2015-04-20

http://anond.hatelabo.jp/20150419004955

たぶんこれは、おま俺案件

重度の本来的な(?)意味コミュ障ではなく、人と話すこと自体別に苦ではない。でも皆がわいわいと話している中に自分から入っていく事は無い。さりとて付き合いを避けたいわけではなく誘われれば参加する。しかし気づくと一人ぼっち積極的孤独を愛しているわけではなく、自分面白いと思える「こと」について語り合いたい時もあるし、そういう会話ができた時はとても楽しい。人と共に居ること自体は心地よい。どうだ?

そう。「人に興味がない」というのがどうしようもない気質なんだと思う。そこを踏まえてないアドバイスは多分あてはまらず参考にならない。「何をしたらいいのかわからない」という焦る感覚も分かるよ。参加したいのに場のルールが分からないんだものもっとも俺は興味が無さ過ぎて空回りすることもそうそう無かったけども。

俺は本来アドバイスできるような立場でないが、たぶん増田より長く生きてきて、それなりに理解した事もあるから無責任に書いてみようと思う。

とりあえず「どんなことを話せばいいのか考える」のはやめたほうがいい。彼・彼女らは何故あんなに次から次へと話題を出して場を盛り上げて話せるのだろうと疑問に思うかもしれないが、話題、つまり「こと」は重要じゃないんだ。冷静に考えれば当たり前だけど、その場で話している行為のもの価値が置かれているんだ。

自分の「こと」を話すのではなく、自分の「感情感覚」を相手と意識的に交換するようにしよう(アイメセージという考え方が参考になるかもしれない)。たとえ無意味馬鹿っぽく思えても感情の短いラリーでいいんだ。だいたい、そんな時人々は「こと」について実は「考えて」はいない。

(多くの人は「そんなのあたりまえだろう」と思うだろうが「人に興味がない」奴にはそこが分からんのだ。奇妙なことだが、言語で表している内容に究極的には意味価値が無いというのが。)

よく言われるテクニックだが何を言ったらいいのか分からない時の簡単な方法は、おうむ返しだ。「おいしいね」「うまいね」そんなんでいいらしい。質問だったら手短に返答して次には質問し返えそう。人々は質問して欲しい時に質問するらしいんだ。あと元増田があてはまるかどうかは分からないが、場面によっては「正しさ」の重要度をちょっと下げたほうがいい。多少誤解があろうと言葉が間違っていようとスルーしていいんだ。

増田も書いていたが、姿勢視線、表情、挨拶のたぐいはちゃんとしているか?相手に向かって開いているのを見せるのは大切だぞ。店で接客を受けた時などに練習するといい。

最後に。「人に興味がない」のは「人、感情」を視野外にして「こと」に他の人よりも集中できてメリットになる事もある。そうそう悪いことでもないさ。

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