中島: ポストモダンというのは基本的に「色即是空」としか言っていない。
仏教はそこから「空即是色」としてこの世界を引き受けようとするところがある。
ポストモダン的に言うと、すべてのものには本質や根拠、意味なんかなくて、単に名前をつけられた存在にすぎない。
でも仏教は、であるが故にこの世の中をどういうふうに引き受けるのか、この現世の中で意味ある生を生きていくのか、その精神をもう一度問う。
色即是空というとニヒリズム的な響きがあるが、ニヒリズムといえばニーチェである。
科学的知性や理性によって神を殺した我々は、もはや神によって与えられた生きる意味や価値を信じることはできない。
そうして無意味になった人生に対して、彼はニヒリズムの打倒を叫び、生の肯定を要求した。
大乗仏教の色即是空から空即是色へという流れはこれに似ているようにも思える。
もしかすると次のようなことが言えるかもしれない。
仏教とは、あらゆる物語を剥ぎ取った上で展開された思想である。
色即是空的な宗教的真理に基づき、初期仏教や上座部仏教は現世からの解脱を志向し、大乗仏教はあえてこの世界で生きようとする。
仏教は物語の喪失の彼岸にある思想であり、神の死を乗り越えて生み出された価値である。
ちょうどそれ反出生主義の話でも出てきてて、生まれるべきか生まれないべきかの二律背反に陥らないためのヒントが古代仏教にあるかもって書いてあったなー