はてなキーワード: カリーとは
再投稿です
・タスカルーサ~1540
ミシシッピ先住民の首長。スペイン人征服者エルナンド・デ・ソトと交戦し、戦死した。ミシシッピ先住民はチョクトー、マスコギー族の祖先である。
・オペチャンカノウ1544~1646
ポウハタン族の酋長。ポカホンタスの叔父。1622年と1644年に白人への大襲撃を行った(第二次・第三次ポウハタン戦争)が、捕らえられ処刑された。
・ササカス1560~1637
ピクォート族の酋長。ピクォート族は白人男性を殺害したと濡れ衣を着せられ、襲撃を受ける。1836年から翌年にかけてピクォート戦争を戦うも、敗北、ササカスはモヒガン族に殺された。ピクォート族は数百人が虐殺、奴隷化され、一時期は絶滅認定を受けるまでに激減した。ピクォート戦争で白人に協力したナラガンセット族も後のフィリップ王戦争で白人に虐殺されることとなる。
・ポペ1630~1692
プエブロ族の魔術師。スペインの宗教弾圧に対し、1680年一斉蜂起を起こす。スペイン人を駆逐したプエブロ族は独立国家を築くが、ポペの死後内部分裂しスペインに降伏した。
南部タスカローラ族の酋長。白人の土地侵奪、奴隷狩りに反発し、タスカローラ戦争(1711~15)を起こす。しかし、北部タスカローラに裏切られ、白人に引き渡され処刑された。
アベナキ族の酋長。フランス人神父セバスチャン・ラルと結託し、マサチューセッツ植民地総督へダマー戦争(1722~1725、ラル神父戦争、グレイ・ロック戦争ともいう)を仕掛ける。ラル神父は戦死し、和平が成立した後も散発的に植民地への攻撃を続けた
ワンパノアグ族の酋長。ピリグリム・ファザーズを助けた心優しきマサソイト酋長の息子。白人の貪欲な土地略奪に耐えかね、交戦した(フィリップ王戦争1765~66)。メタカムは戦死、遺体は戦利品としてバラバラにされ、妻子は奴隷として売り飛ばされた。数千人のインディアンが死亡し、白人の勝利に終わった。
・オブアンディヤック1720~69
オタワ族の酋長。英名ポンティアック。交易を制限したイギリス人たちに不満を抱き、オジブワ族、ポタワトミ族などと連合し攻撃をしかけた(ポンティアック戦争1763~65)。白人を追い出すことには失敗したが、イギリス政府は政策変更を余儀なくされ、インディアン保護区を制定した。オブアンディヤックは白人では無く、対立する部族のピオリア族に暗殺された。
ショーニー族の酋長。1774年ダンモア卿の戦争で白人と戦った。アメリカ独立戦争ではショーニー族の中立に努め、ランドルフ砦のアメリカ人を訪問した際に拘束され処刑された。
チェロキー族の戦士。アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。独立戦争後は他部族へ同盟を呼びかけながら、アメリカと戦った。チョクトー族、マスコギー族との同盟を祝う最中に心臓発作で亡くなった。
・リトルタートル(1747~1812)
マイアミ族の酋長。アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦い、オーギュスタン・ド・ラ・バルム大佐を戦死させた。独立戦争後はワイアンドット、ショーニー、チェロキー等と北西インディアン同盟を結びアメリカと戦った。(北西インディアン戦争1785~1795)。ハーマー作戦で勝利したほか、アーサー・セントクレア少将を破り、戦死者600名の大損害を与えた。しかし、フォールン・ティンバーズの戦いで敗北し降伏した。
ショーニー族の戦士。アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。北西インディアン戦争でも活躍し、ハーマー作戦、セントクレアの敗北で活躍したが、フォールン・ティンバーズの戦いで敗北した。
レナペ族の酋長。アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争でアメリカと戦い、セントクレア将軍を破ったが、フォールン・ティンバーズの戦いで敗れた。
・エグシャワ1726~1796
オタワ族の酋長。アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争でアメリカと戦い、フォールン・ティンバーズの戦いで負傷した
・テカムセ1768~1813
ショーニー族の酋長。白人の侵略に対し、インディアン全体の団結を広く呼びかけた。ティッペカヌーの戦いで敗れたが、抵抗を諦めず、米英戦争でイギリスと組んでアメリカと交戦した。デトロイド包囲戦で米軍を破り、メグス包囲戦でも攻略には失敗したものの損害を与えた。しかし、テムズの戦いで戦死し、彼の壮大な夢は叶うことが無かった。ちなみにテカムセと米英戦争で敵対したウィリアム・ハリソンは1841年9代目大統領に就任するが、わずか31日で病死した。
