はてなキーワード: 国連公用語とは
個人的には、第二外国語自体は必要だと思うけども、ドイツ語がそのリストに入っている必要はないと思う。
いやだって、ドイツ語、そんな重要ですか? 西洋史専攻で履修させるならともかく、全学で履修が必要ですか?
このへんはわかるよ? 政治的経済的にも、あるいは語学的にも必修にする意味はわかるよ? でもドイツ語ってさぁ……
ってなるじゃん! 明治時代の名残で残ってるだけで、現代日本には別に要らないじゃん!
全学の必修からは外して、トルコ語とかウクライナ語とかアイスランド語とかと同列の選択科目にすればよくないですか???
普通にドイツ語を外して他のアジアの言語を必修にすべきなんだよな。特に東南アジアはドイツよりも日本との交流が多いわけだし。フィリピン語とかインドネシア語とかベトナム語とかヒンディー語とかを必修に入れてドイツ語を必修の二外から外そう(提案)。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20180923-OYT1T50010.html
「中国人観光客が偽造の国際運転免許証でレンタカーを運転し、交通事故を起こすケースが相次」でいるという問題。この記事に「ネットで購入した偽造免許を違法と認識しないで使っている中国人ドライバーもいる」とあることについて、はてなーから「そんなわけないだろ」と声が上がっている。
id:qwerton“偽造免許での運転は無免許運転となるが、ネットで購入した偽造免許を違法と認識しないで使っている中国人ドライバーもいるという。”そんな馬鹿じゃないでしょ。「知らなかった」ってシラ切ってるだけでしょ
まあ、普通に考えればそりゃそうなんだけれど…。
しかし国際免許制度って、日本人でもどれだけの人が知っているだろうか。
日本人が国際免許を取得するときは、運転免許センターへ行ってお金を払う必要がある。しかし、何の試験も講習もなく20分ほどで取得できてしまう。こういう話をすると、たいていの人はびっくりする。
おそらく中国人も、「日本に行って車で旅行したい!」→「ネットで検索!」→「某サイトで発給してくれるらしい(こういうお店がけっこうあったらしい)!購入!」とだけ考えてた人もいたんじゃないだろうか。
https://www.zhihu.com/question/21139395/answer/54476270
1つめの回答はなんともはやなのだけど、注目すべきは2つめの回答。さんざん「借りれるよ。こんなに楽しかったよ」と書いておきながら、その上から「情報更新します、某サイトで売ってるフィリピンの免許はニセモノです。日本のテレビ局が報道してました。私が購入したお店もなくなっていました」と書き込んでいる。この人は実際にその免許で日本で車を運転していたようだけど、それが法的に問題があるとは知らなかったのだ。
上で国際免許制度に対する知識不足のことを書いたけれど、フィリピンの免許制度に詳しい人はさらに少ないだろう。
おおっぴらにフィリピンの免許証を売っているサイトがたくさんある中で、「フィリピンでは海外から免許を発給する制度がある」「国際免許も発給してくれる」と思うことはありうるんじゃないかと思う。少なくとも、私はフィリピンのサイトで法律をじっくり読まない限りは否定でいない。もし仮に、自国語のサイトで「フィリピンではそれができます」なんて書いてあったら、英語を読む煩わしさも手伝って、自国語のサイトを信じてしまうかもしれない。
国際免許は、条約に加入している国が発給する、本国免許の英訳(フランス語、そのほか国連公用語が載っているけれど)文書に過ぎない。それを持っているからといって、その国で運転できる技能を保証してくれているとは、(実際に受給したことがある身としては…)とても思えない。
それで割り切っているのかどうか、実は中国人は、ヨーロッパのいくつかの国や、アメリカのいくつかの州などでは中国運転免許と公的な翻訳文があれば、運転ができるようになってきているようだ。(ただ、そう書いてあるいくつかの国のサイトを読んだだけで、本当にそうかは未確認)
中国人が国際免許を手に入れるためには、香港に住んで香港免許に書き換えるとかいう話が書かれている。ちょっと失笑してしまう。しかし中には、韓国に行けば3日半で運転免許を取得できるからそこで国際免許を、という話もあって驚く。(韓国の免許取得の必要日数が短いことは有名だけど、まさかそんな裏技に使えるとは。。。でも今は少し難しくなったんじゃなかったっけ?)
なんとなくわかってきた。お互い大分遠い分野にいるな。
そっちが挙げてきた理系分野の例は動物学とかなんだが、増田は数学物理天文学地学化学分子生物あたりの理系の印象で語ってた。こっちではBook Review欄はあっても純粋に教科書の評判であって専門的な議論としてはほとんど読まれてない。文系の書籍事情に無知だったのはすまない。
追記で書いたけどシビリアンの戦争が博論の書籍化だっていうのは一応評価してて、ただよくも悪くも売れてしまって一般人から評価されてしまっているのでもっと専門家からの論争がちゃんと前に出てこないと駄目なんじゃないのっていうのはある。
指摘の通り、理系では実際に関わっている人が多くてオーサーが多人数になってしまう論文や、関わってる関わってないの境界線上でギフトオーサーシップの問題が除けていない(オーサーの定義は理系内でも分野によって慣行が違う複雑な問題)ということもあって、人の実績を眺める時どうしても割り引いていく思考になってしまう。コネ採用を当てにするんでなければ、これは確実にこの人の成果だねっていう目に見える業績が欲しいところ。査読なしや日本語発表はあったとしてもこれ評価されないよなって諦めながら実績欄に書く。ショボいって煽ったのはよくなかったかもしれんが、元増田もそこで三浦はダメだって決めつけてはいなくて(上の教授には大事にされてるんだし)、最後の行で実際の学会の評判どうなのよ?って知ってる人に疑問を投げかけたつもり。ブコメでちょっと拡大解釈して三浦をディスってる人もいるけどそこら辺は元増田は責任を持たないし、自分がテレビで解説する学者としての能力があると示すのは三浦の説明責任。
文系に関しては外国研究とかはあまり視野になかった。自分が日本の文系で二流分野って評判を聞いてたのも、主に経済学とかであとは社会学系(あまり各国の文化に根ざさないやつ)の知り合いからだし。
文学や外国研究に関しては各国の大学で自国語で教える意義も大きいし、各国が独自のコミュニティで多様性のある研究をする意味もあるのだろう。哲学は理系元増田もよくわからん。活発に議論したいなら翻訳頑張れってところだろうか。最近文学系は国から予算削減や学部再編の風当たりが強いようなので当たってなくても流れ弾に敏感になるのもわかる気がする。
「国際政治学」に関してはどうだろうか?ここまで議論してわかったが英語で論文を書くべきかを決めるのは理系か文系かじゃなくて、グローバルな一つの学会を形成すべき分野か否かってことだと思う。グローバル化は効率化に繋がるが一方でローカルの軽視につながる。自然科学の世界は一つでなければならない。日本とアメリカで物理法則が違ったら困る。日本語研究の重要性を説く文系増田だって、理系でもっと日本語論文を出すことに意味があるとは思っていないだろう。
テーマにもよるが経済学や国際関係は世界的な一般性を持つ話題だし、国民からもそういった研究が望まれていると思う。日本語で高みを目指してはいけない理由はないと言えば聞こえはいいが、高みに至る勝算がないなら結果は世界から無視されるだけだ。そういった分野は日本語に固執してはいけないと思う。
あと単純な利便性。これは日本の学会が世界で有力になるのとは別の問題。喩えるなら日本が常任理事国を目指すことには世界にメリットもあるだろうが、日本語が国連公用語を目指すと言ったら他の国に迷惑だから止めろというべきだろう。