はてなキーワード: 終活とは
地元の会社で一般事務をしている短大卒の人たちだが、先日その知人が離婚をした。
離婚をして以降、その人は完全に短大の時もそうであったであろう、キャピキャピ具合に戻っていてほんとうに不思議。
その彼女はとあるミュージシャンやスポーツのファンなのだけど、いわゆる追っかけをしていて給与の殆どをそれに費やしているんだとか。
でも彼女だけでなく、彼女は友達も巻き込んでその活動をしているらしくて、フェイスブック自体はとても明るい投稿が多い。
僕は離れたところに暮らしているので直接しばらく彼女たちとは会っていないのだけど、フェイスブックを見るだけでもなんだか色々興味深い。
一つにアラフォーでの追っかけってスゲーなっていう事。こういうとアレなんだけどその彼女たちの外見は皆、ほぼ似たような外見をしていて、魅力的ではないとは言わないが、美人ではない。まぁ普通の歳相応のハンプティダンプティがいる感じなんだけど、追っかけして何がしたいのか、そういう気持ちが全く無い自分ではよくわからなかった。
次に金銭面。さすがに40で独身、バツイチ女性になるとよっぽどの資産家に生まれでもしないかぎり、そろそろ老後、終活、もしくは親の介護などに意識がいくと思うのだけど、彼女の遊び方のそれは20代のそれと全く同じ。
恋愛を諦めるというのは、人に好かれることを諦めるということだ。
お金や時間を自分の好きなことに使えると、ある種の人たちは言うが、なんていうのか、厳密にいうと違うベクトルの話である。
人に好かれない、必要とされない悲しみや寂しさは、好きなことに打ち込んでいれば解消されるというものではない。
友人が、相手の方から好きになって、もうじきカップルになりそうである。人に好かれるというのは本当に羨ましい。
もう長い年月、あの手この手で成果が出なかったので、今回の人生ではもう本当に諦めた方がいいのだろう。
★日経に『自分が死んだら、ネット上の書き込みを削除してくれる』サービスが紹介されていた。ウェブ上の終活。
『予め非公開のエントリを用意。自分が死亡したら、そのエントリが公開される』。
そういう『死亡解除条件付き公開エントリ』の方が、実はニーズあるんじゃないか?
★『自分が生きている間だと、いろんなしがらみで、公開できない』が、
『後世のためには世間に情報公開しておきたい』内容って、結構皆抱えているんじゃないかと思う。
そういう内容を、『エントリ主が死亡したことを確認できれば、公開』するサービスがあれば、受けると思う。
★職場での守秘なやり取りを、本当は公開したいのに・・・という人は、結構いるんじゃないか?
でも生前に公開すれば、下手すれば名誉棄損とか様々な罪に問われる危険性。
なので、『そもそも罪に問いようもない、死亡時点で公開ステイタスにしてやれ!』という
『あとは野となれ山となれ』なニーズは大きい。
『自分が死亡した時点で、裁判員裁判の評議内容を公開ステータスにしたい』という元裁判員は結構多いと思う。
世の中に公開したいのに、『生前では、評議内容公開が裁判員法違反』だから、死亡時点まで公開保留し、
(罪に問われようがない)死亡を待って公開する。
といっても、昔の話だ
鬱病の友人だった
また、彼は大学の先輩でもあった。
大学院に進学したが休学したりしていた
私自身も鬱病なので、死と見つめ合うつらさを知っているのでわかったと返事をした
虫の知らせというのだろうか。そういうのもあって、あえて止めなかった
いいわけだが、止めたとして彼はつらかっただろうと思う
サーバのidとpassを教えてもらって、使い方もある程度理解し
そのサーバ上で運営されているサイトの共同管理者とskypeで挨拶した
私もそれを手伝った。
たくさんあったものが捨てたり、あるいは誰かにあげたりしてどんどんなくなっていく
私もいろいろ物をもらった
片付いたら、物であふれていた彼の部屋が、布団と小さなテーブルにノートPCがあるだけになった
彼は音痴だったので、カラオケは好きではなかったかもしれないし、私のいろいろな事情で誘わなかっただけかもしれない
彼とカラオケをしたのはたぶん二回目くらいだ。このカラオケで最後だ
私は口べただったので、彼のことは多くは知らなかったけれども、
自殺を決行するという話をしてくれた数少ない一人ではあるから、信用されていたのかもしれない
もはや、しるよしもないのだけれども
あと、短い期間だがカウンセリング業もやっていた。
自分は助けられなかったのに
決行する前の日、思い残すことは何かときいたら
死に向かうと、執着しなくなるともいっていた。本音かどうかわからないが
決行の日。友人から連絡があった、警察から電話があったそうで、
彼が死んだ実感はなかった。今でもかすかにどこかで生きているのではないだろうかと考えることがある
心の中に生きていると、誰かが本で書いていたが、そういうものなのかもしれない。
後日、彼の母から連絡があり、彼のワードで書かれた私宛の遺書の一ページと
彼の母からの文章が綴られていた文章が一ページがFAXで送られてきた。
彼の遺書には感動するような言葉は書いてなかった。生きてるうちにだいたいのことは伝えたのかもしれない。
ほとんどは、Web関係のこうしたいという意思とidとpassが書いてあった
彼の母からの文章は、彼が自殺であることは内密にということと、彼に関わってくれてありがとうというような
彼の終活として、権限委譲されたサーバのサイトの一つで報告することを遺言として残していたので、
それを共同管理人とともに行った。
大学の先生には自殺であることを告げた。彼と親しかった先生は悲しんでいた。
その他の人には、遺族の意思通り自殺であることを内密にしていたが、
風の噂で広まってしまったらしい。
彼はある意味トラブルメーカーであったので死人にむち打つようなことを言う人もいれば、
悲しみ、残念だった。という人もいた。
いろいろなところで終活としてのプランは彼の意思とは違う物になってしまったが、
それも、現実や様々な人の感情に合わせなければならないので仕方がないだろうと思う
死ぬ決断は彼がしたのだから。という個人的な考えだ。人に話したら強く批判されるだろうが
安楽死が合法化されるとしたら、もしかしたらこんな感覚なのではないだろうかと思う
これだけでは、贖罪にはならないだろうけれども、安楽死を推し進めたい人に対して、
死と向き合うこととはこういうことだと言うことを伝えたくて書いたところも一つある。
私は創作で人を助けるようなことをしたいが、彼のことがあるから及び足なところがある
私は自らが死ぬと分かっていても、人を救うために動き続けられるだろうか。彼のように
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