○朝食:昼マクド(ダブルチーズバーガー)
○調子
朝起きれなかった。
むきゅー!
弟くんとむきゅー! っと遊んだ。
○就活
変化なし。
○ポケモンOR
サメハダーの厳選と育成を済ませた。
メガサメハダー格好いいよお。
171種まで集めた。
旧OVAを全部見た。
母親から毎日のようにメールが来る。メールに返信しないと電話がかかってくる。
内容はたわいもないこと。体調が悪いとか病院に行ったとか何か家電が壊れたとか近所に住む弟夫婦に対する愚痴とか。弟が転職を考えているらしく、母としては転職させたくないらしい。
ろくに返事らしい返信をしないとメールを送る回数がどんどんエスカレートしていく。
「メールは1日1通にしてくれ」と言ったら「親に対して冷たすぎる」と泣かれた。
今度のゴールデンウイークは何日に帰ってくるかとか、将来的に実家に戻ってくることの確認だったり、正直うんざりしている。
強く拒絶すれば、そのあとどういう行動をとるかわからないので、拒絶できない。
治ってないコメントみたら、直せや。
8.6秒バズーカ―関連のはてなのブコメでは、彼らの擁護派や同情派が多数を占めている。
こんなにもバズーカ―についての疑惑が出ているのに擁護派ばかりなのは何故なのか?
僕は彼らが意図的にやったと「思っている」し、少なくとも身近にいる人たちも同じ感想だ。
(僕も身近な人たちもネトウヨなんかではない)
例えば、以下の「事実」で、あなたは偶然が重なっただけだと思うだろうか。
・ネタ中の連続した言葉「トリュフ・スパイダー・フラッシュ・ローリングサンダー」という掛け声を訳すと
・上記の掛け声の時の相方の動きは、「火がぶわーってなってるところを避ける動き」と相方本人が過去に説明。
・上記の掛け声言われて、「そんなん嫌や、そんなん嫌やと」という感じだと本人が言ってる。
・ネタ中で「ラッスンゴレライ」や「~~ローリングサンダー」を言われてる側の相方は、
「日本の父、日本の母のボク純粋な日本人!」と日本人アピールをするくだりがある。
・ボケ側の方は、夜の原爆ドーム前で、1人でピースサインをしている写真がある。
・ボケ側の方はコンビ結成より前の年に、「8月6日になんかやりたいなー」とツイート。
これらはこじつけでもなんでもなく、事実である。火を避ける動き云々の箇所はYoutubeに残っているので確認ができる。
で、ひとつだけ僕の憶測になるが、「ラッスンゴレライ」の意味は「Less than Gollira」説を推す。
もともと「落寸号令雷」みたいな明らかなこじつけが拡がったので、擁護派が多かったのだろうけど、
それを差し引いても、はてなーたちのブコメとスターの偏りには驚いた次第である。
僕は正直彼ら個人が反日の思想なのかなんて事はどうでもいいのだが、
もし仮に「原爆」と「ゴリラ以下という侮辱」を、「お笑いネタ」として「公共の電波(とネット)」に流したとしたら、
刑法に触れなくても多くの日本人の感情を害する最悪な行為だと思って非難されるべきだろう。
彼らがどんな意図でネタを作ったかは彼らにしかわからないので真実は藪の中だし僕はこれ以上調べる気もないが、
疑われるだけの事がいくつも重なってしまっているのに、「ネトウヨ」「妄想」「病院行け」と決めつけ発言をするはてなーこそが、
兄の荘公の夫人と密通し、その兄が死んだ後に自分を差し置いて魯公となった甥を殺した。
代わりに立てた閔公が、慶父の弟である季友を信頼する姿勢を見せると、これも殺してしまう。
自らが魯公とならんとするも、周囲の支持を失い追放され、後に送還されて季友から弾劾され、自害した。
始皇帝が亡くなると、丞相の李斯を唆して遺言を書き換え、本来の後継であった扶蘇を自害に追い込み、その弟である胡亥を即位させる。
功臣を殺し、圧政を敷き、それによって反乱を招くと、李斯や胡亥を弑して劉邦に内通しようとしたが、扶蘇の息子と言われる子嬰に殺された。
傀儡として立てた幼い皇帝に「跋扈将軍」と揶揄され、その聡明さを恐れて毒殺した。
桓帝の代になってようやく梁冀は粛清され、一族も悉く処刑された。
武力によって専横を極め、悪政暴虐の限りを尽くした。
密告を奨励した唐の則天武后の下、来俊臣は犯罪者を取り調べる役に抜擢された。
