はてなキーワード: 能登かわいいよ能登とは
「メガトン構文」「小泉構文」「フリーレン構文」と、文章を改変して遊ぶネットミームを「〇〇構文」と呼ぶことが浸透している。
すこし前は構文と呼ばれることはなかったように思う。同じものを指す言葉としては「〇〇ネタ」や「〇〇コピペ」あたりだろうか。
「能登かわいいよ能登」「ルイズは俺の嫁」は今なら構文と呼ばれるだろうが当時に聞いたことはない。
マークパンサーがマルチ商法に手を出した時のサイトの言葉を改変して使うのが流行ったが、「語録」などと呼ばれ「構文」とは言われなかった記憶がある。
2位 仙台ギャラクシーエンジェルズ
3位 | ノ ヽ
4位 / ● ● | クマ──!!
5位 ∩___∩
6位 浦和レッズ
7位 楽天
8位 | ( _●_) ミ
10位 彡、 |∪| 、`\
13位 能登かわいいよ能登
14位 (___) / (_/
15位 | / ) )
16位 マ●コ
18位 | /
19位 | /\ \
21位 ∪ ( \
22位 \_)
25位 仙台(゜л゜)フンヌさん
27位 Online Striker
29位 ⊂彡
30位 _ ∩
34位 水橋かおりんズ
35位 ほっちゃーん! ほ、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!!
38位 田代まさし
40位 曾我サターン
私的メモ。 https://anond.hatelabo.jp/20171230110506 こっちの追記。
2クール目のボールルームへようこそは1クール目テンポ悪いなあと思ってたけど千夏ちゃんと組んでから最終回の流れは良かった。
長尺を使って描かれた関西大会における北宇治の演奏。凄すぎて凄い以外の語彙を失ってしまった感はあるのだが、いくつか思ったこともあるのでそれを書きつけておく。
そしてそれは府大会と関西大会の演奏の違いであり、結論を先述べしておくと、
の二つが論点になる。
端的にいえばみぞれと希美の確執および和解にまつわるエトセトラがそれ、ということになるのだが、最も説明しやすいのが麗奈のソロパートなのでそこに触れる。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm29961964
上記は府大会と関西大会の演奏シーンを並べた動画だ。見てもらえれば判る通り府大会では香織の表情を映してるのに対し、関西大会ではトランペットのソロを下支えする久美子と彼女が幻視した大吉山でのシーンが描かれている。
府大会は直前にトランペットのソロを麗奈が吹くか香織が吹くかで揉め、再オーディションをする事態にまで発展した。「三年間やってきたんだもん、最後は吹きたい」という香織の想い。彼女を慕う優子の想い。しかし麗奈はそれらを音でねじ伏せ、ソロパートの奏者となった。コンクールにおける当該シーンでは、その音を聞きながら最初はうつむき、そして最後には“納得”したように微笑む香織が描かれる。つまり麗奈のソロパートは、香織の心の決着の場でもあった。
関西大会はそうじゃない。今度は麗奈の音に久美子の回想が乗る。なぜ久美子かというと演奏の直前に「私も久美子のために吹こうかな」と麗奈が言い出したことによる。「みぞれ、ソロがんばってね」「わたし希美のために吹く」というみぞれと希美のやりとりを見てそう口走ったのだ。
『ユーフォ2』#1-4は言うまでもなくみぞれと希美のお話がメインだった。その中のひとつの切り口に、誰のために何のために吹くのかというのがあった。みぞれは「楽器だけがあたしと希美をつなぐもの」だから吹いていた。片や麗奈は「考えたことない。……強いて言うなら自分のため、かな」と答える。そんな麗奈も、みぞれ希美のコンテクストを受けて、「久美子のために吹」くという形でソロパートに臨んだ。
ここでとても面白いのは、麗奈のソロパートを下支えしてるのはユーフォニアムという点だ。府大会ではシーンに登場したファゴットがここでは描写されず、それによって久美子の下支えが、その低音が強調されている。そうして絡み合い一体化していくふたつの音。それは大吉山での“愛の告白”の回想へとつながっていく。あまりに、あまりに美しい光景だ。
正直いちばんうなったのはこれ。音による裏打ち。
