はてなキーワード: スリッパとは
翻訳は、村上の作品を組み立てる原理だとさえ言えるかもしれない。
彼の作品は翻訳されているだけでなく、翻訳についてのものだと考えられるのである。
村上的ストーリーにおける至上の愉しみは、とても普通の状況(エレベータに乗っている、スパゲッティを茹でている、シャツをアイロンがけしている、など)が
突然非日常(不思議な電話を受ける、魔法の井戸に落ちる、羊男と会話する、など)へ変貌するのを見ることだ。
言い換えるならそれは、登場人物が存在論的に盤石な立場から完全な異世界へと投げ込まれ、
たどたどしくも二つの世界の間をとりもつことを余儀なくされる瞬間だ。
村上作品の登場人物はある意味でいつも、根底から異なるいくつかの世界のあいだで翻訳をしている。
言い換えれば、彼の全作品は翻訳の作業を劇に仕立てたものなのだ。
村上の車の後部座席に戻ろう。
多くの企業の本社や、巨大な船のかたちをしたラブホテルを通り越していく。
およそ1時間後、風景は急峻な山道になり、私たちは村上の家に到着した。
木の生い茂る丘の上、山と海の間にある、こぎれいだが平凡な外観の二階建てだ。
靴をスリッパに履き替え、村上に連れられて彼のオフィスへと入る。
自らデザインした小部屋であり、『1Q84』のほとんどはここで書かれた。
同時にそこは彼の膨大なレコードコレクションの住処でもある。
(10000枚くらいだろうが、怖くて実際に数えてはいない、と彼は言う)
オフィスの幅広い壁二つは、床から天井までアルバムで覆いつくされている。
山々に向けて突き出している窓の下、部屋の端には巨大なステレオスピーカーが君臨している。
室内のもう一つの棚には村上の人生と作品にまつわる思い出の品々がある。
彼が『海辺のカフカ』で殺人者として想像したジョニー・ウォーカーを描いたマグカップ。
はじめてマラソンを完走したときの、くたくたの彼を写した写真(1991年ニューヨーク市にて、3時間31分27秒)。
壁にはレイモンド・カーヴァーの写真、グレン・グードのポスター、ジャズの巨匠の肖像がいくつか。
村上がもっとも好きなミュージシャン、テノールサキソフォンのスタン・ゲッツの写真もある。
私はレコードをかけてもらえないかと頼んでみた。
『1Q84』の始まりを告げ、その物語のなかで繰り返し鳴り響く曲である。
それは速く、アップビートで、劇的──まるで普通の曲が5つ、ペンキの缶のなかで決闘しているかのようだ。
同時にそれは熱狂し、ねちねちとした、暴力的な『1Q84』の冒険の主題曲として、もっともふさわしい。
村上はその奇妙さを買って「シンフォニエッタ」を選んだという。
「オーケストラの後ろにトランペットが15人いた。変だった。すごく変だった……その奇妙さがこの本によく合う。この物語にこれ以上よく合う音楽は思いつかない」
彼は何度も何度もその曲を聴いて、そして開幕のシーンを書いたという。
「シンフォニエッタを選んだのはまったく人気がない音楽だったからだった。でも本を出版してから、日本では人気が出た。小澤征爾さんに感謝されたよ。彼のレコードがよく売れたからね」
「シンフォニエッタ」が終わると、私は最初に買ったレコードは何か覚えているかと尋ねてみた。
彼は立ち上がり、棚をごそごそと探して、一枚のレコードを手渡してくれた。
「The Many Sides of Gene Pitney」。
カバーを飾るのは、華やかな姿の Pitney。60年代前半のアメリカのクルーナー歌手である。はまだらのアスコットタイに艶のある赤いジャケットを着て、髪型は崩れ落ちる波を凍らせたようにみえる。
村上は13歳の時、このレコードを神戸で買ったという(当初のものは擦り切れたため、何十年か前に買い直している)。
針を下ろすと、流れ出す Pitney の最初のヒット曲「Town Without Pity」。
劇的な、ホルンの即興とともに Piteny の歌声が黙示録的な叫びを歌う。
「若者にはつらいことがある、たくさんある/分かってくれる人がほしい/助けてくれよ/土と石でできたこの星が壊れるまえに」
終わると村上は針を上げ、「バカな歌だ」と言った。
『1Q84』を書いているあいだ、『1984年』を読み直したかと尋ねてみた。
彼は読み直したといい、それは退屈だったという。
(これが悪い評価だとは限らない。野球のどこが好きかと尋ねた際、彼は「退屈だから」と答えた。)
「始まりはいつも暗く、雨で、人々が不幸せそうにしている。コルマック・マッカーシーの『The Road』は好きだし、よく書けているけれど、でも退屈だ。暗いし、人間が人間を食べるし……ジョージ・オーウェルの『1984年』は近未来小説だけど、この本は近過去小説だ」
『1Q84』について「我々は同じ年を反対側から見ている。近過去なら退屈じゃない」
「オーウェルと僕はシステムについて同じ感じを受けていると思う」と村上は言う。
「ジョージ・オーウェルは半分ジャーナリストで半分小説家だ。僕は100パーセント小説家だ……メッセージを書くことはない。よい物語を書きたい。自分は政治好きな人間だと思うけれど、政治的メッセージを誰かに向けることはない。」
とはいえ村上はここ数年、彼にしては珍しく、政治的メッセージを大々的に言明している。
2009年、批判のなか彼はイスラエルでエルサレム賞を受賞しに行き、そこでイスラエルとパレスチナについて語った。
この夏、彼はバルセロナでの受賞式典の機会を利用して日本の原子力行政を批判した。
一度目はまったくの被害者としてだったが。
バルセロナの演説について尋ねると、彼はパーセンテージを少し修正した。
「市民として言いたいことはあるし、求められればはっきりと言う。あのときまで原発について明確に反対する人はいなかった。だから自分がやるべきだと思った。自分にはその責任がある」
演説に対する日本の反応は概ね好意的だったという。
人々は津波の恐怖が改革への媒介となってくれることを、彼と同じように、期待していたのだ、と。
「これは日本にとって転機になると、日本人のほとんどが考えていると思う」
「悪夢だけれど、変化のチャンスでもある。1945年以来、僕たちは豊かになるために働いてきた。けれどそれはもう続かない。価値観を変えなければならない。どうやって幸せになるかを考えなければならない。お金でもなく、効率でもなく、それは人格と目的だ。いま言いたいことは1968年から僕がずっと言っていることなんだけれども、システムを変えなければならないということ。今は、僕たちがまた理想主義者になるべきときなんだと思っている」
その理想主義はどんなものか、アメリカ合衆国をモデルケースとして見ているのか、と尋ねた。
「いま、僕たちにはモデルケースがない。モデルケースを作り上げなければならないんだ」
地下鉄サリン事件、阪神大震災、そして今回の津波……現代日本の数々の災害は、驚くほどにまで村上的だ。
地下での暴力的な衝動、深く隠されたトラウマが大量破壊を引き起こすものとして現れ、地上の日常を襲う。
彼は深さのメタファーを多用することで知られる。
登場人物たちはカラの井戸に降りていき、東京の地下トンネルに生きる闇の生き物に出会う。
(彼は別のインタビューで、井戸のイメージをあまりに何度も使って恥ずかしくなったため、8作目以降、できるだけ使わないように心がけたと話している)。
毎日机に向かい、集中力に満たされたトランス状態の中で、村上は村上的キャラクターになる。
それは、自らの無意識の洞窟たる創造性を探検し、見つけたものを忠実に報告する、普通の人物である。
「僕は東京に住んでいる。ニューヨークやロサンジェルスやロンドンやパリのように文明的といっていい世界だ。
魔法じみた状況、魔法じみた物事に出会いたければ、自分の中に深く潜るしかない。だから僕はそうしている。
魔法的リアリズムとも呼ばれるけれども、自分の魂の深みのなかでは、それは単なるリアリズムだ。魔法ではなく。
書くときには、非常に自然で、論理的で、リアリスティックで、合理的に感じる。」
執筆しないとき、自分はどこまでも普通の人だと村上は強調する。
彼の創造性は「ブラックボックス」であり、意識的にアクセスすることはできないという。
彼はシャイであり、メディアにあまり登場したがらない。道端で読者から握手を求められた時にはいつも驚く。
人が話すのを聞くほうが好みだと彼は言う。
実際に、Studs Terkel の日本版のようなものとして彼は知られている。
1995年サリンガス事件があったとき、村上は被害者65人と被疑者らを1年かけてインタビューし、
その結果を分厚い2冊組の本として出版した。
のちにそれは『Underground』として、大幅な簡略化をしたうえで英語に翻訳された。
