【公式】「すべての人生が、すばらしい。」リクルートポイントCM (120秒) - YouTube
2014年2月の東京マラソンの際に放映されていた長尺のCMだ。社名を伏せたままマラソンの様子を映し続けて「人生はマラソン云々」といったナレーションが続く。視聴者の興味を惹ききった最後になって「リクルートポイント始まる」とアナウンスされ広告主はリクルートと分かるよく練られたCMだ。
制作者によればこのCMは「人生のゴールはひとつじゃない」「人間の数だけゴールはあるはずだ」「多様な人生の多様な可能性をすべて応援する」リクルートのフィロソフィーを表現したものだという。
だが上記で挙げた通り各方面から高く評価されているという訳ではない。そもそもリクルートのイメージがあまり良くないのだ。「就職活動を混迷化させてごめんなさい就活ビジネスから撤退します」位の大胆なCMを流さない限りイメージが良くなることはないだろう。
私には交際している人がいて、自分では普通に交際していたはずなのだけど、いつの間にか周囲から変な目で見られるようになった。
中には交際していた相手しか知らないはずの割と恥ずかしいことを他の人に言われるようになって、
交際相手を問い詰めてみても、「関係ない」「証拠がない」「知らない」と何度も言われ、結局その段階で交際自体をやめることになった。
ここでは私からフった。
その時は社内恋愛って難しいんだなぁ〜くらいの気分だったし、一つ懸案事項がなくなったと思って安心していた。
そして、二三日しないうちに私が所属していた部署の異性の目が一斉に厳しくなって、割と仲の良かった人に聞いてみると私が他部署の複数人と
関係を持っているみたいな話になってた。同性からはなるべく関わらないようにしようとする空気を勝手に感じてここでは自分で孤立してしまった。
話に上がった他部署の人は結構おとなしめな人ばかりで、私が巻き込んだみたいな空気だし自分からはどうも弁解してくれないし、
自分の上司からもあんまり好き放題やって会社に迷惑かけるな見たいな論調で諭される始末。
この辺りからどうしたら良いかわからなくなって、社外の友人に相談したところ、
見たいなことをアドバイスされて会社のハラスメント相談所?みたいなところに行ってみるも、痴話喧嘩扱いで全くとりあってくれない。
(一応カウンセリングみたいなのを勧められはした…)
社外の相談所に持ち込むもやはりセクハラとするのは無理があるような言い方をされる。我慢しろみたいなことをいう人までいた。
結局孤立してしまったこともあり我慢できず、結局これがセクハラなのかそうじゃないのかもわからないままに数カ月後経って
会社をやめた。
セックスレスを解消したいんじゃないとしたら、そのままでいいと思うんだけどな…。
人による!の一言に尽きることではあるけども。
いろいろ書きたくなった。カキタクナッタ。
増田さんの意思とは別に夫さんも解消しなくていいと思っているんだろうか。(これ大事)
多分夫さんは解消したいと思っているんじゃないだろうか。
年齢にもよるのかもしれんけど。
ちょっと探りをいれてみたらどうかな。
キャッキャすることがあるなら
くらいのことは訊くタイミングあるんじゃないかな。
流れで
「しなくても平気なの…?」
「まさか、外でしてんじゃないわよね?」
ってくらいまでの話ならそんなに照れずに行けるんじゃないかな。
(そういうことじゃないといいよね)
冷たくあしらったりしたことあるかね。
もちろん人によるけど。
誘い難くなるというのは大いにあり得ると思う。
かといって毎回受け入れられる必要もないけどね。
多少は気を使ってあげてもいいと思う。
で、大分話は戻るけど、
解消してもしなくてもいいなら、
解消できるうちにしておいた方が良いと思うわ。
年月が経ちすぎるとどうにもできなくなるからね。
(既にそんな状態ではないことを祈る)
だらだら書いてしまってけど、
訊いてみた方がいいと思うわー。手遅れにならないうちに。
誘いやすい雰囲気作るくらいはたまにはしてあげてもいいんじゃないかなー。
「セックス後にどうやってコミュニケーションをとるべきか」は、
(とるべきかどうかでいったらとるべきだと思うよ!)
ああいや、俺は結婚はしてるけど子供は趣味じゃないからいないってだけ。
でもそうやってると社会(親族や周りの人々)からは常にぶっ叩かれるので、色々めんどくさいわけで、そういうのを全く受けずに生きていけるのは羨ましいなあと。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%EB%CC%CA%DB%A4%CE%A5%AC%A5%A4%A5%C9%A5%E9%A5%A4%A5%F3
なんだかわからないラ行や針目縫を受け入れればいいのに
よくある「いい人理論(自分にとって都合のいい人理論)万事解決原理主義」だ
これ支持してるやつは
「混沌とした世の中」だから「目先のシンプルさ」にかどわかされたンだろーなあー
「多様性」つまり「なんだかわからないもの」を是とするならシンプルは敵だぜ。
まさに
なにより自分の体験から考えても子供というのは大人が自分に対して抱いている感情に非常に敏感なので、「叔父は自分に関してプラスな気持ちを持っていない」などと思われるよりは、「叔父は変わり者なので家族と会うことがない」くらいに思われていた方がよほどいい。
この考え方は素晴らしい
目から鱗が落ちた
相手とのマッチング次第で世間からは後ろ指さされることでもOKになるし、
そういうのを受け入れてくれる相手を探したらいいのでは?
