかった。
水分補給しつつ、散歩。
その途中、久米川駅近くのコンビニでチキン買って食ってたんだけど、
知らん人に「すいません」って話しかけられた。
よく日焼けした身体で、僕よりちょっと背が高い。
交通量も多くあまり聞き取れなかったので、何度か聞き返したりした結果、
ということらしい。
最初スキを見てひったくるつもりなのかな、と警戒してみたものの、チキン食べ終わってないので
「ちょっと食べ終わるまで待っててね」
というと素直に待ったので、その線はないだろうと判断。
事情はあまり聞かずに、あるだけの小銭をあげた。額にして105円。僕もお金がない。というか、おろしてない。
コンビニで買い物しそうだったから「近くのスーパーならおにぎり買ってお釣り来るからそっちにしなさい」
と言うと、彼なりの笑顔で応えてくれた。十分だ。
いつか僕もああなってしまうのか、という思いがあったことは否定しない。
霊園にはバッタが多い。踏まないように進む。
もう何年も手入れされてないだろう墓が多い。
「御名刺受」というのが付いた墓をたくさん見た。宗派の違いだろうか、私の先祖の墓、周辺では見たことがない。
いつもよりたくさん噛んで、舌で、歯で咀嚼して、味わって食べる。
そして電車に乗って家に帰ってきたのが今。3時間半にわたる長い散歩終了。
まとめ。
なぜ彼はたくさんいる人の中から僕を選んだのだろう。わからない。
時々彼が私の家に遊びに来る。
私の家は会社の女子寮だが、借り上げなので普通のマンションだ。
隣や上の部屋に同期の女の子が住んでいる。
お付き合いしている彼も、同じ会社の同期で勤務地は違うがその子たちとも顔見知り。
知られるといろいろ面倒なので内緒でお付き合いしてて、
できるだけ夜中とか早朝、他の同期の勤務日などと鉢合わせない時間帯に、
ひと駅先の駅から歩いてくる。
11月位からお付き合いしだして、今年の3月にお互いの関係が不安定になり一度別れて
繋ぎ止めたくて外デートばかりじゃなくて新しいこととして家デートもしようってことで、
私のうちに遊びに来てもらったのが通うようになったきっかけ。
私が彼のことを好きなら、彼も私のことを好きでいてくれるらしい。
休みの前日によく彼は遊びに来てくれて、
ごはんを食べてお酒を飲んで、録画していたアニメを見ながらいちゃいちゃして
いちゃいちゃして、セックスして、昼ごはん食べて、アニメ見てセックスして
夜ごはん食べて、彼は自分の寮に帰って、私は電車で3駅行ったジムに泳ぎに行く。
彼は私にとって初めての彼氏で、はじめての男のひと。
初めは痛くて、なかにも入れられなかったのに、
最近は中に入れて、慣れたら動かしても痛くなくなった。
体から出てくるのもぬるぬるの透明の液体から白っぽいのが出るようになった。(はじめゴムが破けたかと思って焦った。あとで調べたら気持ちいいと出るらしい)
太りぎみな体型(彼の同期も私の体の肉が余っていると言っていたらしい)も
筋トレのおかげか中できつく締められるようにもなった。
彼も最近は中でいけるようになってきた。(私は疲れて彼が動いている途中で寝てしまう時もあるけれど)
うれしい。
それまでは私が痛がって、口で処理していた。
足の付け根を舐めたり、睾丸の付け根からお尻までの間を舐める。
睾丸自体を口に含める。亀頭を舐めて口に含める。
唾液を垂らして、掌で軽く擦る。
彼の中で波があるみたいで、それに乗れたら口の中に出して、
乗れなそうだったら、手の動きを彼と交代して、私の口に擦りつけるようにして、口に出す。
精液は飲めそうだったら飲んで、周りをキレイに舐めてあげる。
大抵飲む。
逆に彼が私に愛撫してくれるときは、太り気味で多少ふくよかな胸を中心に
舐めたり、揉んだりしてくれる。ずっとされると頭がぼーっとしてくる。
ちなみに裸の時より、服を着ているときの方が気持よくなれる度合いが強い気がする。
そうこうしているうちに下着が濡れてくるので、その上から撫でられる。