マスコギー族の戦士。1811年の大地震を白人と戦えというメッセージと解釈し、交戦派レッド・スティックスを率いクリーク戦争(1813~14)を戦った後に降伏した。ちなみにクリーク戦争で活躍したジャクソン大統領は後に7代目大統領に就任、インディアンへの弾圧・虐殺を行った。
・メナワ1765~40頃
マスコギー族の戦士。レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争を戦い、戦後も土地割譲に同意した酋長を暗殺するなど強制移住に抵抗し続けた。
マスコギー族の戦士。レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争で活躍、バーントコーンの戦いで米軍に勝利した。
ウィネベーゴ族の酋長。白人に対して友好的であったが、鉱山労働者の横暴に耐えかね、1827年ウィネベーゴ戦争を起こした。米軍に敗れ、翌年獄死した。
・ブラック・ホーク(1767~1838)
ソーク族の酋長。白人の土地侵略に対し、1832年フォックス族、ポタワミ族と結託してブラックホーク戦争を起こした。しかし、この戦いはインディアンが数百人殺される悲惨な結果に終わり、ブラックホークは降伏し、捕虜となった。
・オセオラ1804~38
セミノール族の戦士。強制移住に反発し、第二次セミノール戦争(1835~42)が勃発した。ゲリラ戦法に苦しめられた米軍は和平交渉を行い、交渉の場に向かったオセオラを捕らえた。彼はその後獄死したが、セミノール族の怒りは収まらず、戦争は続いた。なお、セミノール族の一部はフロリダの奥地に居座り続け、現在に至るまでアメリカに降伏していない
セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争で活躍し、デイドの戦いで100人の米兵を戦死させた。
・ビリー・ボウレッグス1810頃~1859
セミノール族の酋長。オセオラが獄死した後も第二次セミノール戦争を継続し、オキチョビー湖の戦いで勝利するなど活躍した。第三次セミノール戦争でも米軍を苦しめたが、強制移住に従った。
セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争に加わり、オキチョビー湖の戦い、ロクサハッチーの戦いで米軍に勝利した。
・バッファロー・ハンプ1800頃~1867頃
コマンチ族の戦士。同朋が虐殺された報復に1840年の大襲撃を行った。43年テキサス政府と和平を結び、晩年は農夫として暮らした。
・ワルカラ1808~55
ユート族の戦士。その知恵と武勇から「砂漠のナポレオン」「史上最大の馬泥棒」と呼ばれた。モルモン教徒入植者と対立し、1853年から翌年にかけてワルカラ戦争と呼ばれる一連の襲撃を行った。
・フレチャス・ラヤダス
ヒカリラ・アパッチ族の戦士。シエネギラの戦いでアメリカ軍を破った
・カミアキン1800~1877
ヤキマ族の戦士。白人探鉱者との対立からヤキマ戦争(1855~58)を闘った。降伏を拒否してフラットヘッド族の下に逃れた後に故郷に帰還し、最期まで立ち退きを拒んだ。
・レスキ1808~58
ニスカリー族の酋長。白人の土地侵奪に反発し、ピージェット湾戦争(1855~56)を闘ったが、捕らえられ処刑された。
・テカムタム?~1864
アサバスカ族の酋長。鉱山労働者たちの横暴に反発し、ロングリバーウォー(1855~56)を戦い敗れた。
・カイルーク
モハベ族の酋長。当初は白人に対して友好的だったが、モハベ戦争(1858~59)を戦うようになった。降伏し捕らえられるも、脱走を図ったため射殺された
・ヌマガ1830~71
パイユート族の酋長。白人との平和を望んでいたが、探鉱者たちがパイユート族の食料を奪ったため、1860年パイユート戦争を戦った。敗戦後も白人と部族の平和のために生涯を捧げた。
・マヌエリト1818~93
ナバホ族の戦士。1860~66年までアメリカ政府の土地収奪と強制移住政策に抵抗し続けたが、後に降伏し、移住を受け入れた。
ティンパノゴス族の酋長。モルモン入植者と対立し、1865年ユタ、パイユート、ナバホと結託しブラックホーク戦争を仕掛けた(ソーク族のブラックホーク戦争とは別)。70年にアントンガは結核で亡くなるが、72年まで闘争は続いた
・マンガス・コロラダス1793~1863
アパッチ族の酋長。1830年代家族や同朋をメキシコ人に虐殺されたため、米墨戦争ではアメリカと組んでメキシコと戦った。後に後述のコーチーズと共に米軍と戦った。和平交渉の最中に捕らえられ、処刑された。
・コーチーズ1805~1874
