はてなキーワード: 複写とは
初手から行くわけないだろ。
アニメ版の小熊は、カブと出会って初めて社会のシステムなんかより大切なものがあるって気づくんだから。まともな視聴者なら、カブへの愛が深まっていくにつれ小熊が無軌道になっていくのがわかるだろ。もちろん、そこら辺のクソアニメとは違うからわかりやすいベタなセリフなんかにはしないぞ?でも、演出を見ていればわかるんだよ。わかんねえ?わかんない自分の無神経さが原因だろ。お客様である事に奢って、自分の無神経さを棚にあげ、デタラメな批判をするなって言ってんだよ。
っつーか、「違和感の代表」とか言うやつって、決まって直前の先生に怒られたシーンは無視すんだよな。そういうステップがあっての、アニメという時間芸術の中で省略された上でのあのシーンだってわからんか?こういう輩は恐らく、画面をまともに見てないんだと思う。音だけで流し見してたろ。
図書館は法律で「料金を取らずに利用させること」って決まってるんだよ。
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000239956
料金を取る場合、法に基づく図書館に認められている「利益」、すなわち著作権の権利制限(著作者の許諾なく著作物の複写物を提供できる)等の利用者サービスができなくなる。
だからっていってスポーツ施設の利用や用具の貸し出しを無償にしてはいかんという理由もないから、自治体やらスポーツ振興団体にその気があれば無償化すればいいのでは。
量子暗号通信の記事で「絶対に解読されない暗号」という触れ込みが登場するたびに「なワケねぇだろ」という反応が飛び交う。
『絶対』というキーワードにはまず疑ってかかるのは良い心がけだけど、誤解も多いので解説したい。
大学で暗号について習うと、まず最初に暗号の安全性には大きく分けて2種類あることを学ぶ。
世の中に出回ってる暗号は大半がこれ。
時間をかければ解けるが、解くのに数百年数千年かかるからまぁ安心ってやつ。
そう表現すると何か特別なテクノロジーのように聞こえるけど、仕組みは大したことない。
・鍵を使いまわさない
たったこれだけ。
例をあげよう。
DOG
暗号方式にはシーザー暗号(アルファベットを任意の文字数ぶんずらす古典的な暗号)を使う。
D→E
O→P→Q
G→H→I→J
EQJ
というわけだ。
こんなショボい暗号すぐに解けそうだが、実際はそうはいかない。
鍵が何であるか分からない状態では、EQJはCATにもUSAにもNTTにもなりうる。
正解を列挙することは簡単だけど、正解と不正解はすべて同列で区別がつかない。
どうにかして平文と同じ長さの鍵を相手と共有しないといけない。使い回しも厳禁。
この、いわゆる「服を買いに行く服がない」のジレンマによって、情報理論的に安全な暗号は現実の世界では滅多に使われる事がない。
いちおう第二次世界大戦の旧日本軍では、複写式のカーボン紙に暗号兵が乱数を適当に書き殴り、その紙を事前に取り交わすことで実運用していたらしい。
そこで量子ネットワークの登場。
量子は観測すると状態が確定してしまう性質があるから、盗聴されても、すぐに検出できる。
量子ネットワークで鍵をやり取りすれば、鍵が漏れた際にすぐ気付けるので、その時点で情報の送信を止めれば良い。なんならちょっとだけ早く鍵を先に送る運用にすれば、一部分たりとも解読される事はない。鍵だけ盗まれても本体である暗号文がなければそれはただの乱数であって、何の価値もない。
このように、量子暗号によって「服を買いに行く服がない」問題が解消され、古典的な情報理論的に安全な暗号が日の目を見ることになる。
1. チタン製品を加熱処理して表面に酸化チタン(TiO2)の皮膜をつくり青い色を付けること。酸化チタンが青い色をしているわけではなく、透明な酸化チタン膜の表面と裏面で反射した光が干渉することによって生じる色である。位相が合い青色を強めあう厚さ(40〜70nm)であるときに青く発色する。膜厚がより薄ければよく見かける茶色に、厚ければ緑や黄色になる。温度ムラにさらされるチタン製マフラーなどでは膜厚差による色のグラデュエーションを見ることができる。
鉄、真鍮など他の金属でも加熱処理に寄る青焼きがある。着色のプロセスは違いそう。
2. 芳香族ジアゾニウム塩と紫外線を用いた文書、図画の複写方法。複写物は青い。普通紙コピー機が普及するまで主流のコピー方法だった。blueprint。
受話器やフロッピーのマークが何を意味しているのか若い世代に通じにくように、コピペという概念も古い物になっている気がする。
これを説明するのは非常に難しいが、若い人はコピペをどう捉えているのだろうか。PCに慣れ親しんだ自分のような世代には、任意の文字列をクリップボードにコピーして別の任意の場所にペーストすること、と捉えている。でもこれは複写・複製の概念だ。どこかに移動させたり複製するために、見えないクリップボードへ毎回一時保存する行程は必要なのか。
クリップボードはとても重要な存在であり、最近のWindowsではクリップボードの履歴も追える。だけど現実には「このエクセル資料を複製する」「この2行をVimで下方に移動させる」「この動画をツイッターでシェアする」ということしか殆ど行わない。コピペというより、複製・移動・シェア・共有の方が現実に近い。
