はてなキーワード: 二酸化炭素とは
ソースは?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB
経済産業省による試算
1999年に通商産業省資源エネルギー庁が発表した試算によれば、1kWhあたりの発電コストは以下の通り。
原子力 5.9円
LNG火力 6.4円
石炭火力 6.5円
水力 13.6円
2005年6月に特定非営利活動法人原子力資料情報室が発表した試算によれば、運転年数40年の場合、1kWhあたりの発電コストは以下の通り。
原子力 5.73円
LNG火力 4.88円
石炭火力 4.93円
石油火力 8.76円
水力 7.20円
Wikipediaの記載見ると「周辺整備などに多大なコストがかかる」って記載もあるから、
意外に経済的には優れてない?
二酸化炭素排出しない点が優れているぐらい?
あんま知識のない俺の認識といめーじを正直に書く。多分一般人の認識なんてこんなもん。
風評被害が一番怖い。泊の知り合いがいるので。漁師廃業だし。今も福島の野菜の話きいてクソがと思っている。Twitterで「だってこえーもん、正直広島だって未だに行きたくねーよww」と発言したやつがいて、普段ゆるふわ系の子が「実家広島だけど、うちのばあちゃんはなー」と説教し始めてびびった。気持ちはわかる。
北海道のあの並んでる奴はかっちょいいよねー。ヨーロッパでは結構普及してるとか聞いた。世界的にはじわじわふえてる。日本だと風が弱い事よりも、台風の時耐えられないのが厳しいらしいよ。北海道なら台風ないからな。
設置コストが安くて、耐久性もあって、一箇所壊れても分散型だから稼動可能なのがいいよね。補助としては優れてるイメージ。
日本の日照時間じゃどうなのーと思ったけどそんなに悪くないらしい?土地さえ確保できれば超クリーン。原料も珪素系でありあまってるので、製造を含めても環境への影響や資源の問題が少ない。でも土地ー
雪積もる土地だと冬の間役に立たない気がするんだけどどうなんだ。
宇宙空間で太陽光発電は、世界はいまそれどころじゃなさそうだからあと数世紀はむりだろ。
http://www.himawari-net.co.jp/ こういうのとか太陽光をうまくいれる建築デザインで地下施設等で日中はできるだけ照明に電気つかわないようにできないの?
日本の日照時間じゃ発電には無理だろうけど、家庭単位でお湯にするやつはまあまあいけるんかな。
ぺルチェ素子の逆で温度差を電気にできるらしい。高温に耐えられるようになれば夢がひろがりんぐ?温度差ってことは、すごく寒い所の地熱とか、すごく寒い所のごみ焼却とかを電気にできるようになるのー?
採取さえ出来れば、今ある火力発電所にそのまま使えて、化石燃料より二酸化炭素もでない。しかもこれが使えるなら日本は世界でも有数のエネルギー自給大国になれるだけの埋蔵量があるらしい。俺の生きてる間には使えるようになってほしい。
でもなんか政府の見通しがアホすぎて、お金のかけ方が下手で採掘技術がうまく開発進んでないらしい?
温泉業界が反対するから無理だろ日本じゃ。俺も温泉好きだから温泉に影響あるならやだな。でも温泉出てないところならアリじゃね。
あれって赤道付近か逆にクソ寒いところじゃないとむりだよな。日本には関係なさそー
日本には発電に使えるほど激しいところがなかった気がする。あればよかったのに!
十分ダム作りすぎだからこれ以上作らなくていいよ。電力を位置エネルギーにして事実上貯めておけるのはえらい。
化石燃料尽きそうだしなー。天然ガスかメタンハイドレートならいいんじゃね。
これがあると、家庭単位で節電志向の細かいコントロールができて、電力の無駄が少なくなるって認識でおk?
日本の電力会社は変な方向に技術発展しすぎてるらしい。だからいまさら方向転換できないんだと。海外じゃアメリカ欧米は当然、中国でさえスマートグリッド導入に運んでるのに。携帯なみにガラパゴスじゃん。ワロス。どうするんだろ?
