某お役所と、某社長もどきのダブルで僕も振り回されたから共感できるところ多すぎ。
「漫画家って何、書きたい漫画がいっぱいわたしは何をしてるんだろう。
版元からこんな仕打ちを当然のようにされてるわたしは本当にプロなの、、、、、、、
編集者に漫画を書かなくていいと思われてるわたしは漫画家って呼べるの、、、、、、」
ほんの半年前の僕ですか、、、、。
某お役所にほんま思いつきでどんどん書類を増やされて、それで開発が完全に止められてるわ、部下への指示もちゃんとできない状態になってる時のことを思い出す。
先生方に助けられて今があるところまで。
僕は文筆業じゃないので、開発で結果出すしかないけどね。
https://anond.hatelabo.jp/20170619170031
「中立性」という存在しないものの幻想に囚われてる白痴がいるなかで、
生活や仕事の利便性でいうと都内住みの不満はほぼゼロなのだが一個だけ我慢がならない事がある。どうしてみんな話し声がデカいんだ。距離が離れてるワケでも無いのにみんなとにかく会話の声がデカい。会社でも駅でも店の中でもどこでもデカい。そんなに大声出さなくても聞こえるよ。ほんとに騒がしくてそこだけは我慢がならん。みんなそんなに耳が悪いのか?ほんとにうるさい。「無音カフェ」とかあったら多少単価が高くても通いたい。
はてブ経由だと、時々開発系SEというかプログラマ向けというか、そういう人たち向けの「チーム運営の仕組み化」みたいな話をまとめた記事がホッテントリに入ってくる。
しかし、自分はあれがどうにも引っかかるというか、正直に言えば不愉快な気分にさせられるのだ。
何故かというと、人間のコミュニケーションや社会性の問題を、仕組みで解決するという発想がズレまくっていると感じるからだ。
てか、コミュニケーションはもっとシンプルで些細なことの積み重ねだと思うんだけど?
言い方を変えるならオートマチック察し合い、あるいはちょっとした気遣いを常に心がける。
それだけのことじゃんか。
プログラマによくあるタイプで、気遣いすら出来なくなるほど仕事に集中してしまうとしたら、それは人として間違っている。家で趣味に没頭してるんじゃねーんだから。
とにかく気遣いを怠れば、厳然たる事実として、周囲からの好感度は確実に下がる。
そして好感度がマイナスに転じた時、何をされてもおかしくない状態になる。
だって普通に嫌われてる状態だからな、嫌われてるってことは本来だったら「この人にどう良くすればいいか」が裏返って「どうやったらコイツを痛めつけられるか」を考える心理状態だからな。
しかも相手に言わせれば「今まで散々ムカつかせやがって、これはそのお礼だ受け取っておけ」って話だし。
具体的には、男性の同僚からはかなり粗野な対応をされ、女性の同僚からはガミガミ言われる対応が常態化するだろう。
ホッテントリする記事は、そこら辺の事情を踏まえて書いているとはとても思えない。
どうしても記事にするなら、まずは「仲間を気遣えないやつは半人前」って所から出発しないとダメだと思う。
そもそも技術者が技術を持っているのは当たり前であり、それだけで稼げるほど世の中甘くない。
そういう意味で記事にする意義までは否定しないが、なんかああいう記事って、「仕組み化」を盾にして上に書いたような本質から逃げてるようにしか見えないんだよね。
てか、あのくだらないテクニック()を実践して上手く行った組織なんてあるのか?あったらお目にかかりたいわ。
…なんて書くと「だからその気遣いを仕組み化・ルーチン化」とか寝言抜かす奴が出てきそうだけど、それ完全に間違ってるから!
だって、彼女や奥さんへの気遣い的言動をルーチン化したとして、それで相手が喜ぶと思う?百歩譲って、ルーチン化してることがバレないよう必死になると思うのだが。
障害では無いのではって研究者も居るけど、いじめられっことか引きこもりみたいな事になりやすい、現代社会で生きて行くのにリスクの大きな特徴を生れつき持っているのは確かなんよ。
ネトウヨは日本が好きで日本のためを思っているわけじゃなくて、”世界でも地位を確立している日本人である自分”というアイデンティティを否定されたくないだけというのが所感
こうとしか言えないなあ。
まあ自分が貢いだ相手は同性だったり故人だったり、個人が持つ技能や作品だったりと、おおよそ出した金額以上のリターンは望めないものばかりだった。
たとえ自分の期待が裏切られたとしても、その浪費が自分の責任によってなされたことであると自覚できていた。
自分は異性、それも歌って踊れる10代の女性に金を使ったことは一回たりともない。
故に、貢いだ人の心情や期待なんてわかりようがない。
最大限に想像を働かせて、クラウドファンディングで投資した映画が、金を返さずに夜逃げした、みたいなものだろうか?
結婚は、当事者が合意している限り否定しようもなく喜ばしいことである。
個人の幸せを、大枚叩いたからとて否定できる権利など何者にも存在しないことは論を待たないだろう。
メディアの言葉を借りるなら「国民的」であり「身近な」アイドルである。
国民的な存在は幸せになれないのか。身近な友は結婚を語ったりしないのか。
つまり彼女らを肯定するのなら、彼女らが断じて浪費した個々人のものではないことを認めていることにならないのか。
しかし彼女らを叩くのは、彼女らののあり方を散々肯定してきた彼らなのである。
「わざわざ障害っていうのどうやろか」とか
まー、そういう場面見たこと有るが
発達障害てわざわざ言うのどうやろか?
社長もどきと言ってるのは、法務局に登録はしてるが、作って売って、利益を出してというサイクルをまだ回せてないから。
ウェーイ系起業家でも、キラキラ起業男子とでもいいかもしれない。
とにかく批判されたらその場しのぎのことをこなすだけの嘘をつく。
そのくせ自分は凄いんだぞという、周りの迷惑を顧みない事象ばかりする。
自分が可愛くて可愛くて仕方なくて、でも自分が傷つくのが嫌だ。
ミスを踏まえて行動を変えるのは、自分が完全な人間じゃないと認めるようなものだから恥ずかしい行為だ。
脳の気質の問題じゃない。恥かく覚悟が出来てない。それで頭の一杯自分を認めてくれという欲求でいっぱい。
恥をかいて直していけばいいのにね。
佐倉さんも、僕も、そういうやつでも甘く見てしまったのが悪い。
そういう姿を見たら本当に佐倉さんのおじいさんが言うように
「そうなった(逃げるべきだと判断した時)には逃げることに躊躇するなよ」
だな。やはり、年の功だなと思います。
「お人好しは見栄っ張り。」「お人好しとは良し悪しの判断ができない人」(野口誠一)
佐倉さんもお人好しなんでしょう。いろいろあったから、回りに指弾されるべき人でも優しくしたいんでしょう。
ただ指弾されているだけでは、本来そう指弾されるほどの理由もない人も多いのも世の中事実。
だけど、やはり自分可愛さで迷惑をかけるのを厭わない人種は一定存在する。そういうやつからは逃げないとならない。
ぼくも、あのクソガキ社長もどきの姿がちらほら見えるし、被害妄想と言われようが、怪しいレベルででも、全力でオレも逃げないとな。
素質があるから変わるかなと思ったけど、こちらがボロボロにされただけだ。しかも逃げようとしたら回りの人間まで巻き込んで小細工ばかりしてきやがる。
ついでに結構な数の人も切らないとならないけど仕方ない。