こうとしか言えないなあ。
まあ自分が貢いだ相手は同性だったり故人だったり、個人が持つ技能や作品だったりと、おおよそ出した金額以上のリターンは望めないものばかりだった。
たとえ自分の期待が裏切られたとしても、その浪費が自分の責任によってなされたことであると自覚できていた。
自分は異性、それも歌って踊れる10代の女性に金を使ったことは一回たりともない。
故に、貢いだ人の心情や期待なんてわかりようがない。
最大限に想像を働かせて、クラウドファンディングで投資した映画が、金を返さずに夜逃げした、みたいなものだろうか?
結婚は、当事者が合意している限り否定しようもなく喜ばしいことである。
個人の幸せを、大枚叩いたからとて否定できる権利など何者にも存在しないことは論を待たないだろう。
メディアの言葉を借りるなら「国民的」であり「身近な」アイドルである。
国民的な存在は幸せになれないのか。身近な友は結婚を語ったりしないのか。
つまり彼女らを肯定するのなら、彼女らが断じて浪費した個々人のものではないことを認めていることにならないのか。
しかし彼女らを叩くのは、彼女らののあり方を散々肯定してきた彼らなのである。