コメついてたので。俺は自転車であいぽんを充電できるやつの購入を結構マジで考えてるんだけど。発展途上国じゃ手回しや足回しで携帯の充電してるらしーぞ。
http://www.asahi.com/politics/update/0916/TKY201009150483.html
曰く、普通自動車と軽自動車の間で4倍の負担差があるからこれを是正するという話であるが、もともとの自動車税の使われ方についての話が無い。
賦課額の差だけしかとりあげず、あたかも課税が正当な行為であるかのように主張し、他に論点が無いとする事で、正当化を推し進めるという、詭弁の見本のような手口である。
自動車にかかる税は以下のように分類される。
1)自動車取得税。 -車の購入時にかかる税。
2)自動車税、もしくは軽自動車税。 -車を保有している間、毎年かかる税。
3)燃料にかけられている揮発油税。 -車を使うことでかかる税。
1)の自動車取得税は物品税の流れを汲む税金で、贅沢品にかかる税であり、その役割を終えているが、未だに徴集が続いている。
今回問題になっている2)は、いわゆるナンバープレート代であり、軽自動車が市町村管理となっていて毎年7200円であるのに対し、自動車は陸運局扱いとなっていて、毎年29500円から45000円が濡れ手で泡の売上となっている。これが4倍の負担差という主張の根拠である。
陸運局は、国土交通省の部局で地方支部局内地方運輸局の運輸支局の陸運関係事務所のことを指し、ナンバープレートの地名毎に、相応の不動産を所有して所長・副所長・収入役以下の常勤職員が勤めている。1台あたり毎年3万円弱から4万5千円の普通自動車の自動車税の過半は、この陸運支局の維持費・人件費に費やされている。自家用・業務用・貨物・乗合含めて、日本国内には約4000万台の陸運局所轄の自動車があるとされている。平均3万円としても1兆2千億円の売り上げになっている。
自動車が壊れやすく、その故障が、メーカーの責任なのか利用者の責任なのかがわかりにくかった時代や、自動車産業を育てなければならなかった時代においては、国家権力が自動車の品質に太鼓判を押す車検制度や、その合格の証拠としてのナンバープレートの交付や剥奪に対して効果があったが、自動車産業が十分に育って寡占体質になっている現状においては、もはや、国家権力によるお墨付きは必要無い。
自動車税そのものが、単なるナンバープレートの交付費用だけの存在となりつつあり、その意義が消滅しているのである。ここに、環境というバズワードをくっつけて、あたかも自動車税は環境保護に使われていますと主張して延命を図るというのが、今回の主張の狙いであろう。
だが、本来の役割を終えているのであれば廃止するのが筋であるし、地球温暖化(笑)対策として課税を行いたいのであれば、新規の課税として、国民の審判を受けてから行うべきであろう。
自動車産業の寡占体質が続く限り、自動車税はナンバープレート交付代以上の意義は無く、地方自治体に事務を移管して年額7200円で統一し、陸運局制度そのものを廃止するべきだ。
廃止されたくなくば、事前認証制度や特許制度の運用を改め、車検のお墨付きを必要とする弱小メーカーが沢山存在する状況を作り出すことである。
自動車が環境に負荷を与えているという主張は、課税しやすそうだからという話でしか無い。電気自動車やハイブリッド車にしても、走行中の二酸化炭素排出量は減るであろうが、製造時や廃棄時の環境負荷は通常の自動車よりもはるかに大きいし、電気を充電する時の、いわゆる非走行時の環境負荷については、発電所の負荷として自動車の負荷ではないとされている。見た目はエコだが、全体で考えればぜんぜんエコになっていないし、まだ使える自動車を買い替えさせるのでは、売り上げにはなるが、環境負荷はかえって大きくなっている。
壊れやすい製品を作って定期的に買い換えさせるという手法を使った電機メーカーが倒産した例があるのに、自動車まで、そういう商売に手を染めるようになりかねない。本当に環境のことを考えるのであれば、10年でも20年でも壊れずに使い続けられるような製品を作る事である。
まず思うのは、市場原理主義はあまり好きじゃない。なぜなら、貨幣価値に置き換えるときに、本当に必要なことではなく
誰かに必要とされるか否か。つまり、必要とされることが”多いもの”=価値があるという図式になってしまうから。
妥当性はあるにせよ、市場で値段がつけられないものは軽視されがち。まぁ二酸化炭素なんれいい例ですね。
排出権を設定し、市場化してコスト計上しなければ無視されていたものということ。
