一時的に非日常に自分を置いて忘れてみる事で、一度頭の中の全部の処理を中断させるんだよ。
旅から戻って、一から考えてみたら、どこで処理が引っかかったのかわかったりする。
それか、告白の返事は一旦避けておいて他のタスクを優先するとか。
人を利用しようとする自分が怖い。
奪おうとする自分が怖い。
だから人になるべく近づかない。
人から利用されるのも奪われるのも嫌だ。
だから人に近づかない。
豊かな人間関係とは?
どこで学べばいいんだろう。
はてな見てればわかるでしょ
でも頭がいいってことがこういうことならいっそバカのほうがマシでしょ、パートナーとして
自分は家をもう出てるし、友人からの手紙を実家で貰ったことがないから
そう聞いた時そうなのかー程度だったけど
よく考えたらひどいと思う
どういう心理なんだろう
過保護ってほどでもないし、実家の兄弟の貰ってるご飯代だのもたかだか数千円らしいし(飯はあまり作らないらしい)
本当に謎
社会政策でもなんでもとりあえず一回やってみて駄目なら元に戻してまた考えなおす議論し直すってのは駄目?
一回やってみれば予想しなかった結果が出て反対だった人も賛成だった人も意見が変わってより深くよりより政策を考える
きっかけになるかも知れないし。
あと6本……
スケジュール共有しよう!このソフト見つけてきたからあなたのスマホの導入試験させて!
あなたの健康のためよ、子供の学費のためよ、家族の老後資金のためよ
私間違ってないでしょ? ねえ? 対案出してみて?
言われる側仕切られる側はたまったもんじゃない
息が詰まる
本当にその二人が大好きで、例え反応が無くても自分が想像したその世界で起こる事を文字に起こし、一つの話にしていく過程も、完成したものを読み直すのも凄く楽しかった。
途中で他のジャンルのCPにもハマって書いたりしたけれど、その二人がやはり中心だった。
けれど、今日をもってその二人の事を書くのは止めようと思う。その二人が嫌いになった訳ではないしアニメもゲームも追いかけていく。二次創作をやめるだけ、それだけ。
何故やめるか。解釈違いが苦しかったから、と言えば笑われるだろうか。笑われても構わない。本当に苦しかった。公式は解釈に幅を持たせてくれたから、公式によって嫌いになった訳ではないのが救いだろう。同じ界隈の人の解釈が本当に苦しかったのだ。
二次創作をやっていく上で、どうしても他の人の解釈を見なければならない。最初それはとても楽しかった。色々な考えの人が色々な解釈をして、自分には到底思いつかないと感心し、自分の中に大きな影響を与えてくれた事もある。
公式によって与えられた性格を、例え熟知したとしても、書き続けていくと、自分なりの解釈が出てきて、話の中でもキャラがその影響を色濃く受けていく。
だから二次創作は面白いし、人によって色々な推しCPの姿が見られるのは本当に楽しいのだ。
けれどある時からその解釈が極端に偏り始めた。また、これを言ってしまうとCPがバレてしまうから詳しくは書けないが、ファンの間である事が流行り、〇〇(推しCP)好きはこうだよねー、と言われる頻度が本当に増えた。
私はそのCPファンだし、二次創作もしているが、その流行りは到底理解出来なかった。しかし見渡す限りそうなのだ。〇〇好きはそう、と。
そしてファンの中で流行りが生まれる度、運が悪い事に私には理解出来なかった。私から言わせれば、その到底理解出来ない事を理解出来る自分達カッコいい!というような雰囲気さえ感じたるようになってしまった。完全に被害妄想である。本当にこれは自分が悪い。
だが、事あるごとに〇〇推しはさー、と言う言葉を見ると理解出来ない自分がおかしいのかな?と思うようになった。
しかし繋がっている人は皆それが好きだった。私は違います!なんて言う勇気はないし、言う必要もない。だからここで吐かせて貰ったのだが。
解釈違い、というか、ファンの間の流行りについていけなくて二次創作をやめるのは凄く奇妙だし、自分でも驚いている。笑ってしまう。けれど事実そうなのだ。みんなが楽しそうに食べている給食は美味しそうに見えた、それだけ。一人で食べる給食だって同じ味で、美味しいのに。
ただ、何度も言うが嫌いになった訳ではない。そのCPファンになってから、文字を書き話を作り上げる楽しさを知り、同じファンの人と繋がる事も出来た。感謝しかない。だから二次創作をやめるのは自分勝手な理由だ。
そうか、そうか、
学生や中途採用希望者が履歴書と共通エントリーシート、あと自由に自己アピールできるページを用意して
企業から声を掛けたり、学生が登録してる企業に声掛けたりできるアプリ
まあサイトでもいいんだけどさ
そうすれば、バカみたいに同じ格好して同じ場所に大量に集まって説明会なんてバカなプロセスを省ける
お互いにとっていいじゃん
どうよ?
お参りに行くたびに何万ものお金を封筒に入れてお寺に持って行くことは当たり前で(お金を支払う額によって寺の中でのランクが変化するらしい)、
メリークリスマスも言えないし、神社で参拝することも、御守りを持つことも許されない。
でもそれが日常だから、朝夕と仏壇の前に1時間座って暗記したお経を唱え続ける父の姿を見て、うちはちょっと厳しい仏教徒なんだなとずっと思っていた。
だがその認識が揺らいだのは母方の祖父の葬式だった。母方は父が勧めてもその宗教を信仰しなかった。父は葬儀の後父親を失い、疲れ果てた母に祖父はその宗教を信仰していなかったから地獄に堕ちると言った。
いつも優しくて人から尊敬されている大好きな父が、その瞬間異常なんだと気付いた。
それから私はお経を唱えるのを辞めた。
父は何かあるとすぐお寺に行く。
今日も行ってきた。
私と同い年の熱心な信者の女の子は今度アメリカに留学するらしい。
私が熱心にお経を唱えないから英語が苦手だし、これからも人生どんどん差がついて行くと今日も言われた。
普段は優しくて尊敬している父とこのことに関しては絶対に分かり合えることはなくて、宗教に関する時だけ他所の知らない頭のおかしい人になるように私には見える。
でもそれ以外のことに関しては愛情一杯で育ててくれた父のことは大好きだから、父と絶対に分かり合えないことがあるということが悲しい。
拝金主義で信じない者は全て地獄に堕ちるという排他的な考えを持つその宗教が憎いし、それを信じることに決めた私の生まれる前に亡くなった父方の祖母のことを許せない。
父が亡くなったら私は付き合いで何かあった時に寺に行くのも辞めるし、脱会届を出す。
世の中にはびこる変な宗教とかアムウェイってなくならないかなー
それを信じる人たちだけの国を作ってどっか行ってくれないかなー