この会話が終わったとき、村上はランニングに誘ってくれた。(「僕が書くことについて知っていることのほとんどは、毎日のランニングを通して学んだ」と彼は書いている)
身軽で、安定していて、実践的だ。
たがいの走り幅がつかめて1、2分たつと、村上は自分が単に「丘」と呼ぶところに行ってみないかと尋ねてきた。
それは試合の申し込みか警告のように聞こえた。
そんな言い方をした理由はすぐに分かった。
というのもまもなく「丘」を登り始めることになったからだ。
もはや走るというよりは、急な坂にさしかかって足をとられているというほうが近く、
地面が傾いたランニングマシーンのように感じられた。
道の終わりに向けて一足踏み込むと同時に私は村上に向けて「大きい丘でしたね」と言った。
そこで彼は指をさして、先にジグザグ道が続いており、私たちはまだほんのひと曲がり目を終えたにすぎないということを教えてくれた。しばらくして、二人の息が切れ切れになってくると、このジグザグ道には終わりがないのではないかと心配になってきた。
上へ、上へ、上へ。
しかし、やっとのことで、私たちは頂上に着いた。
海ははるか下に見えた。
それは秘められた巨大な水世界、日本とアメリカのあいだの、人が住まない世界だ。
その日見たかぎり、水面は静かだった。
そして私たちは下りを走り始めた。村上は村を通る道に誘ってくれた。
大通りのサーフショップ、漁師の家がならぶ界隈を通り過ぎた(彼はそのあたりの庭に古くからの「漁師神社」があるのを指差して教えてくれた)。
空気は湿っていて塩のにおいがした。
私たちは並んで浜まで走った。
村上がかつて名もない翻訳者だったころセントラルパークでジョギングをともにしたジョン・アーヴィングについて話をした。
セミについても話をした。
何年も土のなかで生き、地表にぽっと出て、わめき、最後の数ヶ月を木の上で過ごすのは、どんなに変だろうかと。
走り終えて家にもどると、私は村上の来客用バスルームで着替えた。階下で彼を待つ間、食堂のエアコンの風を受けて立ち、大きな窓からハーブと低い木のある小さな裏庭を見ていた。
最初それは鳥 – おそらくはその飛び方からして変な毛をしたハチドリのようにみえた。
が、すぐに2羽の鳥がくっついているようにみえだした。
飛ぶというよりはふらついているといった感じで、体の一部がそこかしこから垂れ下がっているようだった。
最終的に、それは大きな黒い蝶だと私は結論づけた。
見たことがないほど変な蝶だった。
浮かびながら、異星の魚のようにひらひらしつづけるその姿に幻惑させられ、
私はそれを既知の何かに分類したくなりかけたが、成功することはなかった。
それはひらひらと、およそ村上と私が走った道を引き返す形で、山から海に向けて飛び去った。
蝶が去ってまもなく、村上は階段を降りてきて、食堂のテーブルに静かに腰を下ろした。
見たこともない奇妙な蝶に遭遇したことを伝えると、彼は自分のボトルから水を飲み、私を見上げて言った。
「日本には色々な蝶がいる。蝶に会うのは変なことじゃない」
それが楽しみだってのは分かっているんだけど、度が過ぎる。よく分からないオブジェを買ってきては、玄関付近にずらずらと陳列するもんだから、ジャマで仕方ない。それに加えて、よそで戦力外通告を受けたものを救済することもしばしば。ゆえに来客はまず、大量の障害物に歓迎を受ける格好になる。野村再生工場には、程遠い。
往時の読売巨人軍を彷彿とさせる、怒涛の収集癖だ。補強ポイントが偏りすぎている。スリッパだけで、何足あるのだろう。少なくとも家人の足の数では、到底足りないことは確かである。
こちらから、やめさせようなどという気はない。人の趣味に水を差すのは気が引けるものだ。しかし、ジャマなものはジャマだという事実に変わりはない。葛藤ばかりが膨らんでいく。
上司の挑戦状
http://d.hatena.ne.jp/Delete_All/20110322#1300804667
なんか気が向いたので作成。
部長の暗号と、その辺から拾ってきた防災マニュアルの落とし所を見つけてサクッと作成したもの。
詳細化と詰めで、この変をきちんと参考にされたほうがよいかと思います。
事業所のための「防災マニュアル」(愛知県防災局防災課防災支援チーム)
www.pref.aichi.jp/bousai/jigyousyo_manual.doc
で、ここから下が折衷案的な叩き台。見づらいのは勘弁。
地震についてのみなので、家事とかについては追記が必要。でも文章長くすると部長が読まなくなるか・・・
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1:普段の心がけ・準備
2:緊急時に実施すること
3:危機を脱してから気をつけること
4: 救急措置
1:普段の心がけ・準備
a)非常用具をあらかじめ会社・自宅に準備しておく。用意するべき品は下記6種類で、リュック等に入れて取り出しやすい場所に保管しておく。※定期的に賞味期限等を確認すること
【防災用品】・携帯ラジオ ・懐中電灯 ・ヘルメット ・防災ずきん ・ロープ ・非常用のトイレ ・手動の携帯充電器 ・紐つき笛 ・乾電池 ・ヘルメット
【貴重品・身分証明】・現金(小銭も必要) ・預金通帳や有価証券の写し ・健康保険証の写し ・認印 ・年金手帳 ・家の鍵 ・免許証
【食料品関係】・飲料水(1人最低1日3リットル) ・乾パンやクラッカー ・レトルト食品 ・ビタミン剤 ・缶詰(缶きりや栓抜きも忘れずに) ・粉ミルク、哺乳瓶(赤ちゃんがいる家庭は必需品) ・嗜好品
【衣類関係】・下着(家族分) ・衣類(長袖も忘れずに) ・雨具 ・タオル ・マスク10枚 ・メガネ(衛生不安からコンタクトは難あり)
【医療用品】・ばんそうこう ・包帯、ガーゼ ・消毒薬 ・常備薬 ・鎮痛剤、胃腸薬等 ・紙おむつ
【その他】・ティッシュペーパー ・ウエットティッシュ ・生理用品 ・軍手 ・マッチ、ライター ・洗面具 ・ローソク ・スリッパ(スニーカー) ・筆記用具とメモ用紙 ・軍手・ポリ袋
b)家や会社の中を安全に保つ
・本棚が崩れ落ちないように整理し、テレビ・箪笥・食器棚などを固定金具で固定しておく。
・ベッドの周り・上に倒れてくる・落ちてくるようなものを置かず、安眠できるようにする。
・日々の生活の中で、災害が発生した際にすぐに対応できるよう、時間や心に余裕を持った行動を行い、また事前の情報収集を心がけること。
・ワークライフバランスを保ち、イザという時に動けるように疲労やストレスをためないでくこと。睡眠や趣味や運動を十分に行うこと。
・自宅・通勤途中・仕事場・家族の勤務先・子供の学校の5箇所について、緊急時に非難する、避難所の確認を行う。
2:緊急時に実施すること
a)地震が発生した際は、丈夫なテーブルや机などの下に避難する。ビル街では、ビルの外の広い場所(看板が落ちてこない場所)に非難する。
テレビ等を押さえることは危険なので注意すること。室内の場合、ドアを開けて非常脱出口を確保する。
b)海の近くにいた場合、津波に備えて揺れが収まり次第すぐさま高台・コンクリート製の丈夫な建物の3階以上に避難すること。
3:危機を脱してから気をつけること
被災後は、電気・ガス・水道がとまり、それによって交通機関がマヒを起こす場合がある。
交通機関のマヒが食料・毛布・薬品・ガソリンなどの物資の不足を引き起こすので、皆で分け合い、節約をして過ごすこと。
冬場に暖を取る際は、ストーブ等の一酸化炭素中毒に気をつけること。
b)不安と付き合う
被災後は、被災の恐怖と共に、日常とはかけ離れた環境に身をおくことになる。肩の力を抜いて、軽く体を動かしてリラックスするよう心がける。
十分な睡眠をとれる環境を早くつくりあげ、体温・体力・気力を維持できるようにする。
他の被災者は運命共同体であるので、冷静さと思いやりを忘れずに、相互に助け合って行動すること。
被災の恐怖を克服するために、希望のあることを考えたり、今までの生活について考えてみる。震災で受けた痛みを、正しく癒す方法や気持ちを大事にする。
4: 救急措置
被災の際に、救命処置や、応急手当を行う必要になる場合がある。
あらかじめ講習等できちんとやり方を学んでおき、非常用具に必要な道具を入れておくこと。※会社での講習実施が良い
a)救命処置
・人工呼吸
・AEDの使い方
b)応急手当
・応急手当マニュアル(メルクマニュアルや、iPhoneアプリ「家庭の医学」など)の準備
・骨折
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オレはAVは買う派。特に盗撮系が好きで、パンチラから、温泉から、ラブホまで、一通りそろえてた。
それがこの間、嫁に見つかった。嫁には、泣きながら「あんたは頭がおかしい」って罵られた。
DVD見るだけなら犯罪じゃないだろって思うんだが、お前らはどう思う?
