「国民意識」を含む日記 RSS

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2014-10-23

橋下徹vs桜井誠についての所感

 橋下徹桜井誠の約7分にわたる「意見交換」へと感想はさまざまあるが、どれもしっくりこない。

在特会意見を聞いていないという反応

言論の自由】「橋下vs桜井意見交換会を見て[桜H26/10/22]https://www.youtube.com/watch?v=vu0fpCZikIk&list=UU_39VhpzPZyOVrXUeWv04Zg

 まずは「論外」という反応から見ていく。

 この動画で言ってることは結局「橋下は桜井誠の「在日特権」についての主張を聞かなかった」ということにまとめられる。そもそも問題となっているのは「ヘイトスピーチ」についてである在日韓国人朝鮮人侮辱して、憎悪を煽る言動についての意見交換なのであって、「在日特権」について意見交換をする場ではなかったということを確認する必要がある。よって、私はこの種の意見を「論外」である評価している。

 てか、もともとチャンネル桜は、桜井誠を世に出したメディアでもあるんだから(途中で喧嘩別れにしたにせよ)、その辺をちゃんと清算すべきだよね。水島総氏は「ヘイトスピーチ情報謀略戦において不利に働く」と様々なところで、さかしらに言っているけれども、ようは「保守がみんな在特会みたく見えるようにつくられてしまうからやめろ」って言ってるだけである水島氏のこうした発言ヘイトスピーチへの本質的批判には程遠い。「自分に不利になるからやめろ」と言ってるだけだから

 あと、「在特会アンチ在特会平等規制する法律をつくらなければアンフェア」だと動画で述べているが、この点に関しても詭弁があることを述べ添えておく。問題となっているのは「ヘイトスピーチである。「ヘイトスピーチ」とは、特定人種国籍に対して差別を煽るような憎悪表現であるアンチ在特会にそのような発言は、明示的には存在しないはずだ。(アンチ在特会も「ヘイト」だ、という意見をよく聞くけれども、ヘイトスピーチについての基本的知識がないのだな、とそのたびに私は思っている)

橋下と在特会どっちもどっちという反応

 中道左派に多い意見だと思う。おそらく国民の多くは、桜井氏の下品さに嫌悪感をもよおし、橋下氏の「公人」としての振る舞いに疑問点を抱いたことだろう。

 橋下氏の発言には、たしか同意できない部分がある。例えば「本当に政治的主張を行いたいなら選挙に出ろ」といった類のことだ。これは彼が昔から言ってたことだが意味不明デモ活動は立派な政治的活動であり、直接に法整備を行うわけではないにせよ、国民意識を変えていくことで、ひいては国会にも影響を与えうるものであるから、立派な政治的活動である。こんなことは、グラムシヘゲモニー論を引用するまでもなく常識で考えれば分かることだ。

 こうした疑問点は様々あるにせよ、今回の橋下の綿密な行動に私は驚嘆した、というのが感想であった。橋下氏自身も述べていることではあるが、彼の行動はきわめて計画的であったとリアルタイムで見ていて感じた。彼はなかなか感情的には流されない人間であり、冷徹人間性を見せる。そもそも桜井氏の今回の言動くらいで激昂して理性をなくしてしまう男ではない。「帰れ帰れ」という言葉もおそらくはじめから用意したものであっただろう。というのも、在特会が常々言っていた「朝鮮人半島に帰れ」という言葉模倣して、桜井氏個人に突きつけるという手法を橋下氏はとっているのだと私は理解しているかであるそれから、より政治的に言えば、「ヘイトスピーチ」を行う人間公人が思いっき面罵した、という点も評価できる。ヘイトスピーチを行うものはこのように扱われても仕方がない、と世に流布した功績は大きい。

 他方、桜井氏の行動について。彼の「激昂」も半分以上は作為的・演技的であっただろう。そもそも彼の「激昂」それ自体が演技的であるのだから、当然と言えば当然なのだから仕方あるまい(この点については「ネットと愛国」における西村修平桜井誠出会いについての記述を参照いただきたい)。しかし、彼の「激昂」は、残念ながら、その容姿・恰好からしても、多くの国民賛同を得られるものではない。クレーマーのものである。多くの国民は彼の言動に不愉快を覚えたことだろう。