凄惨な拷問を編み出して、次々に無実の者を死刑台へと追いやった。
ついに来俊臣は、これまで自分がやってきたように密告され、斬罪に処された。
街に晒された死体は恨みに燃える民衆によってバラバラにされたという。
玄宗が気に入った者や、皇太子の周囲にいる者、自分の地位を脅かすような人物を次々に陥れて殺した。
温和な顔をして政敵を追い落とす様は「口に蜜あり腹に剣あり」「真綿に針を包むごとし」と評された。
南宋において宰相を務め、圧力を増す金との講和を唱えると共に、反対派を弾圧した。
後世、岳飛が忠臣の象徴とされると、秦檜の名は売国奴の代名詞となった。
岳飛廟の前には、秦檜夫婦が縄で繋がれた像が立てられ、訪れる者はそれに唾を吐きかけたという。
明の嘉靖帝は政治を顧みず道教に熱中し、道教の祭文に通じていた厳嵩は気に入られて高位に就いた。
賄賂が横行する悪政を二十年に渡って行ったが、やがて勢いを失った。
同じく権勢を振るった息子が処刑されると、家財を没収され、庶民に落とされた。
明の宦官。
東林派と反東林派の争いに乗じて権力を握り、大々的に東林派を弾圧した。
全国に間諜を放ち、自分を批判するものは全て投獄して処刑した。
周囲には「九千歳」と唱和させ、自らは「尭天舜徳至聖至神」とまで名乗った。
清の絶頂期を築いた乾隆帝も老いては耄碌し、和珅はその寵臣として長年に渡り政治を壟断した。
xvideosばかりのお気に入りもカラフルに!おっしゃれー!
まあすぐリスト表示に変更したけど。
っていうかブックマークのページから、新しいタブで開けなくないか。不便すぎる。
オフにできたのでしこれる
初心者向けの入門書ばりに初歩的な内容のコメントだったら、書くのやめてくれる?
//足し算
とか
//ループする
とか
見ればわかるから
映画「桐島、部活やめるってよ」を観ました。
正直、観なきゃ良かったです。気持ち悪くなって吐きそうでした。ずっと変な汗が出るし、胃もキリキリしっぱなしです。
だいぶ落ち着いて来ましたが1回目は最後まで観れなかったし、しばらくはダメージが消えませんでした。
登場人物はお互いにほとんど深い話はせず、表面的な付き合いで、
相手によって仮面を使い分けている表現が非常にリアルで見事です。
登場人物のそれぞれが何を考えているのかは、想像するしかないので、
観る人によっては同じ場面でも全く違う解釈になりそうです。
でも何回か観るうちに同じ結論になりました。
誰かが死んだり、残酷ないじめがあったりという、ドラマチックな場面は一切無く、
しかし俺にとってこの映画は、今までに観たどんな映画より残酷な映画でした。
カーストの上位と下位とそれ以外の学校生活が嫌味なぐらい丁寧に描かれているように感じました。
俺が1番ショックだったのは、人間には悪意などなかったことです。
映画を観たことで、今更ながら当時の事を、そんな風にはっきりと理解できました。
人間は俺たちのことをただ単にゴミだと認識していたに過ぎませんでした。
ゴミで無ければ雑音とでも言いましょうか。
とにかく少なくとも「人間」ではありませんでした。
当時の俺もその事は理解していました。
しかし実際にはそんな事はありませんでした。
元増田では「みんな弱いところがあるんだからしょうがない」と書きました。
これは正しいのでしょう。
でも彼らは自分の弱い心に負けたからいじめているのでは無かった。
「人間ではないものが面白い反応をするから、いじってる」だけでした。
これはいじめでは無いです。
ではいじめは存在しないのかと言うと、そんなことはありません。
元増田に追記で書いた「カーストの中に居る人間に対して行われるもの」はいじめです。
これには悪意があります。
俺はカーストの最底辺だと思っていましたが違いました。そもそも人間じゃありませんでした。
すみません。話がそれました。
この映画には、先ほども述べましたが、いじめの描写は無いし、わかりやすい説明もありません。
その代わり注意して観れば、色々と気が付くことが多いと思います。
まず映画の全体的な感じについてです。
学校は「人間」の噂話で満ちています。みんなその話が大好きで興味の対象はほとんどがそれです。
この映画ではわかりやすく「人間でないモノ」は映画部にまとまっています。