ヌルヌルしていて、気持ちよくて声が出る。
でも、中の方はうまく濡れていないので、念入りに舐めてくれる。
時々、下の毛が長くて舐めづらいと言われるので、気がついたときに長さの調節をしている。
隣に同期が住んでいるのもあり、声を聞かれるのが恥ずかしいので、
声を出さないようにしたいのに、舐められると気持ちが良すぎてつい大きな声が出てしまう。
「エッチだね」と彼が言う。私がいやいやするとほんとに辞めてしまうので
結局「もっと舐めて」と言って、そのままいってしまう。
いったあとだと、指が2本入るくらいに中が広がるようになっていて、
彼のを中に入れられるようになる。
体っていうのは本当にうまくできてるものだと思う。
コンドームを付けてあげる。
ゆっくり中に入れて、痛くない場所に呼吸を合わせながらうまく位置を移動させる。
大丈夫な場所ってのが中にあって、そこだとある程度は動かしても痛くない。
彼が上で疲れたら、交代して私が上で動く。
胸がたゆんたゆんと揺れるので彼がそれを手で支えてニヤニヤする。
一度バックで入れるのをお願いされて、やってみたら、
内臓を突かれるようでかなり痛くて、それ以来一度もやっていない。
騎上位だと、自分のペースで動かせるし、クリも擦れるので比較的気持ちいい気がして
一生懸命動く。ベッドが軋む。
軋む音が気になって、でも下の方で彼も腰を動かすので、また声も出てしまう。
私が疲れると、一度中から出して、布団を床におろして正常位で再び動かす。
それから数十分、彼がひたすら腰を動かして、上から汗が落ちてくる。
つかまってる肩も滑りやすくなる。
汗だくの彼が「いけそう」と呟いて、腰を動かす何度目かに彼がいって
私のなかでドクンドクンと脈動する。
びしょびしょになったシーツで2人で少し眠って、
交代でシャワーを浴びて、シーツを変えたり、食事を作ったりする。
食事を摂って、アニメを見る。
一度、服の上から私が一方的に彼を体中弄って、
気付いたら、舐められなくても中の方までぬるぬるになってたときがあった。
実は私はえろいのかもしれない。
秀逸なプロットだったので星新一・筒井康隆っぽくショートショートにしてみた。元スレ見てからでも後から見てもおっけー。(一部設定変更)
「笑顔が素敵ね」
子どもの頃からよく言われていた。私がとびきり明るい性格だったわけではない。両親ががよく笑う人だった。両親の笑顔を見ると、私も幸せな気分だった。その幸せな気分に釣られて、私もよく笑っていたのかもしれない。
小学校から大学まで、学生時代は友人関係で悩むことはなかった。特別モテたわけでもないが、一応彼女と呼べる人もいた。就職活動も、社会情勢的には厳しい時期だったが、そこそこの企業に就職できた。
就職して、大学時代から付き合っていた智子と結婚した。就職して5年が経った頃、母親が亡くなった。乳がんだった。その半年後、父親も後を追うように旅立った。普段は亭主関白だったくせに、寂しがり屋だったのだろうか。私は悲しんだ。とても悲しんだ。そんな時も、いつもそばにいて優しく微笑みかけてくれたのは、智子だった。
しかし悪いことは重なるもので、ちょうど両親を亡くした頃、会社の業績が悪くなっていた。喪に服す暇もなく、仕事に忙殺される毎日。楽しいとか哀しいとか、そんな感情すら忘れてしまった。
もう日付も変わろうかという時間に晩ご飯を共に食べていた智子が心配そうに私に言う。
「最近忙しいみたいだけど、ちょっと休んだら?ここのところずっと、厳しい顔してるわよ。」
営業先に出向く前に、自分の財布が空っぽなのに気付いた。適当に車を走らせ、最初に見つけた銀行に入った。ATMを操作して出金しようとするも、全く動作しない。自分の口座が対応してない銀行なのかと思い銀行名を確認した。「笑顔銀行」と書いてあった。
とにかくATMが使えないでは話にならないので、行員を呼びつけた。
「お客様、当行のご利用は初めてでしょうか?当行はお金ではなく、笑顔の貯蓄を承っております。」