 桜井は自著がAmazonで一位になったことを喜んでいるが、それはあくま一過性のものだと私は考えている。動物園にいるチンパンジーを見たがる好奇心以上のものではない。二三年の視点から見れば、この会談が自分に大きな打撃を与えるだろうことから目を背けているに過ぎない。

 なお、こうした人物評にまどわされずに、あの場にいて、どちらかに組せねばならぬ、という当事者視点から見れば、100人中99人は橋下につくのではないかと思う。第三者的視点だけではなく、こうした当事者意識を持ってみることは様々なコンフリクトを見つめてみる上ではきわめて重要なことだろう。

 したがって、「どっちもどっち論」に対して私は違和感を覚えている。

「やっぱり私は桜井誠より橋下徹の方がはるかに嫌いだ。」

 外山恒一ツイッターで「やっぱり私は桜井誠より橋下徹の方がはるかに嫌いだ。」と述べている。

https://twitter.com/toyamakoichi/status/524541443637919745

https://twitter.com/toyamakoichi/status/524558184594173954

https://twitter.com/toyamakoichi/status/524577760044277760

 言葉数が少ないのでその真意は測りかねるが、外山氏らしい発言だと私は受け取った。外山氏は、世の中でヘイトスピーチ批判的になってきたのを見計うかのように、反ヘイトスピーチを大上段から罵る「パフォーマンス」をおこなう橋下氏の「したたかさ」に不愉快を覚えるのだろう。私は全力で同意をしたいと思った。それにしても、「橋下徹か、桜井誠か」という二者択一を迫られるような事案が出てくるとは、やはり悲しい出来事であるだろう。

ヘイトスピーチと法

 法的にヘイトスピーチについて見てみたい。まだ日本にはヘイトスピーチ規制する法律はなく、日本国憲法第21条における「表現の自由」に抵触しないかどうかという慎重論も上がっている。しかしながら、これは国内法だけではなく国際法にも目を向ける必要がある。日本批准している人種差別撤廃条約だ。この条約は、「京都朝鮮学校公園占用抗議事件」の民事訴訟においても注目されたことで記憶に新しい。京都地裁は「我が国裁判所に対し、人種差別撤廃条約2条1項及び6条から、同条約の定めに適合する法の解釈適用義務づけられる」と述べ、大阪高裁も支持している。司法によって国際法の直接適応を受けるのには、立法府のだらしなさを私は思う所である。同条約4条1項では「人種的優越又は憎悪に基づく思想のあらゆる流布、人種差別扇動、いかなる人種若しくは皮膚の色若しくは種族的出身を異にする人の集団に対するものであるかを問わずすべての暴力行為又はその行為扇動及び人種主義に基づく活動に対する資金援助を含むいかなる援助の提供も、法律で除伐すべき犯罪であることを宣言すること」を締約国に求めている。しかしながら、日本1996年正式批准してからもう20年近く経とうとしているのに、いまだに「表現の自由」を盾にして足踏みしているのは情けない。憲法98条2項に基づき、早く法整備を行うべきである

在日特権

 「在日特権」について最後一言

 日本国において日本人以上に「特権」をもっている人は存在しない、というのが私の意見である。もし日本人以上の特権在日の人が持っているのだとすれば、具体的に教えていただきたい。

 なお、私的には、むしろ竹田特権」を告発したい。竹田恒泰のことである。彼は慶應大学憲法学講師をしていたというが、通常ではありえない「特権」がなければ、とても彼は講師になれる人間ではない。彼は修士号も持っていないし、学部時代憲法学をおさめていたわけでもない。学術論文も一つもない。なぜそのような人間大学で「憲法」の講師をすることができたのだろうか。これは「特権」以外の何ものでもないだろう。「特権」という言葉はこのように使うのである

