はてなキーワード: ADBLOCKとは
AdBlockをOFFにしたら直ったわ
誰か裁判して軽減税率適用された分を今後国庫に返納させるようにしてほしい。
(追記)
やっぱ遺憾よなあ!
紙の新聞なんかどっちみちもうすぐ無くなるだろうが税金の落とし前はここでキッチリしとかないとこれは「前例」として残り続けるからな。
次の増税はおそらく12~15%あたりで刻んでくるだろうけど絶対に軽減税率とセットで打ち出してくるだろうし。
与党の票数や官僚の天下りに貢献度が高い業界の品目の税率が低くなったり、そんなんが普通に行われるようになるぞ。たぶんね。
あとそもそも紙の新聞の「生活必需さ」ってなによって感じよな。
差はどこにある?
そもそも大昔から「インターネットの99%は回線代だけで楽しめる」という状態を支えていたのは紛れもなくネット広告だぞ?
個人がサーバー代を払うパターンでも、そのサーバー代はサイトに置いたアフィリエイトで補っていた。
それでもインターネットでは広告を憎むものが暴れまわっていて、adblockを入れることは絶対正義だった。
広告の効果が疑われたことで収入が減っていった広告業界は、怪しい広告を出すようになり、やがてネット広告は詐欺とウィルスの独壇場と化していった。
今でもネット広告には無数の詐欺広告が溢れているし、無理やりクリックさせるために動き回ったり透明になる広告まで出てきている。
そして多くのヘイトが今も日夜注がれている。
ネットを楽しむための仲間ではなく、ネットを破壊するテロリストのように扱われている。
こんなことはADSL時代のインターネットでさえ考えられなかった。
あの頃に「Adblockを推奨するようなことはやめよう!サービスにちゃんとお金を払うんだ!」と主張すれば、あっという間に炎上が広がっただろう。
炎上の行き着く先は卒業アルバムや会社HPからの顔写真晒しであり、更にはスマイリーキクチのようにあることないことを言いふらされて人生に大ダメージを受けたはずだ。
だが、今はそうではない。
むしろAdblockを推奨する側こそがそういったリンチ被害に会いかねない空気が醸成されている。
時代は変わった。
そりゃ変わる。
変わるに決まっているのだが、やはり変わるということには一定の恐怖が伴うものだ。
振り落とされればそこには社会的な死がいつも待ち受けている。
おれはadblock+を使ってる。
大学で電通の元偉い人から広告論の講義を受けたことがある。面白かった。様々なこだわりを持って、マーケターとクリエイティブが組んで製作しているというのがわかった。別に、そういう広告は今後もなくならないとも思う。
ただ、大抵の一般人にとってテレビCMとは観たい番組の邪魔をする「理屈はわかるけどない方が嬉しいゴミ」であったし、雑誌の広告は「なんだかよくわからない胡散臭いもの」で、WEB広告は「うっかり踏むと別に使いもしないサイトに飛ばされる邪魔なリンク」だった。つまり、全部ゴミだ。そりゃ中には綺麗なゴミもあるかもしれない。ゴミ捨て場に転がってるビー玉みたいな。でも、ゴミはゴミだ。ゴミを拾ってパッチワークを作ったり、廃材アートを作る人がいても、ゴミなのは変わらない。
そういう意味で、そもそも『クリエイティブ』であろうとする古い広告業界と、『営業』であろうとするWEB広告業界は別物なんだろう。いや、WEB広告の世界にも面白い広告はある。思わず見てしまうようなものとか。Adblockをわざわざ止めて探したりする。でも彼らは根本的には『営業マン』であり、『営業マン』が数字に命を賭けるのは当然だ。正直、そっちの方が潔いし、顧客に対しても親切だとも思う。
そもそもアートがやりたい、見たいのなら立場や相手はアーティストであるべきなのではないだろうか? 日本は看板だらけで街並みが汚いという言葉がある。つまりこれも広告だし、「広告が沢山ある」ことを賛美する話なんて聞いたこともない。廃材アート的な文脈でなら、ともかく。
……自分はこんなに広告を憎んでいたのだろうか? 実のところ、確かにWebマーケ業界については就活の際に覗いて、「これを仕事にするのは大変だな」と思った記憶はあるのだが。ただまぁ、それは数字を追いかけることが苦手だったからでもある気がする。
つまるところ。アートをやるならやるで、やはり数字は大切という話なのではないか。
PR企業で電通にコンペで勝っている会社もある。ベクトルという、アイデア重視で非常に『バズらせる』のが上手い会社だ。アーティスティックだし、興味深く、面白い。大金を積んで豪快なPRをするだけではない魅力がある。