ここからは印象に残ったシーンについてです。
ゾンビが単に「おっまたー(おまたせ)」と言っただけで嘲笑されるシーンがあります。
「え?なんで嘲笑されるの?そんな事は普通ではあり得ないのに」
そんな風に感じた人って少ないと思います。
「まあ、高校生だし、しょうがないんじゃない?」程度の認識が普通なんでしょう。
俺の前でそんな感想を言ったら鼻血ぐらいじゃ済まないです(笑)
なぜなら、あの場面、俺は正視できないからです。すごく胃がキリキリします。
あれが俺たちの日常なんです。
人間が「うんこ行って来る」「勃起した」などと発言しても違和感はありません。
しかしゾンビには許されません。ゾンビの日常は非常に抑圧されています。
言いたい事が言えないのは当たり前だし、目立つ事なんてもっと危険です。
人間であれば嬉しいはずの、コンクールの1次予選を突破したことを皆の前で褒められる場面も
この映画では人間社会にありがちな「真剣に生きることは恥ずかしい」という空気があるので、
みんなの前で表彰された彼らのいたたまれなさには相当なものがあったでしょう。
吹奏楽部の子が映画部の活動を「そっちは遊びでしょう。私の方は真剣な部活動なんです」と言う場面。
映画部の作品がコンクールの1次選考を突破した事は朝礼で聞いたはずです。
それでも自分たちの活動とは比べる気にもなれない、という事にリアリティを感じました。
高校時代にセックスする事は不可能だと思われているレベルの子ですら、こんな認識です。
(でも、吹奏楽部の子はもう少し不細工にしないと「セックスできない」という評価にリアリティは無いと思います)
一緒に観ていた女にはピンと来てない様子でした。
無理矢理その理由を聞いたら泣きながら「あれは無理に理由を考えたからだと思う」と反論します。
例えば映画「鉄男」を観てるシーンでちんぽドリルが女を殺す場面があります。
ゾンビは女に好かれることが無いので、未成年ゾンビのセックスはレイプしかあり得ません。
そんな映画を観ていたことを好きな女の子にバレたら普通は焦ります。
でも彼は焦りません。それどころか、女の子もこういう映画に興味があるのかもと期待します。
「意外と面白かったね。似た感じのを前にもテレビで観たけど、なんだっけ〜」と言われて
自分もこういう映画には興味がなくて、暇潰しに観てただけ、という感じで
「へ〜、ああいうの好きなの?変わってるねー」などと茶化しつつ
隣に座って別の話をした方が良いです。
でも彼は少し距離を置いて突っ立ったまま映画の話をし続けます。
気まずい沈黙を間に挟みながら、女の子と必死に映画の話をしようとします。
「中学の時からそんな感じだったよね」と嫌味を言われているのに、
それに気が付かず「覚えていてくれたんだ」などと喜びます。
でも実際にはこの子は名前すら覚えておらず「あの人」扱いです。
普通の人が普通の感覚で観るとかなり異様なはずですが、この女は一切違和感を感じない。
なぜならゾンビがそのような振る舞いをするのは当たり前だからです。
それならこちらも当たり前の行為をするまでです。
また全体的な話ですが、ゾンビ視点だと、人間の苦しさなどは全てが些細なものに映ります。
例えば桐島の彼女や親友は彼が部活を辞めるという重要な決断に、何の相談や連絡もされない悲しさがあるし、
バレー部で桐島のサブだった選手は急遽試合に出ることになり、チームが負けるという苦悩がある。
カースト頂点の男の彼女だが、男に全く愛されていない事を薄々感じる焦りと悔しさ。
それら全てを俺は理解できるのに、それなのに「よかったね人間で」としか思えず、そのことに絶望しました。
バレーやバドミントンの練習で汗を流す場面はキラキラしていて眩しい。
俺も運動部に入ったことはありますが、せめて人間らしい理由で辞めたかったです。
序列が決まっていない最初の頃はこんな俺でも人間扱いされます。
でも、だんだんと序列が決まってくると、俺の順位はどんどん落ちるようで、
その内なにを言っても通らなくなり、誰もまともに相手をしてくれなくなります。
人間扱いされていた頃の記憶があるので、その頃にかけられた優しい言葉を思い出して
逆に辛くなる感じって分かりますか?