だいたい、盗撮なんてAV買う以外の方法考える方がヤバいし。むしろ健全だと思う。
そうやってオレも負けじと反論したら、嫁に病院に行こうって言われた。
その時は、逆に、医者にオレが正常だっていうお墨付きをもらってやろうって思ってた。
病院は嫁が選んだ。
翌日、オレは一人で病院に行った。
待合室で待たされて、名前を呼ばれて、診察室に通された。
医者は、ちょっと心配になるくらいのじいさんだった。
医者に「今日はどうしました?」って聞かれてオレは、ことの経緯を説明した。
その日はそれだけだったけど、なぜかオレは薬をもらって帰ってきた。
オレは医者に笑われたことを嫁に話した。嫁はどうも納得がいかないという風だった。
とりあえず薬をもらって、また来週行くことになったから、しばらく通ってやるよって言ってやった。
まあ、それで嫁が満足するなら、と思った。
それでまた薬を出されて、来週も来てくださいって言われた。
正直、なんだよこれって思ったけど、看護士の子が可愛かったので、まあそれでもいいかとオレは思った。
その次の週、いつもより早めに行ったら、今日はまだ医者の先生が来ていないとのことだった。
オレは一人で待たされて、待合室には掃除してる看護士の子がいて、気まずい感じになる。
この病院で、オレはオレ以外の客が来てるところは見たこと無いし、スタッフも医者とこの看護士の子の二人しか見ていない。
今この病院には、もしかして、オレと看護士の子の二人きりなんだろうか?
そんな変な気持ちになって、オレは、看護士の子の体を盗み見るように、だけどしっかり目に焼き付けるように見てた。
看護士の子はそんなこと気付かないように、せっせと掃除してる。
スリッパを並べる時にかがんだ看護士の子のお尻とか、ほうきを使ってる時にちらっと見えた首元とか。
そうこうしてるうちに医者が来て、その日の診療もあっと言う間に終わって、オレはまた薬をもらって帰った。
もちろん医者が毎週遅く来るわけではなかったから、オレも毎週楽しめたわけじゃない。
それでも、何回かは看護士の子と二人きりになれる機会があった。その度にオレは看護士の子の体をじっと見てた。
別にそれ以上の何かが見れるわけじゃないんだけどさ。
「え?」オレはふいをつかれたみたいになった。その時オレは、どういうわけか、医者の顔を見ずに隣の看護士の子の胸元をじっと見てしまっていたんだ。
オレは顔が真っ赤になって、うまく返答ができなかった。
医者は「また来週のこの時間に来てください」って言った。時間を指定されたのは始めてだったので変だなとは思ったけど、オレはそんなこと深く考えられる状態じゃなかった。
次の週、ちゃんと時間どおりに病院に行くと、いつもどおり待合室にはオレの他に誰もいない。いや、看護士の子もいない。
ひとりでしばらく待っていたけれど、誰も来ない。おかしいなと思って、診察室の方に行くと、部屋の中から人の気配がする。
見るとドアが少し開いてて、隙間から覗いたら、部屋の中に女がいるのが見えた。
オレは驚いた。女は、服を半脱ぎになって、こっちにお尻を向けていた。
とよく見たら、部屋の中には一緒にあの医者もいるではないか。ヤバい。見ちゃいけないものを見たのか。
それでも盗撮系が好きな俺は、こんなおいしい場面を覗けて、正直興奮していた。
女が動く。ちらっと顔が見えた。
おい! お前、オレの嫁じゃん!!!
オレは混乱した。半裸でエロい格好をさせられているオレの嫁、それを眺めている医者。その様子をオレは覗いている。
オレの興奮した気持ちも、性欲によるものなのか怒りから来るものなのか、なんだかよくわからなくなった。
オレは……。
オレはその場に突入する勇気がなかった。そのまま待合室に戻った。看護士の子がいた。
しばらく待ってたけど医者も嫁も出てこないので、オレは帰った。
なんだこれ?
*採用試験のために職場を訪問したら、職場がソワソワしだす(採用試験を行うことを職場の人間が知らない)。
*採用試験の時だけ職場のテンションが高い。アポなしで職場を覗いたら雰囲気が重い。
*煙草を吸うのが当然みたいな雰囲気。吸わないとノリが悪い奴と見なされる。
*銀行・大手企業・役所から天下ってきた役員がいて仕事をしない。酷い時には元居た企業で活躍してた頃の武勇伝を語りだす。
*法定保存期間を過ぎた書類がそこらへんに保管されている。そして書類の保管ルールのようなものがない。
*有給休暇が原則とれない。有給休暇をとって休んでも携帯に電話がかかってくる。
*長く勤めていた人が定年退職して代わりに君が入ってきたと聞かされるも、職場の書類を見たら何人もの前任者が仕事をしていた形跡が残っている(短期で人が代わり過ぎ)。
*同期の新入社員が数日で辞める。
*仕事をしていて、一度も教えてもらってない業務手順を知らなかったら「物覚えが悪い」と悪評を立てられる。
*既婚者がほとんどいない。既婚者の配偶者が四六時中必死に働いている(職業:看護師など)。
*朝礼があり、何故か軍隊式である。
*就業規則を見ようとしたら睨まれる。
*社長の親族が何人も役職に就いている。彼らがOKしない業務改善提案は忘れ去られて、彼らが提案する業務改善提案は不要でも実行される。
どこもこんな感じなのかなあ http://anond.hatelabo.jp/20100809224933
コンセプト・意図的にたまり場を作る。
場所の設計・8畳程度の畳掘ごたつ式座席(定員6名だが、詰めて座るれば12人でもOK)+6畳程度のフローリングの部屋に600ミリメートル×900ミリメートルの机8つと座り心地の良いイス8脚を用意。靴を脱いで上がる方式で靴箱にスリッパを用意。
営業時間・10時から22時(無人店舗・掃除のために1日3回巡回)
料金の徴収・靴箱の使用料を1回300円。ちょっとした外出にはサンダルを用意。(300円を払えば、10時から22時まで滞在可能ということ)
1日の売り上げ・満席で16×300=4800円。5回転すれば24000円。12時間貸し切り料金12000円。24時間貸し切り料金24000円(ふとん6組、台所使用)
守ってもらいたいこと・持ち込んだ物は持ち帰る。(飲食物の持ち込みは自由だが、ゴミは各自持ち帰ってくれってこと)
いくら用意すれば、こんな感じの店を始められるかなあと検討中。
その1 http://anond.hatelabo.jp/20100318123002
その3 http://anond.hatelabo.jp/20100318200421
タイトルマッチを戦うときは
ゴングはいらないセコンド一人
すぐに呼びましょチャンピオンを
コントの流れが止まったときは
ボディアタックくらわせてきても
ここも最後の方まで決まらず、行き場に困ってたジャンポケ投入。決まらなかったのは「悪霊退散!」的なネタってぜったい誰かやってるよなあと思ったから。その人たちいれたいけど私わからない!みたいな。
同級生 二十年前からつるんでる
麗しの何千年昔の王女様
その名をお貸しください 僕らのネタに魅惑の色気ください
タイトルにかぶせられそうだし、コンビ名が「何千年前」とかあながち間違いでもないしクレパトファンが最近周りに多いし、彼らにするにはさほど迷いはなかったんだけど、決めてからが長かった。
ネタがわからんのでニコニコで見始めたら面白くって一時間近くぐるぐる回っちゃったり、結局それは歌詞に一ミリも生きてなかったり(笑)
きらいきらいめくらないで 真赤になっちゃうから
とろけるような言葉 耳元で言わないで
すきすき君の事が 世界で一番だから
そばにいるだけで私 バニラビーンズ増えちゃう
「どの面下げてそんなこと言えるのよ ブス!」
「ひどい!そんなこというなんて!」
「だって本当のことだもーん。ブタ柄……ぷぷ」
「縦読みドコー」的なコメントがきてたのですが、やっぱり元歌縦読みあるの?歌詞作るとき気になってぱっと見た感じ調べてみた感じ、見当たらなかったからスルーしてしまったのですが……
おどろぉ 周太 ケンちゃん
これで決めるぜ
俺たち すべり知らず
だまにゃんダンス
ノーコメントである。
…あ、前回の「ガッチャ」気づいてもらえてとても嬉しいです(笑)
京浜東北線伸ばす あなたが憎らしい
跪いてお嘗めよ つぶれた東京タワー
そうだおそれないで みんなの岡部
ゆけ みんなの岡部 まもるため
ここも本来歌詞ない。でも尺長くてもったいないので、歌ってた人の歌詞参考に替え歌。前半は「禁じられた遊び」、後半はアンパンマンか。
おちゃだんせっかくAGEAGEだし入れたくって、アメリカンアンパンマンのネタがあるから後半にしようと思ったのだけどいつのまにかこんなことに?