そういうと行員は、私に通帳とカードを渡してきた。中を開くと幾許かの残額があった。仕事のしすぎでついに狂ってしまったかと思ったが、毒を食らわば皿まで、とりあえずその口座から少しだけ下ろしてみた。
「ただいまー。」
「お帰りなさい、あなた。…あら、どうしたの?何か良いことでもあった?」
「え?別にそんなことないけど…。」
「ほんとに?ならどうしてそんなに嬉しそうな顔してるの?」
俺は智子に笑顔を向けることができた。
どうやら笑顔銀行は本物らしい。今までどう頑張っても笑えなかったのに、笑顔銀行で笑顔をおろしたら智子に笑顔を向けられた。
私は智子を愛していた。智子は私がどんなに硬い表情であっても、常に優しい笑顔だった。私は心苦しかった。そんな智子に微笑み返すことができない自分が、情けなくて悔しかった。
だから、笑顔銀行を見つけた日から毎日、少額ずつ笑顔銀行から笑顔をおろした。相変わらず仕事は楽になりそうもなかったが、帰宅が遅くなっても必ず待っている智子のために、せめて笑顔くらいはお土産にしたかった。
しかし、ついに笑顔銀行の残高が0になる日がきた。もう、笑顔を浮かべることはできなくなってしまった。
「智子…。本当にすまない…。いつまでもこんな生活で…。でもお前は、これまでずっと俺のために遅くまで起きて、飯作って、家事もしてくれて…。本当に感謝してる。ありがとう。」
私は泣いていた。本当は笑顔で伝えたかった。けど、今の自分に笑顔の残高はない。微笑むことができない。だからこれが、自分の精一杯だった。
「そんなこと気にしないで!あなたが頑張ってるの、私よーく知ってるわ。」
笑顔で返す智子も、ほんのりと涙を流していた。
長い間の努力も実ってか、会社もようやく持ち直してきた。ほとんど休みなく働いていた私は、有給を取って智子とデートをした。
「あ、プリクラだー。ねえねえ、久々に撮りましょうよー。」
「えー、嫌だよ学生じゃあるまいし…。」
私の言葉が耳に入らなかったのか、いつの間にか撮影ボックスの中にいた。もう何年ぶりかにプリクラを撮り終え、印刷された写真を見て気付いた。
「俺、笑ってる…。」
智子を待たせて、走って銀行へ向かった。残高が0になって以来、笑顔銀行には来ていなかった。久しぶりに記帳して驚いた。残高がかなりの高額になっていたのだ。
「す、すいません。なんでこんなにたくさん入ってるんですか?確かに前は0だったのに…。」
行員はにっこりと微笑み、
と問いかけてくる。智子の顔が浮かんだ。
「当行では、お客様が笑顔を向けた分だけ残高は減り、笑顔を向けられた分だけ増額いたします。きっと、奥様が貯蓄なさったのですね。」
Togetter - 「カオスラウンジ騒動に対する、東浩紀と村上隆の対話。」
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/151267(はてブ)
この梅ラボ関連の話題は、東浩紀の言うように、かなりめんどくさい。でも、思ったことをまとめていこうと思う。
なんというか、周期関数かとツッコミを入れたくなるぐらい同じ話題が繰り返されているような気がしますが、こういう創作に関しては、原則として「やっていけないものはない」という前提があります。
極端な例示をするなら、「無差別殺人をしてその血をテンペラ画のように塗りたくって、最後にその包丁を突きつけなければ作品が完成しない」として、じゃあ人を殺してはいけないか、ケチャップじゃいけませんか、というとそうじゃない。
人を殺した代償として裁かれるのであって、人を殺していけないわけではない。
つまり、量刑と藝術を天秤に掛けて、藝術の方に重きがあるなら殺しても仕方がないでしょう、殺された人には気の毒ですが。やっぱり刑は嫌だな、となれば別な作品を探すしかないでしょう。
つまり、何次創作を作るにせよ、著作権なんて屁じゃねーよ!っていう無敵の人にとっては「著作権違反だ!」も「愛がない!」も説得力ゼロなわけです。まあ私自身も、ああいう手法を以て「誠意がない」とか言う批判は正直アホだと思ってます。
