はてなキーワード: 中国語とは
攻殻機動隊2nd GiGを見ているんだが・・・・
電脳化とかの話を除いて純粋に政治的に見ると、繁栄を極めていたアメリカが経済的に破綻して、日本に急接近って言う世界。
で、ちょっと思ったんだけど、「繁栄を極めていたアメリカが経済的に破綻」までは、今の経済と同じだよね。でも、アメリカが経済が上手くいかなくなったときに急接近したのは、日本じゃなくて中国。日本は、すでに見放されてます。ある意味、攻殻の世界より、日本の立場ってヤバイんじゃね?アメリカの日本大使も日本については完全な素人の人選だし・・・中国は、中国語ペラペラの超専門家が中国大使になっているのにさ。
もう、これ、日本終わったって気がするよ。
(この手の本を読んでいる人が、読んでそうな本を他にも挙げてほしい)
理系学生の書斎が安藤忠雄の建築事務所(研究所)みたいな資料の山だとしたら、
文系(特に法)学生の書斎は立花隆のネコビルwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
規模だけでなく質でも文系(特に法)は見劣りがするね。
何度か連中の自宅に招かれたから、ちょっと参与観察してみたんだ。
冗談半分でさ。
仔細に文系 (特に法)学生の本棚とか見てみると、これがもう滑稽なんだwwwwwww
まずいきなり机の上に開いた状態の宮台真司『権力の予期理論』!(笑)
プゲラを抑えるのに必死だったぜ。
続いて 何度も読んだ形跡のある伊藤&柴田の司法試験論文対策即席要点集(笑)。
お前サル かよ、それでも人間かよ、って問い詰めたくなったね(苦笑)。
カント・マルクスをはじめとする岩波文庫300冊程度(笑)(日本語であって原文ではない)
我妻民法(笑)佐藤憲法(笑)前田刑法&商法(笑)新堂民訴法(笑)
○○学がわかるシリーズ(プッ)
フーコー『知の考古学』(笑)(「パンのように売れた」ベストセラー)
仏露独蘭伊中国語辞典(笑)
トクヴィル(笑)大江 健三郎(笑)コーポレート・ファイナンス(笑)ドストエフスキー文庫(笑)西尾行政学(笑)
柄谷行人文庫(笑)フロイトの技法(笑)Yale Law Journal(笑)ハンナ・アーレント(笑)浅田彰(笑)『構造と力』(笑)
別冊ジュリスト判例百選(笑)大前研一(ワラ)シェイクスピア文庫(笑)
田中行政法(笑)中公『世界の歴史』(お前高校生かよw)マンデル貨幣理論、(笑)
女子大生(特に法)が読む雑誌と大差ないMarie Claire(笑)
magazine litteraire(笑) Cosmopolitan(笑)Critical Inquiry(笑)
Le Monde(笑)The London Economist(笑) American Economic Review(笑)
Fortune(笑)Foreign Affairs(笑)Yale Law & Policy Review(笑)
The New England Journal of Medicine、Michelin(笑)
これだもんねぇ。
他にも数百冊 持っていたようだがあとは推して知るべし。
で、トドメは
ピーター・ドラッカー(笑)
ピエール・ブルデュー(笑)
フォーリン・アフェアーズ(笑)
知の論理!!(笑)
もう俺その場で大爆笑。
プゲラー止まらなかったぜwww
ま、予想通りだけど、杉浦・ 解析入門(高校4年生の一般教養にはいいかもね)
岩波講座・現代数学の展開 (なぜかモジュライ理論、Lie環、Weil予想、コホモロジーw)
リーマン・アティヤー・岩澤・シュバレー・ヴェイユ・セール・ブルバキ・ウィーナーなど書店で目につくもの(持ってるだけね、知的ファッション)
東京化学同人『分子細胞生物学』(ゲノム解析ブームの名残だろうな)
プリゴジーヌ『散逸構造』(笑)
これだもんねぇ。
他にも何十冊か持っていたようだがあとは推して知るべし。
で、トドメは
日経サイエンス(笑)
ニュートン(笑)
数学セミナー!!(笑)
もう俺、こんな連中と面識あるなんて、恥ずかしいね。
あいつらよく平気で外を歩いてるもんだ。
せめてNatureくらい読めよな、
文系(特に法)なんだからさwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
スラムドッグ・ミリオネアを見て思い出した。
10年前に友達3人でバックパッカーでインドに行ったときに出会った少年のこと。
泊まってる宿の周りにいつもいて何か売りつけようとやってくる、この映画に出てくるスラムドッグそのもののような少年だった。
その少年が来てたTシャツに”東京”って文字がプリントしてあったので、うちらはそいつのことを東京ボーイって呼んでた。
今はどうやって生きているんだろうか? っていうか、生きてるかわからないけど、
映画の主人公とほぼ同じ時代を生きてきたんだろう。
東京ボーイは7カ国語しゃべれるっていってたな、英語に中国語に韓国語、なんか近隣の国の子とがもわかるって言ってたし、日本語もしゃべれてた。
もちろん教育は受けてなくて、観光客相手にしてたら覚えたって言ってた。
オレなんかよりずっとできるやつなのになぁ、って複雑な思いだったな。
ところで2000万ルピーっていくらくらいなんだろう?