カメラは寄らないでください
じじじ自虐はもうしません 追いかけたいのは
仲良しアイツらじゃないから
たどこおさんは「北関東あたりのゲーマー」ってことに今はなってるけど、文字数の都合上。カメラはシチサントーク中の話!
後半は一ライスファンとしてのただの希望。でもきっとそうだよね。
漫才愛する想い 一つだけ叶えたら
誰も目立ったキャラのいない 三組が揃ってしまったよ
タモンズとか井下好井とか入れたい人たちだったんだけど、それぞれ単独ではうまく入るとこがなかったので。
まさかのITIですよねー
うまうまうまうま……
(あの馬のお面のやつ)
原曲も「ウサウサウサウサ……」ってずっと言ってるだけだった。
ボイフレはもっとテンション高いとこでテンション高くいれたかったなあとはちょっと思う。元歌詞がなんか純粋無垢なんだもの…いじりにくい!
どこまでも俺らはゆくよ
連続で難易度たかかったよー。素直に頭文字をとってノンスモさん。
好きなんだけど、むずかしいなあ。
図書室さ隠れて 女子のふりして 告白するんだ
私が生で見たことあるのってこのネタくらいしかないから素直にそのまま行ってしまったんだけど、反応見るにメジャーじゃない?なんてこったい\(^o^)/
綾部さんが「女の子とドラマみたいな出会い方したい!」とか言って、「図書室で偶然同じ本に手をのばして触れ合ってドッキリ」をやろうとなり、「あなた…私のことが見えるの?」と又吉さんが図書室の幽霊かと思いきや「教頭です」で終わった記憶があるのだけどー
つるっと・すべって・おっこって
つるっと・すべって・おっこって
つるっと・すべって・おっこって
アゲサゲライブもやっちゃった
つるっと・すべって・おっこって
つるっと・すべって・おっこって
つるっと・すべって・おっこって
アゲサゲライブでやったった!
YATTA! YATTA! チョットトレイン
YATTA! YATTA! サファリパークだ
YATTA! YATTA! ポンコツ二人
YATTA! YATTA! ツッコミ一人
スリッパ片方あればいい エブリバディセイ! YATTA!
今はわからないことばかりだけど
信じるこの道を進むだけさ
タンクトップも芸名も構わない
笑いを逃すもんか
何期だかわからん、先輩なの後輩なのどっち?感を出したかったんだけど、国語力のなさにて挫折。替え歌むずかしい。ここにきて思い知る。
こっちはボーボー ぼくボーノです
吉村がんばる ラメにも負けず
寝起きダメなボーノさんはライスシチサン「起こしまSHOW」のネタです。
吉村パラソル好きだからまた使っちゃった。
これいい?だめ?
やーなんか文字数しっくりきたからさあ……
合いの手いいなあー「長田 長田 かたはばおばけ!」
裏9期の中で 存在感あげたい
なんか喜んでもらえたぽくて嬉しい。
http://anond.hatelabo.jp/20090625233802
前回の日記を書いてから結局別れませんでした。
話し合えば良くなるかも。きっと良い方に変わってくれる。
他の男性にも悪いところはあるし前回の出来事だけで判断するのは早すぎるかも。
一緒に居ると楽しいし寂しくなるしな。
そう考えて付き合い続けけて8ヶ月。
その間、何度も喧嘩や不満のぶつけ合いもありましたが楽しかったです。
一人暮らしの私の家に来る頻度は週3、4から毎日へ。
今度は私の不満が溜まってきました。
家に住み着いた彼氏に対して一緒に居れるのは嬉しいが
家事を分担してくれない、家賃、光熱費は全額私が支払っている状況が嫌でたまらなかった。
ほぼ同棲状態なのに彼氏はちょっと長く遊びに来ている気分でしかない。
電気代ガス代は先月お願いしたら半額の端数は省いてさらに減額した金額はくれた。
「アンタの方が絶対電気代たくさん使ってるから」だと。
あんたひとんちに居候状態で休みの日に率先して掃除してくれるわけでもなくて
お金の負担も自分から言い出さないくせに私が家事している横でネットだゲームだふざけるな!
ここ一ヶ月、「嬉しい」と「不満」に挟まれてイライラしていた。
皿洗い、洗濯を干す畳む、休みの日に時々晩御飯作ってくれるなどはしてくれた。
これはありがたかったが「もっと色々やってよ!」という要求は大きくなっていった。
そして今朝、部屋の一角に山積み状態になっていた彼氏の衣装類を「片付けてよ」と言ったところ掃除を始めた。
…が、まず机の上に載っていた私の化粧品類を投げ始める。
「投げることないでしょう!?自分の分だけ片付けてくれればいいから」
そう言ったが不機嫌に「いや、邪魔だから」と言って止めない。
「止めてよ!自分の分だけ片付けてって言っただけでしょ!何で投げなきゃいけないのよ!!」もう泣きながらだ。
そして、その後はもうわけわからないけど
彼氏が鏡を床に投げつけ割れて破片飛び散り。割れた破片の上を歩いて詰め寄る私に「危ないからのきなさい」といって顔を殴られた。
胸倉掴まれて壁に押し付けられたことはあったが殴られたことは無かった。
先月末に彼氏の運転していた車の助手席に乗って事故にあって現在ムチウチ状態。
まだ一ヶ月も経っていない。彼氏に殴られて、痛みが良くなっていたのがまた痛くなってきた。
ここまでされたらさすがに別れる。
頭どうかしてるのはわかっていたけどここまで意味不明な行動するとは思わなかった。
鍵は返してもらった。荷物は今夜引き取ってもらってそれでお別れだ。
テレビで見るようなDVほど酷くは無いがこれは通常の生活でも許されるレベルじゃないだろ。
ぐぉーーーーーーーーーーーーー。
DV加害者のくせに被害者の相談乗って「その男酷すぎるだろ!別れろ!」とか偉そうに言ってんじゃねー。お前が病院行くレベルだ。
http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/706
ほうっておいた腫瘍がすくすくと成長して、おまけにそこから出血して貧血になり、現在手術を前提としたいろいろな検査を受けている身からすれば、
「こいつにはぜってーかかりたくないな」
もし主治医がこのブログ主だったら、強硬に主張して変えてもらう、と思う。
なんか全然違う。あまりに違いすぎてなかなか具体的に言えないが、
以前から、なぜこんなつまらない内容のブログにブクマがいっぱい付くのか不思議だったが、今は読むとまず腹が立ってしまい、血圧が上がって身体に実に良くない。いかん。
ついでにもう一つ。
http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/703
検査のときなど、患者さんに靴を脱いでもらう機会は多い。靴は患者さんのもので、たいていの人はその場に脱ぐんだけれど、靴をベッドの下にしまわないと、機械をそこまで持っていけない。このときに、「靴を主治医の足でベッド下に押し込む」のと、「主治医が腰をかがめて靴を揃える」のとで、やっぱり印象が全然違ってくる
これは絶対やってほしくない。(自分の靴であるにもかかわらず)"不潔な"感じがする。私は全く気にならないが、どうしてもというなら、スリッパに履き替えさせろ(スリッパなら足で扱われてもそう気にならないんじゃないか)。
いよいよ始まった行政刷新会議!