アパッチ族の酋長。マンガスの義理の息子。1861年入植者の息子を誘拐したというあらぬ疑いをかけらたことがきっかけで1872年に和平が成立するまで白人たちと死闘を繰り広げた。
ダコタ・スー族の酋長。白人に対して従順であったが、1862年飢餓に耐えかね一斉蜂起を起こし敗れた。翌年逃亡先で農夫に発見され射殺された。
カイオワ族の酋長。第一次アドビ壁の戦いでアメリカ軍に勝利した。
カイオワ族の戦士。第一次アドビ壁の戦いで活躍したほか、ウォレン・ワゴン・トレインの襲撃も成功させるなど戦果を挙げた。第二次アビド壁の戦いに関与し、1874年に逮捕され、投身自殺した。
カイオワ族の戦士。ウォレン・ワゴン・トレインの襲撃など軍事基地、幌馬車、入植地への襲撃を多数成功させたが、1870年逮捕され、翌年逃亡を図り殺された。
・ローン・ウルフ1820頃~79
カイオワ族の酋長・交渉によりウォーレンワゴン・トレイン襲撃で逮捕されたホワイト・ベア、ビッグ・ツリーの釈放を実現した。1873年息子と甥が白人に殺されたことがきっかけで闘争を開始。クアナ・パーカーと組んでレッド・リバー戦争を戦ったが、降伏した。なお、ビッグ・ツリーは他のカイオワ戦士と違い、レッド・リバー戦争に参加していない
シャイアン族の戦士。強制移住に反発し、スー、アラパホと結託してコロラド戦争(1864~65)を戦う、ジュールズバーグの戦い、プラット橋の戦いで白人に勝利するなど活躍した。和平派が強制移住にしたがった後も白人と戦い続け、1868年ビーチャ島の戦いで戦死した。酋長ではないが、勇猛さとカリスマ性から白人から酋長であると誤解された。
ラコタ・スー族の戦士。ララミー砦からモンタナへの金鉱に向かう道路建設に反発し、シャイアン、アラパホと結託してレッドクラウド戦争を戦った(1866~68)。米軍は道路建設を諦め、砦を放棄したため、和解が成立。レッドクラウドは居留地に入り晩年はキリスト教に改宗した。
ラコタ・スー族の戦士。レッドクラウド戦争に参加した。戦後敵対するショショーニ族と交戦し、戦死した。
・ヤングマン・アフレイド・オブ・ヒズホース(彼のウマを恐れる若者)1836~1893
ラコタ・スー族の戦士。レッドクラウド戦争に参加、ウーンデッドニーの虐殺後はアメリカ政府の平和交渉に当たった。
モードック族の酋長。居留地への強制移住に反発し、複雑な地形を利用して装備、戦力で勝る米軍を苦戦させた。(モードック戦争1872~1873)戦争の途中の和平交渉が決裂し、エドワード・キャンビー少将が殺害されたため、インディアン戦争で米軍将軍が殺された唯一の戦いとなった。降伏し絞首刑に処されたキャプテン・ジャックの遺体は見世物とされた。
モードック族の戦士。モードック戦争に加わり、サンドビュートの戦いで勝利した
コマンチ族の酋長。スペイン人の鎖帷子を身にまとって戦い、勇名をはせた。しかし、彼の防備はリトルローブクリークの戦いではライフル弾を防げず、戦死した。
・ペタ・ノコナ1820頃~1864
コマンチ族の酋長。アイアンジャケットの息子。1836年パーカー砦を襲撃し、白人女性シンシア・パーカーを誘拐、妻とする。1860年ピーズ川の戦いで敗れ妻を連れ戻された悲しみと戦傷から亡くなった。
ブコメでおすすめされていたカレーを集計してみた。(2023/02/08 16:53時点)
商品名 | 言及数 |
ジャワカレー | 35 |
横濱舶来亭カレーフレーク | 29 |
ゴールデンカレー | 28 |
バーモントカレー | 24 |
こくまろ | 19 |
コスモ直火焼 カレー・ルー | 11 |
ZEPPIN | 9 |
プライムジャワカレー カロリーオフ50% | 6 |
グリーンカレーペースト | 5 |
ザ・カリー | 5 |
ロイタイカレー | 5 |
印度の味 | 5 |
本挽きカレー | 5 |
フォン・ド・ボー ディナーカレー | 4 |
プレミアム熟カレー | 3 |
熟カレー | 3 |
カレーの壺 | 2 |
カレールー | 2 |
グリーンカレー | 2 |
ケララカレー | 2 |
マースカレー | 2 |
メタルインドカレー | 2 |
印度カレー | 2 |
おとなの大盛カレー | 1 |
こどものためのカレールウ | 1 |
すぴなっつおら | 1 |
みなさまのお墨付き カレー | 1 |
もうやんカレー | 1 |
インディアンカレー | 1 |
インドカレー | 1 |
オリエンタルカレー | 1 |
カレーの恩返し | 1 |
カレーの王子さま | 1 |
カレーデスカイ | 1 |
カレー専門店のカレールー | 1 |
カレー粉 | 1 |
グリーンカレーキット | 1 |
ゴロッと玉ねぎと骨付きチキンのスープカレー | 1 |