別の業種に手を出しつつ、生きながらえてると思うけどねえ
今のビジネスは終わってるかもしれんが
その辺の予想が欲しいんだけどなあ
のが約三年前。
年末年始および家族親族が集まるような場所に僕が一切出席しなくなった為。
理由は姪の名前を呼びたくないし、呼ばれているのも聞きたくないし、どちらをするにしても非常にいたたまれない気持ちになるから。
子供の責任じゃないという意見はまったくもって正しいのだが、正直名前を聞くたびに我が家の特徴である相手の事を考えない自己完結した独善性の象徴をみせられるようでとても気が重くなる。
なにより自分の体験から考えても子供というのは大人が自分に対して抱いている感情に非常に敏感なので、「叔父は自分に関してプラスな気持ちを持っていない」などと思われるよりは、「叔父は変わり者なので家族と会うことがない」くらいに思われていた方がよほどいい。
DQNネームというものの害悪の本質は本人や親よりもこの周囲をいたたまれない気持ちにすることにあるんじゃないかと思う。
正直兄がDQNネームをつけるまで、就職の採用なんかでDQNネームを理由にはじかれるというのをくだらない差別のように感じていたし、それは今でも変わらないのだろうけど、もし自分が仕事を一緒にする時には優秀でも一緒にいていたたまれない気持ちになる人間よりは特に優秀じゃなくてもDQNネームじゃない人間をくだらない差別であることを承知で選ぶだろう。
兄夫婦は「これからは海外に日本人がでていかなければならないのだから日本の伝統なんて無意味」との事で悪意はない。
「アメリカンスクールに通わせて国際人にしたい」「子供のころから英語を習わせたり最高の教育を受けさせたい」等とも言っている。
こういう善意に基づく神経症的な完璧主義とコントロールフリークが合体した結果、DQNネームになったのかと思うと姪の今後を考えて暗澹とした気持ちになる。
人間は良くも悪くも自分の所属する共同体から簡単に抜け出すことはできないんだし(特に子供は)その中で周囲にいたたまれなさを積み上げるような名前を与えることは親のエゴであるように感じられるし、周りのいたたまれない気持ちの積み重ねが本人にいい影響を与えるとも思えない。
そしてなによりもいたたまれなさを感じながらその人間と付き合うのは非常に感情的な労力を必要とする。
かの池波正太郎は頼まれて名付け親になることが多かったようだが、「名前は当人が意味を付与していくものだからあまり奇をてらったものは望ましくない」としてほとんどの場合~太郎といった感じのひねりのない名前をつけていたそうだ。
とりあえず僕にできることは姪には一切会わないことと、もし何年か後に姪が改名したくなった時に相談に乗り、可能な限り力になってやることぐらいしか思い浮かばない。
生まれたときは本当にうれしくて「この子をとてもかわいがろう、いい叔父になろう」と思っていたんだけどなあ・・・
名前一つで自分と家族との関係まで変わるなんてまったく想像していなかった。
こらえ性のない叔父さんでごめんよ。
追記
元増田自身の対応も「相手の事を考えない自己完結した独善性」というリアクションをいくつかいただいたので、自分では書いてたつもりなんですがそれでも独善的な対応をしていた事を本文中で明示できなかったことをお詫びします。
まあ独善的な家庭で育った独善的な人間である自分には「家族と疎遠になる」とか「子供も家族もつくらない」という選択肢があるのですが、まだ子供の姪にはそういう選択肢すらないんですよ・・・
独りでも楽しく生きられるから逆にそれがないと俺にとって結婚する意味が0になる。
嫁が現れなければ今も独身を楽しんでたと思う。
新婦は親友と呼んでも差支えのない仲の良い友達、新郎は新婦の旦那としてだけでなく、元々一緒に行動するグループの中の一人として面識はあった。
新婦のために色々頑張るのはやぶさかではないのだが、新郎は元々人前に出ることが嫌いな性質もあってか
「式も二次会も新婦の好きにしていいよ」というスタンスであり、それが高じたのか幹事に挨拶がない。
今までも何度か結婚式の二次会を行ったことはあるが、新郎新婦揃って依頼をされ、挨拶をされてきた。
また、それがままならないくらい忙しかったとしても、直接面識がある人間ならば連絡の一つでもいれるべきだろうと個人的には思う。
新婦の意見を取り入れながら計画をするが、新婦が持ち帰って新郎に相談すると、異なった計画があがってくる。
100%他人ごとを決め込むならまだしも、後から口を出すならせめて挨拶をしてほしい。
個人的な時間を割いているんだから、せめて仁義を通してほしいと思うのだが、これは礼儀ではないのだろうか。
過剰なスキンシップを求めているのだろうか。
現在のパートナーにこれを伝えたとところ、「挨拶にそこまで拘ることはない」と一蹴されてしまった。
ちなみに新婦からは、幹事の御礼に「二次会の回避免除と、御礼を渡すつもり」と明言されている。
新郎としては「御礼を渡すと明言しているのだから、ゴタゴタ言わずやってくれ」なのだろうか…
礼儀とはかくも難しく…
彼女が純真に自分を愛してくれているとき、俺が彼女を裏切ったらこの子はどれだけ傷つき、
これって、高価な割れ物を無理やり持たされる感じ、というか、嫁とスーパーに買い物に行ったとき、
卵の入っている方の袋を持たされる感じ、というかさ