ざっと見た感じなので間違ってるかも。
アヴィダル・ロネルはニューヨーク大学の有名な哲学者で、専門にはフェミニスト哲学や倫理などもある。
この件と関係ないかもだが被害者はゲイでロネルはレズビアン。ロネルは相手と自分のことを "gay man and a queer woman" と言っている。
2012年の春から、性的接触やキス、ベッドでねる、性的な内容のメールを送る、メールの返事をくれないと一緒に仕事をするのを拒むなど。
被害者は2017年9月にセクハラ、性暴力、ストーキング、報復行為に関する訴状を提出。
大学は調査を行いロネルに責任があるとし1年間授業停止とした。
著名なフェミニストや学者などのグループが連名でロネルを支持する書簡を大学に提出。
被害者はRonellへの悪意あるキャンペーンを行っているとし、またRonellの学問への貢献や国際的評判を鑑みられるべきだとして、Ronellへの処分や訴えを批判している。
連名のトップは有名なフェミニストであるジュディス・バトラーであるが、後からこの手紙の文言はよろしくなかったと後悔している。
他にも生徒たちによってロネルの重要性を訴えかける署名などが行われている。
この件が重要なのはロネルでなく支持者の書簡のほうで、問題点が二つある。
一つは被害者の悪意を根拠なく決めつけている点で、これはセカンドレイプである。
もう一つは評価や評判をもって処罰を打ち消そうとしている点である。これは公正さを蔑ろにする行為である。
ジュディス・バトラーもそこのところを後から後悔している。
書き急ぎすぎた、訴えた人の動機を決めつけてはいけないし、ロネルの地位や評判をもって特別な扱いを引き出そうとしてもいけない、と。
バトラー程のフェミニストでも、セカンドレイプのようなことをやってしまうのだということは大事である。
決してフェミニズムに疎いから、相手の性を見下してるから、ミソジニーやミサンドリーだからそういう行為をしてしまうというわけではないのである。
どこで忘れてきたのか思い出せないけれど、
いつも他人の目線や評価が気になってしょうがなくなっていたし、
他人に褒められても、それを素直に受け取れなくなっていた
頑張っていない自分は決して褒められることはない、という強迫観念のようなもの。
本当はずっと寝ていたいし、遊んでいたいし、自由でいたいという気持ちが、
それは誰にでもある気持ちだとわかっているのに、
そんな怠け者で劣った自分が本当の姿だ、という強迫観念がぬぐえないのはなんでだろう。
どこかでしっかりと愛情を受け取るべきだったのに、
しっかりとした愛情に触れることなく、ここまで来てしまったのならば、
考えると本当に怖い。
俺が年間5000億円くらい使ってるから、それ、引いといてね
네,그렇습니다!!
これについては評論家岡田斗司夫が的を得たことを言っていたと思う。
曰く、そもそも、役者に必要なのは演技力ではなく表現力である、と。
シンゴジラに出てくる役者の演技がなぜリアルだったかと言えば、役者の自由度を制限することで役者に自由な演技をさせず、制限の中で表現させたから、ということ。
役者に演技をさせてしまうと、役者は各々の頭の中で思い描くそれっぽい演技をやろうとしてしまう、それがドラマや映画での演技が不自然になる原因だと。
これは全く納得が行く説明だった。
顧客を騙す。
上司のつまらないジョークに笑顔で答え、電話口で猫なで声を出して、好きでもないAKBのメンバー名を答えさせられ、聞きたくもないAKBの振り付けをマスター。
俺の魂は今何処まで値段が下がっているのか。
ふざけやがって、テメエの眼の前にいるのは人間だぞ。
そんな社会を生きてる奴らが、竹槍特攻を「怖い時代があったんだねえ」だと!
ふざけんな!
戦時中っていつだ!
今さ!
辛くて辛くてどうしようもないので増田を書いている。
生後6ヶ月で足が立たない病気になり、車椅子で歩行訓練などしてみたがやっぱりダメで、仕方なく家の中で世話をしていた。
はじめのうちは前足をたたんで上半身を起こすことができたから、自分でエサの桶に顔を突っ込んで食事ができた。
でもだんだん関節が動かなくなり、横たわった状態で頭にまくらを敷いてエサの葉っぱやなんやを口に入れてやらないと食べられなくなった。
最後の1ヶ月は食欲がなくなってしまったので、オートミールでおかゆを作ってシリンジで口に流し込むしかなかった。
床ずれができないように、人の介護用ムートンの敷物を敷いて、1日6回寝返りをさせた。(体重が80kgもあったけれど、工夫して一人で寝返りさせられるようになった。最後まで床ずれはできなかった。)
大好きな柿の葉っぱを取るために崖を登ったり屋根に上がったり。庭に柿の苗を3本も植えたりしたけど、大きくならないうちにヤギは死んでしまった。
なきがらは家畜衛生所の職員が来て引き取って行った。「毛並みがいい。大切にされていたんですね」と職員は言った。去っていく車に手を合わせたら、涙があふれてきた。
今、部屋にはムートンマットとおしっこのついたペットシートがあるけどヤギの姿はない。このことにただ呆然としている。
クリクリした目と笑っているような口元でおいしそうにシリンジの水を吸い込む様子を見るのが好きだった。
もっともっと生きていて欲しかった。ずっと一緒に生きようねと言っていたのに。
昨日の昼、血尿が出て医師を呼んだ。点滴、抗生物質、強肝剤など気休め的な治療。そして未明に急変。苦しそうにしていた時間はわずか10分あまり。うろたえてただ後ろから首を抱いて腹をさすっていたらあっという間にこと切れてしまった。呼吸が静かに遠のいていったのである。いまわのきわの出来事は恐れていたほどショックじゃなかった。あっという間に、こちら側から死へともぎ取られて行ってしまった。
さて、これからどうしよう。とりあえず落ち着いたら、大型偶蹄類が足腰を痛めたときの介護のやり方をまとめてブログでも書こうかな。