はてなキーワード: 戦後とは
(1) 科学の実質は、いわゆる偉いことにあるのではなく、 古典的で制限的な生活の中における集中によって確実な真理を確定させ、それらの間に美しい関係を精神活動によって
発見し、成長していくという常識にすぎない上、人生の意義は、生きることにあって、生きた結果ではないことは、ゲーテがつとに言っていることであるから。
(2) 現在の東京都民やバクサイの労働者は、人生の意義は生きることにあって生きた結果ではない、というゲーテの言明について、真剣に信じているわけではなく、世間的対面上、他に
拠り所がないから、それによっているだけで、真にやりたいことは犯罪であるから。
(3) 戦後30年の活況はとうの昔に終わっているし、昭和50年代にこの国がどのようにやっていたかは不明である上、 加藤周一が、経済至上主義を主張したのは1996年の
岩波ブックレットからであって、金は相当昔からあまり信仰されていない上、金が最強であると言っているのは会社の事務方だけで、平成の幼稚な文化に比べると魅力が劣っているから。
(4)
八千代台の嫁がいる総務課の原田は、科学技術と金と知能指数が全てでそれに反する者は死刑であるという思想を持っているが、独りよがりの考えに基づくものであり、経緯や動機に
酌量の余地がないこと、無差別殺人を連想させ、日本世間に与える不安や恐怖には甚大なものがあることからすると、刑事責任は軽視できないから。
その戦後憲法という、昭和22年からある、へとんしれん、非現実的な法があるので、話にならないから戦後30年は上の方が盛り上がっていた。増田の糞が平成が糞だったんや等と言うが
白根真理雄でも刺激を与えれば平成11年頃の記憶がつながって成立してそんな当然のことは思い出すまでの話。
ただし都合が悪いから、 昭和54年から平成17年までの記憶を再生してつなげるプログラムがない。
東京だと池袋サンシャインシティとか、大手町にいけばいいだけの話だが、 ときわ台メリーガーデンでも、リヴァージュシティでも、 そういう場所は禁忌としてわざわざ出向く風潮はない。
ときわ台メリーガーデンの上の方に住んでいる女は、この寒いのに、大手町なんかいくわけないだろと言っているが、安倍洋子が死んだ翌日に出てきていた。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4751958074182587872/comment/Sampo
Sampo 明治の頃の「全然〜〜だ」と今の「全然〜〜だ」はちょっと違うから混同するのは雑だ。戦後から否定文のみになったわけだけど、今も肯定形でも意味的には否定「全然大丈夫だ(=全然問題ない)」でしか使わない。
「大丈夫だ」は「問題ない」と同義だから意味的には否定だ、という理屈が成り立つなら、「強い」は「弱くない」と同義だから意味的には否定だとか、「大きい」は「小さくない」と同義だから意味的には否定だとか、何とでも言えそうだが。
あるいは逆にして、「問題ない」は「大丈夫だ」と同義だから意味的には肯定だ、も成り立つだろう。
実際の天皇制が盛り上がったのは、律令の200年と、明治と、昭和22年~昭和49年であって、昭和50年1月1日に終わったという史実を知りながら、
戦後の憲法体制は、その背後で一般的にドリルを入れていたからそれを維持しなければいけないなどという独善的な見解に立ち、みずからの立場を正当化するもので・・・
しかし、昭和58年生まれのほとんどは日本と言う集団社会にそのようなドリルを次第に入れていたという事実自体がない・・・
平成15年の一時期は世間の老人から、あってないようなもので好きにしたらいい、というのが普通だったが、平成25年4月1日から行政の科学技術が勝利したから
それ以前は消えていたも同然である警察に対して、平成25年4月1日からは従わなければならないという卑劣な発想を実施している。あのこうすけをして、今の世の中は
金か遊ぶかどっちかのリモコンで切り替わるんだよなどと言わせているが、その実質は、お互いに邪魔をしないことを言っているに過ぎない。
だがちょっと待って欲しい
本当に自国のせいだろうか
1931年に大日本飛行協会が出来たとき、リンドバーグが貴族院議員橋本圭太郎に会いに自機で来日
アメリカ人は飛行機材料のアルミ営業に成功し、アルミは貨幣として備蓄された
日本の第二次大戦戦没者慰霊の類は、考えていくと全部「自国のせい」に行き着く。
自分の国が仕掛けた愚かな戦争の死者を、自分たちで慰霊する。その時考えられるのは「なぜこのような大勢の戦死者が生まれてしまったのか→愚かな政治指導者になる無理な戦争のせいである」に行き着き、責任を追求しようとすれば自国の政府に向くことになる。
