・中学校2年まで、母親に近親相姦(軽度)されていた。俺はノンケな男。
・小5から高1入学まで、周りに日本人がいない英語圏に放り込まれてたこともあって、母親のいっていることは特に疑わずに信じていた。
・最初は摩擦がすごかった。カルチャーショックかと思ったけど、母親に都合よくゆがめられていた世界の解釈がおかしいということだったんだろう。
・母親によって作られた人格は母親のit、マリオネットにしかならないことがわかった。
母親を信仰する、母親による、母親のための、家庭内宗教。 そんな感じ。
・なにかがおかしいとはカルチャーショックとして捉えられてはいた。
・母親に育てられた人格は到底役に立たないばかりか、僕を原理主義的な行動原理に拘束する有害なものだととらえるようになった。
だから人格を作り直すことにした。 徹底的におかしいところを列挙して槍玉に挙げてもらうようにする。
たとえば高校では母親を騙して寮にはいった。「勉強したいから」という口実にした。
内心、母親原理教から抜け出すことは、勉強以上のプライオリティだった。
自分で、自分が再洗脳されるようにする。 毒をもって毒を制し、その上に健全な人格を作る。
旧人格を徹底的に潰す。 「殺す」といってもいい。
・・・・この計画は成功した。僕はもう、毒親のマリオネットではない。
・・・ただ、「毒親」が理由になっていることを認識すること、言語化してそれを捕らえることは一番難しい課題だった。
僕は母親が気に食わないであろうことをすることを本能的に恐れてる。 言語化しようとしても、怖くて怖くてたまらない。
だからいつも、別の口実をつくってきた。
旧人格を壊してる間のダメージは相当なものだった。 2年で、35キロやせた。
その間は勉強はまったくできなかった。 ・・・そのときは、自分の内面的な課題に向き合うのに精魂を使い切っていた。
外界に、他人に、向けるエネルギーは残っていなかった。
うつ病なのかと思った。 抑うつではあるけど、うつ病かははっきりしなかった。
ふとした理由で、「毒になる親」という本に出会った。 ありがとうはてな。
それまでは、もっともらしい理由を見つけないといけなかった。
母親に性的なあれこれや、盛大に釣られて手のひら返してもてあそばれたりしたことが、今の僕を苦しめているのだと立証するすべがない以上、それを口実にはできなかった。
「毒になる親」にはチェックリストがあった。 ほぼ全部YESになってしまって、うれしかった。
これで、僕が抱えてる問題を他人に知ってもらうことができる、と。
・・・・他人に知ってもらう。 信頼関係を築く。
この本を使えばできるかもしれない。 涙が出るほどうれしかった。
少なくとも、親との問題を言語化する糸口が見つかったように思えた。
この本曰く、「常に親の都合やニーズが子供のそれより優先する自己中心的な人間で、愛情というものが決定的に欠けている」ことは、欧米では虐待とみなされるらしい。 20年以上前から。
一方、日本では専門家ですらこの「毒親」に抵抗を示す人が少なくないらしい。 この本の訳者あとがきが正しければ、日本は虐待への認知にかけては後進国らしい。
・・・僕は喜怒哀楽の一部が欠けてる。
喜ぶこと、自分を表現すること、リラックスすること、素の自分を他人にさらすことがどうしてもできなかった。
「公私」の「私」がなかった。 ・・・マネはしてたけど。
・・・いつもいいようのない虚無感と、フラストレーションと、恐怖感に襲われていた。
それは家庭で、母親にも父親にも、怖がること、従うこと、イェスマンになること以外のことをしてこなかったからなのかもしれない。
・・・昨日初めて親しい友達に、「毒親」を中心とする僕の問題を打ち明けた。
・・・友達って、顔色を伺って普通を演じるだけの関係ではなかった。
・・・一般概念的にそうだと認識できていたけど、自分の身でそれが起こるなんて。
初めて、人間と話したような気分だった。
・・・・夜明けは来るだろうか。
・・・自分の子供には、「ふつう」になってほしい。 代々続いた虐待の連鎖は僕が断ち切る。
・・・・僕ができることをしっかり検証して、これから自分の人格を取り戻していこうと思う。
◆追記
この本のいっていることをいえば、「育てられ方が悪かったことに関しては、子供は一切責任を負わない。」
親のせいにできることもある。
それは、心のケアを怠ったことも含む。 虐待というのは、アザが残るような暴力に限らない。
ただし、「真実に向き合い、精神的に独立した人間になり、親が自分にしたことを他人にしないように身を律すること/健全な対人関係を築くこと」は自分でやれ、といってる。
そして「適切にサポートし援助してくれる人を見つけること」。 こういうことが、この本の12章に書いてある。(青い表紙の文庫版のほうで確認)
日本にはおそらく、毒親によって潰されている人がたくさんいると思う。 僕の先輩はその典型だった。
日本は・・特に儒教の影響もあって、立場が強い人に対して矛先が向けられることがあまりない。
つまり、親に問題があるなんて言論は社会的に避けられやすい。
欠陥育児の非を「自己責任」という論説で子供に押し付けるのは、日本の限界なんだとおもう。
大切なのは、育児が子供に何を残したかだ。 親の意思、意図、愛情とはまったく関係なく、親は毒親たり得る。
有害な善意ほど恐ろしいものはないっていうしね。
子供側は、自分の潜在意識にたまってるかもしれないフラストレーションに向き合えばいいとおもう。 それはとても恐ろしくて、心が折れそうになることだけど。
まず、本人が親に立ち向かう決心をしなければいけない。
なんでもかんでも親のせいにしろというわけではない。
「育児」には良し悪しがある。 それによって責任の所在が左右される。
自己責任論で苦しんでる人は、一度自分と自分の過去に向き合ってみたらどうだろう。
この本を持ち上げすぎてる気はするけど、僕は問題を言語化する取っ掛かりを作るのに
http://www.amazon.co.jp/dp/4062565587
この本が役立った。 お勧めしておく。
◆追記その2
読みやすくなるようにちょっと補足いれてみた。
書籍について。
「不幸にする親」という姉妹本を読んでみた。 こちらの方がチェックリストが多いし、うまく整理されているように感じた。
http://www.amazon.co.jp/dp/4062144484
どんなものかを理解するには「毒になる親」がいいと思うけど、抱えている問題を言語化するツールにするにはこちらの方が便利だと思う。
みんな、健やかに生きれるようになったらいい。 そう思った。
◆後日談(随時追加する予定)
○毒親のいとおもしろし国語力測定 (前編)
http://anond.hatelabo.jp/20090118194006
コメントもらって元気が出たので文体が変わっています。
■「毒親といふもの、 (と自己責任論)」 http://anond.hatelabo.jp/20090117102440 を書いた増田です。 ◆導入・指針・要約 「常に親の都合やニーズが子供のそれより優先する自己中心的な人...
http://anond.hatelabo.jp/20090130014910 「義母に結婚に反対され、忌み嫌われながら結婚5年目」 http://anond.hatelabo.jp/20081102194156 元増田の家の事情がこういうこととは限らないけど、たぶん、似た...