はてなキーワード: 和太鼓とは
30♂
俺、結婚とか向いてないのかなぁ。
ちっちゃい頃とかは、身の丈にあった嫁さん貰って、子供を作って、子育ては大変だけども家族仲良く暮らしてる未来とか想像したんだけど…俺にはそんな夢も持てないんだなぁと思うと落ち込むね。
優しい以外何の取り柄もないと散々言われている。
婚活もやってるし、結婚相談所のお世話にもなってるが、実りもない。
そんな状況で、音楽活動(和太鼓)が楽しくなってきた今日このごろ。
まぁ、ギターとかドラムとかならかっこいいんだろうけど、太鼓じゃ見向きもしないだろうからなーと思う今日このごろ。
でも、太鼓は辞めるつもりはない…となると、ただでさえ少ない物好きは余計に来ないだろう。
多くの目に触れるようになる前から価格が高騰し、入手困難なCDであるため、これを引用公開することで、多くの人の目に触れることは、昨今の事情に照らし、有用だろうと思い、ここに記しておきます。じゃあ増田で書くなよ、というツッコミは効きません。たぶん期間限定。
佐村河内のスコアを詳細に眺め評価することは、近頃の劇音楽に屡々見られる基本的な技術不足や、必要以上に技を凝らそうとする過剰なテクニックの持て余し。
これらとは明かに一線を画しているという事だ。
第一楽章、邦楽の静謐な、それでいて熱いエネルギーを内に秘めた佇まいから戦いを表現する大オーケストラへの見事な転換、目の眩むような、あたかも生物の細胞分裂の様な声部の増殖の緊張は、来たるべく英雄の出現(心に強く刻み込まれる主題[テーマ])を準備しているのだ。
第二楽章では、一楽章の主要な動機[モティーフ]や主題[テーマ]を巧みに変奏発展させてゆく、限られた時間の中で超絶的展開能力。
全く隙の無い構築力と完璧なオーケストレーションには唯々感嘆するばかりだ。
これらの事が自然に在る、ということ、技術はその為にこそ使われなくてはならない事をこの奇麗なスコアは私達に示してくれている。
私がコーダ部の総譜を受け取りに氏宅に伺った日のこと。
着いてすぐ筆談で、まだ出来てないので待てとのこと。
以降氏は黙したまま延々4時間が流れた。
と突然立ち上がり、未だ見た事も無い80段はあろう巨大な五線紙を取り出し席に着くや否や、嵐の如くペンを走らせ始めた。
それは神憑り的な速さといった感じだった。
何やらスケッチでも書き写しているようだった。
10分も経った頃、「写譜なら手伝おう」と立ち上がり氏に近づいた私は思わず目を疑った。
氏が書き写している筈の五線紙の向こうには何も無かったのだ・・・・。
その恐ろしい光影に立ち尽くすばかりだった。
写し取っていたのは頭の中のスケッチだった、以降ペンは一度と止む事無く僅か20分で全ては終わった。
氏は見直しもせず「ポイ」と私に手渡した。
後に私が見直したところ、何の落度も無かった事は言う迄も無い。
注:引用者により、ルビを該当する熟語のあとに[]で読みを挿入してある。また、句点ごとに改行し、アラビア数字は半角に変更した。
遠い古からの声―長い間日本の風土の中で培われてきた都節と呼ばれる伝統的な様式―からこの曲は始まる。
この尺八の「息」が、はじめは琵琶の力強い一打や笙の開放的な響きを導き、外に開かれていく空間を形づくるが、つづく締太鼓の合いの手を橋渡しとして、今度は逆に人間の持つ陰の部分、尺八の内に籠った響き、そこに影を落とす琴の不穏な調弦や笛の虚ろな息づかいなどが、前との微妙なコントラストとして対置される―ここで提示された様々な要素(おもにコントラストという概念)がこの作品の全体を紡いでいく上での重要なポイントとなっている―。
やがて一本の竹のひびきは12本もの竹(尺八)を呼び(ff)、静かに、しかし豊かにひびき渡る和太鼓の一打が大オーケストラを迎え入れ一転としてスペクタクルな場面に突入する。