ネタバレあり。
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オッペンハイマー、まず理解するのにアメリカ人の伝記物なので当時のアメリカの歴史を知っておく必要がある。さらにノーランのあまり説明せず、時間軸をぶった切るスタイルがすごいのでよりわかりづらくなっている。
話の流れとしては、1954年(カラー)と、1959年(白黒)の話の二軸になっている。
1954年、当時のマッカーシーの赤狩りでオッペンハイマーがソ連のスパイ容疑かけられて狭い部屋の公聴会で責められて、最終的に公職追放されるまでのところがメイン。その中でオッペンハイマーが自分の過去を回想するという形で原爆開発の流れが示される。
そして、ややこしいのは白黒で示されるストローズの話。あの白黒の場面は1959年のことで、オッペンハイマーは出てこない。当時ストローズが商務長官に任命されそうになり、公開の公聴会がひらかれている。アメリカでは長官に任命されるときに公開の公聴会が開かれてどうするか決めるというのを知っていないとあのシーン自体が何をやってるか全然わかんないんだよな。そしてその公聴会でストローズはオッペンハイマーを陥れたことを追求され、反対が多く長官になれなかったということが表現される。
このオッペンハイマーとストローズ2人が一番絡まるシーン、湖の畔でストローズがアインシュタインに無視されるところってのは映画では一番最初に出てくるが、戦後の話だってのもまぁわかりづらい。
それで、そういうことを知った上で見直すと、映画オッペンハイマーはオッペンハイマー自身と、ストローズという二人のキャラの話を混ぜているとわかる。
オッペンハイマーは天才で破天荒な女性関係が滅茶苦茶なのかとか、自分がどういう立場なのかわかっていながら共産主義関係者を積極的に絡ませたり…それこそ弟誘うの駄目だと思うんだけど…とか、そういうの。自分が大学院のころに世話になった教授が似たような超天才型で、それに振り回された経験があり、あー天才ってこういうところあるよね…自分勝手に好きにやるよね…って思った。そういうのもあって、本人に感情移入しづらかった。
そして、オッペンハイマーの原爆への後悔は、確かに後悔しているんだけど、後悔している自分に酔ってる、可哀想な自分が可哀想てのを表現している感を感じてしまった。これは愛人が死んだときの態度で表現されているようで、あそこも自分のせいで人が死んだこと自体は後悔してるけど、こんなに後悔してます!自分が悲しくて泣いちゃってます!慰めて欲しい!っていうオーラがすごい。
でも、自分かわいそう感の強さにうーんって思ってたら、作中でもトルーマンには馬鹿にされて、ストローズには後悔なんてしてないっていわれて、奥さんからも殉教者になる自分に酔ってるだろみたいなこと言われてるから、意識的に表現してるんじゃないかな…と深読みした。
それで、正直、オッペンハイマー自身よりも、ストローズの方がすごく魅力的に感じた。RDJの演技がすごい。まぁ政治家って時点で普通の人間ではないのだけど、人間性がずれてる天才と比べる形で一人の人間を表現していた。小物さ、狡猾さ、天才とは違う尊大さ、そういうところを会話や態度で表現していて、とても魅力的だった。もう一人の主人公…というか主人公が2人いると思ったし、この映画はオッペンハイマーを舞台装置にしたストローズの話なんじゃないのかって思った。
とにかく、すごい作品だった。見て良かった。
オレオレFCは前半の1点を守りきり、5試合ぶりの白星を手にした。前半33分、DF村山のクロスが相手DFの手に当たり、PKを獲得。これをMF鈴木潤主将が冷静に決めた。後半は磐田の猛攻に遭ったが、身体を張った守備で、9日中京戦以来の無失点勝利を果たした。
鈴木潤主将は「欲しかったのは勝利。不格好でも勝ちたかった」と安堵の表情を浮かべた。リーグ戦4試合未勝利で24日の横浜FM戦後には怒り心頭のサポーターと話し合いを行った。「結果が官軍の世界。この一週間は勝つためだけにトレーニングしていた」。努力は結果となって現れた。
負の連鎖を断ち切ったが、野河田彰信監督は勝利には満足しつつ「(試合内容には)あんま満足してへん。攻め続けて2点目、3点目を取りに行かないといけないんやけどね。今日は勝っただけやん」と渋い表情。次節は4月3日、アウェイでガンバ大阪と対戦する。鈴木潤主将は「試合内容はまだまだ。もっと出来る」と更なる向上を誓った。