行政刷新という鳴り物入りで始まった会議だが、オープンにする姿勢など一定の効果はあがっているご様子。
今回はそれについて書こうと思う。
暇な人はホームページ「http://www.cao.go.jp/sasshin/index.html」が出来ているので、見てみよう。
急いで作った感があるが、必要な情報はありそうだ。
ここで配布資料、今後の計画、議事録、珍しく実況中継機能までカバーされている。
鳴り物入りといったが、国民新党なんかの静香ちゃんは、評定する委員の構成に外人がいるとか、
またいつものぼやきかと思うかも知れない。
新与党最高のトリックスター静香ちゃんがいうことは大体ピントがずれているが、
発言するタイミングは政治家特有の勘からか当たっている事が多い。
おっとと「行政刷新会議とは?」「事業仕分けとは?」
という人は、まずはこのあたりを事前に読んだほうがいい。
(第1回配布資料)
資料5-1 事業仕分けを含む今回の歳出の見直しの考え方
http://www.cao.go.jp/sasshin/kaigi/honkaigi/d1/pdf/s5-1.pdf
資料5-2 事業見直しの視点
http://www.cao.go.jp/sasshin/kaigi/honkaigi/d1/pdf/s5-2.pdf
(第2回配布資料)
資料2 事業仕分けの対象となる事業・組織等(案)
http://www.cao.go.jp/sasshin/kaigi/honkaigi/d2/pdf/s2.pdf
上記は、事業仕分けの意義や視点がある。たしかによくまとまっている。
第1回の配布資料は乱暴にまとめると「国民に見える形で、無駄な事業を棚卸しして、予算を圧縮しましょうよ」っことだ。
おもしろいのは第2回の配布資料2。
ここに「事業仕分けの対象となる事業・組織等」の一覧がある。
よ~く読んでほしい。
まず、ここから浮かび上がる1つ目の疑問は、どうしてその事業が行政刷新会議の俎上にあがったかということだ。
案を作った財務省の担当あたりは、すげー苦労してつくったんだ、とか言いそうだけど、部外者が見たら、恣意的以外の
何者にも見えないリストだ。
おそらく各省庁の横の調整もあまりうまく言っていなかったんだと思う。(上層部だけはつながっているかも知れないが)
弱い省庁たちの夕暮れ、さらに弱い部局を叩く。
権限の弱い部局や事業は悉く俎上にあがっているように見える。
逆に言うと、本当のエリートの官僚たちの逃げ道はこのリストにはないと言っても過言ではない。
このリストにない出先機関が本当は聖域なのだ。官僚たちはこのリストが、逆に読まれることまで気が回らなかったに違いない。
うまく隠蔽したつもりかも知れないが、ここにない事業や出先機関こそ大事だと思う。
よく読んで外部にある資料類と比較すれば、おかしい省庁がいくつか見つかるはずだ。
切られてもさして痛くない蛸の足をリストにあげている省庁こそ疑うとよい。ここではあまり具体的には書かない。
一般人も傍聴に参加できる事業仕分けであったが、予想以上の人数のため受信レシーバーやスリッパが足りなくなったらしい。
おばちゃんが「スリッパがないっ」て怒ってる映像があり笑えた。
突っ込むのはそこじゃないよ!
蓮舫女史の口角泡飛ばしが見所じゃないよ!
後ろに映っている風景!えだの、うしろ、うしろ~。
東京のど真ん中の市ヶ谷に、ものすごくでっかいバスケットコート付き室内体育館。
バスケットをして腕力を鍛えないと、重い輪転機が回らないんでしょうか?
3ポイント入れる集中力ないと、透かし技術は成功しないのでしょうか?
不健康な絵。シュールとはまさにこのこと。さいごに体育館が役に立ってよかったねって、じゃねーー!!
責任者でてこーい。
そうそう予算の執行しか(強制的に)目が言っていないけど、収入の分配はどうすんだ。
酒類の研究所が事業仕分けにあがっていたが、同じ嗜好品のたばこの収入はどうなる?
これを活かせば、目的の削減額はかなり近くなると思うんだけど。
弱い事業をちくちく公開でいじめて、民衆のルサンチマンを解消しなくても済むかもね。
(もちろん精査は今後も必要だけど、やるならもっとフェアにやるべき)
たばこ税なんて副流煙含めて国民の健康を、ガリガリ削って得られるまさに血税だ。
どこかの省庁が一人占めなんてしないで、当然差し出してくれるよね?
国民のために。
きっとそこそこの規模の企業であれば、
社内の人事担当者が手続きや手順を説明してくれるんだろうけれど、
歴史の浅い企業や、中小の企業は全部自分でやらなくちゃいけない。
行き先も決まっていない状態だったから、転職活動を今すぐにでも始めたかったが、
まずはどのような手続き必要かを調べるところから始めなくてはいけなかった。
これがまた面倒だった。
【1】業務引継ぎ
何の書類かを付箋紙に書いて「何の案件の資料か」を誰が見ても分かるようにする。
時間がそんなになかったので、担当業務の流れをメールで書いて送信。
【2】公/私物を返却/持ち帰り
名刺、書類等の物はすべて返却。私物のメディアにある電子データも消去。
保険証も返却。
不要なものは廃棄。
【3】退職のあいさつ
一人ひとりに挨拶したかったが、
皆帰ってしまったのでメールで済ます。
転職先が決まっていない場合、
国民保険に切り替えるか、加入していた保険組合のを継続して使用できるらしい。
近くの市役所で聞いたら保険料を調べてくれた。
扶養家族のいる人は保険料以外にも比較するところがあって大変かもしれない。
失業給付の場合は現住所の管轄のハローワークに行く必要がある。
失業給付を受けるためにはこの後も何度か足を運ぶことになる。
【6】年金の手続き
必要なものは年金手帳だけだった。あと解雇された日付を聞かれた。
ここまでやってやっとようやくひと段楽できた。
これから転職活動を本格的にはじめることとする。
地域差や、状況によって細部は異なるかもしれないので、
社内の担当者に聞くかきちんと調べるかして欲しいが、
私と似たような境遇の人がいたら、何かの参考になるとうれしい。
最後に1つだけ。
突然「無職」になったことによる、社会との隔絶感はまさに絶望だった。
これはなってみないと分からないものだ。
友達と会ったり、ジムで知らない人と話したり、習い事の教室に行ったり
人と喋っていないと精神がおかしくなりそうだった。
少なくとも、今までと生活のリズムを狂わさないようにしたい。
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【11/07 22:30補足】
いろいろ心配してくれてありがとう。
こう書くと誤解されそうだが、
脱ブラック企業という選択に間違いはなかったのようで少し安心できた。
景気悪いけど、年食う前にさっさと次行きたい。
>解雇に同意したか
した。
色々あって前から勤め上げる会社ではないと思っていた。
>有給
残っていなかった。
当然1か月分もらった。
役立ったサイト:
大事なことなので自分できちんと調べて分からないことがあれば、手続き担当者に聞くこと。
http://consultant.en-japan.com/html/taishoku/index.html
http://doda.jp/guide/manual/5/002.html
このエントリーが、みんなの役に立たないことを切に願う。
酒井法子が逮捕されてからこっち、高校時代を思い出さずにはいられなかった。出会ったのは一年生の春だった。まだ顔も名前もろくに覚えられていない同級生達の席の間を縫って歩いていると、一人の女の子が弾けるような笑顔で僕の事を見ていた。僕は不審でしょうがなかった。僕の顔に何か付いているのだろうか?それとも天パーの頭が鳥の巣みたいだったろうか?はたまた入学初日に上履きを忘れてただ一人スリッパで過ごした奴はこいつかなどと思っているのだろうか。さっぱりわからなかった。仕方なく僕は不思議そうな顔を隠す事無く、軽く会釈した。彼女も笑顔のまま会釈した。