俺は元増田さんよりもう少し若い世代なのかな。
というか26です。
特に何か特徴があるわけでもなく、見た目はハーフだなんて分からないと思う。
俺は先のエントリの方々と違って生まれたときから母親は既に帰化していたため、
住んでいたところも普通の団地だったので友だちはみんな日本人だし、
自分も母親が中国人だったとは知らされていなかったので穏やかに少年期を過ごした。
ただ、今思い返すとお正月や旧正月は一般的な日本とは少し違ったなあ、と思う。
保健体育の授業の一環で「母子手帳を持ってきてください」と言われたので
母親にそれを伝えたところ、母は頑なに拒んだ。
その理由を尋ねたところ母子手帳を持ってきて名前の部分(要するに帰化前の名前)を私に見せ、
「おかあさんは、これをみんなに見られてあれこれ言われてほしくないの!」と
泣きながら私に伝えたときだった。
結局私は母子手帳を「忘れた」ことにして授業をこなしたけれど、内心は複雑だったのを覚えている。
「なんでハーフであることを隠すのか」と。
ハーフであることを人に伝えることはなかった。
幼稚園の頃からの友だちが何十人かいるけれど、99%の人間は私がハーフであることを知らない。
言う必要もないと思ってる。
当時の私は小学生だったので、歴史認識も甘かったし、差別があることも知らなかった。
また、中国人の中に日本人をいまだに恨んでいる人がいるなんてことも知らなかった。
でも「戦争をして中国が負けてしまった」ということは授業で習ったので、
そんなことがあってからだいぶ年月が過ぎ20歳を迎えたある日、
何かの拍子で母に帰化について、と母の幼少の頃、と在日特権、と差別について、を聞く機会があった。
その場には父も同席していた。
・帰化について
昔は、帰化するのはものすごーく大変だったそうだ。
申請してから何ヶ月かに一度面接、自宅訪問、旦那がいるならば旦那の職歴、収入、家族構成などなど。
端的にしか教えてもらえなかったけれど、まあそれはそれは大変だったらしい。
加えて、私を生んだ頃の両親はまだ若かったので(父27 母23)収入が厳しく、
周りの人の協力もあって何とか帰化が認められ、無事に日本国籍を取得することになった。
「なんで帰化したのか?」という問いには「そりゃ、日本が好きだからよ」と言っていた。
・幼少の頃について
校内での会話は中国語と日本語が入り混じり、かなりカオスだったそうな。
当然戦争教育も受けたけれど学校がよかったのか、はたまた時代の流れだったのか
まあ、ある程度はされたみたいだけど、母は「いやいや私は日本好きだし」というスタンスだったので
全く興味なかったそうな。強いおかんです。
高校からは一般の高校に通い、そこで出来た日本人の友人とは今でも付き合いがあるようだし、
母自身も高校の友人を一番大切にしているのを知っている。
・在日特権について
これは開口一番ズバッと。
母「んなもんあったらもっといい暮らししてただろうね。
一部の人にはあるのかもしれないけど、かあさんみたいな普通の人には無いよ。
親戚友人含めて、周りでそうした特権を受けてる人も知らない。」
とのこと。自分は幼い頃結構貧しい生活をしていたので、これはそうなんだろうと思う。
・差別について
これは最後まであまり喋りたがらなかった。
つらい記憶を呼び覚ますのも悪いとは思ったけど、言える範囲で教えてもらった。
前述した特権については、それはもう色んなところで嫌味のように言われたらしい。
でも自分達はその特権がなんなのかも知らないし、
祖父母の意向で通名は使わなかった(持ってない)ので、特権について嫌味を言われてもただ困惑していたんだとか。
母は「悪いことしてないのに『お前は悪人だ!』って言われているのが一番悔しかった。」と言っていた。
後はありがちな名前をからかわれたりしたことをぽつぽつ話していたけれど、
何か隠している風があったので、もっとつらいこともあったのかもしれない。
そんなこんなで母の話は終わり、その後父との出会いについて根掘り葉掘り聞いてその日は終わった。
両親が合コンで知り合った仲だったと知ったのはこのときだった。
・名前問題
母方の親戚は私が知る限り30人ほどいるんだけど、帰化している人は少ない。
確か5人ほどだったと思う。
それと、通名を名乗っている人はいない。
せっかく貰った名前を隠すような真似はしたくない、というのが主な理由みたいだけど
親戚の多くは中国人の多い地域(神戸)に住んでいるので、無理に通名である必要もないのだろう。
・日本についてどう思うか
これは、もうみんなめちゃくちゃ好きです。
特に男陣営はプロ野球大好き。
「この子は巨人入団して二年目だな。将来に期待が持てる(キリッ」とか言ってる。
まんま『レベルE』です。
ま、普通のおばちゃんです。
関係ないけどうちのおかんは生ブラピを見たとき泣いてました。あほです。
戦争のことについては、もう起きてしまったことで仕方が無いことだという認識。
というか戦争の話はもううんざりみたいで全然話題にあがらないし
聞いても有耶無耶にされちゃう。
何の差別もなく理解ある人たちに支えられて今まで生きてこれたことに感謝する。
風情のある日本の文化が大好き。
中国の独特の文化も好き。
でも、パクリ文化はよくないよね!
ただ、ネットで嫌でも目にしてしまう中国人や朝鮮人を罵倒する書き込みは
読むと胸がズキッとする。
血統以外は日本製なのに、なんでなんだろうね。
やっぱり胸がズキッとする。
まずは日本の方に伝えたい。
少なくとも、自分と、自分の周りにいる中国人は日本も日本人も好きです。
まあ50人ぐらいしか知らないけど、そういう人もそこそこいるんだってことは
知って頂けるとうれしいです。
文章がなんだかぐちゃぐちゃになってしまった。
乱文ですいません。
■料理
・大根餅
■お菓子
・馬拉糕(マーライコー)
・魚雲酥(イーワンソー)
を是非食べてみてください。
安価でとても美味しいです。
http://anond.hatelabo.jp/20090414170900
何やらはてなで在日が話題になっているようなので、便乗してみる。
私も在日であった。そして、割と成長するまで自分が朝鮮人だという事を知らなかった口である。でも、通名を使用していなかったので自分が外国人だという事は知っていた。どういう事なのかというと、私は自分の事を中国人だと考えており、朝鮮人だとは思っていなかったのである。おそらく、友人も自分を中国人だと思っていたと思う。