スープカリーの匠 | 1 |
ドライキーマカレー | 1 |
ハイグレード21 | 1 |
ハイグレードカレー | 1 |
ハウス印度カレー | 1 |
バターチキンカレー | 1 |
プティフ・ア・ラ・カンパーニュ | 1 |
プレミアムゴールデンカレー | 1 |
プレミアムフォンドボー | 1 |
プロクオリティ | 1 |
マッサマンカレー | 1 |
ロイタイ | 1 |
京橋カリー | 1 |
噂の名店 大阪スパイスキーマカレー | 1 |
日本風カレーブック | 1 |
業務用ジャワカレー | 1 |
欧風カレーフレーク | 1 |
濃厚好きのごちそう 120時間熟成デミグラスの牛ほぐし肉カレー | 1 |
牛ばら肉の大盛りカレー | 1 |
男の極旨黒カレー | 1 |
粉カレー | 1 |
純カレーパウダー | 1 |
蜂カレー | 1 |
赤缶カレーパウダールウ | 1 |
赤缶カレーミックス | 1 |
銀座カレー | 1 |
今週のプリキュアでブラペの正体バレイベントがあった。プリキュアとは別だけど、プリキュアと肩を並べて戦う、という感じで続けるようだ。
という事実と考え合わせると、他の件で言われてきたことはいったい何だったんだ……? となってしまう。
戦隊ものや少年漫画が「男の世界」であり、活躍する女性が少ないことや女性のメインキャラが「紅一点」になりがちな問題は、伝統的にフェミニズムが問題にしてきたことだ。
例:5人戦隊モノの特撮で、今までレッドを女性が務めていないのがこの国の限界 - サブカル 語る。
こういった批判に影響を受けたのかどうかは知らないが、最近は戦隊ものや少年漫画で女性のメインキャラは珍しくも何ともない。ではプリキュアは?
……そう、プリキュアは戦隊ものや少年漫画以上にジェンダー不平等な世界なのである。通年どころか「途中から加入した男性プリキュア」すらいないのだ。男性はプリキュアとは別枠で、肩を並べて戦うことはあっても、決してレギュラーを張ることはない。
もし「子供向け作品のメインキャラはなるべくジェンダー平等であるべき」と考えるなら、プリキュアは真っ先に批判されるべき作品であるということになるだろう。
(プリキュアは「女性は○○すべき」みたいな観念を否定してるのでジェンダーの問題に向き合ってるとか、そういう主張もたくさん見かけたけど、そんなこと言うなら男性ライダーが家事育児をする描写を入れれば女性ライダーなんて必要ないやんけ。アホかと。バカかと)
しかし、プリキュアと肩を並べて、つまり同志として男性が戦うこと自体は肯定されているのだから、別に男性プリキュアがいなくてもよいのでは? 今作のブラックペッパーのように、プリキュアとは別枠で男性のレギュラーがいればそれでいいのでは?
そうだね! それ同性婚支持者の前で同じこと言ってきて!
「登録パートナーシップは、『黒人と白人が同じ電車に乗れるけれど、車両が違う』というような状態です。制度が違うことこそが、差別」らしいので!
えっ? 「そもそもプリキュアは単なる娯楽作品で、現実とは関係ない」だって?
それなら女性ライダーもいらないよね? これまでやってきた「創作物中のジェンダーバイアス」をめぐる議論、全部無意味になるよね?
キズナアイがうんうん頷く聞き役なのはジェンダーバイアスじゃなかったの? 巨乳の献血ポスターは女性への性的ステレオタイプを助長するんじゃなかったの?
プリキュアみたいなゴリゴリ子供向け作品でジェンダー不平等が正当化されるなら、少年漫画や青年向け漫画は尚更ジェンダー不平等が正当化されちゃうよね? 子供向けでやっていいことを大人向けでやっちゃいけない理由ある???
別にどうも。創作物の登場人物がジェンダー不平等だろうが、そんなの個人的にはどうでもいい。創作に政治的正しさは求めてないから、プリキュアがポリティカリー・インコレクトでも一向に構わない。
ただ、他作品のジェンダー不平等やら何やらを叩いてた連中にはプリキュアも叩いてほしいし、プリキュアをジェンダー意識高い系作品だと持ち上げてた連中には「女性主人公がいない」云々みたいなケチを他作品につけるのをやめてほしい。
「女性がいない局面では『女性を入れるべきだ』と言い、女性が優位にある局面では『男性を入れるべきだ』とは言わない」のは、ジェンダー平等ではなく「女性の利権」を目指しているだけ。一人の男性としては、ジェンダー平等は支持するけど「女性の利権」は自分の利害に反するので支持できない。ジェンダー平等を支持するのか「女性の利権」を支持するのか、旗幟を鮮明にしてほしい。
る、る~るるるる、るーるるる~るるる~
にれのすずめです!
嘘です。
なんかここになって秋竹城面白そうな映画がたくさん封切りされそうじゃない?
