はてなキーワード: 革新系とは
> 過去の人権侵害にきちんと向きあおうとしない人たちは、今後も発生しうる人権問題にも向きあおうとしないんだろうとは思うけどね。
それ、そっくりそのまま、左翼に帰るぞ。沖縄での革新系政党による、長年に渡る自衛官・警察官への差別や、立川市長による自衛隊員住民登録拒否事件に代表される数々の差別事件がある。それを左翼はまだ一向に反省してない。少なくとも、左翼系団体が集まって、自衛官に謝罪したというニュースは一向に聞かない。まさか、左翼の差別は良い差別とか言わんよね?
左翼が語る「人権侵害」の範囲に隔たりがある気がするんだよな。
左翼って、行進してる自衛官に向かって、罵声を浴びせるじゃん。チベットの虐殺がどれだけ進行しても「日本は中国と友好関係を築かなければならない」とか言うだろ。日本とは比べ物にならないほどの人権侵害国家と友好と主張するだとか、どう言い繕っても人権侵害に加担してるだけなんだが。チベットの亡命政権に協力してる日本の団体は右翼団体ばかりで、左翼系団体はほとんど見当たらんし(もちろん、右翼系団体の強力には下心があるだろうが、一切の協力をしないのが日本の左翼である)。
そんな、都合の良い時だけ人権を持ち出す連中に、人権を語られても乾いた笑いしか出てこない。左翼側が、右翼のチベット救援活動や拉致被害者救援活動を信用出来ないのと同じ理屈でね。せめて、どんな時でも弾圧されてる側の立場に立った主張をするのなら尊敬するのだが、左翼って、相手が中国や韓国になったら、批判するときでも声のトーンが、日本やアメリカを相手にした時より、数段、落ちて聞こえるんだよな。
だいたい、こんな写真までばら撒いて喜んでる連中が「人権」とか、本気で言ってるのか? ああ、もちろんこういうのは一部なんだろう。だけど、それをいうなら、人権侵害をして喜んでる右翼もまた一部なんだよ。
私がこれから書くことはある県の私立高校であった男子寮内での体罰の実情です。2008年の話なので一昔です。
最初に言いますが私はこの現場から逃げました。自分に矛先が向く前に逃げました(転校しました)。
凄まじい暴力にあった友人を見捨てました。本当に申し訳なかったし、クリスチャンに足を一歩踏み入れた今、あの時公に告発しなかった事にとても後悔しています。
あの時、知識があれば共産党の市議会議員団とか革新系政党の議員にでも封書を送っておけば取り上げてくれたと思います。ですがあの時の私は若く脊髄反射右翼でしたので真っ向から敵視していました。こういうひずみを正す活動に定評があることを知りませんでした。
すこし長くなりますし、文才もありません。ですが、速読でもいいので軽く読み通していただければ幸いです。すべて事実です。わかる人にはわかるようになっています。
日付は日記をつけていなかったのでありませんが単純な時系列で書いています。
私が入った高校は今時珍しく少々昭和の雰囲気の残る学校で、学校の教師も元自衛官が多く、校則も結構硬めでした。まあ人生の先輩諸氏が言う”ゆとり”を正すのには最適です。
私は2008年にその県からはるか南にある県から入学してきました。
入学の理由は頭が悪いのと、手に食をつけるような勉強がしたかったから。その学校は進学系学科もあれば専門系何でもござれの総合的な高校でした。
又、その学校の寮は新築ということもあり、私のような馬鹿の夢をふくらませるのには十分でした。
入学前のオリエンテーリングの日、すさまじい遠隔地に住んでいたので飛行機でその県へ飛び、電車などを乗り継いで学校へ向かいました。
内容は他愛もなく、入学前に学習しておく課題を渡されたのと、入学生の心得の説明を受けた程度で、その後寮で入寮希望者に対しての説明を受ける予定でしたが、日帰りということもあり、飛行機の都合で受けることができませんでした。
この時の説明を寮の友人にあとから聞いたのですが、とても威圧的だったようです。
4月。入学&入寮日。よそよそしく先輩方が寮内の説明をしてくれました。ですがなんとも言えない雰囲気がありました。よそよそしすぎたのです。
