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2014-03-05

http://anond.hatelabo.jp/20140304232808

まりに気になったので、行って確かめてきた。

松屋すき屋と比べて薄味だと思っていたから、何か味を足すのは悪くなかった。

ただ他にも色々あったから以下レビュー

醤油

悪くはない。味は濃くなるが、塩っぱすぎて肉とはあまり合わないと感じた。

ポン酢

微妙。酢っぱいさは大根おろしとかと合わされば肉と合うんだろうけど、それ単体だとあまりにも肉と合わない。

カルビソース

普通牛丼のタレと似てるから違和感なく食べれた。でもぶっちゃけ別にかけなくてもいい。

バーベキューソース

悪くはない。甘くてパイナップル?な感じだけど味の方向性全然うから特盛で飽きてきたから美味しく感じた。特に肉と絡めて食べるならこれだな。コメとは合わない。量を食べるときはいいかも。

フレンチソース

まずい。これは野菜にかけるものだ。

○胡麻ドレッシング

かなりうまい野菜にかけるものかと思ったけど、コメと合う。甘ったるさがバーベキューソースよりも濃くて、ここまでくると普通に牛丼の汁がかかったコメを食える感じになった。オススメ

2013-11-09

中二病合理的ごっこが何故見苦しいか

合理的思考で慣習や習慣を洗いなおすというのは

批判されるようなことではない。

よくよく考えて「いただきます」が不要という結論が出たなら思考した価値がある。


けれども元増田のは思考ごっこであって、まるっきり掘り下げが足りない。


一体誰に向かって言ってるの?

食事を作ってくれた人への感謝の気持ちならわかる。

だったら作ってくれた人のほうを向いて「ありがとう」っていうのが正しいよね。俺はそうしてる。

例えばその「作ってくれた人」とは誰なのか。

経済の話が好きなようなので、仮に家庭内ではなくすき屋での話だとする。

目の前に運ばれた一杯の牛丼

仕込みをした人と調理した人と盛り付けをした人と配膳した人が別だ。

更にはメニューを開発した人や食材を仕入れた人や食材を運んだ人、お百姓さん…までが背後にいる。全員宗教と無関係実在する。

元増田感謝を捧げたいのはどの人だろうか。

全員だろうか?中の数人だけだろうか。

除外・選別の理由は何だろうか?

きちんと考えつくしているように見えない。


また、なぜ感謝を捧げるべきなのだろうか?

対価を支払って購入した牛丼の筈。

合理的に考えると、誰はばからずにふんぞり返ってかき込んでもよいのではないか

そうではなく、サービスを受ける時は貨幣的対価を支払う以外に感謝の気持ちが必要なのだろうか?

それは何故?


しろ、食事を作ってくれた人への直接的な感謝を優先しない、不躾なやつだと思う。

仮に感謝必要なのだとして、

なぜ直接的な感謝あいまい表現だ…)が優先されるべきなのだろうか?

牛丼が目の前に置かれるまでのサービスの長い流れの中で

末端にだけ優先的に感謝をするべき理由は?




どの論点も全く掘り進められていない。

自分の狭い視野と貧しい知識でパッと気付ける部分だけを疑い、論理的な発展は全く無い。

ということは、頭の良し悪しもあるにせよ、根本的にはまじめさが足りない。


更に、実はこの程度の話は全て過去検討されていることも知らない。

同じ論点が先人達によって元増田の幼稚なポエムでは足元にも及ばないほど掘り尽くされているのを知らない。

これも結局、本気で考えよう答えに辿り付こうという真剣さの欠如の表れ。


では元増田合理的思考のフリの目的はなんなのかというと、

要するに「特別な存在である自分という妄想に浸ること。


ありふれた見苦しい中二病表現として

こういう「合理的思考」もどきが選ばれるせいで

合理的思考」自体のイメージまで毀損されるのが大変迷惑だ。


怠け者の馬鹿が「特別な存在である自分」になりたいなら暴走族が一番迷惑が少ない。

なぜ「珍走団」などと言っていじめて廃れさせてしまったのか。勿体無かった。

http://anond.hatelabo.jp/20131109090508

2012-03-25

http://anond.hatelabo.jp/20110724172205

 コミュ障的な受け答えですが、そもそもこの人の言ってる批判は、批判じゃなくてただの批難では?

