いい子孫が残せそう!
視線を正面に向けたまま
右目でできるだけ左端を見ようと心がけ
左目でできるだけ右端を見るように心がける
瞼を大きく開き
その縁を感じられるくらいに視界を広げ
そのまま辺りを見渡してみると、高解像度の広角動画を見ているような感じがしてくる
景色をより感動的に映し出すことができる
お試しあれ
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53545
1.については正しいだろう。中国経済は急速に拡大を続ける一方、日本の経済は一進一退を繰り返している。
4.については日本のコンテンツ産業を過大評価しているきらいがある。日本のコンテンツもかつて栄華を誇った家電製品と同様、凋落の道をたどるのは確実である。これに関しても色々言いたいことはあるが、文章の主題から外れるためこれ以上書くのは控える。
私はすべての20代を代表して、人生の先輩方であるあなたに言わせてもらいたい。先兵のひとりとして、管理職を務めるあなたに、経営者のあなたに、意思決定権をもつあなたに言わせてもらいたい。
(中略)
出生率のデータを見ろ、大卒初任給平均のデータを見ろ、平均労働時間のデータを見ろ!
おれたち若者は疲れ果て、飢えている。もしもいまのような見当違いの戦略で、いつまでもおれたちを戦わせ続けるつもりなら、おれたちはこんな国から出ていくぞ。
この文章からは、かわいそうな若者vs無知蒙昧な高年齢層という対立構造が見え隠れする。
若者は無知蒙昧な高年齢から搾取を受けた被害者だといわんばかりの文章である。
逆に高年齢層は、昔甘い汁を吸い今は若者から搾取する加害者としてデモナイズされている。
被害者であるがゆえに、加害者と勝手に認識している層に対し呪詛を吐こうが命令に従わなかろうがそれは仕方がないといわんばかりである。
イノセントな被害者としての若者。特定世代に属している人間はすべて純粋な被害者(または加害者)だという言説は被害妄想でしかない。
若者だって高年齢者層から被害を受けるだけではなく、高年齢者層に対し何らかの加害行為を加えて生きているが、そういうことへの想像力が完全に欠落している。
だから、私はあなたに言いたい。頼むから、私たち若者をあなたの愚痴に付き合わせる案山子としてではなく、経済的な鉄砲玉として使ってくれ。
(中略)
20代に機会を与えよ。我々に恩を与えよ。そうしなければ、私たちはもう、日本を捨てて、勝手にやる。それも一斉にではない、能力のある者から順番に、だ。
これを書いた藤田氏はエビデンスに基づき文章を記したわけではない。
ただ中国の深センという一つの都市を訪れ、そこで感じたことを勝手に日本社会全体に敷衍し、天下国家を論じているに過ぎない。
統計などであらわされる社会と、自身の皮膚感覚とは大きく乖離する(そして自身の皮膚感覚の方が間違っている)ことは往々にしてあるが、藤田氏は皮膚感覚を過信している。
加えて「被害者の言うことはすべて正しい」という前提も含まれているように思われる。
この文章の根拠は著者自身の皮膚感覚と被害者無謬の精神の2つだけである。
政策などを推し進めるにあたっては、エビデンスが不可欠である。しかし、皮膚感覚と被害者無謬の精神はエビデンスとしてのポテンシャルを持っていない。
藤田氏の主張する「凋落した日本ではなく中国に行かせるべきだから老年世代は支援しろ」という議論は、著しく根拠に欠ける無理難題である。
話半分に聞くぐらいならいいが、本気にすると痛い目をみるだろう。
この文章にとって、中国の発展について論じた部分は枝葉末節に過ぎない。本質は被害妄想とそれに基づく無理難題の要求である。
若者らしい無鉄砲さといえば聞こえはいいが、この文章を上梓したことによる影響について無頓着ではないのか。
若者がこの記事のせいで被害妄想を持ち、上の世代への敵愾心をむき出しにすれば、社会の分断がさらに進むのは確実である。
こんな駄文を書き散らしたのは自分が藤田氏と同じ1991年生まれの26歳だからである。
読んでいて頭に血が上ったので思わず書き散らした。根拠もへったくれもない駄文未満の代物だが、こういうことを考える人もいるということで読み流していただければ幸甚である。
大変興味深い
「元カノ」の時点で基本的にまずは未練をすべて捨てることからスタートだと思いますよ。なんか分かれる理由があったわけだから。
ほかの女も探しに行って、万が一縁があれば程度のものでしょう。
35歳
給与29万円(額面)
既婚(子なし)
VBAがほんのちょっと使える
家庭の事情で遠くへ引っ越さなければならなくなった。必然的に転職となる。
こんな経歴で出きる仕事なんて限られている。
慎重に選ばなければいけないが、そんな悠長なことも言っていられない。
横綱・白鵬が批判されている。九州場所11日目の嘉風との取組後の物言い、千秋楽の40回目優勝後の日馬富士と貴ノ岩をもう一度土俵に上げてあげたい発言、そして万歳三唱など。白鵬のこれらの行動については賛否両論あるが、批判する側の論理としては「品格が無い」というロジックだ。2010年に引退した朝青龍も同じように品格が無いと批判されていた気がする。優勝が決まってガッツポーズをとったり、休場中にサッカーをやっていたりと。
横綱審議委員会の規則では、「横綱は技量・品格共に抜群でなければならない」という一文があるらしい。技量についてはわかるが、では品格とは一体何か。前述の白鵬の万歳三唱にしても、品格が無いという意見もあれば、別にいいじゃないかという意見もある。つまり品格について明確な定義が無い状態なのだ。そこで、品格とは何かを分かりやすく考えてみた。
横綱に求められる品格とは何かを考えてみた時、それは天皇陛下が大相撲を観戦する「天覧相撲」の場面において、力士のトップである横綱がどんな所作や取り組みをするべきかで考えてみると、わかりやすいのではないか。立ち会い中の横綱の立場に立って考えてみる。自分は横綱であり、そばでは天皇陛下が観戦されている。陛下が見られている前で、張り出しやかち上げができるか? 不本意な負け方をしたとしても、物言いができるか? 優勝が決まってガッツポーズができるか? 土俵外に出た相手力士にダメ押しできるか? 私が横綱だったら絶対に出来ないよ。つまり、そういうことではないか。
日本人だったら誰でもわかっている。陛下が目の前におられるのに、今の白鵬のような取り組みをする横綱がいたらどう思うだろうか。常に陛下が見ておられることを意識しながら、横綱は全力士の模範とならなければならないということである。
そもそも、日本にはそういうどうしようもない村社会部分があった。景気が良い間は、それでも頑張ろうという人を支えることができた。
景気が悪くなった以上、そういう頑張ろうという人に付け込んで仕事を大量に押し付けて、破綻させてきた。
なので、そういう頑張ろうということ自体が誤りになってきている感じがしますね。
アニメなんかよく見るパターンです。起業でもそういうの必死で作ろうとしているのはわかります。
なんかおだててつられて「仕事が好きだから頑張ろう」という人をつくって、でも、むしろそういう奴に後ろから銃を乱射するような社会になってしまってますものね。