何せ名字が「李」で(ちなみに、自分の名前は日本式だった。例だけど、李 一郎みたいな感じ)、周りで外国人と言えば中国人、朝鮮人は一人もいなかった。さらに、我が家の稼業はラーメン屋だった。これで中国人じゃないなんて、ギャグとしか思えない。
朝鮮人だと知ったのは、おそらく中学に入った頃だと思う。どうしてなのか、きっかけは忘れたが、親に「我が家は中国人なのか」と聞いて、帰ってきた答えが「いや、朝鮮だよ」だったのだけは覚えている。その時に思ったのは、驚きよりも「朝鮮ってどこ?」だった。
当時はまだ小泉純一郎も首相になっていない時代だったので、ニュースに興味もなく成績も学校で下の方だった中学生にとって、朝鮮というのは未知の国でしかなかった。韓国の北だよ、と言われてようやく分かった(当時はソウルオリンピックが開催されていたので、さすがに韓国くらいは知っていた。大韓航空機爆破事件も知らなかったほど、当時の自分はニュースに興味がなかった)
そんな感じだったので、朝鮮人だと分かった後も、自分が朝鮮人だと気にする事は無かった。中国人だとの意識も抜けなかった。周りに朝鮮人が一人もいないのだから、朝鮮学校なんて物もなく、私は小学校から短大まで、日本の学校に通った。名字が珍しい事以外、差別をされた経験もなければ、在日だからと同情された事もなかったので、朝鮮人と強烈に意識する事は皆無だった。
家ではキムチが出た記憶が無く、おそらくは他の日本人と同様の食生活だったと思う。休日の昼は必ず餃子とラーメンだったのはご愛敬だけど。親からも、朝鮮人の誇りだとか、金日成の話なんて聞いた事はなかった。今思えば、不自然なくらい、朝鮮の匂いなんて物が無かった家だったと思う。親戚付き合いも皆無と言って良く、自分は祖父母以外に親戚に会った事がない。聞けば、祖父母には兄弟がいたらしいけど、朝鮮戦争のごたごたで亡くなったらしい。
朝鮮人だと強烈に意識したのは、拉致問題だったかな。社会人になっていたけど、相変わらず一部の人(例えば、勤め先の社長とか)以外、私を朝鮮人だと知る人はいなかった。私が、積極的に朝鮮人だと言う事がなかったからだ。何せ、朝鮮人だと言ったところで、朝鮮半島の事なんか、韓国の首都がソウル、北朝鮮の首都は平壌だという事くらいしか知らないのだ。
ただ、通名は使用してなかったので、周りは自分の事を中国人だと思っていた。自分自身、中国語も喋れないが、中国人だとは思う事はあっても、朝鮮人だと思う事はなかった(本気で中国人だと思ったわけではなく、中国人という単語を「外国の人間」という感じで使っていた)。だから、拉致の時も、私は何も言われなかったが、私自身が自分の国籍を気持ち悪いと思った。こんな野蛮な連中と、同一の民族に思われたらかなわない。そう思い、とっとと帰化してしまおうと思った。
こういうと、ひょっとしたら「日本は昔野蛮だっただろう」と言う人もいそうだけど、その時に私は生まれていないのだから、その辺の事は個人的に「どうでも良い」事だ。正直、六十年も前の事をいまさら蒸し返すのは、馬鹿馬鹿しいとしか思えない。
だいたい、親の代から日本に住んで、日本語をしゃべり、日本の会社に務めているのに、日本国籍を持っていないなんて、どうにも不自然で仕方がない。正直、日本が好きか嫌いか以前の問題だった。帰化に関しては、ぶっちゃけ拉致発覚以前から考えていた事だったけど、拉致問題で踏ん切りがついた。
書類が集まらなくてやたら時間がかかったけど、取り敢えず拉致発覚の1年半後くらいに日本に帰化した。名前はそのまま。苦労した割にあまり「日本人になった」という達成感も実感はなく、金がかかって損した気分にもなったが(だって、何も変わってないのにお金は数十万円もかかったんだぞ)、現在私は日本人である。
私の家は、通名を使用していなかったので、外国人だとは知っていたが、在日朝鮮人ではなく中国人だと思っていた事は先述した通りである。そして、以降も朝鮮人としての自我は、全く芽生えなかった。ひょっとしたら、差別をされたら、逆に朝鮮人としての意識も出てきただろう。だけど、幸運な事に、私はそういう機会がほとんどなかった。
ただ、自分が自分を朝鮮人だと思えなかった最大の理由は、それは、我が家に朝鮮との繋がりを示す物が殆ど無かったからだと思う。前にも書いたが、キムチをはじめ、朝鮮の料理すら殆ど食卓には無かったのである。せめて、誰か親戚でもいれば朝鮮人としての意識も育っていたかもしれないが、これも無かった。これは、以下のような理由らしい。
先にも言ったように、祖父母は命からがら朝鮮戦争から逃れてきたらしく、親戚一同は皆殺しになったらしい。
曲がりなりにも同胞に家族を殺されたせいなのか、祖父母は朝鮮に関係する物を意識して遠ざけるようになったらしい。我が家が妙に朝鮮の匂いがしなかったのは、祖父母の教育のせいらしい。殺された親や兄弟の為に、「李」という名字は残しつつ、子や孫(つまり、私や、私の父)には日本名を付けていた。祖父母の話では、日本では意外な事に差別らしい差別を受けなかったらしい。
言い忘れていたけど、ここでいう祖父母は父方の方である。母方の祖父母は、私が生まれる前に亡くなったので、会ったことがない。ただ、聞いた話では、母方の祖父母は父方の方と違って、かなり差別を受けたらしく、意識して日本人と同化しようとしていた家のようだ(母は、例え話として太平洋戦争の時、日系アメリカ人が自分達への差別を無くそうと積極的に米軍に志願したり、アメリカ文化に同化しようとしたのと同じだと言っている)。そのため、親戚からは白い目で見られるようになってしまった。母方の親戚は父方と違って何人か日本にいるらしいのだけど、全く付き合いが無くなってしまった。そして、母親も普通の日本人と殆ど変わらない人間となったのである。ちなみに、母の家は日本に同化しようとしたのに日本国籍ではないのだけど、単純に金がなかったかららしい。母方の祖父母は、晩年かなり身体を壊しており、治療費がかなりかかっていたらしく、帰化費用も惜しかったのだとか。
まあ、こうして、我が家は朝鮮人の家系でありながら、私は朝鮮人としての意識が皆無の人間として育った訳である。