マスコミのせいで言葉が汚されてますが、批判は、批(つき合わせて)判(はんだん)する事です。

批(つき合わせて)難(難癖をつける)ことではありません。

 いまや忘れされている感がありますが、批判という言葉は、英語で言うCritical Thinkingという重要意味をもっています

今はどうか知りませんが学校の成績で批判力があるか無いか記述されている事が有りました。

批判力があるというのは、帰納思考(例:吉野屋松屋すき屋、ちからめしの経営状態が良い。ならば牛丼屋の景気が良いのだろう)や、演繹思考(例:牛丼業界が儲かっている。ならばすき屋も儲かっているのだろう)といった事実に基づいた判断ができるという事です。

 決してマスコミが角を立てないために批難と言わず批判を使っている事に乗せられて本来の意味蔑ろにすべきでは有りません。

2011-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20111207231938

すき屋じゃないけど、電車でもいる、そのくちゃくちゃしてるオッサン。

ガムをかむときは口を閉じろ、と思うんだけど。下品すぎる。

見たくない、聞きたくない。

よって音楽プレイヤーヘッドフォンの優秀さにしびれる毎日であった。

2011-03-08

運動無】3ヶ月15キロ減量法【苦痛無】

自己判断による投薬や、医療行為に抵触する記載があります

 文書内の行為を実践した際の免責に関しては全力で逃げますので、

 勝手にやって勝手に死んでください。

方法

 シブトラミンの大量摂取+浣腸による大腸洗浄

自分スペック

 期間 減量開始2010年10月~終了12月

 性別 男

 年齢 20代前半

 身長 165

 体重 98キロ→80キロ(2011年3月現在も変化なし

 BMI  35→30

必要な物


時系列

9月頃

仕事一人暮らしにもなれ落ち着いてきた頃、

適当にやせてみよう」という思いつきでスタート

と幾度となく失敗してきたダイエット感覚スタート

自分なりにダイエット薬について調べてみた

その中から3、シブトラミンを選択した

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%96%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%83%B3

購入まで

国内でも処方されているらしいが、いちいち通うのも、ふんだくられるのも嫌なので

シブトラミンを配合している、ジェネリック医薬品オベスタットを選んだ

「輸入代行 オベスタット」でググり、100錠ほど注文、どのサイトでも6千円以下で購入可能

(このときいでゼニカルも30錠ほど購入)