2014-03-20

現代ベートーヴェンを生んだ社会について

現代ベートーヴェン」、佐村河内守聾者を装い、別人に作曲をさせたもの自分作曲したと偽って、収入を得ていた男。

彼を取り扱う記事は一様に彼に批判的である。それは尤もなことだ。なぜなら彼は詐術手法収入を得たのだから。彼が間違った人間であることは、自明であろう。矯正しなければならないだろう。

しかし、彼の詐術を通用させたこの社会は、間違っているのだろうか。もう二度と「現代ベートーヴェン」を生んではいけないのだろうか。私はそう考えない。

彼が聾者であるからと考えて、CDを買った人があるかもしれない。その購入者を一様に「音楽センスがなく、コピーだけで買う偽善者」などと考えていいのだろうか。答えは、NOだろう。新垣氏の作曲した曲が素晴らしいかはさておいて、「聾者作曲した」というコピーで買うことが、「偽善的」であるとは思えない。障害者は、このような芸術的分野であるしろ、あるいは他の製造現場などであるしろ、必ずしも就職が容易であるとは言えない。生活保護受給者の内、3分の1は障害者であるといわれるほどである。その様な彼らの取り組み、あるいは発表に対して、支援の気持ちを表すのは、むしろ障害者の就労支援にとっても、国民意識の啓発にとっても、よいことなのではないかと考えられる。

彼を取り上げたメディアに対しても同じようなことが言える。障害者をまったく我々と関わりのないところに生きていると考えないで、芸術家として向きあった。そのことは決して糾弾すべきことではない。また、見破れなかったことも、彼の人格尊重し、彼の言葉を重んじたならば、それも仕方のないこと。

この「現代ベートーヴェン」問題は、ひとえに彼、佐村河内氏と、新垣氏によってなされたことであって、彼を生み出した社会を責めるべきではないと思うのである

2013-12-20

http://anond.hatelabo.jp/20131220154147

多分、詭弁だと思ってるのは君だけだ。提示したキーワード調べるくらいはして欲しかったなあ。

まりだ。君が思うような、地縁血縁で結ばれたムラ共同体連帯の延長上には近代国民国家はありませんよ、ということを言ってるんだ。

君の認識は80年代以前レベルなんだよ。それ無理だから

国民意識は、国民国家国民教育によって醸成するものだ。地縁血縁の外にあるものだ。時に対立さえするしな。自然発生も素朴実在しません。

君も受けてるだろ、義務教育。6年3年受けた課程が俺たちを国民として育て上げてるんだ。生まれたときから遺伝的条件で日本国民としての自覚を得ているわけじゃない。

国民意識国家デザインし、教育で植え付けるものだ。古くは教育勅語廃藩置県も、そのためにあった。国家なしにはありえない。

つーか、地縁血縁だけで作れる国家なんて部族連合程度だろ。

封建制郡県制の違いさえ君の認識じゃ記述出来ないんじゃないか

2013-05-03

http://anond.hatelabo.jp/20130503093535

同じく。

韓国が(政府外交姿勢国民意識として)いい国だ、とは全く思わないし、同じく北朝鮮がいい国だ、とも思わない。

しろというかごく自然に「ひどい国だよなこいつら」って思う。

でも、その「スカッとする」という意識は全く共感できない。

別に韓国北朝鮮が落ちぶれたからといって日本自分になにかいい事があるわけでもなし。

在日朝鮮人が困ったからって自分には何の利益もない。

それよりも、たとえしっかりした理由があろうと、直接自分が被害受けたわけでもないのに他者に対して攻撃的になる人間のほうが

ずっと脅威に感じる。

もし何かのきっかけでこの意識自分に向けられたら怖いよなぁ、と思うから

2012-05-19

http://anond.hatelabo.jp/20120519200737

たぶん最初アンケート始めた人は誘導したかったんだろうが、

今でも同じ質問続ける理由は同じ質問にしないと国民意識の変化を測るための継続性がなくなるからだろう

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