はてなキーワード: 神様とは
「着替えの時間を労働時間に入れろ。入れないなら労基に駆け込むぞ」
「あとちょっとで終わるからはサービス残業にして良い理由にならない。労基に駆け込むぞ」
「パワハラしまくる奴がいるって何度報告しても状況変わらねーぞ。労基に駆け込むぞ」
「ジジババ社員の男女差別発言いい加減辞めさせろ。労基に駆け込むぞ」
こういったことをまずはやっていけよ。
日本のストライキが批判されるのはそういった「先にまずは労基に駆け込め」って案件を放置しまくっておいてストライキしてるからだろ。
そもそもストライキのやり方にしたって「ここまでやったけど全然駄目でした許せね―」って話をせずに「安保反対」「安保反対」みたいに中身に何も詰まってないハズレのたこ焼きみたいな薄っぺらを掲げてるだけだから理解が得られんのだろうが。
ストライキは「客を人質に取った給与交渉」でしかないわけだからさ、いきなり人質に取られた側が嫌な気持ちになるのは当たり前じゃん。
それがどうしようもない事情があるならともかく、「地道な給与交渉も労基へのタレコミもダルイんで、手っ取り早くお前らを人質にとって要求通してみるわ」ってされたら、そりゃ批判されるよ。
まず先にやるべきことがあるだろって話ね。
外野を巻き込むまでのスピードが早すぎるし、そこを戦場の中心にするなよ。
ヒーローショーにしたって子供を人質に取るのは演出上のオマケであって、人質に取られた子供の怪演にその日のクオリティを託したりはしないだろ?
俺は「やることやったあとのストライキ」を批判する気はないよ。
でも「やることをやる前に始まった感じが強いストライキ」はガンガン批判する。
だって俺は客だもん。
馬鹿が勘違いしないようにハッキリ言うが「お客様は神様だから」って話じゃないからな?
客はあくまで他人でしかないから巻き込まれたら損するだけだって話だからな?
「客が神だから神の言うことを聞け」じゃないからなもう一度言うけど?
社員VS会社(VS労基)の戦いにいきなり巻き込まれているわけだよ客はさ。
そこを勘弁してくれと言ってるわけ。
ストライキ出来るぐらい皆で集まって動けるなら、会社が握りつぶせない形で色んなモノを労基だったり警察だったり週刊文春に垂れ込めるだろ?
それをまずやれって。
ストは正当な権利ではあるけど、客にだって「は~~~会社や労基とガンガンにバトったわけでもなく速攻で客を人質ですか~~~は~~~~???」って文句つける権利ぐらいはあるから。
正当な権利な。
そうすると決まった時間に、神社の外からとても丁寧なお辞儀をしてから駅に向かう家族がいる。
どんなお願い事をしているのか、それとも過去に起こったことに感謝しているのかわからない。
両親は50歳くらい。おそらく息子と思われる男子は中学生くらいだと思う。
過去に大きな病気にかかったときに頼ったのか、未来のために何か大切な願い事を掛けているのか。
特に会話もなく神社に近づき、入り口の外に3人が横並びになって、特に合図があるわけでもなく3人がきれいにお辞儀をして、そのまま何事もなかったかのように駅に向かう道を行く。
そこだけ切り取るととても美しい何かを感じさせるシーンなのだが、何かが引っかかった。
毎日しっかりと決まった時間に家を出ているわけではないので他の日はどうかわからないが、同じ時間に神社に差し掛かるときは決まってその家族が神社の外からお辞儀をする姿が確認できた。
それでなんとなく他の時間帯でも気にするようになったのだが、この家族以外にも、一定数の人が神社の外から非常に丁寧なお辞儀をしてから駅に向かっていることに気がついた。
朝の時間帯、忙しいという理由で中に入るまでもないという感じなのかもしれないが、お辞儀だけは手を抜くまいとする姿は皆に共通していた。
それだけ切り取ると確かに美しい何かを感じさせるシーンなのだが、やはり何かが引っかかった。
そうなのである。
お賽銭を全く投げていないのにも関わらず、お辞儀だけはクソ丁寧なのである。
願い事の万引き。
ちゃんと参るっていう行為自体が信仰の対価になるのだから、そこ端折ったら万引きでしょ。
それに気づいてからそれまでどこか神聖に見えてた彼らがエビルな存在だとした感じられなくなってしまった。
もしかすると何かのタイミングでまとめてそれなりのお布施(初穂料?玉串料?)を払っているかもしれない。
それにしたって、そんなに大きな神社なわけでもないのだから、たった十数メートルの参拝を省略するのはどうなのか。
だったら神社の前を通るときに心のなかで手を合わせていけばいいだけなのに、お辞儀だけクソ丁寧っていう願掛けの線引はまじで意味がわからない。
神様にガチなプレッシャーかけて、絶対に元取ってやろうっていう魂胆が見え見えなのだが。
似たような話で、大手町に将門塚というのがあるのだけど、めちゃくちゃ丁寧なお参りをしてる人がすぐ横に路駐してた車に乗り込む姿をみるとやるせない気持ちになるのよね。
そこを通るとかなりの頻度で路駐があるのだけど、そのせいで左折車線に入りづらくて迷惑だしそもそも危ない。
人に迷惑をかけてまで参られる側がどんな気持ちになるか考えればわかることだろうって。
お参りは誰よりも丁寧!って姿が、謙虚の皮を被った傲慢に見えておかしくて仕方ない。
自分のことを生粋の悪人だと心から思ってる人ってほとんどいないと思う 悪いことしても、露悪的なんだとか、ほんとはいい人だとか、根は悪いやつじゃないんだって、自分で自分のこと評価してるだろ?
もしくは、悪いことをしても、こうせざるをえなかったんだと言い訳を連ねるだろ?
なぜ人間は正しくあろうとするんだろうか
人殺しも、盗みも、正しくないことだと決めたのは誰なのかも知らないのに
正しいと何がいいんだろうか
正しいと天国に行けるんだろうか
考えてみた結果、全ての生き物は別の生き物を殺さなければ生きられないのに、生きるということが一番の本能だなんて、人殺しを一番望んでいるのは神様なんじゃないかと思うんだが
まあ、みんなが正しくあろうとするおかげで、自分たちは安全に外にでかけられるわけで…助かってはいるんだけど…
別に正しくあるメリットってそんなにないよなぁ。法律破るとかはデメリットあるけど、人に正直でいるだとか、ボランティアをするだとか、そのメリットって自分が正しい存在であるかのように感じられること以外あまりないようなきがするな。
正しい人間であれば報われるとなぜ感じるんだろうか。ボランティアすれば徳が積まれて運が上がるような気がするよなあ。なんでだろう。
推させる、なんてどこに書いてある?
マウンティングのつもりはなかったが、言われてしまったのでそれっぽく説明してやろうぞ
悪名は無名に勝るって言葉があるように、人はネガティブな方に注目するのは言わなくても分かると思うが
「これ面白いよ」より「これさえなければ!これが嫌い!」というUGCの方がリアクション率が高く遠くまで届くのは誰でも知ってること
だからいかに嫌いかを実例まで提示して、読ませる文章ではてなのトップに押し上げた増田は「いいお客さん」なんだよ