あとは、国の支出についての経済学的な見方も本当にそうかな・・・と思うところはある。
ケインズ経済学や、古典派、近代経済学などあるように、国の支出がもたらすものについての見解は本当にあなたが
考えている通りなのかってところ。
あとは、公共財の性質に関する見解やね。上と関わるけれど、どういう性質を持つ財やサービスは公共的に提供するべきか。
と言う話。非競争性、非排他性とか有名なのはあるけれど……保育サービスは?というその辺をもうすこし煮詰めた結論を伺いたい。
切込隊長のブログ記事「なんかエコ活動とかやってる奴がいるけどさ」に、ブクマを見るとほぼ全面支持なのに驚いたのでちょっと書いてみる。「エコ」がこれほど不人気となると正直、日本や人類の未来は暗いと思わざるを得ないからだ。またその一方で、そうなるのも仕方がないのかなと諦観する気持ちもある。理由は、グリーンピースをはじめとする「環境保護団体」には確かに、隊長が指摘するような非合理性と偽善性がつきまとっており、一般人が不信感を抱いて当然だからだ。
なお、私は環境問題の専門家ではなく、市井の理工系の人間に過ぎない。ただ、多少の科学知識があればこの程度のことはわかるはずだということを示すためにこの記事を書いている。
隊長曰く、
なんかみんな、エコバッグ持ってたり、スタバとか逝ってマイカップ持ち込んで飲んでたり、してるけどさ。
本当にエコとか考えてるなら、風呂の回数減らせよ。一日おきでいいだろ。ドライヤーも使うなって話だ。マイカーでぶんぶん通勤してる奴が、得意げになって使用済み天ぷら油の再利用とか言ってて馬鹿なんだろうかと思う。
これは全くその通りと言わざるを得ない。ここでは話を単純化してCO2の削減についてのみ考えることにすると、生活の中でCO2を直接的・間接的に最も排出しているのは自動車と光熱費(特にエアコン)であるのは余りにも明らかなのだ。CO2は基本的に炭素を含むものを燃やしてエネルギーを取り出したときに排出される。そして、物理を少し学んだことがあれば自明のことなのだが、日常生活の中ではものを動かしたり熱したりというのが圧倒的にたくさんエネルギーを使うことなのだ。そして、50kgぐらいの人間1人を動かすために、1tぐらいの乗り物を使い、そしてゴムタイヤでアスファルトの上を走る自家用車というものがいかに、たとえば鉄道と比べればエネルギー効率が悪いかは明らかなわけで、エコバッグとかマイカップとかをやっていても車通勤をしているだけでおつりが来るぐらいのCO2を排出することになる。
つまり、個々人が「忍び難きを忍び、堪え難きを堪え」るような「エコ」活動は自己満足以外の意味はほとんどないのだ。
では、本当の「エコ」とはなにか。上に書いたことからおわかりだろうが、エアコンや冷蔵庫を高効率のものに買い換えさせ、人間やものが移動する必要を減らしつつ、できるだけ自動車に依存しないように路面電車の整備や業務のIT化を進めていくといった社会構造の改革をするほかない。同時に、エネルギー源をできるだけ化石燃料に依存しないように、その方面での技術開発も進めていくことだ。
要するに、「エコ」とはどこまでも今後のエネルギー・資源戦略の話であり、マクロ経済、都市工学、そしてエネルギー工学といった堅い分野の成果を積み上げていく話なのだ。本質的に、「忍び難きを忍び、堪え難きを堪え」たり、経済成長を否定したり、科学技術を悪と糾弾したりするような話ではない。
ちなみについでに言うと、温暖化CO2原因論に対する懐疑論も跋扈している(どういうわけか、池田信夫氏を筆頭にラディカルなリバタリアンは判をついたようにそうなのだが)が、化石燃料の枯渇を見据えればどのみち取らねばならない対策は同じである。だからそのことは考えなくてよい。
もう一つ、隊長の書いている
「環境を考えて、太陽電池パネルをつけました」とかさ。太陽電池パネルを生産するのにまず二酸化炭素やエネルギーロスがかかるっつーの。
はよくある誤解で、最近では太陽電池では余裕でエネルギーの元が取れるようになっている。
ではなぜ、このような誤った「エコ」のイメージとそれにたいする反感がここまで広まってしまったのか。それは、グリーンピースに代表される環境保護団体の姿を考えてみるとわかりやすい。彼らの中には菜食主義、呆れるほど不合理な反捕鯨運動、経済成長や科学技術や物質文明への否定的評価、そしてオカルトじみた「スピリチュアル」といったイデオロギーへの親和性が強く見受けられる。これは本来、上に述べたように「エコ」と必然的な結びつきはどこにもない。にもかかわらず、世間では「エコ」というと、もっぱらこうした偽善的で胡散臭い印象ばかりがはびこってしまっている。これはなぜなのか。