今でも日本人かと問われたら、何となく違和感があるけど(子供の頃は、中国人だと思っていたわけだし)、少なくとも朝鮮人だと聞かれたら、はっきりと首を横に振れる。
ここまで長い文章書いて、何か意味があるのかなとも自分で思ってしまったけど、まあこういう朝鮮人としての意識を最近まで全く持っていなかった在日もいるということで。
元記事
http://news4vip.livedoor.biz/archives/51268536.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://news4vip.livedoor.biz/archives/51268536.html
元ネタの記事
http://post-social.news.tom.com/C50009421316_1.html
…これ、中国の新聞サイト(らしきところ)の記事を観てみると、
http://www.news365.com.cn/xwzx/gn/200903/t20090327_2252701.htm
「昨日上午,湖南郴州市在东风广场召开公捕公判大会,6万多名干部群众参加。56人被公捕,45人被判决,1名犯罪分子被执行枪决。」
自分は中国語が全く分からないので字面だけで判断しているのだが、要は「公開処刑」ではなく「公判」がメインであり、この「公判」で裁かれた被告人のうちの一人への判決として「死刑」があり、それがその場で執行された、と言う話の模様(いずれにせよ出来レースというか、結論ありきっぽいが)。
で、この死刑判決、即執行された被告人が元記事の画像にも出ている「李三秀」という女性だろう。この女性の罪状を検索してみたら、こんなのがあった。
http://www.cz0735.cn/show.aspx?id=8696
これも字面でしか判断できないのだが、怨恨か妬みから近所の幼児を自宅の便所で殺害した、という事件らしい。日本だったら無期懲役どまりだったかもね…。
中国語で怒っている文章をさっき見かけた。何を怒っているのかは機械翻訳にかけるまで分からなかったけど、怒ってる様子はびんびんに伝わってきた。機械翻訳も読み慣れてないからそこまで詳しい事情は分からなかったけど、どうやら騙りさんが出てきて腹が立ったらしいことまでは把握した。
で、それだけならそっかーで流したとこだけど、最後まで読んでいったら、「あのニセモノを見かけても、シカトして下さい!」(妄想に近い意訳)みたいな締めの言葉の後に「謝謝!!!!!!!!!」(ほぼ原文)って付いてて、しぇーしぇーすげーざんす!使いどころ広いざんす!って興奮して、増田ざんす。
日本語だと怒りながらありがとうって言うと、場合によっては嫌味に聞こえるよね。怒りながらと言うか、怒った勢いそのまま引き継ぎながらと言うか。だから怒りの対象が読者じゃない場合、それまで煮立ってても「ここまで読んで下さってありがとうございました」みたいなお礼の文を述べる時はあんま感嘆符とか付かない。少なくとも今まで自分がぶち当たってきた怒り文章はそんな感じだった。
そういう下地があったもんだから、その「謝謝!!!!!!!!!」の勢いにとんでもなく圧倒された。可能なら持ちネタとして使いたいという気持ちにすらかられた。
もしかしたらこの怒れるチャイニー子さんが特殊な使い方してるだけかもしれないけど、そこいらは次に似たようなケースに遭遇してからのんびり調べようかと思う。
本を読むのが早い人は、文字から意味へと直接変換できるらしい から 政治家の演説は何故つまらないかについて
http://anond.hatelabo.jp/20090313013634
漢字の思い込みでの読み間違いのエントリーがあるが、まさに麻生の漢字の読み間違いはそういったことなんじゃないかと思う。
なまじ本とか読んでるから、頭の中でそれが定着しちゃってるのだろう、と。
特に本での読み間違いは、朗読でもしていない限り他人に指摘されることはないだろうし。
本というか文字を読むのが早い人というか、本をたくさん読む人と、そうでない人の違いというのはずばり「文字から意味(イメージ)への直接変換ができるかどうか」にあるのだそうだ。それができるかどうかで、全然読む速度が違ってくる。
そうなると、特に表意文字である"漢字"と言うのは、もはや読み方など関係なく、文字だけで意味を拾えてしまうのでやはりこの場合は漢字の読み間違いなどは関係なく意味が読めてしまう。
これができない……読んだ文字を一度頭の中で再生して、それで意味を読んでいる人にはイメージしにくいかも知れないので例を出すと「中国語と日本語で漢字は同じで意味は同じで筆談である程度話ができてしまう」と言うことがある。このときには発音は関係なく直接文字から理解しているのであるが(むしろ読み方が違うので発音すると通じない)これを常にやっていると言ったらわかるだろうか。
そうなると、一度脳内で読み上げてるとオーバーヘッドがあるなしでは全く読む速度や効率が変わってくるのである。また、音声に変換する手間だけではなく、入力デバイスたる体から脳へつながる神経の帯域幅は、おそらく耳よりも目のほうが圧倒的に広く、入力できる情報量は目の法が圧倒的に多いはずだ。もしかしたらつながっている部位も処理の方法も異なって、直接入力ができる人と、頭の中で描いているイメージすら異なるかも知れない。
パソコンに例えると、ビットを直接ストリームで送れるデジタル通信と、一度音響カプラで音声に変換しなければならない通信との違いと言ったら(一部の人には)わかりやすいだろうか。
おそらく麻生氏を初めとした「意味は読み取れるけど発音すると上手くできない」人はそういう脳の構造になっているのではなかろうか。
もちろん中には異常に高性能で超広帯域でつながった音響カプラを持っていて、脳内で超高速音声通信を可能にしている専用回路を持つ人もいるかも知れない。そういう人はおそらく読み上げる文章を書く仕事をしているのではないかと思う。つまり脳内で言葉の響きをシミュレーションできる人だ。たとえば劇作家とか、脚本家とか、放送作家とか。
日本には答弁書を書く役人や政策秘書はいても、スピーチライターと言うのはあまり聞かない。これは何故かというと、スピーチライターに必要とされている能力が、政策を策定するために大量に文章を読んで咀嚼する能力と、言葉に出して読む、響きがいい言葉を音楽のようにつなげる能力は、わりと相反するからではないだろうか