思えばPCが殆ど普及していなかった時代には、紙をコピーすることとはそのまま複写を意味していたと思う(世代じゃないからあまりよくわからないが)
北海道大学にいたころ、同級生や院生、博士研究員の女性は学問分野に差こそあれ女性学やジェンダー論に敏感で図書館で論文複写したり書籍借りたりして、何を読んだか研究室でちょっと話題にしてたりしていた。
教員の具体的な挙措や発話のどこが問題か話題になることもあった。もちろん、特定の学生の「至らない」振る舞いを問題視して、陰に陽に指導したり仲間内で話し合ったりってのもあった。学部生で何も知らない私も色々指摘されて勉強するようになった。ちゃんとできてるかはわからないけど、彼女たちのおかげで勉強する機会が得られた。
今twitterみると、この大学でのやり取りはなんだったのかと思うほど女性論の格調は低い。
ある絵がダメだという根拠や条件などを提示できない。「お気持ち」との批判を乗り越えられない。
それどころか、例えば「お気持ち」って言葉は嫌いです! みたいな本旨とはかけ離れた話を持ち出してきたりする。
それは別にしっかり語ってもいい。だが今そのことは話をしていない。そのことがtwitterという仕組みではわからない。
2週間くらい使ったら、現実世界での実践をしていた方が内外に絶対に特になると気づきそうなものだが、それがわからないのだ。
なぜだろうか。
特定の検索条件をお気に入り登録しておくと、そのキーワードに関する新着出品物が通知される機能がある。
私も例外ではなく、好きな芸能人・Aの名前を「お気に入り登録」しておき、気が向いたときにチェックするのが少し楽しみだった。
ある日、いつものようにチェックしていると、芸能人Aの画像を使いまわし、ある出品物が複数登録されていることに気が付いた。
品名は「芸能人A / 写真 L判★60枚セット」、商品説明は「友人から譲り受けました」とあった。
これには少し違和感があった。
メルカリ等のフリマサイトには、出品者の手元に実際に品物があるということを少しでも明確にするために
「実物の画像を使う」というルールがあるのだが、この出品物には実物の画像ではなく、写真の「画像データ」のみが使用されていたからである。
もし「友人から譲り受けた」のなら、なぜ出品画像が「画像データ」なのか。
ちなみに、実物の画像が無い時点で、メルカリのルールには違反している。
----以下メルカリ公式( https://www.mercari.com/jp/help_center/getting_started/prohibited_conduct/#b8 )より引用----
出品画像として、実際に手元にある商品又は購入手続き後速やかに発送が可能な商品以外の画像を掲載すること ▲
購入前に実物の状態を十分確認できるよう、実際に購入いただく商品の画像を掲載してください。
以下のような違反行為を発見した際は、出品を削除させていただく場合があります。
実物の画像がない
画質が粗いなどで商品の把握ができない
----引用以上----
そして、もう一つ怪しいと思った点。商品の状態が「新品」となっている事だ。
芸能人Aは既に70代である。若かりし頃の写真を新品で売っているのは、せいぜい下町の某店くらいだ。
画像検索してみれば、この出品者が出している写真は全て「雑誌や写真集」「TVのスクリーンショット」等であった。
私はこの出品物を購入していないため、確実に「偽物・複写である」という事は言えないが、
出品されている写真の掲載元である雑誌や写真集は、もちろんL判サイズではない。
既に取引を終えた購入者が残した評価コメントを見ることはできるので、そちらから商品の状態を推測することはできた。
良い、と評価を残した者は
「新品の写真だったが、写真がピンボケのものや、荒いものがあった」
「画質があまり良くなかった」
「本物を期待していたが、やはり複製だった」
悪い、と評価を残した者は
「ピントがぼけていて、写真集やパンフレットなどから転写されたようなものが複数あった」
これで「偽物」であることを判断することもできないが、少なからず私と同じように怪しいと感じた人はいた。
また、この出品者による出品物のほとんどが「複写」と見受けられるもので溢れていた。
そして、販売価格も高額なものでは5,000円と、かなり高飛車な設定がされている物もあった。
せめて、メルカリの事務局に通報してみる価値はあると思い、商品ページから通報をしてみた。
商品ページから通報ボタンを押し、プルダウンで該当する項目を選ぶだけだ。
まぁ、商品ページからの通報というのはあまり意味が無いらしい。
「メルカリ 通報」と検索すれば、ほとんどが「全く対応されない」という文句だった。
何のための通報システムなのか…と若干呆れながらも、今度は問い合わせページから「禁止行為について確認したい」と、メールを送ることにした。
実物の写真がないこと。
出品されている写真は、全て雑誌やTVのスクリーンショットであること。
雑誌はともかく、TVのスクリーンショットは公式の写真として出回るはずが無い事。