前の部分と全く別な世界の様にみえるこの部分は実は冒頭の尺八の旋律と深い関わりを持っている。
譜面を見てみよう。
(譜例1)ここでフレーズの後半にあたるAという部分にオーケストラが対応する。
(A')。
そして英雄の出現を伝えるファンファーレ(これは西洋で培われてきた伝統だ)につづいて(やはりこれも西洋の伝統的な)ハーモニーのゼクエンツ(鎖)に乗って英雄のテーマが提示され(譜例2)クライマックスを迎えた後、譜例1のBの和音の固定(オスティナート)による経過句に入る。
ここで邦楽の冒頭部分が新しい状況の上で再び現われる。
尺八がサキソフォーンに、笙がヴァイオリン群に、また12本の尺八は今度は虚ろで怪しげなハーモニーを醸し出し、三味線は乱れ(冒頭の拡大)、琴はますます不穏なアルペジュを掻き鳴らす、一瞬の閃光、地底から沸き起こったかのような轟音から出現したものは英雄のテーマのヴァリエーション、そして輝かしいマーチ(ファンファーレの変奏)―ここで西洋にハーモニーのコントラスト(長三和音と短三和音)を挙げておく。(譜例3)
そして再びスペクタキュラーなシーンが登場し、コーダ(ゼクエンツ部分の変奏、このモティースがその後の楽章で大変重要な役割を果たす)(譜例4)。
二楽章は前半の静かな部分「夜の音楽」(佐村河内談)と後半の激しいアレグロからなるが、前章であらわれた様々なモティーフによる更なるヴァリエーションである。
(一楽章をソナタ形式に於ける提示部と捉えるならば二楽章は展開部、三楽章は再現部とみなすこともできる)
三楽章は前の余韻を受けて「能楽」の囃子、コラージュ的部分を経て尺八の冒頭が再現される、ここでは笙のか代わりに弦楽器が増四度上で現れる、実に美事である。
メインテーマがアダージュで(本来の姿で)再現され圧倒的なコーダで締めくくる……
以下は若干の譜例による指摘にとどめるが、この作品は様々な要素を複雑縦横に織り込んだ大変興味深い大曲であり、聴き手は注意深く聴き込む毎に新たな発見を見いださせる至宝の逸品と言える。
引用者注:譜例3には『マーラーの交響曲第8番(第6番かも、とにかく字が小さくて読みにくい)が想起される!』と書いてあるので、もともとマーラーが好きなんだろうと思う。また、誤字と思しきものも原文ママにしてある。
www.youtube.com/watch?v=ukFtX9iZPjU
余談だが、このサウンドトラックは贅沢にもxrcd2を採用している。ネットにある音源とは比べられないぐらい素晴らしい音楽が堪能できる。
死にたくないなああ最近。そしてもっとも恐ろしいところは!死にたくないと思いつつ自分が死ぬとは全く思っていないところなのだ!!むしろこう書きながらもいやいや死なねえだろと何言ってんだ状態ですよ。あれだよねーなんか色々みんな言うけれども、いやなんかそれ死なない前提じゃね?お前?みたいなときばかりで心底おちんちん。いや、そうじゃなくて死ぬよ!どうすんのバカ!
イエモンの「ニュースキャスターはうれしそうに乗客に日本人はいませんでした」ってのはさ、糾弾してるとかそういうわけじゃなくて、そういう事実があったときどう思えばいいだろうっていうね。もうよくわかんねえからそんな夜は君に会いたいっすっていう単純かつ素敵なラブソングなけわけじゃん?そう、もうよくわかんないんだよ何を思えばいいのやら・・・
もはやクソして寝ることしかできず、せめてツイッターでちょっとウマイこと言っちゃったりでもして溜飲を下げようとしている僕らのささやかな営みには何らバカにされる要素はないのだけれども、俺以外は全員バカだからしんでくれ!もうホントさ・・・ジャンプも風俗も陶芸も一緒だと何回言ったら分かるんだよお前らは!観客がいないだけであって、僕等の日々はある意味オリンピック!おっ君は風俗代表かい?奇遇だね〜僕はクソして寝る代表さ〜要はそういうことだよ!