しかし、日本語は漢字という表意文字を用いる言語である。そのため、政治に携わる者、エリートとして国を動かす者などは、どうしても自然と言葉を頭の中で響きよくシミュレーションする能力ではなく、言葉を意味に直接変換する能力が強くなっていってしまう。意識せずに当たり前に文章を読み、文章を書くと、文字から直接意味を読み取り、意味を込めた文章を紡ぐ。しかしこれではどうしても響きのよい言葉は生まれにくいのではないだろうか。
また、下手をすれば、文章を一度音声に変換してから理解するように、耳で聞いた音を一度言葉に直してから意味に変換している可能性はないだろうか。もしそうだとすると、音から直接意味を拾うことのできる人とは、頭の中で描いているイメージすら異なるかも知れない。また、これだと声に出して呼んでも一度脳内で文字に変換しているため、上手く処理できないのではないか。
さらにこれは、政治家だけの問題ではなく、どうしてもスピーチが堅く強ばったものになってしまう人に共通すると思う。
では、以上の仮説からスピーチをよくするにはどうしたらいいのか。当然それは音楽のように響きを組み合わせてスピーチを作れるスピーチライターを呼んでくる、と言う解決策もあるだろうが、それはすぐにできるわけではない。
ならどうするか。それは、文章を書かない事ではないかと思う。
つまり文章を書くのではなく、ICレコーダでも何でもよい、声に出して文章を作り録音し、それを編集することで原稿を作る、つまり口述筆記だ(いや、この場合は筆記は最後にしかしないのでこ筆記ですらないかもしれない)。こうすれば自然と音声でスピーチが作成できるし、文章を読み上げているような堅い文章にはならず、音声で相手に届くものができるのではないだろうか。
いかがだろうか。
てか、口述筆記したものを音声のまま組み替える(編集する)事に特化したようなソフトってないかなぁ。音声の編集ならDTM系ならいくらでも流用できそうな気がするけれど、アウトラインエディター的に言葉を章にわけて、自由に組み替える事ができたらおもしろいと思うんだけどどうだろう。なにかないかな。
書評:川口マーン惠美 著『日本はもうドイツに学ばない?』(徳間書店)
小生のようにドイツを知らず、漠然とした技術大国=ドイツの印象を身勝手に抱いてきた者にとって、この評論集は新鮮な驚きのパケッジであり、あのメルセデス・ベンツをつくる器用なドイツ人が、他方では奇妙な思考体系をもつことなど想定外のこと。またドイツおよびドイツ人の意外な側面を知り、本書はとても有益である。
一般的に日本人のドイツの印象は良い。いや、良かった、と過去形で書くべきだろう。
森鴎外が留学し、伊藤博文はプロシア帝国憲法を範にとって明治欽定憲法を起草、制定した。ゲーテ、トーマスマン、ヘルマンヘッセ、ワグナー。
手塚富雄、高橋義考という人たちの名訳でドイツ文学にしたしみ、西尾幹二の新訳でニーチェに親しむことができだ。三島由紀夫も第二外国語はドイツ語だった。
大学ではドイツ語を第二外国語に選択する学生は稀となり、中国語へ語学ブームは移った。
日本の戦後政治は混沌としてきたが、ドイツもご多分に漏れず混沌そのもの、いや東西ドイツ統一以後は、旧東ドイツの貧困を旧西ドイツが吸収し、そのためドイツの経済優等生の質が劣化した。さらには欧州通貨統一によって、ドイツ経済は中国に抜かれるほどに疲弊した。米国、日本に次ぐGDP世界三位は北京が獲得した。
ドイツにも政治家の右往左往、右顧左眄、売国奴の跳梁跋扈があり、構図的にいえば、ちょうど日本に売国的媚中派と保守派とに二分され、さらにその保守が真性保守、体制保守、偽装保守などに細分化されるように、ドイツの政治は、ロシアの利益と通底する二流の政治家がいる。
言うまでもなく売国奴的政治家とは、シュレーダー前首相である。
川口さんは舌鋒鋭くこう批判する。
「シュレーダーは首相在任中、毎年中国を訪れたが、当地では、徹頭徹尾相手の嫌がることには口を噤み、大型商談をまとめることだけに心を尽くし、中国人のやんやの喝采を浴びて満面の笑みを浮かべているのが常だった。そして、このシュレーダー外交を、官邸で、裏からしっかり支えていた」男が、後述するシュタインマイヤーというニヒルな政治家だった。
戦後、アデナゥワーは米国と協調したが、ブラント政権で東方外交へ急傾斜をはじめた。そしてブラントの個人秘書は東ドイツのスパイだった。
後継シュミット時代に「ドイツ経済は完全な停滞状態にはいったしまった。それを引き継いだのがCDUのコール首相。行き過ぎた福祉にブレーキをかけ、19990年には華々しく東西ドイツを統一下」(本書140p)
だが、いまやドイツ統一の偉業をなしとげたコール首相は顧みられず、現首相メルケルへの罵詈雑言が左派からなされる。仕掛け人は現連立政権にありながら次期首相の座を虎視眈々と狙うシュタインマイヤーらSPDの面々である。
現ドイツ政権は左右大連立で「十五の大臣のうち8つがSPD」。外交を取り仕切るのは左派なのである。
日本との比較で二点、異なるポイントがあると川口さんは指摘する。
「ドイツには日本とは決定的に違う二つの負い目がある」、それは「ホロコーストと戦時賠償未払い」
東方外交をすすめたブラント元首相はユダヤ人慰霊塔に跪き、ヒトラーを擁したドイツ軍がなした狼藉を謝罪したが、「ヒットラーの率いたドイツと自分とを同一視していない」。
いや一般的にも「ドイツ人政治家の謝罪はヒットラーが起したことに対する謝罪であり、自分や国民の罪に対するものではない」。
つまり「親族に人非人がいたことに対する悲しみの表現のようなものであり、つまり『あいつのしたことは本当に悪いことだった。恥ずかしい、許してくれ』と誤っているのだ。日本は幸いなことに、あとにも先にも身内にこのたぐいの人非人を持たなかった」(本書73p)。
本書にはホーネッカー(旧東ドイツの独裁者)が、旧東ドイツ市民が秘密警察に監視されつつ、生活がうまく行かずモノもなく、途端の苦しみを味わっていても、一人だけ核戦争にも生き残り、モスクワへ逃げる場合に備えた豪華な核シェルターを築いた事実が暴かれる。その妄想ともいえる塹壕が、ドイツ統一後、埋められる前の見学ツアーが行われ、川口女史はでかけて、壮大な無駄と独裁の虚無を見いだす。
それにしても直撃取材のフットワークの良いこと!