繰り返しますが、著作権は明らかに違反していますよ。あとは訴えられるかどうかです。そして、その訴えられたかどうか、刑に処されたかどうかというのは、作品評価の是々非々とは一切無縁だということです。
むしろこの騒動自体は、騒げば騒ぐだけ大成功ということになりますし、私はもう成功したとみなしています。ふたばがどうだ4chがどうだというキメこな起源の文脈はあまり本質ではありません。
たとえば、まあこういうところで引き合いに出されるだろうものとしてマルセル・デュシャンの「泉」があるでしょう。男性用小便器に署名だけして出品したあれです。
今同様のことをするなら、それに小水でも引っ掛けて署名の代わりとし出品するでしょうか、もうされたかな?
作品に関して端的な説明とデュシャンの人となりはここが短くて分かりやすいかと思いますのでどうぞ(http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~konokatu/nakaoku(06-7-31))←括弧付き年月日までURL
そしてもう一人、アンディ・ウォーホルも取り上げるべきでしょう。Togetterまとめの中では、鶉アイコンが今作とウォーホルとを態度の違いで「同列には語れない」などとアホ臭いことを語っておりますが全身全霊をもってスルーしてあげてください。(ウォーホルの言う「表だけを見てください」というのは、裏がないことを意味しない。逆もしかり)
今回の騒動は明らかにこういった系譜の延長上にあります。ゆえに、「もう面白くない」というのはまっとうな言い分であると私も思います。デュシャン以降、何が独創性たりうるのかという問題を突きつけられた芸術家達は、常にデュシャンを意識せざるをえないのです。あの藝大アカデミズムからの反動ガチ保守な村上隆さえも。
このキメこな騒動(そもそもキメこなが使われてるのは一部なんですが)以前にも、近い話題としてChim↑Pomのいわゆる岡本太郎の絵画に添えつけた「原発アート」の話題がありました。
これも同じく私は成功したとしている(というか基本こういうやり方もある、という人が界隈では多いのですが、社会との関わりもあって留保的な回答にせざるを得ない)のですが、権威を借りただけだどうだといろいろな反響がありました。
しかしながら、こうもたてつづけに同じような反応を見ていると、何かを感ぜずにはいられません。
藝術と法律というのは別レイヤーで処理されるべきものであり、例えば貨幣偽造にしても千円札裁判のようなものは、法律で裁かれるのはともかく、「裁かれたのだからこれは藝術ではない」と看做している人が一定数存在するような気がしてならないのです(すなわち、同じレイヤーとして法律>藝術という階層がある)
そして著作権違反だという申告をする人々らは、おそらくその人が裁判にかけられるということそれよりも、「こんな表現が藝術として認められるわけがないから、法律で裁いて非芸術にしろ」という動きのようにも見えるのです。
それ自体はひとつのリアクションなので、どうということはないのですが、様式美にハマっているような気がしないでもないです。
(まとめ中で村上隆が「赤瀬川原平との呼応は矮小化だ」とこきおろしてますが、彼は矮小化の意味をわかっていないのではないでしょうか?あるいは、本質であるところを意図的にずらして矮小化を捏造しているのだろうか?もっとも、彼の態度は藝術と非藝術は明確な区切りがあると考える立場だと察するので、何か藝術階層から退けられる言葉があれば何でも良かったのかもしれませんが)
まあ僕の意見としては、こうして日本にも藝術が浸透していくのは大変喜ばしいことであり、みなさんどんどん騒いでください、というぐらいの感想です。
そう考えると俺が面白かったというだけの話。長い。呪文唱えとく。ティロ・フィナーレ!