入学式の際たまたま話す機会のあった寮生の2年生の先輩に話を聞くと、「お前には言っておくけど、明日”挨拶の訓練”がある。一応気をつけろ。」とだけ言われました。
なんか妙な感じだったので少し掘り下げましたが、「今からでも先輩にはきちんと挨拶しとけば大丈夫だから。」とだけ言われただけで詳しくは話そうとしませんでした。
私は基本臆病なので言いようのない不安感につつまれつつ夜を明かしました。
翌日。授業が終わったあと寮で本を読んでいると、寮内放送で寮生の代表である3年生の寮長から「新入生は今すぐ集まるように。」と招集がかかり、新入生は急いで集会フロアに集まりました。100人は体育座りできるくらいの広い部屋です。
そこに行ってみるとびっくり。部屋が暗くなっています。
中に入ると先輩方が無言で座って威圧感があり皆戸惑いながら座りました。
長くなるので先輩方の発言は取り上げませんが、そこで行われたのは訓練が行われる前まで先輩に挨拶をしなかった奴の吊し上げでした。
吊し上げの内容を要約すると、「お前、神経図太いな。何様だ!」という感じです。先輩からの平手打ちと本気の蹴り、背中を踏みつけるなどの暴力が飛びかっていました、
寮の総責任者である、元自衛官の寮監(舎監)も黙認しじっと見ているだけでした。私は国家主義者なので国家の防人たる自衛官を貶したくはありませんが、元自衛官というのはこんな人間なんだと感じました。人間性を疑いました。
この時はこれだけでも随分とショックだったのですが後々ショッキングなことがどんどん続きます。
ただし、全てについて書くと冗長になるので私が逃げるまで複数回あった中の代表的な”ミーティング”という名の吊し上げパーティーを取り上げたいと思います。
7月。”ミーティング”が開かれました。内容は「消灯時間後にふらついた奴を罰する」という内容でした。もちろん全寮生強制参加です。
寮長が「正直に前に出てこい。俺は目星がついている。」といった具合で炙り出す方法で、全員が正座をさせられていました。
つまるところ寮長の把握している奴が出てくるまでは、全員正座のままだぞという心理的な作戦もあるわけです。
そんな状況を把握できるような人はすぐに前にでてきましたが、殴られるやもしれない場所に行かなければならない恐怖から言い出せない人もいました。Y君です。
Y君は前に出ずに、先輩にひきずり出されました。私も出歩いていたのですが正直に前に出たのでひたすらあやまって許してもらえましたが、Y君は地獄へ突き落とされます。
Y君は前科があり、何度も寮の規則に違反することがありました。おとなしいのですが、ルールを守るのが下手だったのです。具体的に言うと掃除を真面目にやらないなどです。
Y君が前にひきずり出されるまで2時間近く正座させられていました。同級生たちも同情より恨みが勝ってしまったのです。彼を皆で罰するべきだという空気が出てきました。
そして寮長が言った一言で私は凍りつきました。「おまえは本気叩かれないとわからない」。
場所を移し寮の集会フロアの隣にある講義室に集まるよう言われ、机をどかし、フラットになった部屋の床の上に正座させられました。そこで行われたのはリンチと行ってもいい凄惨なケツバットでした。
寮長が「おまえらは正座をやめていい。こいつはずっと嘘をついてお前らに苦痛を与え続けた。だれかこいつを叩きたい奴はいるか。」と言い、まずは2年や3年の先輩の一部がY君の尻を棒で思い切り叩きました。
さすがに1年生は加わらずに静観すると思っていたのですが、計算違いで、実際には「おまえのせいだ!ふざけんな!」や「おまえ気持ち悪いんだよ!」とか罵声を浴びせしまいには名乗りでて殴り始めました。少なくとも20発以上は殴られていました。
私はその時頭の中で当時読んでいた歴史として日本の共産主義運動を振り返る本(失念しました。)の内容を思い出し、その中の山岳ベース事件の”総括”を思い出しました。まさに同じような空間が目の前にできてしまったのです。