また“ドイツの良心”などと左翼ジャーナリズムに持て囃された“ドイツの大江健三郎的な作家”ギュンター・グラスが青年時代はナチの「太鼓持ち」だったこと、シュレーダー前首相がプーチンの代理人のごとき政治屋ロビィストであること、ダライラマとの関係でベルリンが北京へ頭を下げるのも、日本と同様であり、北京とはビジネスさえ旨くいけば中国に叩頭しても構わないと考えているのがドイツ人の大半であること等々。
次々と暴かれるドイツの真相を知れば知るほどに、表題のようにドイツに学ぶことなんぞ、もはや無いという結論が出てくるのだった。
△
清朝崩壊のキッカケとなった辛亥革命は1911年。かくて生まれた中華民国は間もなく四分五裂。混沌・混乱の時代を経て、共産党一党独裁(というより毛沢東王朝)の中華人民共和国が建国されたのが1949年。
つまり40年にも満たない時間の中で、中国人は封建帝国、民国、人民共和国の3つの異なる政体に身を委ねざるをえなかった。
この三代を生き抜いた《怪人》の筆頭は政治家ならダントツで毛沢東、知識人なら陳寅恪。この本は、その陳寅恪の栄光と悲劇の生涯を描く評伝だ。とはいうものの陳寅恪といったところで、その名を知る日本人は皆無とはいわないまでも、限りなく少ないことだけは確かだろう。
中国語で怪人とは、たとえば「怪人二十面相」という言葉から連想される“怪しい人”という意味ではなく、己の信念を実現させるためには天下を敵に回しても構わないという鋼鉄の意志・執念の持ち主を指す。
京劇「捉放曹」の舞台で曹操は「寧可我負天下人 天下人不負我(俺は天下に叛いても、天下を背かせはしない)」と大見得を切るが、この台詞が表現する己を恃む志操こそが怪人の真骨頂。
怪人とて政治家なら権力を握れば、コッチのもの。毛沢東のように正々堂々・公明正大・勝手気侭に「寧可我負天下人 天下人不負我」の世界を愉しむことができる。
大躍進も文革も、毛の身勝手な「天下人不負我」の悲惨な結末だろうに・・・。
だが同じ怪人でも、陳は中華文明の精華たる文史(=文学と歴史)を命を賭して守ろうと任じた精神の貴族たる文士、つまり文化・文明を守護する武士だ。そこで政治家と文士の怪人の激突となる。
1953年、共産党政権は中古史研究所所長への就任を陳寅恪に要請した。
建国から4年。毛沢東が進める政策の「倫理的側面」が盲目的に賞賛され、彼の声望は一気に高まっていた。
であればこそ、そのポストは“毛王朝の貴族”への道を確約するもの。
だが陳は!)マルクス・レーニン主義を信奉しない。!)そのことを、最高権力者が公式に認める――を所長就任条件とした。
文史という中華文化の根幹を支える学問領域には権力者であれ容喙を許さず。文士の怪人たる陳は決然として「天下人不負我」といい放ってはみたが、そんな“我侭”を認めるほど政治の怪人は甘くはない・・・冷徹・峻烈・酷薄・残忍・非情。
50年代後半から文化大革命へと続く疾風怒濤の政治の季節の中でも、陳の志操は挫けない。
広東の中山大学に在る彼は、広東を中心に中国南部で強い影響力を発揮していた陶鋳の厚い庇護を受け研究と教育の日々を送る。
陶からすれば、陳は食客ということか。失明、大体骨骨折による両足切断の悲劇にもたじろがない。
全ての中国古典の一字一句まで刻み込んでいるような彼の頭脳が研究を止めることはなかった。ほぼ寝たきりの彼を支えたのは妻、助手、同僚、看護婦――すべて女性である。
怪人は硬骨漢。
だが朴念仁にはあらず。
頼みの綱の陶鋳が文革で失脚し、紅衛兵の攻撃は堰を切ったように激化。スピーカーのボリュームをいっぱいに上げ耳元で悪罵を浴びせ続けると、陳の「全身に震えが来て、ズボンが小便でぬれて」しまう。
窮状を訴えるが、紅衛兵からの反撃を恐れる大学当局は取り合わない。
69年、惨死。79年の生涯だった。清末光緒十六(1890)年、湖南省長沙の産。
陳のような知識人を産み育て生かし尊敬し畏怖しながらも、とどのつまりは笑殺、やがて封殺・謀殺・愁殺・・・中国の社会は、そうやって続いてきたようにも思えるのだ。
自分とこになんとも言い表し難い変なアクセスがあったから、リファラを頼りに発信元へとお邪魔しに行った。
行き先は、中国語の人や若い娘さんがよくやってるような、無断転載系ブログだった。日本語を話す、そこそこいい年したおばちゃんが書いているものらしく、ちょっと珍しいなと感じた。
「許可を取ったものか、再配布が禁止されていないものを載せています」と注意書きに書かれてあった。無断転載禁止という旨がなければ堂々と転載する、というポリシーらしい。自分とこに関しては無断転載しても良いよとも悪いよとも明記してないので(する事に意義も意味も感じられないので)、まあ転載されるのも妥当ではあるなと思った。
ただ、その転載の仕方が妙ちくりんで、知識が無い(というか半端にあって、そこに妙な自信を持った様子の)ままいじくりました、といった感じ満載だった。そしてそれが変なアクセスの原因になっているようだった。いじった事によってこの人が何かしらメリットを得ている可能性もあると思って小一時間考えたけど、どうもメリット要素を考え付けなかった。
それで、「これはこう貼った方がお互いにとって良いと思いますよ」という自分なりに考えた案を、柔らかめな物腰でコメントした。もしその案を採用してくれればそれで一段落だし、そうでなくとも、実はこれこれこういう考えがあってこのような転載の仕方にした、という返信を貰えれば多少はさっぱりすると思った。
そして一日経ってブログに再度行ったら、その転載記事ごとコメントが消えていた。びびった。
以前、誰かが言ってた、「権利者から YouTube 経由でメール貰って慌てて動画削除したけど、よく見たら『許可するよ』という旨のメールだった」って話をちょっと思い出した。もしかしたら作者である事を明かしたせいで、文章もろくに読まれないまま記事丸ごと削除されたのかなあと思うと、アホやらかしたなあと軽い後悔がこみ上げた。相手が年上という事もあって、いわゆる「上から目線」とは真逆の腰低い態度で接したんだけど、作者ですって言った時点でもう何かずっこい権力振るってる可能性もあるんだと、遅まきながら気付いた。