10月

薬が届き減量スタート

といっても昼間まで寝て、すき屋で大盛り牛丼を食って家に帰ってきたら届いてたので

適当に1錠飲み「ダイエットするぞー」とgdgdスタート

最初の変化

夜間の仕事をし、休憩時間に大盛りのカップめん、おにぎりを購入

机に戻り、コンビニで買ってきたおにぎりを1つ食べ始め食べ終わる頃には

「もう食べたくない」「これ以上食うのはやめよう」

という感覚があることに気がついた

ただ、頭も冴え渡っていたし、その後の力仕事も問題なくこなせていた

単純に「健康だが、食べたいと思う欲求がない」状態に陥った

翌日

頭も体も問題はないが、昨日の食べなかった晩飯を見ても

「食べる必要はない」と思った。

食べることは好きだし、お腹いっぱいになることにものすごい幸せを感じていたが

まったく興味を失ってしまった

投薬から24h後

昼になっても、まだ何かを食べたいという発想が出てこなく

食べることが趣味たいなものだったのに、

食うことによる暇つぶしができなくなってしまったため、外に散歩がてら遊びに出た。

水分は細かくとっていたが「さすがに何か食べないと危ないのかも」という怖さがあった、

驚いて気づく

ふと、道路から見える看板の列が目に入ってきた時

20年間気がつかなかった事に気がついた。

街にはものすごい数の飲食店看板が立ち並んでいる…

というか、どんな所に行っても「食に関する誘惑」が存在している。

クソあたりまえの事に気がついたのは、その「食に関する誘惑」が

自分の中を全て素通りしていく感覚に驚いたからだった。

その日の晩

家に帰る頃には、「ついに脳が壊れたか…」と思い始めていたが。

会社から持って帰ってきた、カップめんを見てたら

「おいしそうだなぁ」と思えるようになっていた。

淡々と用意し、食べ始め完食、どうやら無事に薬が切れてきたらしい

ふだんなら24時間も食べなければ、お腹がはちきれんばかりにドカ食いをするはずが

普通の食欲、普通の満腹感、普通の多幸感で収束した

翌々日

その日は休みだったが、朝起きると普通にお腹がすき、コンビニおにぎりを2個買い

家で食べる、強烈な食欲もなく、まるで昨日24時間食べなかった事がうそのように

いつも通りに戻っていた、「投薬を中止することで元に戻る」という確信を得て

食後一錠飲んでから、遊びに

やはり昼、晩ともに、食欲を感じなかったが、何かを食べようと思えば食べれる

「食欲がまったくなくて食べれない」という不健康な状態ではな

「食べることをはじめることも、終わらせることも自在」になっている

薬が効いてる時は、おいしそうなラーメン屋を見ても「食べたい食べたい食べたい!」という

意欲もないので、「食事に固執しない人」に生まれ変わったようだった。

そこから一週間

長年の習慣は恐ろしく、癖で大盛りを選んだり、自炊の時にたくさん作ってしまうが

食べようと思えば食べれるので、カロリー制限を「考える」必要があった

ただし、減らすことに絶望だったり苦痛を覚えることはなかった。

ラーメンの大盛りをおいしく食べたいと思えば、一日薬を飲まなければ

次の日にはラーメン屋看板を見ればよだれが出て、ウキウキしながら

いつものように食べ始めることができていたからだ。

10月下旬の計測

しばらく乗っていなかった体重計に乗るとすでに5キロ落ちていることがわかった

デブ体重が減りやすいとはいえ、運動せず、苦痛もなく、だらだらと減っていく

それがこの薬のすごさであることに気がついた

投薬増量+ブースト

その時点ではある感覚がしっかりと根付いた、「数字が減っていくと楽しい

すでにこの時点継続さえすればダイエットは成功すると確信していたが

興奮で調子付き、薬の増量と更なるカロリーカットを思いつく

それがシャワー浣腸だった

http://www.sexyboy.jp/note/note53.html

「男が一人暮らしを始めて最初にすることはオナニー研究である

オナニーの試行錯誤をしている時に経験があったので抵抗はなかった

これを直腸だけではなく大腸に至るまでやると、未消化の便が大量に出る

当然、筆舌しがたい状況になるが、やればやるほど体重計の数字が減る

気持ちよくて、数字が減り、健康も実感できた。

11月12月

投薬増量による効果は持続時間の延長と、食欲の完全排除を感じた

食事はあくまでも機械的に行なった

食事を楽しみたい、または付き合いで大酒を飲み、食う用事があれば投薬をいったん中止

食後12時間ほど経過した後、シャワー浣腸で未消化のまま排泄

食う快感も、出すも快感も自在に行なえるようになった

減量終了とリバウンド

そうして一ヶ月5キロスピードで落ちていったが、周囲から

『急に痩せたけど大丈夫?』とか『なにかの病気にかかった?』と心配されるようになった

自分自身は苦痛どころか気持ちよくて、死ぬほど食っても取り返せるので

心配することはなかったが、あまりに急激だったため、投薬を中期的に中止することを決意

そこから、また普段どおりの無意識の大盛りをするようになったが

胃が小さくなっていたため、大盛りを頼んで残すのようなことがしばらく続いた後

3キロほど増量、しかし、それ以上のリバウンドは発生しなかった

98キロ→83キロの気持ちの良い減量期間が終わった、薬もまだ20錠は残っていたので

結果的に1錠/1dayを超えなかった事になる。

2011年3月現在

痩せた自分を知らない知人・友人がほとんどいなくなったため

特に心配されることもなくなった。

体重も80前後で安定したため投薬+浣腸を再開しようと決意

総論

これが自分の行なってきた、現段階での減量記録となる

よく語られる、痩せたことによるポジティブな要素よりも、

食欲のコントロール、食事の楽しみ方の広がりを得ることが

とてつもない有意義を生み出した.