破でシンジが「世界がどうなったっていい!」(だっけ?)と叫んだとき自分は「ポストエヴァがやっと終わった。」と思った。
だからまどかマギカを見ながら、このアニメが終わったときに、いったい何が出てくるんだろ?と思っていた。
でも違ったようだ。まどかマギカはポストエヴァの総決算みたいなアニメだった。
ここで俺の見たアニメを二つに分ける。さすがにこれで全部じゃないが、すごく少ない。
【なんとなく出来た/お題を出した】
【理詰めで作った/お題に答えた】
エヴァはよく分からん。あれはどうも「作っている最中になんか出てきたwよく分からんけど、とりあえず入れとけ。」
みたいな感じで作ったように見える。
でもそれに対して、「あれはこういう意味なんじゃないの?」と答えるようなアニメが沢山作られた。
それがポストエヴァと呼ばれるものだと思う。とりあえずそういうことにしといて。
一方、トップ2!とハウルは分かり易い(と思う)。尺が短いってのもあるだろうが、やりたいことが決まっていて、
(ちなみにポニョは分からん。ちょっと不愉快に感じる分からなさだ。)
で、自分はこの2つをエヴァが出した問いに答えたアニメだと思っている。
この2作には「世界を救わない救世主」が出てくる。最終的には救ったりもするけれど。
まあそうなのよ。別に救わなくていいのよ。
この答えは当初はともかく、今ではかなり受け入れられたんじゃなかろうか?破でシンジもああ叫んじゃったことだし。
(まどかも世界を救った訳じゃない。ストパン2のラストは、今時こんなの流行んねーよって思った。)
でもねえ、あいつら全員すごい力をもってる訳よ。お前らそれでいいだろうけど、俺はどーすればいいのよ、
ってな感じで、まああまり使えない。
横にそれるが、当然トップ2!はエヴァよりも「トップをねらえ!」を意識している。
ところでトップ2!って不人気なのかね?まどかマギカのラストはトップ2!のパク…リスペクトだと思うんだが。
もっとも、俺が知らんだけで、まどかマギカがリスペクトしているアニメ・漫画は他に沢山あるだろう。
ハウルはあれだ、こんなの爺さんに作らしてちゃだめだろって思ったんだが、どうなのかね?
で、まどかマギカだ。
まどかマギカは次のようなお題を立てた。
その答えは、
たったこれだけのことに、なんとも手の込んだことをしたもんだ。でも単純であることと、それが伝わるかどうかは別なわけで。
物語のほとんどの時間を、まどかは泣いたり悩んだり何も出来ずにおろおろしている。
最終的にまどかは神的存在になって魔法少女達を救うけれど、彼女達を救ったのは彼女の力ではなく願いだ。
(別の終わりもありえたけれど、あの願いだからこそあの終わりかたになったわけで。)
そう信じることくらいなら、自分にもできるだろう。
改変後の世界の魔獣は白くて皆同じ姿をしている。あいつら多分感情を持っていない。
それに対してほむらの翼は黒く濁っている。
中学1年の7月のことだった。私が朝学校に行くと、仲良しだった子が近づいてきて唐突にこう言った。「もう、ごずっちと口きけないんだ」 意味が分からなかった。転校でもするのかと尋ねても違うと首を振る。「もう決まったことだから。じゃあ頑張って」 そう言って彼女は去っていった。
彼女の言葉は少なくて詳しい事情はまるで分からなかったが、悪い予感のようなものがあった。これはもしかしてあれじゃないか。どうしようどうしよう。背中を冷たい汗が伝うのを感じていた。教室へ向かう階段を登りながら、もうこのままずっと教室に着かないで欲しいと思った。知るのが怖かったのだ。
