最近の子は、気に食わないとすぐにオカズを無駄にする。すぐ捨てる。
自分の手元に来るまでに、沢山の人の手がかかってることを全然感謝しない。
ちょっと見ただけや、先入観で「あ、ダメだ」って手もつけようとしない。
俺はそんなありがたみのないことは絶対しない。
22歳だから、同学年は社会人になる歳だから勝負に出ようと思った
僕は彼女と同学年で、22歳の某国立大四年生だ。一応世間的には高学歴とはされている。
今は卒論を書きながら発表のスライドを作って、発表練習をしている。
研究室は悪くない。資金は潤沢なほうらしいし、自分の研究内容だって面白いと思う。
僕の指導教員は若くて優秀だし、指示も的確、コミュニケーションだってとりやすい。人間として好きだ。
学生もみんな親切でやさしい。
言えることはあったんだけど、自分の発言を追求されるのが怖かった。
スライドや発表に対するアドバイスも、良心から言ってくれているとわかってはいるのに
すべて自分の至らない点を非難されているように感じてしまった。
指導教員との談笑のようなディスカッションですらも、言葉に詰まってしまう。
論文読んだり本読んだりして、知識を蓄えたら解消するのかもしれないけれど、
終わらない実験に加えてスライド作りに本文執筆に追われていて、それをする気にもならない。
卒論終えたところで、やる気になるかもわかんない。
周りの環境が悪くないので、自分に原因があるのはわかりきっている。
その他に特に受けなかったのも、駄目だったら大学院いけばいいと思っていたからで。
幸い面白い研究に恵まれ、就職浪人するよりは大学院行ってみようという気持ちに自然になれた。
その間にいろいろスキル身に着けて、少しは魅力的な自分になって
実際親からも大学院に行ってほしいとは言われたし、期待に応えたい気持ちもあった。
今のところ、研究職になる気はほぼないんだけど。
ついでに僕が研究室辞めると、来年度の後輩を指導できる学生がいなくなって迷惑をかけてしまうし・・・。
いままでストレートで来てしまったのもあって一回休み!が怖くて踏み切れない。
22歳、どう勝負に出たらいいのかな。
この時期、いやこの時期じゃなくても人気なもの
それが生牡蠣。
でも、生牡蠣に対する人々のイメージは「おいしい」「あたる」「あたる」「あたる」
と、あたると考えている人が圧倒的に多いのだ。
僕は「生牡蠣が1280円で食べ放題」という驚きの情報を掴み社内に共有した。
世の中にはこのようなリスクを挙げ、生ガキを食べない人がいる。
私はこの考えはあらゆる人生の機会損失につながっていると思う。
生牡蠣を食べることで想定されるメリット・デメリットを一度整理したい。
・メリット
おいしい😋
やすい😍
ノロウィルスにかかるかもしれない💀
お金が減る💸
そして、これらの成立する可能性を「確実」か「不確実」で分ける。
・メリット
おいしい:確実💯
やすい:確実💯
ノロウィルスにかかるかもしれない:不確実❌
お金が減る:確実💯
ここで見てほしい。彼らが恐れているノロウィルスにかかる可能性は
不確実なのだ🤔🤔🤔🤔🤔🤔
加えて、挙げたメリットの2つはすでに享受できることが確定している🙂
一方で確定しているデメリットは1点だけ。
お金が減ることだけだ。
この時、言えることは
最善の状態では、「おいしく」「やすく」生牡蠣を食べられ、1280円だけ「お金が減る」
生牡蠣の美味しさとやすさは、ノロウィルスで寝込むデメリットを上回ることは確かだ😉
なぜならメリットは生牡蠣を食べるその瞬間だけではなく、思い出となりずっと続くからだ🤓
人間は記憶をし、その出来事を追体験することのできる生き物である。😇
僕は1年前に生牡蠣を食べたがその味や店の内装、そして友人との話を4割はおもいだすことができる🤓...く💁🐚😋デリシャス
人々は記憶を持っている。
体験は一過性のものではなく記憶という形でずっとのこる無形財産だ。
それは食べ物と違ってなくならない。
いつでもその価値を発揮できる。
素直に「酒飲んでゲームばっかすんの止めろ。このままだと見捨てるぞ」と言わずに
「私が思う正しい道はこれだ、選ぶかどうかはあなたの自由だけど」
ハムッ、ハフハフ、ハフッ!!
若くて綺麗なわたしには何もない
人生は人それぞれやけど
と言いつつ、
俺はそういう人間とは子供が成人した後も一緒に暮らしていきたいとは思わない。俺に見捨てられて安いアパートでひっそりと暮らすのが嫁ちゃんの老後かもしれない。
俺に見捨てられて安いアパートでひっそりと暮らすのが嫁ちゃんの老後かもしれない。
と脅す。
DVについての特集番組で妻を追い込んでた男のやり口とそっくりだよ。
「お前が自由に選んでいい」「好きにしろよ」と言いながら、自分の期待した通りの選択肢を選ばないとひどいことが起こるとほのめかす。
のぶみ家は、いまだに母親ものぶみ本人も病根に気付いてないというか見ないふりしてるというか、
要するに放置してて、「満たされた無かったボク」を自己解決せずに自我をひたすら拡大させてるのが、しみじみとサイコホラーだなと思うわ
なんで離婚しないんだろう
「あたしおかあさんだから」に号泣したっていう人は色々我慢してていっぱいいっぱいの人で、
反発する人は、そんなに我慢しなくてもまともにお母さんできるから無理に余計な我慢までさせないでって言う人なんでしょ。
色々我慢してる人からしてみたら、我慢することがお母さんでしょ!なんで我慢しないの?って思ってるし、
そうでない人は、ネイルとかスカートとかお洋服とかおかずとか我慢しなきゃいけないことがお母さんなの?違うでしょ?って思ってるってことだよね。
子供のことばっかりでも自分のことばっかりでもなくて、家族全体の幸福最大値を目指してバランス取っていけばいいだけじゃん。
世間のお仕着せが入りすぎてると思うんだよねあの歌。
そんでそんな無理無理に我慢してるお母さんの姿を子供向けの歌にしたら、子供が「おかあさんこんなに我慢してるんだ…」って思って萎縮しちゃうじゃん。かわいそうじゃん。
大人が色々我慢するのは自分の意思でやってるんだし、責任は取る。それは我慢ではない。努力だ。
子供にそんな押し付けがましく我慢してるんだよって聞かせる必要ある?
ママがおばけになっちゃった話も、「もしママが死んだら悲しいよね?だから大事にしなよ」みたいなことは幼い子供に向けて言う必要なくない?