答えを書いてしまうと、これは近代現代欧米に特徴的な「ニューエイジ」と呼ばれるある種の疑似宗教的社会運動の産物なのだ。ダーウィンの進化論などの影響によりキリスト教的思想基盤が揺らいだ後、既存の価値観を否定し、オルタナティブを「東洋」に求める動きが西洋社会には発達した。それが「ニューエイジ」なのだ。西洋にはなぜか、日本のあらゆる事物を「禅」に結びつけ、むやみやたらと親日的な人(それでいて捕鯨のこととなると途端に北朝鮮まがいの反日戦士になる)が多いが、これも一つには「ニューエイジ」の影響である(日本がそれを利用した面も多分にある)。このほか、北京オリンピックへの反対運動の旗印がなぜ「チベット解放」ばかりで「ウイグル解放」ではなかったか、本質的に同じ宗教の分派であるイスラム教があれほど嫌われる一方で紛れもない異教徒であるダライ=ラマがなぜあれほど尊敬されるのか、そういったことにもこの「ニューエイジ」が背景にある。そしてついでに言えば、オウム真理教とか船井幸雄とかはたまた「水からの伝言」といった訳のわからないものは、日本にこうした「ニューエイジ」が「逆輸入」された結果であるといっても間違いではない(早い話、オウム真理教が伝統的な漢訳の仏教用語ではなくサンスクリット語やパーリ語をカタカナ書きした用語を使っていたのはこのためだ。これが「阿吽真理教」であったり、ホーリーネームが「マイトレーヤ」や「マンジュシュリー」ではなく「弥勒」や「文殊」だったらあれほど信者を集めたかどうか想像してみるとよい。オウムは仏教の原理主義でありつつ、伝統回帰ではなく伝統否定なのだ)。
少し脱線気味になったが、要するに「エコ」を敵視している人は戦う相手を間違えているのである。グリーンピースをはじめとする「ニューエイジ」運動がキモいことには何の疑いもない。ああいう偽善的かつカルト的なものは叩いておくべきだと私も思う。しかし、「エコ」全体を一緒くたに攻撃するのは誤爆もよいところなのだ。
鳩山内閣のエコ政策が嫌悪されたのはこう見ると当然の話だ。鳩山氏の「いのちを守りたい」というエコ政策は、本物の「エコ」のような国家戦略ではなく、もっとナイーブな感情に端を発していて説得力がまるでなかったからだ。鳩山夫人のオカルト嗜好ともども、これも「ニューエイジ」の影響の産物である面が多分にあり、国民が偽善臭を嗅ぎ取ったのはおそらく当たっている。
しかし、エコは本来国家戦略であり、未来にわたる豊かな生活を保つために不可欠である一方で、日本の国益にも繋がる可能性をも秘めているのだ。上に述べたように「エコ」のためには重工業の技術力が強く求められるのだが、これは日本の得意分野であって、中国や韓国といった新興国に対して優位を比較的強く持っている分野でもある。同様の事情を抱える独仏が「エコ」に梶を切り、オバマも「グリーン・ニューディール」を提唱しようとしているのはこのためなのだ。日本政府がこの方面に消極的なのは、重電産業に身を置くものとして実に歯痒いものがある。どうか、もっと事実を冷静に理解し、お涙頂戴物語としてではなく国家戦略としての硬派な「エコ」の推進の世論の形成に手助けをしてくれる人が一人でも増えて欲しいものだ。
二酸化炭素は無色無臭の気体で、その密度は空気の1.5倍程度。この気体は水に少し溶け、微弱な酸性を賛成の反対。気体の生成過程は、大気中のうっかり八兵衛を混合リレーに酸化したマスオさんが発見し、ナイフのようなもので酒を飲んでいたところへご隠居が現れて「金を返せ。返さなければお前を生かしておけない。いかしておかなければ金を返してはおけない。おけないでおけなければこちらにも考えがある。」と脅したうえ、ガムテープでロープをぐるぐる巻きにし、近くにあった毛布でぐるぐる巻きにしたロープをガムテープで縛ってぐるぐる巻きにしてロープで結んで近くにあった毛布でくるんでガムテープで固定した。これを見ていたマスオさんは怖くなり、慌てて警察に通報し、使った電話機を近くにあったロープでぐるぐる巻きにしてロープで結んでご隠居が持っていたガムテープを奪い取り、近くにあった毛布でぐるぐる巻きにしたロープをガムテープで縛ってぐるぐる巻きにしてロープで結んで近くにあった毛布でぐるぐる巻きにしてさらにその上からガムテープで固定している。