「なんであんな良いやつが俺の事をゴミのように扱うのだろう?」
という疑問の答えが
「本当は良いやつなんかじゃないんだ」
になっていましたが、そうじゃない事がこの映画を観てはっきりとわかりました。
ゴミって邪魔ですよね。人間がゴミに対してそう感じるのは当然です。
教室の入り口で通行の邪魔になるし、吹奏楽部の子の邪魔を2度もするし、屋上では全員の邪魔をします。
他にも剣道部の邪魔になっていたり、いちゃいちゃしてる子たちの邪魔にもなっています。
最後に人間扱いされたようにも思えますが、俺にとっては救いになる程ではありませんでした。
たぶんみんな良いやつなんでしょう。今の会社の同僚も上司もみんな良いやつなんでしょう。
俺が重要なことを女にしている時に上司から緊急電話が来ました。
ちょうど良かったので「もう辞めるから電話して来るな」と返してしまいました。
最初に映画を観た時は半分ぐらいで耐えられなくなりプレステ3を破壊してしまいました。
でもどうしても気になるので次の日に中古を買って来ました。
なんとか説得して2回目、3回目、4回目ぐらいまで一緒に観ました。
もうこの女が映画を観る事はないと思うので、その後はひとりで観ていました。
結局7回ぐらい観ました。それ程俺の中では興味深い映画でした。
おすすめです。
精神が正常に戻ったら「メンヘラは社会復帰が難しい」って問題をうまく解決する方法を思いつくかもしれない
そんな都合の良い死に方が有るかはわかんないけど、ちゃんと死に切る方法が分かったら俺にも教えて欲しい
何かを施すためのモノづくりにおいて、他人がそれをどう思っているかという事は結構重要だ。
料理を作ってあげようとなれば相手の好みを知っているほうがいいし、盛り付けもなるべく綺麗にしたほうがいい。
ただ、私が好きなものに対して他人がどう思っているかは全く重要ではない。
私が好きな本や嫌いなグループに対して、他人が好きだろうが嫌いだろうが、それ自体が私の評価に影響を与えることは100%無い。
私が好きなものに対して、他人が嫌いだと表明してても、自分の言葉で何故好きなのかを説明することができる。
あるいはなぜ嫌いなのかを説明することができる。(労力や関心の低さから、説明しないという選択肢もある)
この、「なぜそう思うかを説明するための言葉」に対して、「でも皆はこう思っているし(だからお前のほうがおかしい、マイノリティだ、非常識だ)」という言葉が帰ってくることがよくあるが、お門違いも甚だしい。
今ネット社会は「皆が作り出す空気」と「一般的(と、そのコミュニティが信じる)習慣」と「数の暴力」の支配する田舎村に逆戻りしている。
悲しい事に、村社会のネットでは、皆言ってるという言葉に意味がないことに皆が気付かないと、数の暴力でイジメぬかれ、殺されてしまうのだ。
「ママ名刺に夫の役職を書いている人がいる」説は作り話だと思う。
都内在住で3人の子どもがいて、それぞれにママ友がいて、全部合わせたら30人くらい。
私の感覚からすると、たとえ夫が一流企業に勤めていてもそれを明記したりはしない。
なぜなら、自慢していると思われたり嫉妬されたりするから。嫉妬からハブられることもあるのがママ友仲間だから。
ママ友のだんなさんが一流企業に勤めていたりするのは薄々わかってはいるけれど、
お互いに夫の役職などには触れないの暗黙のルールというかマナーになっているような気がする。
まあ広い日本、夫の役職をママ名刺に書く人もいるかもしれないけれど、そういうママは確実に嫌われる。
私のママ友の中には、旦那さんが一流企業にお勤めだったり医師だったり会社役員だったりするママ友もいるけれど、そういうママはだいたい謙虚だ。夫の仕事の話はほとんどしない。自慢することで嫉妬される怖さを知っているからかもしれない。