私もいくつか見に行かなくちゃって意気込みで今から飛び込み前転の練習をしているんだけど、
休みの日の午前中か休みの前のレイトショーかどちらにしようかな?って迷っている最中なのよね最中を食べながら。
きっと封切り直後だと人がどちらにしても多そうだから、
映画も久しぶりな感じがするし以前は毎週の如く行っていたイキフンの頻度でもあると同時にそんなには行ってなかったかもってぐらい
そうそうそれはともかく、
おやつはカール級にそれにつけてもビッグニュースが私の手もとに飛び込んできたの!
ピッグニュースって言うと養豚業界のニュースだってすぐ分かるから面白くない?
まあ隔日の発行だけど、
今回のそのニュースは
地域によってブランド豚を使い分けているってなんかマニアックなピッグニュースで
これご当地豚カツってのも豚活としてはありえるのかもしれないってレヴェルで
スタンプラリーやってるみたいなので、
全国行脚が捗りそうな豚活みたいね。
まあピッグニュースじゃなくて、
近所の最寄りの一番近いマーケット
そうね、
これ紳士服の閉店セールとは違うマジ閉店セールやる!ってお知らせが舞い込んできたのよ。
私はこれからケンケンパでどこのマーケットにいったらいいのかしら?って思う反面
こないだ無くしたポインツカードも美事ポイント復活して再発行してもらった3本の矢先なのに
なのによ
閉店セールやるってよ。
本当に閉店してしまったら困るレヴェル。
一番近いマーケットだったので
まあこのマーケットもお店閉店時間がコロナ禍の余波をまともに喰らってから時短営業になったし
ただならぬなんか廃墟感を生きていながらも感じつつ
私の大好きだったフードコートのインドカリー屋さんのカヒミシェフともお店の撤退とともに
いよいよここのマーケットも終焉間近待ったなしだったのかも知れないわ。
今思ったらね。
薄々気付いていたわ。
いくら売り上げに貢献すれども
お店の維持には至らなかったのよ。
残念だわ。
近所のマーケットも無いことは無いんだけど
アイディーが使いないのが現金主義的なお店で
大量のお金をチャージしてしまってから破綻してしまったら大損リスクを抱えるからなかなかチャージに至らないから
現金でいつもニコニコしながら支払いをしているフリを演じていたのよ。
だから
なんか電子マネーが使えないところだと不便だなぁって。
そうなると
車で出張らなくちゃいけないちょっと遠くて近いお店のマーケットに行かなくちゃ行けなくなるしなぁって
ちょっと面倒くさい限りなのよ。
新宿の小田急が閉店するのと同時に感じた小田急のエレベーターガールももういないぐらいそんなことを思い出すわ。
本当に閉店するする詐欺じゃなくて、
うーん、
お買い物困ったなぁ。
まあお総菜もあんまり品揃えバリエーション豊富とは言えなかったし
かと言ってこれが美味しい!って目ん玉が飛び出るぐらいのメンタルで美味しい惣菜があったか?って言われるとそうでもないし、
いまいちパッとしないお総菜売り場ではあったけど
そうなると
あの揚げたてなのに迫力の無くやる気の無いから揚げも愛おしいってものよ。
最後までには食べておきたいところね。
特に特色が無く特に安くもなく品揃えも抜群に良いわけでもないんだけど
五木ひろしと木の実ナナさんがデュエットで歌う歌の居酒屋って曲よりは少しは華はあったかも知れないわ。
テレビシーエムでやってる人気話題性満点の商品も仕入れないぐらいの頑なな頑固さの品揃えラインナップがまた良かったのに。
でもまぁ
ケンケンパで通えるうちはかよってお買い物するつもりよ。
またなんかピッグニュースが入ってきたら発表するわね。
うふふ。
なんか最近秋のせいなのかしら?
だからおにぎりもわかめおにぎりもピンチの時にチャンスに変えるために鞄に忍ばせておくことにしたわ。
あまりにも甘みなしのストレートジンジャーはジンジャー感強すぎてジンジャー!
