いやタイトルと通りなんだけどさっき見てきたけどすごいよかった
良かった点をなぐり書きしてみる
なおかなりのネタバレはあるのでこれから見たい人は注意。読まないように。
まず映画見終わってからの第一印象はすばらしいCG技術だけではなく脚本がよく練られた映画はだったということ。
各々のキャラクターにそれぞれ一貫した役割が存在しすばらしく非常によく描けてる。
様々なキャラクターがそれぞれ役割を持って舞台を演じ、リアリティがあるのでのめりこめる
そして泣き笑い一緒に葛藤できる、それが良かった
頭が良くて才能を持て余していた弟が兄の死をきっかけに
彼が作ったロボットを通して兄の死の真実を知り人間的に成長していく
そんな話だ
で、この映画でもっとも注目するべき点は主人公の人間的な成長だ
映画監督はその点に最大の力点を置いてキャラクターに役割を振ったように思える。
まず主人公の弟について。
彼はすごく頭がいい。それこそ天才的なロボット工学のセンスをもっている。頭もいい。
しかし彼がそのありあまる才能を利用する対象は常に「自分」だ。
お金儲けをするため破壊衝動を満たすため知的好奇心を満たすため。
そしていつも周りに迷惑を掛けている困ったさんだ。
一方で主人公の兄。
彼は弟に比べたらすごく凡人だ。
これといった才能もないしロボットの知識も弟に比較して全然ない。
ただし彼は主人公にない物をただ一つだけ持っている。
それは何か?
他人を思いやる心だ。人を助け合う心。それは弟には決してないものだ。
まず彼は自分の弟を思ってる。
自分の弟の才能を適切な道に導こうと、くすぶってる彼をなんとか羽ばたかせようとする。
そして教授を助けるために無謀にも火の中に飛び込んで命を落としてしまう。
彼は優しい心をもっている。
ベイマックスは決して人を傷つけない。
なぜなら兄は破壊衝動を満たすためではなく知的好奇心を満たすためではなく人を助けるためにロボットを作りたいと思っている。
彼の関心や興味は全て他人へ向いている。
力だけでは決して手に入れることのできない強さを持っている。
そんな兄がベイマックスを残して死んでしまった。一人残された弟。
途方に暮れた弟はどうするか?
自分の破壊衝動や復讐心にとらわれベイマックスを改造し兄を殺した犯人を捕まえにいく。殺しに行く。
改造で強化されたベイマックスは彼の心をそのまま映しているように思う。
いやそれは違うだろう。
「人を幸せにする」という本来のベイマックスの役割を理解する。
それは助けるためだ。
そして今まで気付かなった点に気付くようになり、復讐が本当の目指すべき道ではないことを知る。
この映画は典型的なヒーロー映画のように見えるが、実のところ本当の悪役は基本的にいない。
一方的に善と悪を対峙させてお決まりのパターンでヒーローが勝ち町に平和が訪れる。
そんなストーリーでは決してない。
一点の迷いもなく自分の身を呈して人を助けようとする。
それは燃え盛る炎の中で教授を助けに迎えにいってなくなった兄の姿と重なるようであった。
そしてベイマックスとのお別れ…
それはただ単に力が強いだけ、頭がいいだけでは得られない本当の強さだ。
そんな成長を遂げてエンドになる。
細かいところはちょっと違うかもしれないがこんな感じの映画だった。
すごくよかった。
もし万が一、佐々木希クラスに可愛かったとしても、馬鹿は嫁にしちゃいかん。
ブスが美女とセックスしたっていいし、ブスがイケメンとセックスしたっていいはずだ。
そこらへんの道路でババアが若い男に跨って腰振ってたっていいはずだし、中学生ぐらいの男の子がオバサンのおっぱいに顔を埋めていてもいいはずだ。
おかしい。なぜそうなっていない。
ちんこが好きすぎる話かと思った
壊れたまま文句言わずに使っているのは3流。
『パソコン変えなくてよいです。』というのは、『僕は仕事の成果を出す自信がありません。』と、言っているに等しい。
こういう奴に限ってパソコン壊れた時に『大切なデータがあるんですがどうしたら良いでしょうか』と言ってくる。
古くて遅いPC使って、ちんたら仕事するより、変えるものは変えてバンバン稼ぎましょう。
前に勤めていた会社は上司が定期的に気を利かせて新しくしてくれた。
上司に言え。
必要あれば説得すべき。
説得できなければ2流。
言いもしない奴は3流。
そりゃ嫁さんの化粧がケバいだけでは
そりゃ普通は言わない。
言った相手に煙たがれるだけだもんw今のあなたみたいにさ。
あなたがそれを知らずに非常識な行為をして外で恥をかいても自分はなんの損もしないのに、言うわけない。
あえてそれを言ってくれるってのは有難いことなんだよ。
無言で釣られるのが恥ずかしいのかね?