さっぱりわからなかった。今までモテるとか顔を褒められるとかした事が無かったので、そういう意味の笑顔では無いだろう。だとしたらなんなの?やっぱり分からない。一つだけ分るのはの笑顔がすっげーかわいいという事だ。トリコになりました。次の日からは意識的、無意識的に目で追うようになった。でもそれじゃ飽き足らなくてやっぱり話がしたい。でも大した用も無いのに話しかけたら、口ごもるに決まってる。でも会話はしたい。できる事ったら朝な夕なに「おはよう」、「バイバイ」と確実に挨拶する事くらいだ。特に別れの挨拶は難しくて、朝というのは放っといても時間になれば皆教室に入って来るのでいつかは顔を合わせる事ができ、また女の子というのはどういうわけか何時であろうとその日初めて会った場合には「おはよう」、と言うのが常であるようなので、それは大して問題では無いのだが、帰りはそうはいかない。めいめいがそのまま帰る、教室廊下でだべる、部活、などそれぞれの都合で帰る時間が決定されるからである。なので帰るまでは教室廊下をうろつくのが常であった。
幸運だったのは僕の入った部活に彼女も入った事だった。「同じ」と言っても男女一緒に活動するわけでは無い。とはいえ、見渡せば姿は認められる位置関係だった。今気付いたが、1年生の時は学校にいる間中、見ていたという事か。これはいかんな。一時期は席替えの結果、僕は真後ろの席につくという僥倖を得た事があった。これは僥倖以外の何物でもなく、別に見ようとしなくても見れてしまうのである。その時、ショートカットの後ろ髪をかきあげる癖があると知った。それがあまりに頻繁だったので、僕は「○○君があたしのどたまを見ている!あたしの髪変じゃないかな。気になる!」という気持ちの表れだと思わずにはいられなかった。
休みの日は困った。姿が見られないから。しかも顔をうまく思い出せない。あれなんでなの?好きな人の顔を思い出せないのは。再現のレベルが低いと像を結ばないという事か?脳内に厳しい上司がいるのだろうか。何度も、ちょっと会わない的な誘いをしようとクラス名簿を見て家に電話をかけようかと思ったが、ご両親、ご兄弟が出たらと思うととてもじゃないけど、僕にはそんな事はできなかった。当時はやっていたポケベルすら持っていない僕に打つ手は無かった。
特に何も無いまま、冬休み。スキー教室みたいなイベントもあったりして、話すネタができた、というのと、冬休みは部活もろくに無いので、顔を見ることすらなく、悶々としていたといった理由から意を決して電話した。家には子機なんてこじゃれたものはなかったから、居間で、幸いにも夜の早い両親の寝静まった後、電話をかけた。でも寒い居間で勇気が出なかったから、ミッシェルガンエレファントのライブビデオを見て勇気を振り絞って電話して、男の人が出たので、これまた勇気を振り絞って、変わってもらった。実際に話した内容は他愛も無いもので、スキーがどうだった、部活がどうだとかその程度で、また冬休み明けたらよろしく的な、別段何かに誘うでもなく、大して後につながらない話に終始したが、僕はそれだけで残りの冬休みをうきうき過ごせた。
冬休みが明けるとなんかどうも先輩からアプローチをかけられたらしい事がわかった。その時、僕は前の席に座っていて、どうもその日先輩に呼び出されたということらしい。僕は聞いてられなくて、トイレに立った。トイレから出て、手を洗っていると、なんとも浮かない顔(に見えた)の彼女が出てきた。僕は「そんなの別に行かなくていいじゃん」て咄嗟に思ったけど、口からは何も出なかった。なぜ言えなかった!ただ聞き耳を立てていただけで、事情がよくわからないから、下手に口出しするのはちょっと・・・と思ったからか!HEたれ野郎が!先輩の申し出は断ったようだった。
2年生になった。クラスが変わった。主に見られるのは部活くらいになった。そんなでぼんやりしていたら、彼氏ができたという情報が耳に入った。マジか・・・。とうとうか・・・。なんせ誰に対しても明るく接する彼女に彼氏ができない理由を探すほうが難しかった。約半年後、別れたという話を聞いた。僕は彼女がその彼氏と一緒にいるところを一度も見た事が無かったので、付き合っていたこと自体、未だにに半信半疑なのだが。しかしタイミング的にはもうすぐ修学旅行という時期だ。「修学旅行前に彼女がいるのと修学旅行で彼女ができるのとではだいぶ違う」と友人が色めき立っていたのを聞き、僕はそういうもんかと思い、とうとう、やっと、遂に、いよいよ、ようやく、遅ればせながら、告白する意を決した。確か土曜日か日曜日の、よく晴れた部活前の時間だったと思う。自転車置場で、僕は緊張のあまりなかなか言い出せず、しかも「ずっと・・・・す、す、す、・・・・」みたいな調子で、我ながらベタなドラマか、アニメかよと思った。返答は芳しいものでは無かったが、終始笑顔でいてくれた事がせめてもの救いだった。というかリアクションとしては悪くないよなとすら思った。なので、まぁそうだよなーとかすっきりした思いで修学旅行は過ごした。
その後、また彼氏ができたとかいう話があったりして、その頃は3年生の夏頃になっていた。部活も引退し、受験勉強モードだったわけだが、何をとち狂ったか、前の彼氏と別れたという情報を聞きつけてしまったため、再度アタックをすることにしてしまった。タイミング的には誕生日が間近であった。またもや家に電話をかけ、なんとその日の約束を取り付けたのだ!するとプレゼントか。一緒に予備校に行ってる連中に相談した結果、香水が良いのでは無いかという事になった。一緒に百貨店に買いに行き、なんとなくenvyというのにした。envy、そら完全に僕の事では・・・などとよく分からない不安を覚えながらも約束の場所にいた。高3の夏休み中だったため、会うのは数週間ぶりだった。なんかいかにも今日切りましたみたいな髪形になっていて、僕はそれを言おうと思ったんだけど、具体的に何がどう違うのかよく分からない。長さを揃えた・・・んだろうけど、何か上のほうがふわふわした感じになっている。それをどう言葉で表現していいんだ。そんな感じでもじもじしていたら、彼女のほうから髪切ったんだと言ってきた。いや、すぐわかったよ!わかってたよ!ちくしょー!って思った。その後の会話もなんか弾むでもなく、ぼんやりしていてしまいには大して面白くもない自分の親父の話とかしてて、もうぐだぐだだった。別れ際、プレゼントを渡し、改めて告白した。断られた。流石に今度は困り顔だった。最後にせめて抱きしめたいと思ったが、そんな度胸もなく、両手を握る程度にとどまった。
そんな事があったのが、11年前の今日でした。
今の恋人と付き合い始めたのがちょうど1年ほど前、同居を始めたのが六ヶ月前。飲みすぎた時などにちょっとした口論をすることはあれど、そのつど仲直りをして、基本的にはうまくやってきた。それが、昨日、殴り合いの喧嘩をしてしまった。
そもそも最近、恋人の私に対する扱いが(特にセックスにおいて)ないがしろになっていたのだ。生理中にはほぼ毎日口でしてあげていたのに、生理がちゃんと終わってないにも関わらずセックスしようぜと迫られたり(結局した)、で久しぶりにちゃんとセックスしたらなんかやたら早いし、お前ただやりたいだけなんじゃないかということが続いていた。
それで知らず知らずのうちにストレスが溜まっていた折、共有パソコンの履歴に小学生のエロ動画を見つけてしまった。「関西援交」とかそういう名前のサイトだった。そこでは胸もぺったんこの小学生が、チンコをくわえさせられたり、つるつるで割れ目もばっちりのあそこにつっこまれたりしていた。
正直に言って、かなりひいた。小学生はないわ、と思った。これまでも恋人とはよくエロ話をしていたが、ロリコン趣味があるなんて聞いたことがなかった。高校生のときに、友達からお菓子系の雑誌を回されてきたことがあったとか、そういうことを言っていたくらいだった。普通の(成人女性の)エロ動画やAVをたまに見ていることは知っていたが、それくらい男だったら普通だよなとか思ってきた。びっくりして履歴を遡って見たら、一緒に暮らし始めてから少なくとも4~5回、そのサイトを見ていることが分かった。一回何かの間違いで見ちゃったとか、とにかくそんなレベルじゃない…!あと、近所のデリヘル店を店名で検索していたり、お見合いサイト(match.comとかそういう感じのやつ)に登録していることもわかった。履歴ひっくり返しているという罪悪感がありつつも、手が止まらなかった。それでも相手に「あんたロリコンなのか」と聞くわけにもいかないので、「最近寝つきが悪いので」とかなんとか理由をつけて、その夜は別々に寝た。