量多かったのかも知れないわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
・タスカルーサ~1540
ミシシッピ先住民の首長。スペイン人征服者エルナンド・デ・ソトと交戦し、戦死した。ミシシッピ先住民はチョクトー、マスコギー族の祖先である。
・オペチャンカノウ1544~1646
ポウハタン族の酋長。ポカホンタスの叔父。1622年と1644年に白人への大襲撃を行った(第二次・第三次ポウハタン戦争)が、捕らえられ処刑された。
・ササカス1560~1637
ピクォート族の酋長。ピクォート族は白人男性を殺害したと濡れ衣を着せられ、襲撃を受ける。1836年から翌年にかけてピクォート戦争を戦うも、敗北、ササカスはモヒガン族に殺された。ピクォート族は数百人が虐殺、奴隷化され、一時期は絶滅認定を受けるまでに激減した。ピクォート戦争で白人に協力したナラガンセット族も後のフィリップ王戦争で白人に虐殺されることとなる。
・ポペ1630~1692
プエブロ族の魔術師。スペインの宗教弾圧に対し、1680年一斉蜂起を起こす。スペイン人を駆逐したプエブロ族は独立国家を築くが、ポペの死後内部分裂しスペインに降伏した。
南部タスカローラ族の酋長。白人の土地侵奪、奴隷狩りに反発し、タスカローラ戦争(1711~15)を起こす。しかし、北部タスカローラに裏切られ、白人に引き渡され処刑された。
アベナキ族の酋長。フランス人神父セバスチャン・ラルと結託し、マサチューセッツ植民地総督へダマー戦争(1722~1725、ラル神父戦争、グレイ・ロック戦争ともいう)を仕掛ける。ラル神父は戦死し、和平が成立した後も散発的に植民地への攻撃を続けた
ワンパノアグ族の酋長。ピリグリム・ファザーズを助けた心優しきマサソイト酋長の息子。白人の貪欲な土地略奪に耐えかね、交戦した(フィリップ王戦争1765~66)。白人たちは彼がインディアンの君主であると決めつけ、フィリップ王と呼んだが、実際は調停役に過ぎなかった。メタカムは戦死、遺体は戦利品としてバラバラにされ、妻子は奴隷として売り飛ばされた。数千人のインディアンが死亡し、白人の勝利に終わった。
・オブアンディヤック1720~69
オタワ族の酋長。英名ポンティアック。交易を制限したイギリス人たちに不満を抱き、オジブワ族、ポタワトミ族などと連合し攻撃をしかけた(ポンティアック戦争1763~65)。白人を追い出すことには失敗したが、イギリス政府は政策変更を余儀なくされ、インディアン保護区を制定した。オブアンディヤックは白人では無く、対立する部族のピオリア族に暗殺された。
ショーニー族の酋長。1774年ダンモア卿の戦争で白人と戦った。アメリカ独立戦争ではショーニー族の中立に努め、ランドルフ砦のアメリカ人を訪問した際に拘束され処刑された。
チェロキー族の戦士。アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。独立戦争後は他部族へ同盟を呼びかけながら、アメリカと戦った。チョクトー族、マスコギー族との同盟を祝う最中に心臓発作で亡くなった。
・リトルタートル(1747~1812)
マイアミ族の酋長。アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦い、オーギュスタン・ド・ラ・バルム大佐を戦死させた。独立戦争後はワイアンドット、ショーニー、チェロキー等と北西インディアン同盟を結びアメリカと戦った。(北西インディアン戦争1785~1795)。ハーマー作戦で勝利したほか、アーサー・セントクレア少将を破り、600名の大損害を与えた。しかし、フォールン・ティンバーズの戦いで敗北し降伏した。
ショーニー族の戦士。アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。北西インディアン戦争でも活躍し、ハーマー作戦、セントクレアの敗北で活躍したが、フォールン・ティンバーズの戦いで敗北した。
レナペ族の酋長。アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争でアメリカと戦い、セントクレア将軍を破ったが、フォールン・ティンバーズの戦いで敗れた。
・エグシャワ1726~1796
オタワ族の酋長。アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争でアメリカと戦い、フォールン・ティンバーズの戦いで負傷した
・テカムセ1768~1813
ショーニー族の酋長。白人の侵略に対し、インディアン全体の団結を広く呼びかけた。ティッペカヌーの戦いで敗れたが、抵抗を諦めず、米英戦争でイギリスと組んでアメリカと交戦した。デトロイド包囲戦で米軍を破り、メグス包囲戦でも攻略には失敗したものの損害を与えた。しかし、テムズの戦いで戦死し、彼の壮大な夢は叶うことが無かった。ちなみにテカムセと米英戦争で敵対したウィリアム・ハリソンは1841年9代目大統領に就任するが、わずか31日で病死した。
