なんか力作だけどこれは伸びねえなあ
まず私物を含むPC, アカウント(のパスワード)等を提供する同意書が取られます
次の担当社員が自宅に行ってPC等を回収 この間,該当社員は軟禁・尋問
そして社員は出勤停止して後処理後にクビでしょうね
みなさん気をつけましょう
このエントリーは、「靖国ゲーム」というゲームにこれから参加してみようかな、と思っている人に向けて書かれた、このゲームのルールについての解説です。
靖国ゲームは、東京都千代田区九段北に設置されている「靖国神社」と呼ばれる施設をフィールドとして実施されているゲームです。
このゲームのプレイヤーは、「エージェント」と呼ばれます。個々のエージェントは、「守旧派」と「改革派」と呼ばれる二つの陣営のどちらかに所属します。そして、各陣営が望ましいと考える意味をこの施設に付与することを目的として、靖国神社という施設において、「参拝」と呼ばれるプレイを実行します。このゲームの戦況は、この施設に与えられたそれぞれの意味の強度によって評価されます。
「二つの陣営のそれぞれに所属するエージェントとしてプレイする」と聞いて、Ingressを連想した人が多いかもしれませんが、靖国ゲームとIngressとの間に似ている点があるとしても、それは表面的なものです。Ingressよりもむしろ、靖国ゲームは日本鬼子プロジェクトに似ています。なぜなら、それらはどちらも、意味の付与をめぐるゲームだからです。日本鬼子プロジェクトが「日本鬼子」という四文字の文字列に対する意味の付与をめぐって繰り広げられるゲームであるのと同様に、靖国ゲームも、「靖国神社」と呼ばれる施設に対する意味の付与をめぐって繰り広げられるゲームです。
靖国ゲームは、2014年7月5日に開始され、現在も継続中です。ゲームオーバーが成立する条件は定義されていませんので、原則的にはこのゲームは永遠に続きます。しかし、靖国神社という施設の廃止などの他律的なイベントの発生によってゲームオーバーが成立する可能性は残されています。
靖国ゲームにエージェントとして参加するためにしなければならないことは、このゲームのルールを理解した上で、自身がどちらの陣営に加盟するかを決定することだけです。参加に先立って、このゲームに参加することを何らかの機関に対して届け出る、ということは必要ではありません。ただ単に、いきなり靖国神社に来てプレイを実行すればいいだけです。
なお、エージェントは、自身が属する陣営をいつでも変更することが可能です。
「守旧派」と「改革派」と呼ばれる二つの陣営のそれぞれは、「靖国神社」と呼ばれる施設(厳密に言えばその本社)に対して異なる意味を付与することを目的としています。
守旧派の目的は、「戦意高揚のための施設」という意味を靖国神社に付与することです。この意味は、施設の設置者である宗教法人靖国神社が付与したいと望んでいる意味と同じです。もしもあなたが、靖国神社の祭神は英霊であり、英霊を神として顕彰することは、後に続く者たちに対して、「自分も国のために戦って死ねば、このように顕彰してもらえるのだ」という認識を与える、という考え方にシンパシーを覚えるならば、守旧派に加盟するとよいでしょう。
それに対して、改革派の目的は、「平和祈願のための施設」という意味を靖国神社に付与することです。もしもあなたが、靖国神社の祭神は平和を愛する空飛ぶスパゲッティ・モンスターであり、この神に平和を祈願することは世界に平和をもたらす効果がある、という考え方にシンパシーを覚えるならば、改革派に加盟するとよいでしょう。
靖国ゲームに参加するエージェントにとって最も重要なプレイは、「靖国神社に参拝するという行為」です。
靖国神社に対する参拝は、その施設に対して意味を付与します。付与される意味は、その作法によって異なります。守旧派には守旧派の作法があり、改革派には改革派の作法があります。
守旧派に属するエージェントが「戦意高揚のための施設」という意味を付与するために参拝で準拠する作法は、「二拝二拍手一拝」です。すなわち、拝殿の前で本殿に向かって、礼を2回して、次に柏手を2回打って、最後に礼を1回する、という作法です。
それに対して、改革派に属するエージェントが「平和祈願のための施設」という意味を付与するために参拝で準拠する作法は、「笑顔ダブルピース」です。すなわち、拝殿の前で笑顔で「ピース」と言いながら、ピースサインを作った両手を本殿に向かって水平に伸ばす、という作法です。