最後

上記の記述は行為自体を推奨するものではな

自分実施し、体感した事に関する覚書である事を記載したい。

長くてごめんなさい。シャワー浣腸オナニーは気持ちよくて

らめぇええええってなる、我慢汁がチンコの先から漏れ

いっちゃいましゅうううううううううとか遊んでたし

痩せるよりも、そっちの開眼がやばかった。

t*追記

初めて増田を使ったから、なんだかよくわからないトラックバックの投げかたしてしまった

anond:20110306231354

鼻息の荒いダイエット記録を見てたら、自分の減量記録をどうしても書きたくなった。

性癖をばらしてるし、ネットの海に放流しておこうと思った。

2010-10-15

カノジョに昼食に「うどん」か「韓国料理」かどっちにすると聞かれた

「私ならうどんを選ぶ」と言いたいところだが、少しだけ考えてみる。

前提

二つの料理に以下の前提加えるとする。

うどん

日本人の昼食として割と一般的である。

韓国料理

昼食に韓国料理というのはあまり一般的ではない。

以上を踏まえた上で考察してみる。

何故、選択肢が「韓国料理」と「うどん」であったのか?日本にいる以上他の料理屋などいくらでもある。別にわざわざこの二つを選択肢にしなくても良いわけである。その上でこの二つが選択肢に上がったということ。それは彼女がどちらか片方を食べたかったということに他ならない。ここで仮に彼女うどんを食べたかったと仮定する。その場合、わざわざ「韓国料理」を引き合いに出すであろうか?「うどんが食べたい」と率直に言えばいい筈である。何故なら、昼食としてのうどんは一般的なのだから。つまり「韓国料理」を引き合いに出す必要性はない。ここで、もう一方の「韓国料理」を考えてみる。彼女が仮に「韓国料理が食べたい」と言い出したとしたらどうだろう?多くの日本人男性はどんびきするのではないだろうか?いや、少なくとも私もその一人だろう。現にこの様な意見は多くみられる。と、するならばカノジョは何らかの理由で韓国料理が食べたかったがそれをストレートに言い出せず、苦肉の策として「韓国料理」と「うどん」を選択しにしたと考えるのが妥当だろう。

つまり、韓国料理を選ぶのがおそらくは正解なのである。何故ならカノジョは初めから「韓国料理」がどうしても食べたかったのだから。まあ、何故食べたかったのかは知らないが。

結論

カノジョの気持ち(その場の空気)を考えれば韓国料理を選ぶべきだったのだろう。

しかし、仮に私がこの様なケースに出くわしたらそのカノジョに「じゃあ牛丼にしよう、すき屋で肉抜き」と答えることにしようと思う。

参考

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1554856.html

2010-10-08

http://anond.hatelabo.jp/20101008224728

元増田です。

記事の都合のいい部分だけ使うのはどうなんだ?

都合がいいも悪いも、そこは論点じゃないから。俺はそもそも今アカデミアにいる人間じゃないからそもそも十分な情報を持ってないし。

日本教育を受けた研究者は、能力はあるけど閉鎖的だってことなの? それは致命的だと思う。

俺の論点は「教育環境として」大学学部以下のシステムがどうか、ということなので、研究者キャリアパスを築いていくにあたっての職場環境がどうかといわれても知らんとしか言いようがない。

例えば俺が「牛丼屋としてすき屋は悪くない」という話をしているとき、「すき屋ブラック企業だ」と言われても「そんな話はしてません」としか言いようがないということ。

記事中の根岸英一は、以下のように言っている。

日本はすごく居心地がいい社会なんでしょうけれど、若者よ、海外に出よ、と言いたい。たとえ海外で成功しなくとも、一定期間、日本を外側からみるという体験は、何にもまして重要なはず」と、奮起を促した。

だからたぶん、増田の言う「事実としてもっと知ってもらいたい」相手には、根岸英一も入っていることになる。

違うね。俺が書いたことをもう一度読み直してもらいたい。

敢えて言葉の壁に立ち向かってまで英米で学ぶことは日本で学ぶことに比べてあらゆる意味優れているなどということはないのだ。

海外に出ることに反対だとも言っていないことはわかってもらえるか?