ですが私は止めませんでした、殴られる友人を目の前にして、ただ体育座りをして静観していました。自分もああ言う立場になりたくありませんでしたから。
このあとY君は保護者に寮の現状を言い、学校側にも寮内で学生同士による体罰が行われているという話が行きました。ですが結局Y君は退寮し、遠くから通学することになり、寮監は詫びの印的に解雇され、新しい寮監が招聘され着任しました。
ですが、そもそも校長が体罰をしりつつ黙認していることもあり、寮監が変わった所で”ミーティング”は続くことになります。
その中で私は寮内での発言力が強くなりました。理由は寮長や先輩と懇意になったからです。懇意になった理由は私の持っている技術的な知識を使って上級生の困りごとを解消したからです。
私は書記に任命され、寮の会議に出席することができるようになりました。それからというものミーティングの開催日時を事前に知る立場となったため、一部の寮生には議事を漏らして品行方正にするよう警告を出すようにしていました。
ですが私はその中でも恐怖でいっぱいでした。権力につくと権力の論理に取り込まれてしまうのではないかという恐怖が襲ってきたのです。
「いつかは自分が人に危害を加えないといけない立場になるかもしれない。」綺麗事を言っているのではありません。人に恨まれるのが怖い臆病な性格から出た考え方です。
私は母に電話をし、寮の現状を学校に言うように働きかけました。
寮内では「誰かがチクった」と話題になりましたが、私は知らぬ顔で生活していました。
ある日カウンセラーの教師から「話がある。」と呼ばれ、カウンセリング室で話をしました。
母から話を聞いたとのことで、寮のことについての話でした。そのカウンセリング教師が言ったことは「君は疑われるようなことをやっていないんだろ。」「それじゃあそれでいいじゃないか。」でした。
本質がまるでわかっていない発言に私は唖然としました。また、同日校長にも呼ばれましたが、「君はしっかり勉強をがんばって!」「国家資格を取れば奨学金ももらえるし、君が好きな本も買える。努力しなさい。」と全然寮の内部については触れない不毛な話し合いになりました。
私は入学して9ヶ月後の12月、寮外の友人はおろか寮内で自分と考えを分かち合った仲間とさえまともな挨拶をかわさずに、生まれた地元の進学校へ夜逃げのようにして転校しました。
転校に関しては学校同士のコンセンサスが必要なようで、出ようとした高校が私の転学に関する事務処理の段取りを無視した行動に激怒したようですが、逃げ出すために何ふり構っていられませんでした。
進学校に行けたのは、逃げ出したい思いで勉強したのと、地元の友人を通して転校先の教頭と話し合いができたおかげでした。
転校してからというもの、良い友人と理知的で議論が出来、しっかりとした社会観念を持つ教師陣に恵まれ2011年に私は普通科を卒業しました。
余談ですが、卒業した高校で友人同士の議論や教師との対話を行い、知識で武装するという考え方を手に入れることも出来ました。そして、私の持っていた思想が感情に基づくものであったことも議論や対話の中で批判され、恥ずかしながら理論武装・自己思想の体系化をするという事を恩師から学びました。これは今でも続いています。
私は2つの学校で経験した対比的な環境が今の私の生き方の礎になりました。
昨今話題になっている”教師から生徒への暴行”ですが”生徒から生徒への暴行”を組織ぐるみで学校の教師や責任者が見てみぬふりをする現状を知っていただきたくて書きました。
読んでいただいた皆様の中に何か感じるものがあれば幸いです。
A子、ども。
こんなところ見てないだろうけど、書くわ。面と向かって言っても通じないだろうし。
A子がいろいろな事に目覚めた事は前に聞いた。
日の丸を買ってちゃんと掲揚し始めたことも、去年から花王や他の反日勢力の商品を不買運動をしていることも。