教室のドアの前に立った私は蒼白だったと思う。頭の中に色んな想像が駆け巡り、手のひらはじっとりと汗ばんでいた。ひざも少し震えていた。私は意を決して教室のドアを開ける。いつもと変わらない教室。でも私が入った瞬間、少しだけ空気が変わるのが分かった。スタートと悪魔がせせら笑った気がした。
私はいつも通り「おはよー」と声をかける。だが挨拶は返ってこない。私の存在を無視してみんなはおしゃべりを続ける。目さえ合わせようとしない。女子も男子も私がいないかのように振る舞っている。私は深く息を吐いた。泣いて騒ぎ出しそうな気持ちを必死で鎮めようとしたのだ。
昨日まで楽しかった学校が拷問のように感じられた。誰からも話しかけられない。こちらから話かけても無視されてしまう。なぜ私なのだろう。何遍も考えてみたけど思い当たる節はなかった。実際のところ大した理由もないのだろう。何となく選ばれ何となく無視されているのだ。
私はこの状況をできるだけ軽い感じで受け入れようとした。これは思春期の少年少女にありがちな他愛のないお遊びなんだ。こういうときは慌てず騒がず嵐が過ぎるのを待てばいい。恐らく長くても半年がせいぜいだろう。2年になればクラス替えもある。ちょろいちょろい。当時の私はそんな風に考えていた。
無視は1年生の間ずっと続いた。正直少し長いなと感じていたが、無視はあくまでクラス内だけの話で、他のクラスの子や部活内では普通に話をしていたので、思ったより辛くはなかった。学校は勉強をする場所だと割り切ればどうということもなく、そんな自分の強さに少し驚いてもいた。
2年生になる際にクラス替えがあった。掲示されたクラス割を見ると、1年の時同じクラスだった子は4人だった。それも大人しそうな子ばかり。私はほっと胸をなでおろした。慣れてきたとは言え、無視されるのはやはり心地良いものではない。私は解放感を胸に新しい教室へと向かった。
私は教室に入った瞬間、既視感を覚えた。空気の流れや重さが変わる感じ。暗黙の了解に支配された教室。それは9ヶ月前と同じだった。私は自分の席に着いて隣の子に話しかけた。「おはよー。私ごずって言います。よろしくね」 隣の子は目を逸らした。私は四方に話かけたが全員同じ反応だった。
血の気が一気に引くのが分かった。寒くもないのに体が震えていた。何なのこれ。怖い。怖いよ。早く教室から逃げ出したい。家に帰ってベッドに入って布団を頭からかぶって、世界からの情報を一切遮断したい。そんな気分だった。でも私は動けなかった。覚悟?諦め?違うよ。怖くて悲しかったんだ。
無視は一体いつまで続くのだろうか。2年生は修学旅行をはじめ色んな行事がある。中学生活を謳歌し思い出を作るにはうってつけの学年だ。それなのに初日から無視の洗礼だ。私は肩を落としながら部室へと向かった。部活だけが私のオアシスだ。もし部活が無ければ私は登校拒否を選んでいたかもしれない。
オアシスは見るも無残に踏み荒らされていた。3年生を除いた1-2年生部員が私を無視し始めたのだ。このときの絶望は筆舌に尽くしがたい。もう学校に私の居場所はなくなってしまった。その日を境に私は部活に行かなくなった。
家に帰ってから枕に顔をうずめオンオン泣いた。枕カバーが涙とよだれと鼻水でべちょべちょになっても泣き続けた。夕食のとき目を真っ赤に腫らしていたら、お母さんが心配して「目どうした?泣いたの?学校で何かあった?」と聞いてきた。実は1年生の頃から無視されているんだなんてとても言えない。
「泣く練習してたんだ。演劇部に転部しようと思って」と私は苦し紛れの嘘をついた。お母さんは「そう…何かあったら相談しなよ」と言ってそれ以上何も聞かなかった。これは私の問題だ。お母さんを巻き込むわけにはいかない。登校拒否だって絶対するもんか。私はそう固く決意した。