なんともさっぱりしないままキシリッシュ噛んだら割かしさっぱりしたので、その程度の問題なのかなとも思いつつ日記としては残しておく事にした。今度そういうことがあっても第三者を狙って装うのは気性的に不可能だから、とりあえずその辺の一切を伏せてコメントするようにしようと思う。
中国語よりは簡単になってるじゃん。
■「毒親といふもの、 (と自己責任論)」
http://anond.hatelabo.jp/20090117102440
を書いた増田です。
◆導入・指針・要約
「常に親の都合やニーズが子供のそれより優先する自己中心的な人間で、愛情というものが決定的に欠けている」 = 毒親。
そんな家庭で、軽度の近親相姦をされたりしながらサバイブしてきました。(軽く触れますが、詳しくは↑で)
高校では、毒親による毒親のための毒家族宗教からの脱却を図り、健全な人格を作り直しました。
・・・・でも、まだ序章です。
「あなたは生きる価値がないのよ」というメタメッセージをたっぷり吸って育てられたので、僕の潜在意識は「僕は生きる価値がないんだ・・・」と死にたがっている感じ。
大きく差し支えます。まともな人間関係を維持するのにも、何らかの労働をするのにも。学業にも。
毒親による精神的な影響を断ち切らないといけない。
そしていつかは「今日はカッコウと毒親がにぎやかだなあ、いとおかしや・・・」程度にまで、心を防衛する術を身に着ける必要がある。
毒親と対決して「勝つ」。毒親を扱った本「毒になる親」「不幸にする親」には、そうすることが かつて蹂躙された人格の復権に大いに貢献するといっていました。
(注意:ご自身が毒親と対決される場合、長期的で綿密な計画を立てる必要があります。思いつきで勝てる相手ではないので、専門家か、関連する書籍で味方を作ってからにしてください。)
・・・最初の一手を打って見ました。
◆最初の一手
「親の『言語運営能力』ひいては『思考力』の低さが、(もしかすると無自覚に)支離滅裂な行動に走らせていて、育児に際してとても有害であった。今現在もそうである。」
ということを冷静に母親に言ってみました。 参考書籍や、↑のエントリーでいただいたコメントにとても勇気付けられて助かりました。 ホントにありがとうございます。
◆毒親の背景
前のエントリーでは書いていなかったこと。
・虐待されて育った母、父ともに元チャイニーズorz(ちなみに俺の国籍は日本。中国語カタコト。あたまン中は完全に日本人。)
・母父ともに北京に住んでた。過激な政治抗争の焦点となって、家に暴徒や政府の人が襲ってきたり、
・母の家、書を政府の令で燃やされたらしい。
・母、家での親による虐待+政治的な居心地の悪さから身一つで脱中・来日。25歳くらいのことかな・・・?
・ジリ貧だった。
・・・今考えてみると盛り込むべきだったかも・・・すみません。
・・・同情はしてます。
というか、経済的な支援をしてもらってる段階で僕は親に感謝すべきなのでしょう。 その件に関しては・・・。
でも、これ以上性的な虐待をされるのも、うつになるのも、死にたくなるのも、2年で35キロやせるのも、願い下げ。
◆母はいつも言うこと為すことが支離滅裂だったのに、自覚症状がない。
毒親に関する本をいろいろ読んでみました。
↑のエントリーのトラバで紹介してもらった交流分析の本も読んでみた。id:masuda_oyuriokokさんありがとう。
いくつかある典型的な毒親の特徴のひとつとして、
・「支離滅裂な言動で子供を混乱させる」
・「そして情動的な追い討ちをかけて服従させる」
・「本人にはその自覚がまったくない」
というのがあげられていました。
我が家もこれが当てはまるような・・・
20代後半で日本語を取得した両親は、日本語が怪しい。 ものすごく怪しい。
送ってくるメールのすべてが、日本語崩壊してる。日常会話も怪しい。
せめてネタで「・・・でアルね」とかいってくれれば笑えるものの・・・
さて、そんな本人は今では日本語で思考してるらしい。
「言語は思考・思索の礎だ」というのなら、そんなに危険なことはない。
思考の車輪が、幼稚園児が書いた車の車輪みたいなものでは・・・考えが支離滅裂になりやすくなる可能性がある。
・・・恐ろしいことに本人は(コンプレックスも手伝って)それを認めることはありえない。
◆よろしい、ならばセンター試験だ。
その毒性に対する免疫をつくり、毒親を毒親として扱う情報収集の一環として、母親の論理思考力を点数化してみます。
・・・というか、それを受け入れるのかを見てみる。 拒否されたら、「拒否した」という事実が残る。
センターの現代文は、「論理思考能力」を図るにはとても便利。昨日、国語を受けてきたしね。さっき、現代文のセンターの過去問を母親に渡しました。
実際にやれば母親の論理思考力を測れる。 現代文の100点中、50点でも出れば諸手をあげて喜ぼう。
・・・俺は理系だけど、国語は得意科目。 センターなら満点狙う。
・・・化学に関しては触れんでやってください。
本人はものすごい勢いで拒絶していました。 さすがアグレッシブお母さん。
これが、僕の、初めての反逆。
これでいいのかあまり自信はありませんが・・・・
そしてもうすぐ、毒親から離れての一人暮らしが始まります。 寮で一緒だった友達が近くにいるので心強い。
なんとか「離れて暮らす」ところまでこぎつけることができました。
点数が出たり、大きな進展があったら、また。
その都市では一番大きい国立大学の、留学生用語学クラスにいたんだけど、日本人の留学生にちらほらオッサンがいるのね。
大学生ばっかりだと思ってたから最初は意外だったんだけど、どうやら現地にある某有名日本企業の駐在員らしい。
みんな単身赴任で来ていた。
駐在員で、現地の工場の日本人監督とかやる人は、中国語喋れない人は語学勉強しないといけないらしい。
現地の労働者と意思疎通できないといけないから。
社命で来てるんで、みんなすごく真面目だった。
2年間で検定の●級とらないといけないとか決まってたみたいで。
勉強は真面目だったんだけど、日本人留学生同士で付き合ってるうちに、イヤなところ見えてきた。
当時は五人くらいその企業の駐在さんが学校にいて、内四人が既婚者、一人が独身。
だから厳密には、その一人だけは愛人とは言えないかもしれないけど。
