はてなキーワード: 不謹慎とは
生きてる意味ってなんだ?意味を探して生きれば生きるほど段々年老いて、転職市場でも需要がないし、今いる会社でも存在意義を見出せない。発表苦手、会議苦手、相談苦手。あがり症で3人以上の会議になると、自分が何話してるか分からない。
家族にも叱られてばかり。片付けやトイレの仕方、洗い物のやり方を正しくないと指摘される。私生活も仕事も感謝されたことがないなら、生きる意味あるのか?
生きる意味を探すために生きるとかただの地獄じゃん。みんなこの地獄をどうやって過ごしているんだ?
何年か前、精神の病を患った。死のうと思って道具を購入したりベランダから飛び降りようとしてみたが、都度家族に止められ死ねなかった。泣いて止められた時に「ああ、自分を大切に想ってくれる人がいる。もう少し頑張ってみよう」なんて思ったけど、今思うとしんどい時間が長引いただけだったのかもしれない。
病院に通い治療を経て、なんとか外を歩けるようになり、当時勤めていた会社を逃げるように辞めて転職活動。奇跡的に転職先を見つけて社会復帰を果たした。
なのにまたこれだ、死にたくて仕方がない。
今死んだら葬式とか、家賃の支払いとか、職場への連絡とかを家族がしなきゃならないのか。めっちゃ迷惑かけちゃうな、自分なんかと一緒に生活しているせいで本当にごめんなさい。申し訳なさだけで生き延びて、1日1日をやり過ごしてる。もし我慢できずに死んでも、許して欲しいと思いながら。
コロナ、内閣、不謹慎発言、検査数、不要不急に世の中のみんなが意識むけている中、自分だけが自分のことばかりを考えている気がする。ほんとごめん。
(正直、コロナ騒ぎで好事家がコレクションを手放さないかなーという岡村的発想もあった)
ここ数日明らかに新着出品の傾向が変わってきた
個人の焼き物好きが集めるもの「ではない」有名陶芸家の作品が出回り始めているのだ。
個人がよく集めるのは、だいたい以下のような感じだ
上記に加え
上記に加え
要するに、趣味や家に飾れる範囲のインテリアにはお金を出せても、揃えて10-30万クラスの食器で普段の食事をしようという人はいくらなんでも少ないということ。
陶芸家の方もそんなことは無論承知だから、この類のものはもともと市場に出回らず、ダイレクトに料亭やレストランに卸されることが多い。
で、件の出品群の中には、料亭出品であることを明言しているものもある。
それが手放されるということは、、、悪ければ倒産に伴う債務整理か、もう少しポジティブに受け取ると、秘蔵の食器類を少し減らして当面の運転資金にしようとしているのだろう。
で、落札の傾向を見ているとやはり「個人で集めるもの」にかすっているようなモノは高額で落札されている(例えば大型のお銚子単体とか。一品で持続化給付金くらいになってたりする)が、皿類は低調に見える。