私は1日も休まず学校に通った。行事があるたびに孤立していたので、担任から「牛頭さん、クラスのみんなと仲良くやってる?」と探りを入れられたが、「大丈夫です」と突っぱねた。一方で私は毎日誰かしらに話しかけるようにしていた。どこかに突破口のきっかけがあるはずだと信じていたのだ。
突破口などなかった。私とクラスメイトの間にはマジックミラーがあるのではと思うほど無視は徹底していた。正直頭がおかしくなりそうだった。何度も登校拒否を考えた。転校も考えた。でも私は何も悪いことはしていない。逃げるような真似はしたくない。無視する連中に人生を左右されたくないと思った。
恐らく3年生になってクラス替えがあっても無視は続くのだろう。そう確信した私は中学を見限り、進学する高校を考えることにした。担任に頼んでうちの中学からの進学者が少ない高校をリストアップしてもらった。どこも私の学力では難しい学校ばかりだったが、毎日の目標ができて私は嬉しかった。
それからというもの、勉強を聞くために職員室に足を運ぶことが多くなった。どの教科の先生も私の質問に快く応じてくれた。時たま内緒だぞと言ってお菓子をくれる先生もいた。考えてみればそれはごく普通のことなのだけど、 1年半以上も普通の反応をもらえない私にはそれがとても新鮮に思えた。
3年生になってクラス替えがあった。半ば覚悟していたが予想どおり無視されたときは思わず笑ってしまった。ひとり笑う私をクラスメイトは不思議そうな目で眺めている。だから私は大声で叫んでやった。「無視生活3年目!落ち込んだりもしたけれど私は元気です!」 最高に気持ち良かった。
3年生になると周りが受験モードに移るので、以前ほど孤立は気にならなくなった。休み時間に勉強したり、図書室で勉強したりする人の姿も増えてきた。その頃、私は職員室の常連になっていて、放課後は先生達とコーヒーを飲むことさえあった。先生はみんな私に優しかった。
年が明け受験シーズンに入った。滑り止めの私立高校は受かっていたが、そこはうちの中学からの進学者がそこそこ多い。絶対に行きたくはなかった。本命の公立高校は共学でレベルがやや高い。先生からは「ボーダーだからランクを下げた方がいい」と言われていたが、私が受験校を変えることはなかった。
合格発表はお母さんと見に行った。高校は受験生と報道陣で混み合っていた。私は人波の隙間から自分の番号を探した。するとお母さんが先に見つけて「あった!あったよ!」と騒ぎ始めた。私は「もー!自分で見つけたかったのにー」と言いながらも、お母さんに抱きついて一緒に喜びを分かち合った。
私もお母さんも笑顔で車に乗り込んだ。でも運転席のお母さんが「お祝いに何か食べて帰ろうか」と言った瞬間、私は感情が抑えきれなくなり、声を上げて泣き出してしまった。助手席で嗚咽を漏らす私の背中をお母さんが優しくさすってくれた。そこで私の感情のダムは決壊した。
気づくと私は今までのことを洗いざらいお母さんに話し始めていた。話すにつれ、お母さんの顔は驚きから困惑に変わり、さらに悲哀を帯び、最後は私と同じ泣き顔になった。お母さんは何度も私にごめんねと侘び、私も同じようにお母さんにごめんねと言い続けた。お母さんは痛いくらい抱きしめてくれた。
その後、私は学校に行き担任に合格を伝えた。あと一番気になっていたことを聞いた。「私以外の合格者は何人ですか?」「男子が4人で女子が牛頭も含めて3人だな」 念のため名前も聞いたが、同じクラスになったことがない人ばかりだった。もう大丈夫だ。これでもうお母さんを泣かせなくてすむ。
卒業式は何の感慨もわかなかった。私の卒業式は合格発表の日、あの車内で終わっていたからだ。式が終わって教室に戻ると、クラスメイトはアルバムに寄せ書きをしたり写真を撮り始めた。その様子を尻目に私はさっさと教室を後にした。私に声をかける人はいなかった。
