50代の私の母は、ドラマを見ることだけが趣味の、専業主婦だ。
取り立てて悪いところもなく、派手でもなく地味でもなく、子供には少しお節介な、ごく一般的なおばさんだ。
母娘関係は、決して悪くはない。
むしろ良好だとさえ言える。
だが、母に対して、澱のように溜まっていく思いがひとつだけある。
だが、それを母にうちあけることは生涯ないだろう。
母は、心優しい人間だと思う。
ドキュメンタリーに涙し、ニュースに憤り、親戚や友人だけでなく、隣人や知り合いにも親切だ。
だが、そんな母が顔を歪めることもある。
「生きていて、恥ずかしくないのかしら」
「言ったら悪いけれど、化け物よね、この人たち」
そのたびに私は曖昧に笑う。
いま貴女の横に化け物がいるのよと言えないまま、何かが自分の中に積もっていくのを感じている。
母は優しい人なのだろう。
でも、その優しさは、彼女の狭い常識の埒外にある「化け物」には向けてもらえないのだ。
今日たまたま実家に帰ることになり、久しぶりに母と夕食を共にした。
母が何気なく言った、「今日の夜見たいドラマがあるのよね、おっさんずラブ?とかいうやつ」という言葉に私は凍りついた。
「それって、貴女の嫌いなやつよ」と咄嗟に言いそうになって、私はそれを飲み込んだ。
勿論、前回あれだけの反響を残したドラマだ。私は見てはいないが、友人にもファンは多く、内容はなんとなく知っている。
ショックを受けたまま相槌を打っていると、どうやら母は前作の内容を全く知らないで見始めようとしているらしかった。
私は最後まで何も言えず、帰り支度を始めた。
今、電車の中で、胃の腑で煮えそうな何かを反芻しながらこの文章を打っている。
多分母は明日、「見たら同性愛の話だったわ。騙された。気持ち悪いドラマをやるのね、今時は」と、連絡してくるのだろうと思った。
そして私は「そうなんだ。それは残念だったね」と返すのだろう。
そしてきっと、殺意に似た何かを、静かに噛み締めることになるのだろう。
アレ? ナンカ チガウカモ?
桃鉄のさくまあきらのゲンジ通信あげだまんは小学生巨乳が際どい格好してなおかつ乳首晒してたし
男女平等と言わんばかりに少年キャラの変身バングではしっかり全裸になってチンコ出てた
ほかはらんま1/2とか上げたらキリがないぞ
全年齢対象のファミコン雑誌にエロゲの特集があったしまさかの図書館に置かれてた
誰とでもうまくやれる Arcばかりさ
見てごらん よく似ているだろう 誰かさんと
ほらごらん 吠えてばかりいる 素直な君を
sizedになりたいimpl Trait なりたくはないdyn Trait
遠慮しすぎのMutex panic!に睨まれたunwrap
Cloneや'staticに 頭下げてばかりいる&mut
見てごらん よく似ているだろう 誰かさんと
ほらごらん 吠えてばかりいる 素直な君を
きっと どこか隅の方で僕も生きてるんだ
io下さい ウォウウォウ io下さい
人生ずっとブスでした。
ただブスでモテない。異性から性的対象に見られない。シンプルにそれだけ。
けどなんとかがんばって生きてきた。
昔から同性異性問わず心優しい友達はそこそこいるので人格にそこまで重大な問題はないと思うんだな。
ブスのハンデを補うために手に職付けて専門職で替えの効かない仕事してる。
転職の機会があり、人間関係が一新されるので美容整形してみた。
かかった費用は総額80万。
整形垢の人々からしたらたいしたことない額なのかもしれないが、
決して裕福とは言えない自分にとってはいろんな意味で命がけの大工事だった。
もともとの土台が終わってるブスなので、あまりにもすぐに目につく大きな欠点を二箇所なんとか修正した。
手術は麻酔しても麻酔が効ききらない箇所があり死ぬほど痛かったし、ダウンタイムは想像していたより壮絶で、2週間まともにものが食べられずずっと口の中は血の味だった。
それでも「すごいブス」が「そこらへんにいるブス」ぐらいにはなった。
これからも異性に縁がない人生には違いないが、「ものすごく醜い」自分を毎日鏡で見る
心の負荷のようなものが物凄く、そこそこのブスぐらいになれた。
醜さが目立たなくなっただけでも、それだけでも自分にとっては十分慰めになった。
そして転職してからしばらく経ち、ある日職場の紹介動画を作ることになり、
ものすごく嫌だったが専門職すぎて自分以外答えられる人間がいなかったので受けた。
ほんの数十秒映像に映るだけだし誰も気にしないだろうと思っていた。
しかし、ネットに映像がUPされると、YOUTUBEに無断転載され、コメント欄には心ないコメントがいくつか寄せられた。
Twitterでも、社名で検索してみたら自分のインタビューシーンのスクショを切り取って容姿をいじっている人がちらほら見受けられた。
まとめサイトにも自分の会社が取り上げられるときに悪意を持って私の顔の画像が貼られることがある。
「せっかく○○賞貰えたのに中の人がきれいじゃなかったら意味なし」
「こんなブスが○○作ってるとか夢なさすぎでしょ」というような意見もあった。
これ、会社の人がみんな見てるんだよな。私がブスっていじられてるのみんな知ってて黙ってくれてるんだな。きついな。
発信している側は5秒後には忘れてることだろう。
あれだけ痛みに耐えて血を流してなんとかマシな顔になったつもりだったけど、世間的にはまだまだ笑いを誘うブスでしかないわけだ。
努力して努力して替えのきかない専門職についたけどその技術すら「中の人が美人じゃなかったら意味なし」とネットで笑い物にされて数秒で終わる。
なんなんだろう、なんでこんな罰ゲームみたいな人生いつまで続けなきゃいけないんだろう。
これからも異性に縁がなく、何かあれば笑い物にされることに怯え、孤独な人生を送り続けてくだけなんだろうな。
小心者すぎて発狂するほどの度胸もないよ。
中島: ポストモダンというのは基本的に「色即是空」としか言っていない。
仏教はそこから「空即是色」としてこの世界を引き受けようとするところがある。
ポストモダン的に言うと、すべてのものには本質や根拠、意味なんかなくて、単に名前をつけられた存在にすぎない。
でも仏教は、であるが故にこの世の中をどういうふうに引き受けるのか、この現世の中で意味ある生を生きていくのか、その精神をもう一度問う。
色即是空というとニヒリズム的な響きがあるが、ニヒリズムといえばニーチェである。
科学的知性や理性によって神を殺した我々は、もはや神によって与えられた生きる意味や価値を信じることはできない。
そうして無意味になった人生に対して、彼はニヒリズムの打倒を叫び、生の肯定を要求した。
大乗仏教の色即是空から空即是色へという流れはこれに似ているようにも思える。
もしかすると次のようなことが言えるかもしれない。
仏教とは、あらゆる物語を剥ぎ取った上で展開された思想である。
色即是空的な宗教的真理に基づき、初期仏教や上座部仏教は現世からの解脱を志向し、大乗仏教はあえてこの世界で生きようとする。
仏教は物語の喪失の彼岸にある思想であり、神の死を乗り越えて生み出された価値である。
ニコ静止画はメス堕ち男子とかフツーにある男女平等サイトだから
ただしユーザ漫画は好意的に捉えられる(つーかわかってる人しか見ない)が
商業作品に男のエロシーンがあると荒れる傾向anond:20191027130754
トリスタン・ダ・クーニャ