次の日は仕事の人と飲みに行ったのだが、そこで予想外に飲み、予想外によっぱらってしまった。夜の1時ごろ家に戻ると、すでに恋人がぐーぐーと寝ていた。そこから先のことは、ぼんやりとしか覚えていない。私は寝ぼけた恋人に「小学生が好きなのか」「家にデリヘルを呼んだのか」と詰め寄り、そして彼を殴ったのだという。最初は恋人の上に馬乗りになっていたのだが、男の力には勝てず組み伏せられてしまった。そして手元にあった目覚まし時計を掴み、「死ね」と叫びながら恋人の頭を殴った。目覚まし時計が壊れると、今度はエアコンのリモコンを手に、殴り続けた。恋人は最初こそ反撃してこなかったか、途中で何か心境の変化があったのか、「調子乗ってるんじゃねえぞ」「お前が死ね」と叫びながら、よく分からない寝技をかけてきた。恋人は元柔道部だった。息が出来ず、「苦しい」「死ぬ」と叫んだ。本当に痛かったが、相手に女に手を上げているという罪悪感を抱かせ、手を緩めさせる作戦だった。ベットから転げ落ち、床にはなぜかマヨネーズが落ちていたため、中身が飛び出てぬるぬるになった。私が本気だということを思い知らせてやろうと、台所から包丁を持ってきた。ほんとに彼を刺すつもりだったのかは、分からない。「それはダメ」と包丁を取り上げられると、台所に戻ってもう一本の包丁を握ったが、それも取り上げられた。「このキチガイが」と恋人が叫んでいた。台所の床は片栗粉まみれになった。あと、これは翌朝になって分かったことだが、コタツ机の脚も一本折れていた。「もう出てって」と言うと、「お前が出て行け」と言われたので、財布を持って一人で一番近所のラブホテルに行った。ちょうど2部屋の空きがあり、料金はたしか1万円しなかった。部屋はやたら広く、トイレや風呂などドアがいくつもあり、迷ってしまいそうだった。広いベットでちょっとだけ寝た。いつの間に戻ったのか、朝起きたら自分の家にいた。ホテルのスリッパで帰ってきてしまったようで、お気に入りの靴がなかった。
朝方に目が覚め、恋人と少し話をした。「『誰でも一度は処女だった(寄り道パンセから出ている辛酸なめ子の本、私が買って家に置いていたもの)』という本を読んでいたらちょっとムラムラしてしまって、そういうサイトを見てしまった。小学生が好きなわけではないし、オナニーもしていない。『この子何歳ぐらいなんだろう』という、単純な興味で見ていた。本当にオナニーに使っているエロ動画はちゃんと隠しているし、履歴も消している。ただサイトを見ていただけで、ロリコンと決めつけられるのは大変不本意。デリヘルは前の部屋の時に一回使ったことがあったので、あの子はどうしてるのかなと思って見た。この部屋に呼んだことは一度もない。別に履歴を見るなとは言わないけど、そこまでされたことは正直言って不快」というようなことを言っていた。複数回に渡って「関西援交 小学生 妹」のワードでグーグル検索をかけておいて、「この子何歳ぐらいなんだろうという単純な興味」では無理があるだろうと思った。血こそ出ていなかったものの、顔には引っかき傷が何箇所かあった。体が、頭が、物理的な意味で痛かった。私は夜半薄着で外をうろうろしたため、風邪をひいてしまったようで熱があった。私は会社を休んだが、恋人は普通どおり会社に行った。
恋人が会社に行った後、熱めの風呂を入れ、一人で入った。体のあちこちに、あざが出来ていた。シャンプーをするために腕を上げただけで、さまざまな筋肉に痛みが走る。私は恋人をたくさん殴ったが、私自身も同じくらいたくさん殴られた。頭の形がおかしくなっている。風呂に浸かって裸の自分の脚のあたりを見つめながら、もううまくいかないかもしれないとなんとなく思った。恋人のパソコンからエロ動画が見つかったということだけで、自分がここまで取り乱し、キチガイになれるということに、正直に言って恐怖を感じた。悪いのは私だし、恋人のことを嫌いになったわけではないが、一度関係が破綻した上で何もなかったように関係を続けることが出来るのだろうかと思った。ああ、部屋を片付ける気力がない。
高校の頃、厳しい部活に所属していて、その話を大人になった今話すとひかれる。
あの時はその空間が全てで、疑問に思うことは何もなくて、ただただその中で必死に生きてた。
だけど成長してその枠を遠くから見るとすごく異様だったんだなって思う。
今もこういうところは残っていると思うけど、
なんでも学校の責任と言われている今の世の中が不思議に感じられるので、
長くなりますが思い出のひとつとしてなんとなく書きます。
大会で試合が終わるとすぐさま顧問の所に走って行き、
今の試合の感想を聞くのだが、勝っても負けても平手で殴られた。
負けた場合は勿論だけど、勝った場合でもなんでこんなに手こずったんだ、
なんでこんなに点数取られたんだって、往復ビンタ。
決して泣くことは許されず、とにかく顧問の瞳をじっと見つめて感想を聞くだけだった。
顧問は身長が190ぐらいあって、本人も若い頃運動をしまくってきたらしく、
すごく体格がよくて、威圧感がすごかった。
男子も女子もみんな怯えていたし、揺ぎ無い絶対的な存在だった。
顧問が座る用の椅子と机を部活が始まる前に用意するのは後輩の仕事。
顧問がやってきて、その椅子に座り、煙草を吸いながら練習風景を見ている。
やる気がないと見受けられた生徒は、机の前に呼ばれ、
ステージ上から顧問に見下ろされながら叱られる。
「やる気がないんだったら帰れ」
「お前なんていてもいなくても同じだから辞めろ」
そう言われるのは日常茶飯事で、そうなったらひたすら謝り続けなくてはいけない。
すみませんでした!今後こんなことがないよう気をつけます!と
無視され続けても、謝って謝って、数時間後に、
「じゃあしっかりやれ」と言われてやっと練習に戻る。
怒りが激しいときは、履いてるスリッパを顔めがけて足から飛ばされたり、
(拾って履かせなくてはいけない)ステージ上から降りた顧問にビンタされたり。
一度、往復ビンタで体育館の半分まで殴られ続けたことがある。
右の頬を叩かれ、左の頬を叩かれ、衝撃で後ろに下がるが、顧問は詰め寄って叩き続ける。
両方の耳がキンキンして、視界も揺れて、はっと気づいたらステージから体育館の半分まで移動し
ていたのだった。
寝坊で遅刻なんて重罪で、顧問をここまで怒らせるには十分の理由だった。
女子は真剣に練習に取り組んでいれば生理が止まって当然と言われた。
一度生理痛がひどく、休日に部活を休んだら、家に電話が来て呼び出された。
「生理痛って、お前は今回初めて生理になったのか?」と殴られた。
その時は「たしかに今までこんな理由で休んだことがないのに自分は甘えていた」と思ったけど、
今も、月によって痛みがある月とない月があり、あの時の事を思い出すと違和感がある。
実際、エースの子は生理が止まっていた。
4月に15人入った新入生が1ヶ月で4人にまで減ったりするのは毎年のことだった。
一番人が減るのは合宿後。
朝8時起床
午前9時練習開始
正午0時昼食
午後1時より練習再開
午後6時夕食
まず、この夕食で食べる飯の量が決められている。
「食べることも練習だ」と言われ、残すことは許されず、とにかく食べる。
新入生の子は苦しくて何度もトイレに吐きに行く。でもなんとか食べる。
午後9時夜練開始。
そんなOB達に試合を申し込む。
試合をしていただき、感想を聞かせていただく。
何度も何度も試合をして、OBや顧問に感想を聞いて、とにかく試合をこなす。
試合に出られない後輩たちは地味な練習を何時間も続ける。
この夜練が午前4時まで続く。
時々、顧問の気分で12時や1時で終わったりするが、
ほとんどは3時か4時が当たり前だった。
この生活を一週間ほど続けるのが合宿で、これがすごくつらかった。
体育館つきのスキー場に泊り込み、昼間はスキーをして、夜はその体育館で練習。
合宿での寝床はだだっ広い広間にせんべい布団を敷いて雑魚寝するだけだけど、
元々頭が悪かったけど、毎日帰るのは10時頃だし、休みは月に2度程、
野球部でさえあったテスト休みも皆無だったのも手伝って、成績がかなり悪かった。
通知表に1(5段階)が付くと、すぐに担任から顧問に伝わる。
顧問に呼び出されて叱られ、部内の規則として、
1が1つにつきスクワット3千回をしなければならない。
でもあまりに成績が悪かった時、「××(わたし)はあの部活だからなあ」と、
担任の先生に言われ留年を免れたことがあり、その時ばかりは所属していてよかったと思った。
学校の服装は制服もあったけど自由で、他の子たちはスカートだけ学校指定、