なお、どちらの作法の場合でも、参拝に際しては、賽銭箱にお賽銭を投入するという所作の遂行が強く推奨されます(その理由については「費用」の項を参照)。金額は少なくてもかまいません。自身の経済状態に応じて、無理のない金額のお賽銭を投入してください。
また、靖国ゲームにおけるプレイは、参拝のみではありません。「広報活動」、すなわち、「自身が所属する陣営への加盟をブログやSNSなどで呼びかけるという行為」も、このゲームにおけるプレイです。
このゲームに参加したいけれども、靖国神社から離れた地域に住んでいるために、そこにアクセスするための交通費または時間がないというエージェントは、参拝によってではなく、広報活動によってこのゲームに参加するとよいでしょう。
徒歩や自転車などで靖国神社まで行くことが可能なエージェントは別として、遠方に住むエージェントは、参拝によってこのゲームに参加するために、靖国神社にアクセスするための交通費が必要となります。
また、強制ではありませんが、「プレイ」の項でも述べたように、靖国神社に対する参拝に際しては、賽銭箱へのお賽銭の投入が強く推奨されます。その理由は、このゲームが成立するためには靖国神社という施設が存在していなければならないからです。施設を維持するためには、そのための財源が必要です。この施設を維持するための財源としては、これまでは英霊の遺族や戦友からの寄付金が大きなウェイトを占めていました。しかし、時代とともに寄付金のウェイトは下がりつつあります。今後は、お賽銭を始めとする社頭収入が大きなウェイトを占めることになるでしょう。このゲームをプレイするエージェントに対してお賽銭の投入が推奨される理由は、そうすることによって、靖国神社という施設に末永く存在し続けてもらうことができるからです。
靖国神社に参拝する人々は、そのすべてがこのゲームの存在を知っているわけではありません。このゲームについて何も知らずに靖国神社に参拝する人々は、「無自覚なエージェント」と呼ばれます。無自覚なエージェントも、参拝によって靖国神社に意味を付与するという点において、通常のエージェントとの相違はありません。「二拝二拍手一拝」という作法で靖国神社に参拝する無自覚なエージェントは守旧派に対する援軍だと考えることができますし、「笑顔ダブルピース」という作法で靖国神社に参拝する無自覚なエージェント(おそらくほとんどいないでしょう)は改革派に対する援軍だと考えることができます。
靖国ゲームにはバックストーリーがあります。ただし、このゲームのバックストーリーは、守旧派と改革派とで異なっています。
靖国神社は、1869年(明治二年)に創建された東京招魂社を起源とする神社である。創建当初の祭神は戊辰戦争での官軍の戦没者だったが、その後も、内乱や対外戦争が起きるたびに、その戦没者はこの神社に合祀された。日露戦争のころから、それらの祭神は「英霊」と呼ばれるようになった。現在、この神社には、246万柱を超す英霊が祀られている。
守旧派のバックストーリーは、靖国神社に関する市販の著作物の多くに描かれているものと同一です。守旧派に属するエージェントで、自身の陣営のバックストーリーについてもう少し詳しく知りたいという人は、それらの著作物のうちのどれかを読むとよいでしょう。
改革派のバックストーリーは、ポツダム宣言の受諾が玉音放送によって国民に伝えられた1945年(昭和二十年)8月15日までは守旧派と共通ですが、その日からのちの部分は、次のようなストーリーになっています。
1945年(昭和二十年)8月15日の正午、「空飛ぶスパゲッティ・モンスター」と呼ばれる、平和をこよなく愛する神が靖国神社に降臨した。この神は、この神社に祀られていたすべての英霊を解放し、自身をこの神社の新たな祭神とした。そののちに招魂された英霊も、合祀される前に解放されているため、現在もなお、空飛ぶスパゲッティ・モンスターがこの神社の唯一の祭神であり、この神社に英霊は一柱も祀られていない。
改革派に属するエージェントで、自身の陣営のバックストーリーについてもう少し詳しく知りたいという人は、「靖国神社改造論」という文書を読むとよいでしょう。ちなみに、靖国ゲームが開始されたのは2014年7月5日とされていますが、その理由は、この文書が公開されたのがこの日だからです。