そもそも俺が暗黙に反論相手として想定していたのは「日本大学なんてアメリカ大学と比べればカスだから行く必要ない、学部からハーヴァードに行け」みたいな言説だ。これに対して根岸氏が言っているのは、同氏のキャリアパスから見て、大学院以降も想定されているはずだし、海外に行って戻ってくることも想定されているはず。

文脈から想定するにたぶん、根岸氏が言いたいのは、学部ぐらいまでは日本で基礎をみっちり鍛えた後、その後どこかで海外で一度修行するのがよいということだろう。そしてその理由は「日本大学研究レベルが低いから」でないことは明らかだ。

無論、俺の元増田は「日本にずっと居続けるのも悪くない」ということを含意している。それは、修士以下で就職することを考えたとき、留学する適切なタイミングがなかなかないからだ。就活で不利になることと海外見聞体験を天秤にかけてどちらを取るべきというのは必ずしも自明ではない。実のところ、根岸氏が想定しているのはアカデミアに骨を埋める人のことだろうから、俺が書いたような問題とは良くも悪くも縁が薄く、そういう意味で俺は根岸氏の主張に異論があるわけではない。だが、「日本大学カス」と言っている人間の大多数はアカデミアよりもビジネスに興味のある人間で、おそらくそのあたりの違いが見えていないと思ったのでそちらに合わせて書いたまで。

単に「ムカツク」と言っているに過ぎないのに、ノーベル賞受賞者権威を借りてきて自分の主張を(しかも増田で)組み立てるなんて、

元増田をよく読み直してもらえればわかるが、「ノーベル賞受賞者もこう言っているのだからオレの言うことが正しい」という論法は一箇所も使っていないことに注意して欲しい。確かにこのタイミングで言いたいことを言ったのは確かだが、それは「普段なら聞く耳を持たない連中が今なら持つかもしれないから」だ。そういう意味権威を使ったといわれればその通りだが、元々俺がものを言いたかった相手というのはどこぞのコンサルだの誰かだのの権威に目が眩んで耳を塞いでいるのだから、特にそれが道義的に非難されることではないと思うのだが、いかがか?

2010-04-15

http://anond.hatelabo.jp/20100415152913

すき屋提携に関して

マスコミの最初の報道で批判的な発言するのと、

本人の発言を受けて「これが真実なら」と発言するのと、

一体何が違うやら。

真相と異なると言う意味では、どちらのタイミングでも一緒。

本人発言はマスコミ報道ほどの社会的信用が無いのだから、「これが真実なら」と前置きするのは当然。

真相」とやらが本当に「真相」だったと確認できるのは、誰がどんな発言をした時なのか。

2009-06-02

ラーメン松本人志

会社のとなりのビルに新しいラーメン屋オープンして、さっそく食べに行ってみた。

はっきり言って、あまり美味しそうな店構えではないのだけれど、もし美味しければコンビニすき屋ばかりのランチ生活に彩りが加わることになり、それはたいへんに幸せだし、仮にあんまり美味しくなかったとしても、それなりに月給をいただく身分なので700円くらいなら惜しくない。というか、もともとぼくの舌に設けられたハードルはすこぶる低くて、しかもそのハードルをくぐられようが、倒されようが、それはそれとしてゴクゴク飲み込めるという、ぼくはそんな体質の持ち主なのだ。

さて、そのラーメン屋で、一杯700円のラーメンに海苔増し、それに半ライスを注文した。しめて900円とちょっと。ランチとしては破格の金額だが、まぁ新たなご近所さんへのご祝儀的な意味もありつつ。腹も減ってたし。

で、出てきたラーメンスープをひと口すすり、麺を吸い、そこでなにやら思索にふけってしまった。

いや、美味いんだ。普通に美味い。味としてはいわゆる“家系”と呼ばれるそれに分類されるのだろう。トンコツに、お魚のだしも入ってるのかな。しつこすぎず、あっさりしながらコクもあるし、チャーシューなんてとろとろだし、スープがしっかりからんだほうれん草も美味い。麺もしっかり太くてぼく好み

