2009-04-16

中国人日本人ハーフの俺も便乗したい

俺は元増田さんよりもう少し若い世代なのかな。

というか26です。

俺の母親純粋中国人で、父親は日本人というハーフ家系

ハーフと書くと聞こえはいいけど、アジア人同士のハーフなので

特に何か特徴があるわけでもなく、見た目はハーフだなんて分からないと思う。

まえおき

俺は先のエントリの方々と違って生まれたときから母親は既に帰化していたため、

本名日本名前、生まれも育ちも日本

住んでいたところも普通団地だったので友だちはみんな日本人だし、

自分母親中国人だったとは知らされていなかったので穏やかに少年期を過ごした。

ただ、今思い返すとお正月旧正月は一般的な日本とは少し違ったなあ、と思う。

ハーフを知ったとき

自分ハーフであると知ったのは、小学校5年生のとき。

保健体育の授業の一環で「母子手帳を持ってきてください」と言われたので

母親にそれを伝えたところ、母は頑なに拒んだ。

その理由を尋ねたところ母子手帳を持ってきて名前の部分(要するに帰化前の名前)を私に見せ、

「おかあさんは、これをみんなに見られてあれこれ言われてほしくないの!」と

泣きながら私に伝えたときだった。

そのとき、自分日本人中国人ハーフであることを知った。

結局私は母子手帳を「忘れた」ことにして授業をこなしたけれど、内心は複雑だったのを覚えている。

「なんでハーフであることを隠すのか」と。

ただ、母親が泣いてまで拒否した母子手帳の件があったので

ハーフであることを人に伝えることはなかった。

幼稚園の頃からの友だちが何十人かいるけれど、99%の人間は私がハーフであることを知らない。

言う必要もないと思ってる。

当時の私は小学生だったので、歴史認識も甘かったし、差別があることも知らなかった。

また、中国人の中に日本人をいまだに恨んでいる人がいるなんてことも知らなかった。

でも「戦争をして中国が負けてしまった」ということは授業で習ったので、

漠然とそのことが関係しているんだろうか、とは思った。

帰化差別について教えてもらった

そんなことがあってからだいぶ年月が過ぎ20歳を迎えたある日、

何かの拍子で母に帰化について、と母の幼少の頃、と在日特権、と差別について、を聞く機会があった。

その場には父も同席していた。

帰化について

昔は、帰化するのはものすごーく大変だったそうだ。

申請してから何ヶ月かに一度面接、自宅訪問、旦那がいるならば旦那の職歴、収入家族構成などなど。

端的にしか教えてもらえなかったけれど、まあそれはそれは大変だったらしい。

加えて、私を生んだ頃の両親はまだ若かったので(父27 母23)収入が厳しく、

一度は帰化却下されそうになったらしい。

周りの人の協力もあって何とか帰化が認められ、無事に日本国籍を取得することになった。

「なんで帰化したのか?」という問いには「そりゃ、日本が好きだからよ」と言っていた。

・幼少の頃について

母は中学までは中国教育を受けていた。

校内での会話は中国語日本語が入り混じり、かなりカオスだったそうな。

当然戦争教育も受けたけれど学校がよかったのか、はたまた時代の流れだったのか

日本は悪者だ」という教育はあまりされなかったらしい。

まあ、ある程度はされたみたいだけど、母は「いやいや私は日本好きだし」というスタンスだったので

全く興味なかったそうな。強いおかんです。

高校からは一般の高校に通い、そこで出来た日本人の友人とは今でも付き合いがあるようだし、

母自身も高校の友人を一番大切にしているのを知っている。

在日特権について

これは開口一番ズバッと。

母「んなもんあったらもっといい暮らししてただろうね。

  一部の人にはあるのかもしれないけど、かあさんみたいな普通の人には無いよ。

  親戚友人含めて、周りでそうした特権を受けてる人も知らない。」

とのこと。自分は幼い頃結構貧しい生活をしていたので、これはそうなんだろうと思う。

差別について

これは最後まであまり喋りたがらなかった。

つらい記憶を呼び覚ますのも悪いとは思ったけど、言える範囲で教えてもらった。

前述した特権については、それはもう色んなところで嫌味のように言われたらしい。

でも自分達はその特権がなんなのかも知らないし、

祖父母の意向で通名は使わなかった(持ってない)ので、特権について嫌味を言われてもただ困惑していたんだとか。

母は「悪いことしてないのに『お前は悪人だ!』って言われているのが一番悔しかった。」と言っていた。

後はありがちな名前をからかわれたりしたことをぽつぽつ話していたけれど、

何か隠している風があったので、もっとつらいこともあったのかもしれない。

そんなこんなで母の話は終わり、その後父との出会いについて根掘り葉掘り聞いてその日は終わった。

両親が合コンで知り合った仲だったと知ったのはこのときだった。

周りの在日中国人について

名前問題

母方の親戚は私が知る限り30人ほどいるんだけど、帰化している人は少ない。

確か5人ほどだったと思う。

それと、通名を名乗っている人はいない。

せっかく貰った名前を隠すような真似はしたくない、というのが主な理由みたいだけど

親戚の多くは中国人の多い地域神戸)に住んでいるので、無理に通名である必要もないのだろう。

まあ中国人通名はあんま意味ないしね。

日本についてどう思うか

これは、もうみんなめちゃくちゃ好きです。

特に男陣営はプロ野球大好き。

「この子は巨人入団して二年目だな。将来に期待が持てる(キリッ」とか言ってる。

まんま『レベルE』です。

女陣営はしょっちゅう男性俳優の話してる。

ま、普通のおばちゃんです。

関係ないけどうちのおかんは生ブラピを見たとき泣いてました。あほです。

戦争のことについては、もう起きてしまったことで仕方が無いことだという認識

というか戦争の話はもううんざりみたいで全然話題にあがらないし

聞いても有耶無耶にされちゃう。

最後に

エントリや他の方のエントリを読んで

自分環境人間もとても恵まれて育ったのを実感した。

何の差別もなく理解ある人たちに支えられて今まで生きてこれたことに感謝する。

私は日本で生まれ、日本で育ったので日本が大好きです。

納豆無いと生きていけないし、縁日やお祭は楽しい

正月初詣に行くし、

風情のある日本の文化が大好き。

中国の独特の文化も好き。

結婚式獅子舞とか、春節とか、歴史を大切にする中国は好き。

でも、パクリ文化はよくないよね!

ただ、ネットで嫌でも目にしてしまう中国人朝鮮人罵倒する書き込みは

読むと胸がズキッとする。

血統以外は日本製なのに、なんでなんだろうね。

遺伝子レベルでのことなんだろうか。

逆に中国朝鮮の人たちが日本を罵ってるのを見ると

やっぱり胸がズキッとする。

私は中国に知り合いがいなし中国語はからきしなので

まずは日本の方に伝えたい。

少なくとも、自分と、自分の周りにいる中国人日本日本人も好きです。

まあ50人ぐらいしか知らないけど、そういう人もそこそこいるんだってことは

知って頂けるとうれしいです。

文章がなんだかぐちゃぐちゃになってしまった。

乱文ですいません。

おまけ

中華料理お菓子を食べる機会があったら、

料理

大根

お菓子

・馬拉糕(マーライコー)

・魚雲酥(イーワンソー)

を是非食べてみてください。

安価でとても美味しいです。

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