最後に、靖国ゲームが成立するための神学的な前提について説明したいと思います。
靖国神社という施設は、あくまで物理的な建築物にすぎず、それ自体が自身の意味を主張しているわけではありません。しかし、この建築物に対しては、創建以来、「戦意高揚のための施設」という意味が国家から与えられてきました。そして、太平洋戦争の終結後も、この施設の設置者となった宗教法人靖国神社によって、同じ意味が与えられています。
しかし、靖国ゲームにおいては、靖国神社という施設に対して意味を与えるのは、国家でも設置者でもなく、この施設に参拝する人間、すなわちエージェントである、と考えます。もしもこの施設に参拝する人間が一人もいないならば、この施設は何の意味も持たない単なる建築物ということになります。そして、「二拝二拍手一拝」で参拝する人がたとえ一人でも存在するならば、この施設には「戦意高揚のための施設」という意味が付与され、「笑顔ダブルピース」で参拝する人がたとえ一人でも存在するならば、この施設には「平和祈願のための施設」という意味が付与されます。両者が混在している状況においては、この施設は二重の意味を持つことになります。そして、それぞれの意味の強度は、それぞれの作法で参拝するエージェントの人数の比率によって決まります。靖国ゲームというのは、「靖国神社」という施設に付与された二重の意味の強度をめぐるゲームだと考えることができます。
重度の本来的な(?)意味のコミュ障ではなく、人と話すこと自体は別に苦ではない。でも皆がわいわいと話している中に自分から入っていく事は無い。さりとて付き合いを避けたいわけではなく誘われれば参加する。しかし気づくと一人ぼっち。積極的に孤独を愛しているわけではなく、自分が面白いと思える「こと」について語り合いたい時もあるし、そういう会話ができた時はとても楽しい。人と共に居ること自体は心地よい。どうだ?
そう。「人に興味がない」というのがどうしようもない気質なんだと思う。そこを踏まえてないアドバイスは多分あてはまらず参考にならない。「何をしたらいいのかわからない」という焦る感覚も分かるよ。参加したいのに場のルールが分からないんだもの。もっとも俺は興味が無さ過ぎて空回りすることもそうそう無かったけども。
俺は本来アドバイスできるような立場でないが、たぶん増田より長く生きてきて、それなりに理解した事もあるから無責任に書いてみようと思う。
とりあえず「どんなことを話せばいいのか考える」のはやめたほうがいい。彼・彼女らは何故あんなに次から次へと話題を出して場を盛り上げて話せるのだろうと疑問に思うかもしれないが、話題、つまり「こと」は重要じゃないんだ。冷静に考えれば当たり前だけど、その場で話している行為そのものに価値が置かれているんだ。
自分の「こと」を話すのではなく、自分の「感情・感覚」を相手と意識的に交換するようにしよう(アイメッセージという考え方が参考になるかもしれない)。たとえ無意味に馬鹿っぽく思えても感情の短いラリーでいいんだ。だいたい、そんな時人々は「こと」について実は「考えて」はいない。
(多くの人は「そんなのあたりまえだろう」と思うだろうが「人に興味がない」奴にはそこが分からんのだ。奇妙なことだが、言語で表している内容に究極的には意味・価値が無いというのが。)
よく言われるテクニックだが何を言ったらいいのか分からない時の簡単な方法は、おうむ返しだ。「おいしいね」「うまいね」そんなんでいいらしい。質問だったら手短に返答して次には質問し返えそう。人々は質問して欲しい時に質問するらしいんだ。あと元増田があてはまるかどうかは分からないが、場面によっては「正しさ」の重要度をちょっと下げたほうがいい。多少誤解があろうと言葉が間違っていようとスルーしていいんだ。
別増田も書いていたが、姿勢、視線、表情、挨拶のたぐいはちゃんとしているか?相手に向かって開いているのを見せるのは大切だぞ。店で接客を受けた時などに練習するといい。
最後に。「人に興味がない」のは「人、感情」を視野外にして「こと」に他の人よりも集中できてメリットになる事もある。そうそう悪いことでもないさ。
いや俺がどうかなんて話はしてないんだけど…
浅ましいのは神ならざるお前だよ。