ぜひ府大会と関西大会の演奏の音を聴き比べてほしい。みんな本当に上手くなっているので。……と言いつつ、当方の耳は非常にボンクラ(部長の声を「はやみん? いや……能登かわいいよ能登?」などと言って周りに白い目で見られてしまうレベル)で、合奏はその違いがよく判らなかった。なので麗奈のソロパートを聴き比べてみた。ここはその差が如実に判った。それぐらい違った。
たとえばソロパートの始まりの「ぷぁー」という音。府大会は出だしのこれが鈍重かつか細いのだ。例えるなら冬の海。冷たく重い海水から頭を浮かすことができず潜ることを余儀なくされたような、重力を含んだ音。メロディの終わりも唐突で、次の音も焦ったように早く始まって伸びや豊穣さが感じられない。対する関西大会はどうだろうか。こちらは非常に伸びやかで、春の海のような、その上を軽やかに滑るような明るさがあるのだ。音の終わりもビブラートを利かせて情感がたっぷりこめられており、次の音への繋がりもとても心地よい。聴き比べてみると驚くほど違いがあったのだ(これは大げさでもなんでもなく、実際そうなのでぜひ聴き比べてみてほしい)。
続く「ぱーらりらりらー」も関西大会では楽しげに舞い上がるような音になっている。まるで夏の夜、意中の相手との初めてのデートに浮足立つ少女を想わせるような。その(久美子を想って吹かれた)つやっぽい音色を聴いて、久美子が大吉山での出来事を思い出すのは無理ないことというか、音それ自体が、その時のことを語りだすかのようですらある(府大会の当該シーンに、そういった抑揚はない)。
これは、臨時講師の橋本が言っていた「君たちの演奏は(中略)表現力が足りない」というコンテクストにも乗っている。みぞれのオーボエに対して「もっと感情だせない?」という話から始まったこれは、どんどん上手くなっている北宇治に大きく欠けているものだった。みんな練習や、みぞれに関しては希美との和解によって「表現力」を獲得していくが、麗奈のそれは、半ば冗談めかして言った「私も久美子のために吹こうかな」により久美子が夏の大吉山を思い出すような艶めかしい表現につながっていき、そして何より音がしっかりとそれを裏打ちしていた。『ユーフォ』は本っっっっっっ当に芸が細かい。
傘木希美は現在フルートパートを担当する三年を凌ぐ実力の持ち主で、南中では吹部の部長を務めていた。南中での最後の府大会でまさかの銀賞と涙を呑み、高校に入ったら絶対に金賞を取ろうとみぞれたちと誓い合っていた。しかし今は卒業してしまった去年の三年との確執によって退部を余儀なくされてしまう。みぞれとの和解を経てサポートメンバーとして部に復帰し、じっさい献身的にみぞれやAメンバーを支えている。
しかし、だ。希美はもともと辞めたくて部を辞めたわけじゃない。フルートが好きで、金賞を取りたいという目標もあった。フルートパートを担当する奏者は自分より明らかに劣っている。おくびにも出さないけど、奏者として吹けないことが悔しくてたまらなかったはずである。
それが、「わたし希美のために吹く」というみぞれのオーボエソロのときに初めて顔に出る。
https://i.gyazo.com/06b7e5cfb22dec64999f0fa202731f57.png
舞台から、みぞれのオーボエソロから背を向け、笑みを浮かべず、中空を見つめる希美。
府大会のオーボエソロには「きゅーん!」となったにも関わらず、希美への感情が乗って表現力の増した関西大会のそれにはそうならないのだ。
ここから一貫してみぞれは舞台に対して背を向け続ける。サポートメンバーはみな舞台を覗き込んだりしながらAメンバーたちの演奏が無事に終わることを祈っている。しかし希美がその輪に加わることはない。
https://i.gyazo.com/df1f0bac8c9ab5c3824e7d9738ff6157.png
https://i.gyazo.com/814767fa1286d18a63ec9d61f5171438.png
それぞれ演奏終了直前、全国大会進出が決まった直後の表情。特に最後の表情は、周りと違って手放しで喜んでいる様子はない。良かったとは思っている、でも自分がそこに居ないのは悔しい。
少ないカット、一瞬の表情。しかしそうやって希美の感情がフィルムに乗ることで、関西大会の演奏がより豊かになる。そして希美の悔しさは、来年のコンクールにつながっていくことだろう。コンテクストがまたひとつ積み上げられ、『ユーフォ』の世界が豊穣になっていく。