顔の見た目を整えるのが化粧の役目なのかなあと思ってるんだけど、
化粧成功なはずの整ってる感じがなんか怖くて正視できなくて半歩下がってしまう。
外で出会う化粧してるとわかる女性には無条件にビビリながら接してて、
テレビで女優や女子アナの顔がアップになると、怖くてちょっとのけぞってしまう。
化粧して「どや?」とか聞かれたりもするけど「なんか整ってて怖い」って思いつつ「キレイに見えると思うよ」とか言う。
心理学者や社会学者のオバサンには向かわない。あくまで若い女に救ってほしい。
しかし若い女も若い男と同様に苦しんでいて、誰かに救ってほしいと思っている。
だから「無償で救ってくれ~セックスもさせろ~」とゾンビのように寄ってくる若い男の手を振り払い、オッサンに向かう。
全てのオッサンがモテるわけではない。貧乏で精神病のオッサンは気持ち悪いだけである。
あくまでオッサンの見た目はマイナスだ。人を救えるだけの金銭的・精神的ゆとりがモテているのだ。
ゆとりのあるオッサンと、救ってほしい若い女とでは、お互いにとって利がある。
「若い身体」と「カウンセリング」を交換しているのだ。両方、金で買おうと思えば高額だ。
ゆとりのあるオッサン側が、若い女の身体や、いつも同じパターンになる会話に飽きたり、
救ってほしい若い女側の目が覚めて「この人、神様じゃなくただのオッサンだった」と気づけば、
お互いにとって利がある状態はなくなり、関係も解消される。
呆れるのは、自分のことでいっぱいいっぱいの苦しみの最中にいる若い女に対して、
「救ってくれ」とすがりつき、手を振り払われて若い女を憎悪する若い男である。
彼らは若い女に「若い身体」と「カウンセリング」をセットで無償提供することを強要する。
なぜかそれが得られることを当然の権利と思っており、得られないと女を憎悪し始める。
若い男は本当に意味不明な存在で、してもらえることが当然と思っている。
「返報性の原理」という、人から何かしてもらったときに何かお返しをしたくなる心理があるが、
これを持ち合わせている若い女は多いのに、若い男だとまるで居ない。
友達が一人も居ない人間も、女より男に多い。これは「返報性の原理」が働かない人間が男に多いからだと思う。
親に用意された最適な環境しか知らないから、他人の労力があってのその環境だということに気付かず、
「お返しをしないと」という心持にもならない。だから同性の友人からも「なんだアイツ…」と思われ、
「アイツとは共同作業をしたくない」となり、距離を置かれていく。
そして孤独と貧困に苛まれるようになり、全てをリア充・女・韓国人・団塊などの責任にして憎む。
若い男にも若い女にも言いたいのは、他人に恋愛とカウンセリングをセットで無償提供してもらえることを期待するのをやめろということだ。
「セットで無償提供」を期待している若い女は、身体目当てでカウンセリングしてくるオッサンやナンパ師にハマるし、
「セットで無償提供」を期待している若い男は、若い女に気持ち悪がられて蛇蝎のごとく扱われ、精神病がどんどん悪化する。
カウンセリングに金を払え。恋愛は、精神の問題が解決してからにしろ。
精神の問題を無料で解決してくれる素敵な異性が、自分だけにプッシュで来るなどとは思うな。
待つ女にはろくでなしがやってくる。待つ男には誰もやってこない。
追記:
kash06 だが思うに、与えられた事のない人が、与えるだけの余力を捻出するのはどうあっても難しい。…敢えて言えば、神は先に与えて下さった「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう」(使徒行伝3:6)
「与えられた事のない人」は存在しない。
人は魚類などとは違って、自力で育つことは出来ない。人の手助けが無いと、たちまち死体になってしまう。
ではなぜ「与えられた事がないと感じている人」が数多く存在するのか。
その理由は、人に与える経験をしないと、人に与えられていることに気づかないからである。
飲食業のバイトを経験した者が、客として飲食店を利用したときスタッフに丁寧に接するように。
飲み会の幹事を経験した者が、もてなされる側になったときに幹事に感謝の気持ちを持てるように。
旅行のセッティングを経験した者が、もてなされる側になったときに感謝の気持ちを持てるように。
子育てを経験した者が、親がどれだけの労力をかけて乳児だった頃の自分を育てたか知るように。
人に何かを与えた経験が、与えられた環境への具体的な気付きをもたらす。気付けるから感謝が可能になるのだ。
感謝をしないのは、与えられたことが無いからではなく、与えたことが無いからだ。
与えたことが無い人間は、開発に無茶振りをする無知な営業のようだ。
開発にかかる具体的な労力を知らないから、労力を極度に低く見積もるし、出来にケチをつけるばかりで感謝が無い。
「与えられた事がない」と感じるのは、与える能力が無いからなのかもしれない。
それなんかの病気じゃね?糖尿とか。
ほんとわかってねーな