でも、「うまっ!」ではない。夢中になるほどではない。「ふむふむこれは“家系”だね」「トンコツにお魚のだしも入っているのだね」なんて、いろいろ考えながら麺をすする。

思索にふけったのはそのあたりから。

これは、お笑いに似ているぞ、と思ったんだ。ラーメンとはつまり、松本人志であると。

ラーメンなんて、別に美味いんだ。お笑いなんて別に面白いのと一緒で。ぼけーっと食って、ふひーっと爪楊枝などつかって、ぷかーっとタバコでも吸って仕事に戻ればいい。なのに、ぼくはいつしかラーメンを分析している。プロの調理人の作品に対して、批評をぶっている。

ぼくは「ごっつ」の世代で、今でも「ごっつ」は本当に面白かったと思っている。だけど、それが「どう面白いか」を考え始めたのなんて松本人志がそれを放り投げたずっとあとのことで、それこそ「VISUALBUM」や「一人ごっつ」を経たのちに時代を巻き戻って「トカゲは実に実験的な」とか「イカメシ殺人はどうだ」「AHOAHOマンこそが」などなど、そんなことを言い出すようになった。当時はただゲラゲラ笑っていただけなのに。

あるときを境に、松本は笑いを語りだした。あまりに大きくなりすぎたせいで、誰もがその禁忌を許してしまった。それは欽ちゃんにさえ許されなかったことなのに。松本は遅れてきた世代の芸人たちに大きすぎる影響を与えただけでなく、視聴者のあり方さえ変えてしまった。松本のように笑わせることはできなくても、松本のように芸人を評することならできる、あるいは、できるような気がする、できている気分になら浸れる、そんな視聴者を大量に生み出したのだと思う。その結果、ぼくたち視聴者は「ただゲラゲラ笑う」という行為に後ろめたさや劣等感を覚えるようになった。笑いが、笑うことに圧力をかけ始めた。そして笑いは大衆芸能からファッションになった。笑いに対するものの見方に、「オシャレ・わかってる」と「そうじゃない」が現出した。

同様に、誰かがラーメンを語りだした時期があったんだと思うんだ。ぼくたちはただ能天気にズルズルとラーメンをすすることが許されなくなった。ラーメンもまた、大衆のものから、ファッションツールになってしまった。

笑いもラーメンも、いつの間にか、気軽に賞賛することができなくなってしまった。「天下一品ラーメン美味いよね」「友近って面白いよね」まかり間違って初対面の人にそんなことを言ってしまったら、ぼくは即座に値踏みされてしまう。テレビの前じゃない場所で、ラーメン屋の外で、ぼくは一瞬にして他人に見通されてしまう。

さらに始末が悪いのが、たまにそういうパリパリに固まったぼくの舌や心を突き抜けてくるやつがあることだ。本当に美味いラーメンや、本当にゲラゲラ笑える漫才に出会ってしまうことがある。そのパリパリを突き破られる快感が忘れられなくて、ぼくはさらにパリパリを固くしようとする。より気持ちよく突き破られたいがために、ぼくは身を硬くして、ラーメンお笑いと対峙することになる。

だからどんどん、世の中に美味くないラーメンと笑えないお笑いが増えてゆく。

とても不幸なことだ。

ぼくはお笑いが好きだし、ラーメンが好きだ。基本的に、それらの全部が好きだ。あのころみたいに、何も考えずに、ただゲラゲラズルズルとその快楽に身を任せられる日がきてほしい。普通に美味いラーメンを食べながら、普通に美味いと言えないぼくは、そんなことを考えていた。

2008-09-05

キン肉マンキモイ

あの牛丼CMなんですが、キン肉マンタラコ唇がツヤツヤになってうねうね動くのが凄く気持ちが悪いです。

すき屋でしたっけ?

電凸してもいいかな?

2008-08-30

http://anond.hatelabo.jp/20080830010906

すき屋なか卯も今は親会社一緒だからだよーそれは。

てか当時あったのか?すき屋って。

牛丼だからってさ

すき屋CMキン肉マンってのはありなのか?吉野家は黙っていていいのか?

って書いたら2日前に同じ事を書いてる増田がいたわ。な、釈然としないよな。

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