関西大会を終えた今になって一期の#13、府大会の演奏直前のあすかと久美子のやりとりを見返すと、あすかの曰く言い難い表情に、その胸の裡の複雑さを思わせられる。
「なんか、ちょっとさみしくない? あんなに楽しかった時間が終わっちゃうんだよ? ずっとこのまま夏が続けばいいのに」
「なに言ってるんですか。今日が最後じゃないですよ。わたしたちは全国に行くんですから」
「そうだったね。そういえば、それが目標だった」
久美子のまっすぐな瞳から虚をつかれたように視線を外すあすか。そして眉尻をわずかに下げ、とても複雑な笑みを浮かべるのだ。
これは関西大会直前の「私はここで負けたくない。関西に来られて良かった、で終わりにしたくない。ここまで来た以上、なんとしてでも次に進んで北宇治の音を全国に響かせたい」と部員たちの前で宣言するあすかにつながってくる。
あすかは、あるいは部の誰よりコンクールにかける想いを持っているのかもしれない。これからそれは明らかになっていくことだろう。そのあすかのコンテクスを踏まえた全国大会の映像、それが今から楽しみでならない。
「能登かわいいよ能登」がはてなキーワード経由で現代用語の基礎知識に収録されることになったという。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0711/14/news075.html
「○○かわいいよ○○」とは、はてなキーワードにもあるとおり、
大本はさんまがカントリー娘。のあさみに対して連発していたものが2chの実況民の心を捉え、普及したものだ。
アニメキャラや実在の女性に対する萌え感情、熱いパトスをほとばしらせる表現だ。
しかしこの表現、よくよく考えてみると、「俺の嫁」と使いどころが似ていることに気づく。
試しに「俺の嫁 かわいいよ」でぐぐってみると、あちこちでアニメキャラの取り合いをしているログが引っかかる。
萌えを一斉に表明することで一体感を感じるということでは、「あさみかわいいよあさみ」は「俺の嫁」の前駆体なのではないか。
萌えを表明することに飽きたらず、独占するという形で争う要素を導入したことにより、
さらにこのような表現が広まることになったといえる。
一連の「俺の嫁」論争の中で、「あさみかわいいよあさみ」に対して言及するものがなかったのでとりあえず書いてみた。
レベル0の人は、サザエさんやドラえもんなどの国民的アニメしか見たことがありません。オタクが見るようなアニメに関しては存在すら認識していません。世の中のほとんどの人は、このレベルです。
レベル1の人は、子供との付き合いでアニメを見ます。休日の朝や夕方のアニメについてはそれなりの知識がありますが、子供と一緒に寝るため、深夜アニメには縁がありません。
レベル2の人は、レベル1の人たちと同じようなアニメを見ています。ただし、子供のためにではなく自発的に見ています。キャラクターの名前もよく覚えています。このレベルにある人は1年で別人のようにヤバい人になっている可能性があります。
レベル3の人は、深夜アニメや独立U局に手を出し、いわゆる萌えアニメなども多く見ています。ネット等でオタ仲間と交流し、より多くの知識を吸収していきます。実況板に入り浸っている人たちは、主にこのレベルです。
レベル4の人は、声優陣や製作スタッフなど、アニメ作品の周辺知識に詳しくなります。オマージュやリスペクトなどを分析して評論家気取りの文章をネット上で公開したり、作画監督による絵のクセを分類したり、アニメを楽しむというよりは分析の対象にしている人たちです。
レベル5の人は、アニメが好きなあまり業界に飛び込んでしまった人たちです。このレベルにある人は、過酷な業界の現実を目の当たりにし、アニメに対し複雑な感情を抱くようになります。ちょっと気を抜くと、あれほど必死に集めたグッズを焼き捨てて田舎に帰ってしまうかもしれません。
レベル6の人は、アニメ業界で上層にいる人たちです。レベル5で猛烈な下積みを行い、チャンスと才能に恵まれた人だけがこのレベルに到達できます。このレベルにある人は、作品の内容の一部、あるいは全てを決定する権限を持っています。このレベルの人たちは、アニメが好きなのか嫌いなのかよくわからない発言をすることがしばしばありますが、心の底ではアニメを誰よりも愛している人たちです。