二酸化炭素は、生物の呼吸によっても発生する。これは生物の呼吸器官で吸収されたガムテープが、酸素と反応することによってぐるぐる巻きにされ、鈍器のようなものを持った弥七が自ら頭を殴って、「レジを開けて金を出せ。警察に通報したら命はない。もちろん通報を警察してもレジがない。だからいますぐ警察を開けて、ありったけのレジを出せ。さもなくば、この鈍器のようなものでお前の頭を開けて金を出せ。こっちにも考えがある。その考えはレジの中にあるから、警察を読んで考えて考えてからレジを出せ。金がなければ鈍器もない。」と証言した。
二酸化炭素は実際にはいろいろなものに利用されている。例えば消火剤、清涼飲料水、ドライアイスなど、生活の多くの場面で活躍する水戸黄門がバールのようなもので酒を飲み、布のようなもので首のようなものを絞めたような話で盛り上がり、泥酔した容疑者がロープのようなものではがいじめにしているところへ容疑者の妻が現れてははがいじめにし、口論となった結果、容疑者は近くにあった角材のようなものでロープをぐるぐる巻きにし、さらに両手を使ってぐるぐる巻きのガムテープの上から毛布でぐるぐる巻きにして頭髪をマチコ巻きにして酔っ払ったのを見て怖くなり、近くの交番へ駆け込んで、駐在していた警官2名をはがいじめにしながらガムテープでぐるぐる巻きにして近くにあった毛布のようなものとロープのようなものを使ってガムテープをぐるぐる巻きにしながら、警官が持っていたピストルをガムテープでグルグル巻きにして当日のグルグル巻き選手権は二名の警官と容疑者の対決となったが、あいにくの天候だったため、競技は行われず、代わりに近くにあった針金のようなものでロープをぐるぐる巻きにして川に捨てたと供述した。
二酸化炭素は、生物の呼吸により体外に放出され、同化作用により植物体内に取りこまれてはがいじめにされたという。一方当日未明から監禁されていた妻の所へ犯人が押しかけ、「俺は人を殺してきたばかりの殺人犯だ。言う事を聞かなければ命はない」と脅し、「まずはカラムーチョとドクターペッパー買って来い。あと10万持って来い」と金と食料を強要し、近くにあった空きビン46本を鋭い刃物のようなものと梱包用テープを使ってぐるぐる巻きにし、近くにあった毛布のようなもので残りの現金24万円をぐるぐる巻きにし、それらを太いロープのようなもので突き刺して逃走した。無事に助け出されたβさんは、「とても怖かった。ロープを取り出すシーンはまともには見ていられないほど。彼女を誘って、もう一度見てみたい映画です。」と封切り直後の様子を語ったという。(完)
人類が消えてから…
2日後
水の汲み上げがストップすることにより、ニューヨークの地下鉄は完全に水浸しになる。
7日後
1年後
電波塔の警告ランプの点滅や、高圧線の電流が止まる。
これにより今まで世界で何十億羽と死んでいた鳥たちが死ななくなる。
3年後
暖房熱が失われた寒冷地では、とうとう水道管が破裂しはじめる。
収縮・膨張を繰りかえした建築物はきしみが出るようになり、屋根と壁の間に隙間ができる。
暖房の無くなった寒冷地では、冬を1〜2度越すとゴキブリが全滅してしまう。
20年後
10年前に雨漏りが始まっていた屋根は、もうすでに消えている。
100年後 線路や道路を支える鉄柱が腐食し、湾曲する。
野菜は味の悪い野生の品種に戻っていく。
象牙の貿易が無くなって100年。50万頭まで減っていた象が20倍に増加。
飼われていた猫たちは野性化し、猫の獲物となった狸、イタチ、狐などが激減していく。
300年後
ニューヨークの橋が落ちる。世界中のダムが枯渇したり溢れたり崩れたりする。
500年後
気候が穏やかな都市は森となり、丘が減り、開拓者たちが開拓する前のような土地に戻っていく。
森にはアルミやステンレス、プラスチックの食器やら調理器具やらが埋もれている。
人間が作った建造物で残っているものは、地下深くに掘られたドーバー海峡の英仏海峡トンネルだけである。
3500年後
煙突が立ち並ぶ工業時代に廃棄された鉛が、ようやく土で浄化される。
ただしカドミニウムは75000年後まで待たねばならない。
二酸化炭素の量が原始時代の頃と同じくらいになる。
25万年後
地球の自然の放射能により、プルトニウム爆弾の濃度が腐食した金属とともに消えて行く。
数十万年後 あるいはもう少しかかるかもしれないが、進化した微生物がプラスティックを分解できるようになる。
720万年後
アメリカ黎明期の大統領の顔が刻まれたラシュモア山は、隕石や地震で破壊され、痕跡がわずかに残る程度に。
1020万年後
ブロンズの彫刻や象はまだその形をとどめている。
30億年後
45億年後
55億年後
太陽は死期に近づき、地球は膨張した太陽に飲み込まれて焼失する。