実際に購入していない為確証はないが、過去の購入者による評価コメントにも同様の意見があること。
通報しているが、出品者には「出品物が実物であるか」等、確認したのか。
「ご連絡いただいた件は、事務局で確認のうえ適宜対応いたします。
確認内容や対応の詳細は個別にご案内しておりませんので、あらかじめご了承ください。」
なので、これで終わりだ。
正直、こんなモンだろうな、とは思っていた。
メルカリの儲けは、ユーザー同士の取引が行われて発生するからだ。
偽物なら、メジャーな海外ブランドくらいしか対応しないのだろう。
大事なお取引がなくなってしまっては、儲けられなくなってしまうから。
メルカリは最近ユーザー対応に力を入れている、というのを見たことがあるが、
せめて担当者の名前だけでも書いてあれば、少しは違うのだが……。
メルカリでの出品物は、上に書いたような物以外にもグレーな出品物が多く存在する。
きっと私のように好きな物を守るために少なからず通報や問い合わせを行った方もいるだろう。
しかし、事務局の対応がこのままであれば、改善は絶対にしないだろう。
全国に名の知れた企業が、ユーザーから出品された違反物を放置しつづけていれば、少しずつ、確実に信用も薄れていくことだろう。
出品させないためにはどうしたらよいのか。
『創世記』(そうせいき、ヘブライ語:בראשית、ギリシア語:Γένεσις、英: Genesis)は、古代ヘブライ語によって記された、ユダヤ教、キリスト教の聖典で、イスラム教の啓典である聖書(旧約聖書)の最初の書であり、正典の一つである。写本が現存しており、モーセが著述したとされている。いわゆるモーセ五書は、ユダヤ教においてはトーラーと呼ばれている。
9:1 神はノアと彼の息子たちを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちよ。
9:2 地のすべての獣と空のすべての鳥は、地を這うすべてのものと海のすべての魚と共に、あなたたちの前に恐れおののき、あなたたちの手にゆだねられる。
9:3 動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。わたしはこれらすべてのものを、青草と同じようにあなたたちに与える。
9:4 ただし、肉は命である血を含んだまま食べてはならない。
9:5 また、あなたたちの命である血が流された場合、わたしは賠償を要求する。いかなる獣からも要求する。人間どうしの血については、人間から人間の命を賠償として要求する。
9:6 人の血を流す者は/人によって自分の血を流される。人は神にかたどって造られたからだ。
9:7 あなたたちは産めよ、増えよ/地に群がり、地に増えよ。」
日本ではあまり知られていないことだが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は聖典を共有している。最も古いのが紀元前1300年頃から形を取り始めたユダヤ教で、そこから分派した新興宗教としてキリスト教が西暦0年前後に成立している。イスラム教は少し下ってやはりユダヤ教徒の勢力圏で610年頃に成立している。よく「一神教」「多神教」とぼかして言うが、「ユダヤ系」「それ以外」とも言える。
イスラム教においては創始者ムハンマドの預言が絶対、預言を正確に記したコーランの記述が絶対、信徒は肉についてイスラム教徒の指定する処理を施したものしか食べない、といったことはよく知られているが、彼らは『創世記』を含む旧約聖書も「異教徒の不正確な複写を含んではいるが、われらの神からの預言であることは事実である」というような立場をとる。上の引用はその『創世記』9章による。これは「ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が概ね一致して『定義であり正しい』として受諾している文章」なのだ。「生殖は正しい」「獣・鳥・魚は異なるものである」「獣・鳥・魚は人間に与えられた所有物である」「『青草』は『動いている命あるもの』ではない」といったところは(それぞれの宗派において個別に解釈・明確化されているであろうことはさておき)否定されざるものなのだ。
狂信的ヴィーガニズムのドグマは要約すればGenesis 9:1を達成する目的において9:2を根拠に9:3を辞退する、というものだ。彼らの議論は9:3を権利と捉えるか規範と捉えるかとか、そんな辺りであろう。その主張に対して「生殖が正しいとは決まっていない」「人間には農業をする権利などない」「野菜や草やプランクトンにも牛や豚と同じ命がある」と根本から9章丸ごと吹き飛ばす批判を返しても、「すべての宗教が数千年に渡って同意してきた前提に対する批判であり、到底承服もできないどころか、議論する下地すら作れない。笑い飛ばす以外に対処法がない」という対応しか得られないのである。それが正しいか正しくないかではなく、彼らは「俺は旧約聖書信じてないよ」という発言には対応ができないのである。
そしてここは日本であった! ヴィーガンは対応ができず成すすべもなく文の壁を立て(彼らの言語には"wall of text"という表現がある)嘆くのみなのであった。旧約聖書先生の次回作にご期待下さい(完)