上は自由という格好が普通だったけど、うちの部の女子はスカート禁止されてた。
体が冷えるからという理由。
あと炭酸を飲むことも、ポケベルを所持することも、スニーカー以外を履くことも。
隠れてひとつでもやって、顧問にばれたら大変なことになる。
ばかばかしい規則だけど、後輩が守れないのは先輩の指導のせいだって先輩が殴られるので、
そのルールは絶対に破ってはいけないものになる。
あと男女交際も禁止だった。
少しでも噂が流れれば、噂の相手と一緒に職員室に呼び出され、問いただされる。
廊下で話していたとか、一度一緒に帰ったりしただけでもすぐに情報が流れて、
呼び出されてしまうので、相手もびっくりしてもう話してくれなくなる。
そんなところに3年間所属していて、それを経験したその後。
バイトとか、あんまりすごくつらいなって思うことがない。
どんなに仕事がきつくても、どんなに肉体的につらくても、トイレに行きたいときに行ける。
水も飲みたいときに飲める。休憩ももらえる。更にお金がもらえる。
きついシフトの時に次々人がやめて行ったけど、
なんでこの程度で逃げちゃうの?ってわりと本気で思えた。
きちんと休憩も与えられて、何より何時に終わるかっていうのが明白である。
誰かの機嫌ですごく長引いたりしない。
長引いてもちゃんと理由がある。だから頑張れる。
あとは、目上の人にきちんとした態度を当たり前にとれるのが身に着いたこと。
人の話を立って聞くとき、グラグラしないでびしっと立ってきちんと聞く。
自分が何かを発言するときははっきりとしっかり話す。
こういう当たり前のことをすごく厳しく言われてきたので、
あの枠から出て、もう10年以上経つけど、
結局あの時間のすごし方はよかったのか悪かったのか未だにわからない。
一番楽しい時期に全く自由がなかったことは残念だとも思うけど、
いろんなことの基礎を叩き込まれたのはよかったのかなあとも思う。
最近はなんでも学校の責任になって、体罰なんてありえない世の中らしいけど、
同じ世界に生きているとは思えないなあ。
追記*****************
色んな反応を拝見させてもらって、やっぱり学校生活特有の異常な空間だったんだなと実感しました。
洗脳、という言葉が出てきましたが、この思い出を話す度に言われます(笑)
もう十数年前の話だし、あれからすぐ上京し、沢山の人と出会って、
やっぱり異常だったと客観的に見られるようになりました。
予想以上に反響があって驚きました。
「こんな思い出があったよ~」ぐらいの気持ちで書いたので。
「できない人が近くにいるとイライラしてしまう自分がいる。」と書きましたが、
もちろん今はそう思ってしまうこともよくないことだとわかっているので、
他人に自分の体験を強制することはないです。
(例に書いたバイト時代すらもうずっと前のことなので)
あと、「がんばった」っていう感覚はないなあ。
ただただとにかく一生懸命で我武者羅に過ごしてたって感じです。
いまとなってはぼんやりとしか思い出せないんですが…
あのあとすぐに、あの顧問は異動になり、あの部は廃れてしまったのだけど、
周りの学校に同じように厳しいところはいくらでもありました。
今でも強いところはあのような空間が存在しているかもしれないです。
卒業して一度も顧問にもチームメイトにも会っていないので何もわかりませんが。
ちなみに今は、職場でも私生活でもよい人たちに囲まれ、毎日楽しく暮らしており、
これは遠い過去の思い出のひとつです。
年とったなあ…
デーモン小暮閣下の「相撲解説。(一部、謝罪も含む)」がホッテントリ入りしてたので、何がすごいかちょっと分析してみた。
http://demon-kakka.laff.jp/blog/2009/01/jan26dc11-55e1.html
さて、本日未明、吾輩がこの場に「ゆゆしき問題である!」という表題にて、麻生総理大臣および日本相撲協会関係者を批判する書き込みをおこなったが、それは吾輩の見当違いの発言であったことが判明したので、ここにその文章を削除するとともに、この場を借りて、麻生総理大臣と日本相撲協会に謝罪いたす。
・いつ(本日未明)
・誰が(吾輩が)
・どこで(この場に「ゆゆしき問題である!」という表題にて)
・何を行ったのか、(批判する書き込み)
それが誤りだと判明した時に
・どういう対応をするのか(その文章を削除する、謝罪いたす)
が明記されている。
その書き込みは「麻生首相が靴を脱がずに表彰式の土俵に上がった」と決めつけて書いてしまったが、実は光沢のあるスリッパであったと関係者からの指摘を受け、吾輩も追ってそれを確認した。
麻生総理大臣には何の否もなく件の文章はとんだ言いがかりであったとともに、また「注意をしなかった」と日本相撲協会にも見識を誤った物言いをつける結果となってしまった。
ここで簡潔に自分の誤りを明示し、ちゃんと確認した上で、それが間違いだったと明言している。
さらっと書いてあるけど、「吾輩も追ってそれを確認した。」という点が素晴らしい。
誤りを誤りと認めないことが最大の誤りだ。
そして全面的に間違ってると分かったら、100%自分のミスを認める。
これは頭で分かっていても難しいことだ。
・・・とはいえ、調べてみたら、実は最初は「 追伸:TVモニター、買い換えよう… 」とあったようだが(>>391参照)、
後に削除されたようだ。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1211865.html
だいぶ迷ったのだろうが、消して正解だ。
言い訳したら、やはり格好がつかない。
今後は、この場もマスメディアであるという自覚のもと、ちゃんと事象の確認をおこなって発言をしてゆく所存である。
失礼した。
で、一番スゴイのは、実は
これなんじゃないだろうか。
それまでも「吾輩が」「謝罪いたす」「失礼した」と、普通の謝罪文ではあり得ないような、
いつもの閣下節でありつづけて、いつものように「ではまたWeb Rock!」で終わる。
この一文が浮かないキャラ作り、デーモン小暮閣下「凄み」がここにある。
正直、謝罪文としては基本でしかない。
同じブログでも、これが中途半端な芸人などだったら、更に炎上していだだろう。
四半世紀(聖飢魔IIは82年12月末に結成)もこのキャラを続けているだけでもスゴイ。
悪魔からすれば一瞬みたいな時間だろうが、人からすればオギャーと生まれた赤ちゃんが、
大学出てフリーターやって派遣社員になったけど派遣切りにあってネカフェ難民になってるくらいの長さだ。
メジャーどころで今でも髪を立ててるのはBUCK-TICKのヤガミトールくらいだが、彼だってこんなメイクはしてないw
(インディーズ系はわからない)
好対照なのが、今回の騒動で、スポニチが閣下の二次情報を元に記事を書き飛ばしているが、
謝罪もせずにさっさと削除している(しかも「土俵」→「土表」の誤字のオマケつき)。
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/flash/KFullFlash20090126038.html
・・・えーと、マジで絶句してしまったんだけど、謝罪記事って出ないの?
webなら消してしまえばどうでもいいと?
・・・そりゃあ、マスゴミだの何だの言われるわ。
悪魔のほうがよっぽどまともだ。
もう単純に言えば、
一言「ごめんなさい」って言ったときの発言の重みが、
ありきたりで説教くさい話になるけど、日ごろの言動が積み重なって「信頼」となるわけだ。
10万年の信頼は重みが違う。
なんかふっと思い出したんだけど、小さいころ親に叱られる時によく叩かれたんだわ。まぁ悪いことよくしてたから仕方ないと思うんだけど、いつも途中から「手でたたくと痛い」っていって道具で叩かれたのね。
痛いのは布団叩きの柄とか孫の手とかベルト。あれは痛い。特にベルトでバックルの方だとマジ痛い。
一方で楽なのは布団叩きの布団叩く方とかタウンページとかスリッパ。ありゃ冗談かってくらい痛くない。やらかいからなんだろうなぁ。衝撃を吸収してくれる。
今後子供を殴らなきゃいけないようなことがあるとしたらスリッパくらいにしようと思うよ。まぁちょっと痛いんだけどさ、安いのだと。殴らなくていいように言い含めることができたらそれが一番なんだろうけどなぁ。