マスコギー族の戦士。1811年の大地震を白人と戦えというメッセージと解釈し、交戦派レッド・スティックスを率いクリーク戦争(1813~14)を戦った後に降伏した。ちなみにクリーク戦争で活躍したジャクソン大統領は後に7代目大統領に就任、インディアンへの弾圧・虐殺を行った。
・メナワ1765~40頃
マスコギー族の戦士。レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争を戦い、戦後も土地割譲に同意した酋長を暗殺するなど強制移住に抵抗し続けた。
マスコギー族の戦士。レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争で活躍、バーントコーンの戦いで米軍に勝利した。
ウィネベーゴ族の酋長。白人に対して友好的であったが、鉱山労働者の横暴に耐えかね、1827年ウィネベーゴ戦争を起こした。米軍に敗れ、翌年獄死した。
・ブラック・ホーク(1767~1838)
ソーク族の酋長。白人の土地侵略に対し、1832年フォックス族、ポタワミ族と結託してブラックホーク戦争を起こした。しかし、この戦いはインディアンが数百人殺される悲惨な結果に終わり、ブラックホークは降伏し、捕虜となった。
・オセオラ1804~38
セミノール族の戦士。強制移住に反発し、第二次セミノール戦争(1835~42)が勃発した。ゲリラ戦法に苦しめられた米軍は和平交渉を行い、交渉の場に向かったオセオラを捕らえた。彼はその後獄死したが、セミノール族の怒りは収まらず、戦争は続いた。なお、セミノール族の一部は最期までフロリダの奥地に居座り続け、現在に至るまでアメリカに降伏していない
セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争で活躍し、デイドの戦いで100人の米兵を戦死させた。
・ビリー・ボウレッグス1810頃~1859
セミノール族の酋長。オセオラが獄死した後も第二次セミノール戦争を継続し、オキチョビー湖の戦いで勝利するなど活躍した。第三次セミノール戦争でも米軍を苦しめたが、強制移住に従った。
セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争に加わり、オキチョビー湖の戦い、ロクサハッチーの戦いで米軍に勝利した。
・バッファロー・ハンプ1800頃~1867頃
コマンチ族の戦士。同朋が虐殺された報復に1840年の大襲撃を行った。43年テキサス政府と和平を結び、晩年は農夫として暮らした。
・ワルカラ1808~55
ユート族の戦士。その知恵と武勇から「砂漠のナポレオン」「史上最大の馬泥棒」と呼ばれた。モルモン教徒入植者と対立し、1853年から翌年にかけてワルカラ戦争と呼ばれる一連の襲撃を行った。
・カミアキン1800~1877
ヤキマ族の戦士。白人探鉱者との対立からヤキマ戦争(1855~58)を闘った。降伏を拒否してフラットヘッド族の下に逃れた後に故郷に帰還し、最期まで立ち退きを拒否した。
・レスキ1808~58
ニスカリー族の酋長。白人の土地侵奪に反発し、ピージェット湾戦争(1855~56)を闘ったが、捕らえられ処刑された。
・テカムタム?~1864
アサバスカ族の酋長。鉱山労働者たちの横暴に反発し、ロングリバーウォー(1855~56)を戦い敗れた。
・カイルーク
モハベ族の酋長。当初は白人に対して友好的だったが、モハベ戦争(1858~59)を戦うようになった。降伏し捕らえられるも、脱走を図ったため射殺された
・ヌマガ1830~71
パイユート族の酋長。白人との平和を望んでいたが、探鉱者たちがパイユート族の食料を奪ったため、1860年パイユート戦争を戦った。敗戦後も白人と部族の平和のために生涯を捧げた。
・マヌエリト1818~93
ナバホ族の戦士。1860~66年までアメリカ政府の土地収奪と強制移住政策に抵抗し続けたが、後に降伏し、移住を受け入れた。
ティンパノゴス族の酋長。モルモン入植者と対立し、1865年ユタ、パイユート、ナバホと結託しブラックホーク戦争を仕掛けた(ソーク族のブラックホーク戦争とは別)。70年にアントンガは結核で亡くなるが、72年まで闘争は続いた
・マンガス・コロラダス1793~1863
アパッチ族の酋長。1830年代家族や同朋をメキシコ人に虐殺されたため、米墨戦争ではアメリカと組んでメキシコと戦った。後に後述のコーチーズと共に米軍と戦った。和平交渉の最中に捕らえられ、処刑された。
・コーチーズ1805~1874
アパッチ族の酋長。マンガスの義理の息子。1861年入植者の息子を誘拐したというあらぬ疑いをかけらたことがきっかけで1872年に和平が成立するまで白人たちと死闘を繰り広げた。
ダコタ・スー族の酋長。白人に対して従順であったが、1862年飢餓に耐えかね一斉蜂起を起こし敗れた。翌年逃亡先で農夫に発見され射殺された。
カイオワ族の酋長。第一次アドビ壁の戦いでアメリカ軍に勝利した。
カイオワ族の戦士。第一次アドビ壁の戦いで活躍したほか、ウォレン・ワゴン・トレインの襲撃も成功させるなど戦果を挙げた。第二次アビド壁の戦いに関与し、1874年に逮捕され、投身自殺した。