「それ社訓に書いてあんの?」てくらい、ガチで100%、駐在員には現地の女がいた。
留学生寮に中国人の若いお姉さんが出入りし、クリスマスだのイベント時には高めのレストランでデートしてたり。
もちろん、愛人がいることを、我々学生でやって来た留学生達に公言してたから、私も知ってるんですよ。
「言葉を覚えるには一番の方法だよね」とか、
「ちゃんと帰国する時がお別れの時って約束してるし」とか、
かなり開き直っていた。
駐在仲間がみんな同じように女と付き合ってるし、学生たちからしてみれば彼らは大人なので、みんな正面から批判しないしで、罪悪感が薄れてたんだと思う。
でもね、日本から奥さんと子どもが遊びに来るという時があるので、口止めはされてた。
しれっと奥さんを我々に紹介している姿なんか見てると、「チクったろか!」という気分になったものだ。
中国人の女性からしても、ダブルペイ(手当が出るので日本で仕事した場合の倍額くらい給料が出るんだそうだ)でお金持ってて、
日本人(外国人)で優しくしてくれて、というとフラっといっちゃうみたいだった。
みんな、駐在員さんたちの遊び場、つまり女の子が付くカラオケとかクラブとか、そういうお水系の商売してるところで働いてた女性。
思えば幸薄そうな顔した女性が多かったような。
駐在員さんたちは一年から二年で学校終わらせて付き合いもなくなるから、その後彼女たちがどうなったのかは知らない。
学校が終わるとその企業の駐在員さんたちは、大学の留学生寮からホテル附属のマンション(社員寮になってる)に引っ越すんだけど、
留学生寮は狭いし部外者は住めないんだけど、マンションでなら一緒に暮らせるらしい。
それでも、日本から奥さんが来る時はマンションから一時的に追い出すんだろう。
日本人駐在員が、札束で頬をひっぱたくような扱いで、中国人のお水の女性に相手をさせてるなんて話もよく聞いた。
金にものを言わせてかなりえげつない遊び方もしてるとか。
企業名はここでは伏せる。
「お気に入り」に入れるよりこっちでまとめたものをブックマークしておいた方が何かと使い勝手が良いので置かせて頂きますね。
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http://www.yorku.ca/earmstro/index.html
Science of Babies
http://www.youtube.com/watch?v=lkL7Un0t9Nw
http://www.youtube.com/t/captions_about?gl=JP&hl=ja
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http://d.hatena.ne.jp/hapwish/20081214
1、どうせ暇だし規則正しい生活をする。
できれば朝早く起きて運動をする。程よく筋肉があったほうがモテるし。
一番守ってほしいのはこれ。朝早く起きれば一日がすごく長く感じるはず。午前中の貴重な時間をつぶさないためにも
絶対に守ってほしい。ニコ動は朝でも見れる。
あと、大学も1限からあるわけだから高校と同じようなリズムを保つべき。というのもある。
絶対にだ。というか、今やれ。はい。これ読んだら明日からやれ。
終わったらすぐに「やりました!」ってコメントしなさい。
たいした課題は出てないだろ?(どうせレポート4000字+α位)
早めに終わらせたらどれだけ楽なことか。今、ニコ動なんて見るな。終わってから見る。ストイックにやれ。
新学期直前は授業どれとるか考えたり、サークル選びに忙しくなるから。言っておくが、授業選択とサークルは超重要だぞ。
いわゆる『楽しい大学生活』か、『引きこもり生活』かはこの2つに掛かっている。
それに春休みは一般組が受験終わって「カラオケいこうぜ!」なんて誘ってくるから忙しい。早めに終わらせるんだ。
3、どうせ暇だし新書を最低15冊読む。(できればその他含めて50冊)
課題は一日1、2時間で良いだろ?朝6時におきれば課題はお昼までには終わる。×10日もあれば余裕で課題終了。
そしたら午後はニコ動でいいから。どうせ友達は受験勉強してるし、学校はいかなくて良いし。ラッキーじゃん。
そしたら、寝る前で良いから新書を読め。自分が面白そうだと思ったやつでいい。
わかりやすく言うと1週間1冊でいい。そりゃ「1日1冊」とか言いたいけど、本好き以外無理だからね。
新書マニアとか教養を身につけるために今までも読んできたやつは小説でいい。「容疑者Xの献身」とかでいい。
もちろんもっと新書を読んでもいい。
4、どうせ暇だしアルバイトする。
とりあえずアルバイトしろ。もうさすがに年賀状配達の募集は終わっているが年末年始はどこもかしこも忙しいんだよ。
募集してるところはたくさんある。電話かけるのは確かに緊張するけど、勇気を出せ。
大学生はとにかくお金が掛かるから今のうちに貯金しないと悲惨だから。
家で引きこもりがちなこの休みをバイトをすることで否応にも外に出るきっかけを作る。
「勉強しなくちゃ」なんて考える暇があるんだったらさっさとするかバイト行け。
お勧めは「簿記」。マイクロソフトオフィスでも危険物取扱でもいいしTOFELやTOEICでも英検でもいい。
面白そうな資格があればぜひとっておきたい。大学生になったら意外と忙しいから。
今でも「大学生は人生の夏休み」とかほざいてた奴には腹が立ってしょうがない。どこが夏休みだと。
派遣会社は、派遣先から契約を切られて、他の派遣先が見つからないとすぐに社員を解雇してしまうのだろうか?
お前の言う「契約を切られる」というのは契約期間がまだ残っているのにそれを反故された場合のことのみなんだろうな?
契約更新をされなかった人間に対してケアをしろ、なんて言ってないよな?
言っとくが、人材派遣会社っていうのは即戦力になる奴が使うもんだぞ。何の技能も無い奴が使っても不幸になるだけ。そこんところはわかってるよな?
「中国語はこれから覚えます、やる気だけはあります」なんて奴に中国語の翻訳業務なんて任せられんだろ?
なんでそのスキルを身につけさせるための力を派遣会社が貸さなけりゃならんのだ?
その3ヶ月の教育資金はどこが出すんだ?
わからないことだらけだ。