さっきのと、何が違う?
仲間仲間。一度怖くて失神した。以来寝てやる。
多様性を確保するというのは個を尊重するということ。医者は特攻兵のようなもの。滅私奉公できる男性だけがなるべき職業。個を捨て医療の犠牲になると決めた誇り高き人々。個を尊重するなど失礼に当たる。
私はテレワークなら昼休み、出社なら前日にご飯作ってるけど、増田は料理嫌いそうなので嫌かな?個人的には嫌々作るご飯より惣菜とか冷凍食品のほうが幸せじゃないかな?
うちの親はテーブルいっぱいにご飯作る人だったけど、私は早々にあきらめたよ!
ちなみにうちの場合、カレー(ライス、うどん、パスタ)とかシチュー(バケット、食パン、ご飯、グラタン風)は3日ぐらい食べれるよ。
残りの2日は
・ちょっと丼の素
小鉢は納豆or惣菜でよいのでは。ワンプレートにすれば見栄えも良くて、片付け楽チンよ。おかず少なく感じるけど、定食屋もこんなもんでない?
あと冬なら鍋とか、夏なら麺類あたりでなんとかしのげるよ。
世の中を良くしたい、平和に過ごしたい、平等な社会であってほしい……
常日頃から起こる問題を目の前に自分達の理想を実現すべく色々な人達が日々活動している。
特に社会問題の解決という大きな問題に取り組む人々も少なくなく、様々な人が沢山の問題を取り上げ、理想を叶えるべく動いている姿も多々見かける。
しかし、そんな姿ですら、そんな理想ですら、近年は妙に歪に感じてしまう。
何故なのだろう?
各々の想う理想こそが「正義」であり、その理想どおりの形が「正しさ」であり、それを実現するために「正義」と「正しさ」が原動力となって動いていて、それでもって「正義」と「正しさ」の規範から外れたものを淘汰し、正す行為が目立つからそう感じるのだろうか?
多分そうかもしれないと強く思う。
各々にとって「理想」とは意識的にも無意識的にも「正しい」こととしてインプットされており、その「正しさ」で「正す」ことが「正義」となっているのかも。
だから「理想」の通りにならない状況に『正義が怒りを呼んでいる』のかもしれない。
理想どおりにいかない、そうならない人が世の中には多すぎるから、故にその人らを「間違った存在」として淘汰して、定められた「正しさ」で正すのが「正義」であって、それで「理想」を実現させようとしているのかなとも。
──でもそれは正直言って危険だと思う。
おそらく「人を(或いは人の思想を)正しい方向に正せばまともな人間になってまともな世の中になる」的な認識が原動力となっているのだと思うがちょっと待て。
その「正しさ」は、自分自身にある「正しいと信じているもの」は 、自分達の理想が叶った姿である「結果」に結び付く行為かどうかを考えなければいけないのではないか?
理想や正義を持つことは決して間違いではない。間違いではないのだけど問題は理想を叶えるためにどのような手段を使っているかだと思う。
人を「理想通りにするための正しさ」で統制したって「理想通りにするための正しさ」で「理想どおりの姿が描かれているか」に疑問を持つ人間は必ず現れる。
理想を叶えるために「正しいこと」が絶対視されるとしたらその疑問を解消する猶予も無くなれば、視点を変えることで更なる解決に繋がるであろう意見も封殺されることになってしまう。
それどころか「正しいこと」と違う考え、意見等を「間違い」として淘汰する人間も必ず現れてしまう。
結果的に争いの火種を大きくしてしまうことになりかねないのも想像し難く無い。
要するにたった1つの視点である「正しさ」にこだわり「正しいこと」で統制しても『理想どおりの形にはならない』のではないかと、私は考えている。
1つの事柄でも沢山の視点で見る必要があり、解決の為に必要なことを丁寧に分割した上で纏めて手段と手順を組んでいく。
そして『目指すべき結果』にたどりつく為には様々な人の考えとアイデアと意見から多岐にわたる多彩なプロセスを組んでいき個人の現状、境遇、課題、個性等を把握して柔軟に対応できるようにノウハウ及び目的の達成、問題解決の為のフローチャートを構築していくことが必要だと思う。
その為にも沢山の人の沢山の視点による沢山の意見が必要であり、個々で考える必要もあれば人の力を借りることも必要になってくる。
たった1つの視点だけで問題解決と言う「結果」に結び付けることはまず不可能に等しい。
多種多様な視点から見て、多彩なプロセスを組んでいけば、それらの視点を潰す必要も無く必ず問題解決と言う「結果」に結び付けることができるのでは無いだろうか?