そして今年の大津市でのいじめ自殺事件では市長や教育委員会や日教組が心底恐ろしいって言ったね。
教育委員会のメンバーって元校長とかそんなのばっかりじゃない。
日教組と教育委員会と革新系市長が一心同体って、それ有り得るの。
管理職の登竜門である教頭試験に組合活動を熱心にした教師は落とされるって、裁判まであったと思うけど。
普通だったら組合員は管理職にはなれない事を思い出すはずだけど、A子はそれさえあっさりスルーしちゃったね。
花王の時も恐かったけどどうして恐かったのか、やっとわかった。
この人は自分が信じたいことを信じるためには、今まで得た常識も知識も全て捨て去れる人なんだって。
今までのことは一切関係なく自分達に都合の良い人物像を作り上げて相手を人殺し呼ばわりできる。
そして、ここが私は一番恐いんだけど、その相手を恐ろしがるよね。被害者は自分なんだって。
花王の時はすごかったよね。
花王の社員は全社一丸となって日本人を殺すために毒のある製品を日々作り続けているって、
これ、恐いよ。
私が何気なく使っているシャンプーや、読んでる雑誌や、テレビの話、食べてるお菓子だけで、
A子も面と向かって私にはそれは言わないだろうけど、
私が花王や亀田の社員、日教組と一心同体で、日本人を滅ぼすこと以外何も考えない人間だと勝手に思われて、
今までの積み重ねやA子が知ってる私の性格や、そういうの全部関係なくなって。
そっちのほうがよほど気持ち悪いよ。恐いよ。
工場で働いてるだけならまだしも、本社だったらいいわけ出来ないでしょ。
その人達去年どうやり過ごしたんだろう。
A子は日本のために戦っているつもりなんだろうけど、
あんたが開いたパンドラの箱には、反日と認定されたら日本に対して悪意しかないアメーバのような一心同体の生き物たちと見なされるという
とんでもないシロモノが入っていたんだよ。
次は誰が叩かれるんだろう。恐すぎるわ。
追記
これを書いた翌朝、こんな事が起こったわ。
いじめやいじめによる自殺を隠蔽しようとした学校、学校長、教育委員会なんて今までだって星の数ほどあった。
隠蔽せずに積極的に開示して撲滅を図った学校の方が少ないと思う。
この隠蔽体質は社会構造の問題で誰かを殺してどうこうなる話しじゃないでしょ。
でも、ネトウヨとしてはやむなくやったと思うんだろうねきっと。
相手が悪いから、残虐だから、やむなくやった。被害者は私。そう言いそう。
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/wildplus/1344990431/
いいえ、言った通りの意味。
コントロールできないのは判りきっているんだけど、ゼロ・リスクを要求している訳じゃなくて、実用性の範囲内でも住民を《できうるかぎり》安心させることは可能なんだから。
そうじゃなくてこの一件にわざわざ言及しているのは、施設となによりも行政が《できうるかぎり》の努力をしているようにはとても見えないからで。
業を煮やした母親が群れなして突き上げ倒すまで真相究明と再発対策についてろくに情報は寄越さないわ、ミーティングには好き勝手の欠席するわ、窓口のお役所はホイホイたらい回しにするわ、事件から一ヶ月経って被害者が退院したあとで何やら一枚マニュアルをファックスしてきたって何ですか、それ。
ついでに言うと、この事件ってろくに報道されなかったんですよね。お得意の人道的配慮のおかげで。だもんで続報も出ない、対応をいい加減にしても社会問題化しないってご都合のよろしい話ですよね。
お前ら、施設作るから損しようが不安に駆られようが文句言えばサベツ、不祥事起きたらまあ、頭だけ下げといてやンよ、一応。
むしろはてサの人々がこの件でわめき倒しててもいい話だと。
ああ、その母親たちの何とかって言うのはその後、わずか一年でお約束の全てのことへのバリアフリーみたいな方向に転換して、革新系が一生懸命バックアップしてるけど、結局改善要求による成果ってのはどうなってるのか、ちょっと調べた限りじゃ見付からないくらいで