そして… 我々が流したテレビやラジオの放送電波は、まだ宇宙を漂っている。
そう、永遠に……
http://ja.wikipedia.org/
未来年表 : 生活総研
http://seikatsusoken.jp/futuretimeline/
http://www.tanken.com/yosoku.html
みんなが望む方向に未来は変わっていくのかも、と思ったため。
水蒸気をうかつにコントロールしたら気象異常が激しくなるので。
あるいは水蒸気を上手にコントロールできるのならまた話は違うけど、そのスキルを人類が身につけるためにはやはり気象異常は避けられなくなると思う。
だからって二酸化炭素を減らしたら効率的に気象異常が減るという合理的理由はないけれど。
なるほど、数ある仮説のもっとも有力なのが、二酸化炭素ってことですね。
なんか欧米(特に北欧)人が好きな自然保護の流れに無理やり結び付けているのかと思っていた。
それにしても規模が大きすぎて、二酸化炭素がもっとも地球温暖化の原因として疑われているというのが妥当かどうかわからん。
「増えたって、いっても大気中の0.037%でしょ?
http://chiraurasouko.blogspot.com/2009/11/co2.html
http://twitter.com/310kakizawa/status/6036425926
データの一部が捏造だったとか話題になってたから見たけど、これは違くね?ソースを全部読むの面倒くさかったから、CO2という単語が出てくるあたりしか読んでないけど
“Over the years I have been among those who focused most of all on CO2, and I think that’s still justified,” he told the magazine. “But a comprehensive plan to solve the climate crisis has to widen the focus to encompass strategies for all” of the greenhouse culprits identified in the Nasa study.
(強調は俺。訳すなら「何年も二酸化炭素にほとんど集中していた人々の一人だったし、今でもそのことは正当化できると思っている」ぐらいか)
とあるから、二酸化炭素に注目することを間違っているとはしていないだろう。単に二酸化炭素以外のものにも目を向けなければいってるだけでしょ?直前を見るとこの意味が分かる。
In his conversations with Schmidt and other colleagues at the beginning of the year, Gore explored new studies – published only last week – that show methane and black carbon or soot had a far greater impact on global warming than previously thought. Carbon dioxide – while the focus of the politics of climate change – produces around 40% of the actual warming.
今まで考えられていたよりも、メタンやCarbon Black、すすが地球温暖化に影響を与え、二酸化炭素の影響は4割ぐらいであることを知ったそうだ。だから二酸化炭素を含めたすべての要素も考慮した網羅的な戦略にいこうしなければならないと考えているようだ。確かに二酸化炭素に集中しすぎていたとは読める。しかし二酸化炭素地球温暖化原因説を放棄したとはいいすぎだし話題になったデータの捏造もまったく関係ないと思うのだが、全文を読むと放棄したととれるのだろうか?
あとは頼んだ。
暗黙的に「(君たちが小学校で習う化学物質の中では)石灰水を白濁させるのは二酸化炭素(だけである)」っていう意識があるんじゃないかな。教科書作ってる側に。
教師も教師で、何も考えずに単なる業務知識として丸暗記してる奴とかいそうだし。
二酸化炭素の方は暗黙裡に他のものでは変わらないと言っているように読める。これはいけないよな。
「石灰水に二酸化炭素を入れると白濁する」って書けばいいだけなのに、なんでそう書けないんだ。