もちろん、これは決して容易ではなく、視点によっては懸念点、別の問題点も中には存在する。そんな不安は当然ある。
もし、懸念点、別の問題点があるとしたら、更に深く、細かく情報、手段を見据えていき、「懸念の原因」を解決させマイナスな結果に行き着かせる必要が無い手段や方法等を見出していき、懸念点も払拭できる道筋を組むこともできる。
もしかしたら誤りかけたとしても修復の効く内に修復できる道筋も作ることができるかも知れない。
同じことを繰り返し申し上げると決して容易ではないことであることは重々承知である。
だが、本気で問題を解決したいと、ましてや平等社会の実現と言った大きな理想、社会問題と言った大きな問題に至っては「正しいこと」で正すと言うような短絡的な手段では決して解決できるような問題では無いことだけはハッキリと言えてしまう。
そんな簡単な問題では無いからこそ、問題の「原因」を見つけて、プロセスやステップを細分化しパターンごとに分岐して多彩な状況に柔軟に対応できる形作りを行うことで道のりは険しくとも最終的には問題解決と言う「結果」に結びつき、各々が望む「理想」を形作ることができる。
だからこそ「正しいこと」にこだわる必要は無い。「正しくない」からと言って一方的に全てを否定する必要も無い。
「望む結果にたどり着く為の手段を、ステップを多彩に作っていく」べきであると、そして望むスタンスを、望む道のりを、個性を否定等せずとも「懸念点も問題点も解決できる方法は存在する」し「過ちを犯さずに済む道も必ず存在する」。また「取り返しがつく内にリカバリーを効かせれる手段」も考えていく必要もあるだろう。
視点を変えれば如何なるパターンも問題解決に繋げれる方法を形成することができるし、理想を叶える結果にも繋げることができるはずだ。少なくともそうだと私は信じている。
私も理想を叶えるべく、それに繋げるための道筋を模索し、ノウハウを構築していく1人となり、様々なことを考え何をすべきかを見極め、行動しなければならない。
──その道は険しいが、それでもやるしかないのだ。
アラフォーの俺は1からファイナルファンタジーをやってFF7の感想が詰まんないなーって思ってそれ以降FFやってないんだけど
今の若い人は最初にプレイしたRPGがFF7って人も居るんだよな
当たり前だ
でも加齢をひしひしと感じる
ネットで嘘をついて匿名の自分を良く見せたがる人がいるが、ああいう心理はよくわからない
だって元々ネットなんて嘘か本当かわからないんだから、そこで嘘をついて自分を良く見せても、意味がないと思う
オンラインサロンとか詐欺まがいのビジネスやってる人がカモを釣るためにやるならまだわかるが、
それはリアルなビジネスでの実利があるわけで、ネットで元々虚構の自分を見せてるところで、虚構の自分を飾りたいという気持ちは理解ができない
普段は言いづらいこと、隠し事なんかを気兼ねなく発信してすっきりできる場だ
だから発信する内容は人には見せたくないかっこ悪いことがほとんどだ
ネット匿名ってリアルなダサい自分を気楽に解放できる場じゃないの?
おとなうどんないの?
じゃあなんで医者という倫理観に優れた集団が性差別を許容したんだ?医者は倫理観に優れていて素晴らしいから判断を誤るはずがない。自称「現場の医師」も女性差別をしなければ医療の質は保たないと認めていたぞ。「日本の医療のために差別は必要」「医療のためなら差別も辞さない」これが倫理観に優れた日本の戦士(医者)たちの「想い」だよ。
・社会奉仕…一時期ある分野に頑張ってみたけど、そもそもAという領域に肩入れしてBという領域を見て見ぬふりする事への折り合いを自分の中で付けられなかった。全てを助けるにはお金がなさすぎる。
ビルゲイツすごい。
納税するのは社会貢献ではなく義務でしょ。節税してないことを偉いことのように言われても、「すればいいのに。へー、してないんだ。」としか思えない。
まあ、粗のある釣りなんだろうね。
通常メニューには載ってないので、子持ちしか知らないメニューだと思うんだけど。。
びっくりドンキーのお子さまうどんはそこらへんのうどんより美味しい。
優しい味のおうどんなんだけど、ただ者ではないウマさ。なんか変な粉でも入ってるのかなと思うぐらい謎に美味しい。あれなんのダシなんだろ。
うちの子は小学生になったのでお子さまうどん卒業でハンバーグを食べ始めたのだが、汁物みたいな感じで注文しちゃってる。そしてみんなで取り合いしてる。