おっぱいとかそういうのって山が高いってのと基本的には分野は同じだから、よくよく考えるとこんなクソ名クソアリーやらクソッターやらなんやらのほうがよっぽど成り立ちとしては汚らわしいよ!大きな握り飯をくわえながら和太鼓を乱れ叩き、おっぱい!おっぱい!と高らかに言えたのならば、それはきっと遥かに気高い領域であり、そのときのぼくらの存在は正に愛!子どものころわたしたちは皆愛であり死なない存在であった!
臆病になるばかりだなぁ、ホント。以上。
15時過ぎに苗場着。
これ前夜祭行けるのか?と思いつつ、3670円のテントの天井から滴る雨漏りと戯れてるうちに雨が上がる。
フジロック前夜祭といえばこの人!らしい。最初と最後、そして全てのバンドの合間に登場。
フジロック13に出演するバンドの曲や、フジロッカーがいかにも好きそうな曲たち(90年代UKロックとか清志郎版デイ・ドリーム・ビリーバーとかね)を選曲していくため盛り上がり方は半端ない。
・TURTLE ISLAND
今回初めて知ったバンド。お囃子パンクとでもいったところだろうか。
「和太鼓、篠笛、あたり鉦、シタール、タブラ、馬頭琴、ジェンベ、ドゥンドゥン等各国の様々な土着楽器とギター、ベース、SAXなど西洋楽器を使」っているらしい。
沢山いるメンバーがみんな法被着用でお祭り騒ぎ感MAXのバンド。
しかし、レッドマーキーというステージの特性上か音が悪く、折角凝った楽器編成なのに一つ一つの楽器が全然聞こえなかった。
ソロをとってる篠笛だけ辛うじて聞き取れ、あとは全体的にガーーーっていっててボーカルが何か叫んでるなぁってレベル。
・SKINNY LISTER
去年でいうONDA VAGA、そのちょっと前でいうRäfvenにあたるポジションのバンド。
どういうことかというと、Uncleowenというアイリッシュパンクのレーベルがあって、そこが毎年フジロックで大プッシュするアーティストを送り込んでいるのだ。
この枠のバンドは毎年フジロック期間中に何度もライブを行い、タワレコでもプッシュされる。
そして今年プッシュされたSKINNY LISTERは、ギターボーカル(実はフットスイッチでドラムのキックを担当してる)、エレキギター、マンドリン、ウッドベース、ダンサー/ボーカルの5人編成フォーク・ロック(パンク)・バンド。
個人的に思うのは、この手のバンドは物珍しさから音楽家というよりも大道芸人みたいな雰囲気が抜け切らない。
なんで芸人風がダメかというと、物珍しさだけのバンドは一瞬で消費されてしまい長続きしないから。
・rega
もともと知ってたが、ここまでかっこいいとは思わなかった。
4つ打ちのドラムにドラムやギターの素早いフレーズを乗っけていく感じで、ソロあり、掛け合いありのインストバンド。
マスロックという言葉はなんというか少し受け入れがたいものを感じるので使わない。
金髪のギターが難しいフレーズを弾く際に、手元ではなく観客を向いてニッコリするのがドヤ感MAXで非常にウザ悔しかった(ぐうの音も出ないほど上手いから)。
みんなホイホイ真に受け杉。
それとも「その話が本当だったとして」という前置きを省略してると考えたほうが良いのかね。
あなたは恐らく社会人じゃないんだろうけど、社会に出るとこういう思考を身につけるようになるんだよ。覚えておくといいかもね。(そのときが来ればまあわかるだろうけど)
夏休みに入って朝から息子が家にいてうるさいんだこれが。
うるさいといっても金切声で暴れてるんでは無くて、下のガレージで子供太鼓の練習をしてるからなんだけど。
仕事のBGMにするにはちとキツいのでヤマハかどこかがサイレント和太鼓でも発売してくれんものかね。
今週末も商工会主催の夏祭りの準備のための会合があったり、いま何かと忙しいのよ。