下駄箱で靴を履いていると「牛頭さん」と声をかけられた。1年生のとき私に「もう、ごずっちと口きけないんだ」 と言った子だった。この期に及んで私に一体何の用だろうかと思っていると、彼女は「あのね…ごめんね」と言った。なぜかその言葉で、私とお母さんが流した涙が汚されたような気がした。
「ごめんねってそれあんたの自己満足でしょ!自分が後腐れなく卒業したいからって今更ごめんねは無いでしょ!こっちはようやく解放されたのに最後の最後で味噌つけないでよ!」 私は思い切り啖呵を切って、走るようにその場を後にした。
帰り際、校庭脇の焼却炉に卒業アルバムを投げ込んで、私の中学校生活は幕を閉じた。…なお、高校に入学してから10ヶ月近く経つが、無視されることもなく、バカな友達に囲まれ毎日楽しく過ごしている。おしまい。
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1558107.jpg
このシーンがすごく気になるんだ。
お母さんは、まどかの腕を掴んで引っ張り上げることもできた。
でも、それをしなかった。
この前の先生とお母さんの会話で、
「あの年頃の子供はね、ある日いきなり大人になっちゃったりするものよ」
「信じてあげるしかないわね」
って言われている。
腕をあげたけど、おろすしかなかった。
だってまどかに、「今でもそう信じてくれる? 私を正しいと思ってくれる?」
って言われたから。
お母さんだって、子育てに戸惑っているし、どうしていいかわからないから、そうするしかなかったんだ。
この日急に大人になったまどかは、大人になるために階段を下りていった。
この結末は、まどかの家族にとって、まどかを大切に思う人にとって、よかったんだろうか。
まどかのお母さんはあのとき腕をおろしたことで、まどかを永久に失った。
いつもそばにいるし、希望の持てる世を作ったし、もうまどかのいたあの世界は、最初からなかったことになったのかもしれないけど、それでもあの世界のまどかの家族は、まどかを失ったことに変わりはない。
あのままの世界で、まどかを引っ張り上げたら、何も変わらない世界だけど、今のままで生きいけたかもしれない。
いくら神になったって、多くの人を救ったって、ただ娘に幸せでいて欲しいと願った母の思いは、どうなるんだろう。
事情を話もしないのに信じてくれた母に、胸をはれる?
ねえ、まどか?
お母さんの信頼に応えられた?
母を悲しませても、自分の信じた正しいことをするのが、大人になるってこと?
自分の娘がまどかのような行動をしたなら、俺はずっと悲しみ続けると思う。
もちろん、娘を誇りに思うだろうけど、それは同時にとても悲しいことで、俺が望むこととは違う。
でも、そうやって、自分で決断して、親のいるフロアーから降りることが、大人になるってことなんだろう。
二度と戻ってくることがないとしても。
祖母は子供の扱いが下手だ。
徹底的に下手だ。
なぜなのだろう。
もうすぐ一歳になる甥っ子を祖母のところに連れていくと、甥っ子は火がついたように泣きだす。
機嫌がいい時を見計らって連れていくのだけど、絶対に大泣きしてしまう。
すると、祖母は
「おばあちゃんが怖いんだわ。おばあちゃん嫌いみたいね。何か気を紛らわすものは・・・。」
「おもちゃも、お菓子も、あげられるようなものはなくてくぁwせdrftgyふじこlp;@:「」
と本気で凹んで、おろおろしだす。パニクる。
なんでなんだろう。
祖母は、母と叔母を育て、孫だって大勢見てきて子供の事はよく知ってるはずなのに。
パニックになってる人に赤ん坊が気を許せないことくらいわかるだろうに。
本当に、なんでもっとどっしりと構えられないんだろう。