カイオワ族の戦士。ウォレン・ワゴン・トレインの襲撃など軍事基地、幌馬車、入植地への襲撃を多数成功させたが、1870年逮捕され、翌年逃亡を図り殺された。
・ローン・ウルフ1820頃~79
カイオワ族の酋長・交渉によりウォーレンワゴン・トレイン襲撃で逮捕されたホワイト・ベア、ビッグ・ツリーの釈放を実現した。1873年息子と甥が白人に殺されたことがきっかけで闘争を開始。クアナ・パーカーと組んでレッド・リバー戦争を戦ったが、降伏した。なお、ビッグ・ツリーは他のカイオワ戦士と違い、レッド・リバー戦争に参加していない
シャイアン族の戦士。強制移住に反発し、スー、アラパホと結託してコロラド戦争(1864~65)を戦う、ジュールズバーグの戦い、プラット橋の戦いで白人に勝利するなど活躍した。和平派が強制移住にしたがった後も白人と戦い続け、1868年ビーチャ島の戦いで戦死した。酋長ではないが、勇猛さとカリスマ性から白人から酋長であると誤解された。
ラコタ・スー族の戦士。ララミー砦からモンタナへの金鉱に向かう道路建設に反発し、シャイアン、アラパホと結託してレッドクラウド戦争を戦った(1866~68)。米軍は道路建設を諦め、砦を放棄したため、和解が成立。レッドクラウドは居留地に入り晩年はキリスト教に改宗した。
ラコタ・スー族の戦士。レッドクラウド戦争に参加した。戦後敵対するショショーニ族と交戦し、戦死した。
・ヤングマン・アフレイド・オブ・ヒズホース(彼のウマを恐れる若者)1836~1893
ラコタ・スー族の戦士。レッドクラウド戦争に参加、ウーンデッドニーの虐殺後はアメリカ政府の平和交渉に当たった。
モードック族の酋長。居留地への強制移住に反発し、複雑な地形を利用して装備、戦力で勝る米軍を苦戦させた。(モードック戦争1872~1873)戦争の途中の和平交渉が決裂し、エドワード・キャンビー少将が殺害されたため、インディアン戦争で米軍将軍が殺された唯一の戦いとなった。降伏し絞首刑に処されたキャプテン・ジャックの遺体は見世物とされた。
モードック族の戦士。モードック戦争に加わり、サンドビュートの戦いで勝利した
コマンチ族の酋長。スペイン人の鎖帷子を身にまとって戦い、勇名をはせた。しかし、彼の防備はリトルローブクリークの戦いではライフル弾を防げず、戦死した。
・ペタ・ノコナ1820頃~1864
コマンチ族の酋長。アイアンジャケットの息子。1836年パーカー砦を襲撃し、白人女性シンシア・パーカーを誘拐、妻とする。1860年ピーズ川の戦いで敗れ妻を連れ戻された悲しみと戦傷から亡くなった。
現実問題として「大勢」はいないし、ゲイの側から「これはポリティカリーにコレクトだね!」と言われても7~8割はリップサービスだと考えた方がよろしいんじゃないですか?という話です。
それが一緒だなんて誰も言ってないやん…
「ゲイから見てもポリティカリーにコレクトな表現にたどり着いているBLがある」って話やん…
ポリティカリーにコレクトなBLが好きなゲイの中にも、ポリティカリーにコレクトではない他の作品も楽しんでる人もいるだろうし
勿論そうではないゲイもいるだろうし
何で0か100かなんだ
「ポリティカリーにコレクト」であるかどうかと、「ゲイが好む」かどうかは全く別ですよね。
そもそも「腐女子はなにもしていない」ってのは元記事でも言われてるやん
腐女子は自分がしたい表現をしてるだけ、それが結果的にゲイから見てもポリティカリーにコレクトな表現になってる、って主張だろそれ
「全てのBLがそうである」と解釈するならおかしいが、「BLの中にはそういう作品もある」ってなら普通に正しいだろうし
前者だと主張していると取る方がおかしいだろ
「ゲイ側の歩み寄りによりBLが概ね受け入れられるようになった」という世界観がおかしくて、
元々最初から「BL好きのゲイが一定数いる(嫌いな人も勿論一定数いる)」だけだぞ
○ご飯
朝:なし。昼:酒。夜:カリー。
○調子
サボって朝から酒のンデ寝てた。
辛い。明日…… イケるかなあ……
水着レイ様星1〜2のホーム会話で「右を見ても左を見てもカップルばかりだけど… みんなの目に、私たちは… どう… 映っているのかな…?」と言ってるのに対して
水着ツムギの星3ホーム会話で「あれ? この浜辺よく見たらカップルだらけじゃないですか… ということは私たちも… だとしても私は気にしませんよ!」と言ってて
プリコネを遊ぶ時に岸くんにすごく感情移入してるけど、ツムギに関する時だけは、心の置き場が迷子になってしまう。
リミテッドヴィーラのエピソードを今更読んでるんだけど、カタリナの鈍感さにもどかしくなる。
あそこまでのことしといてなお好きでいてくれてるんだから、そりゃもう一生好きなんだよ。
ユキが水着の用意をしてたので、自分も誘われるに決まってると思い込んで自分の水着も用意していたリンネ。
○ウマ娘
必然的に寮の部屋を空けることも多くなり、自然と部屋が汚れていくのを不快に思ったタキオンはカフェを部屋に呼び…… から始まる妄想で頭がいっぱいになり自分がこの場にいて良いのか悩んでしまいデジたんください。