はてなキーワード: サイヤ人とは
鳥山明持ち上げがそろそろ食傷気味、という増田が出てきて(そりゃ出てくるだろう)思い出した記憶
ご存じの通りドラゴンボールは連載前半はそこまで上位独占ではなく、手堅い中堅の位置づけだった
サイヤ人編あたりから人気が上がり出し、フリーザ対決あたりでトップ
キャラ人気でいうと明らかにベジータでやおいのお姉さまたちが食いつき、
マジュニアと孫悟飯のカップルからマジュニア人気がなんかおかしくなり、
他のジャンプの人気作品、幽遊あたりのお姉さま方の燃料源の連載終了とほぼほぼ一致していた
他ジャンプ作品が消えてしゃぶれるものがなくなった時期になってベジータに食いついたんだなというタイミングで変わってて、
「やおい書きのお姉さま方の気持ちって本当に都合よくコロッコロ変わるんだなあ」と強く印象に残ってるのを覚えている
もちろん、作品として盛り上がったピークがあのへんなのは間違いないのだが
男の身でふゅーじょんや青磁のアンソロを買いまくってた(同人誌即売会に行けるほど行動力も金もなかった)側としては
なんかこう、わだかまりがあったのだった
望んでもいないのに親によって無理やり生み出され、その後は過酷な運命をたどることになる漫画・アニメのキャラクターは多い。
その中でも私元増田にとって一番印象に残っているのは、ドラゴンボールのピッコロ大魔王編に出てくるピッコロ大魔王(マジュニア)である。
ピッコロ大魔王が誕生したのは、親であるピッコロ大魔王が孫悟空との決戦に敗北した直後のことである。
親から「孫悟空を倒してお前が世界を征服しろ」という願いを込められ、タマゴとなって地球のどこかへ飛ばされた。
産まれたばかりのピッコロは、孫悟空への復讐だけを目標に生きていくことになる。
この時点ですごくきつい。
ドラゴンボールを読んだのは小学生の時だったが、当時は反出生主義の思想は無かったし、ピッコロの過酷な運命という感想も持てなかった。
大人になって読み返してみると、反出生主義の思想を念頭に考えてみると、ピッコロは「産まれてくるべきではなかった」。
作者の鳥山明氏もそのことについて考えてくれたのか、ピッコロにも救済措置としての「生きることの意味」を与えてくれた。
ピッコロ大魔王編の続編であるサイヤ人編で描かれた、ピッコロと孫悟飯の師弟関係、いや師弟関係以上の親子のような絆である。
ナッパの攻撃によって孫悟飯がピンチになったとき、ピッコロは身を挺してかばうシーンがあった。
「この程度の試験でいい成績取るためにそんな勉強に時間かけんの!?」って驚くくらい。
東大1人しか受からない高校で1年間必死こいて勉強してようやく中央経済受かった程度のThe凡人の俺ですらそう感じる。
渡米して短大入ってから、コーネルに編入しても自分がサイヤ人になったような感覚でずっといられてる。
多分、東大受かる知能の日本人がアメリカで生まれ育ってたらハーバードでもコロンビアでもUCバークレーでも余裕で受かって、天才の名を欲しいままに学者でもNASAでも投資銀行マンでも選ばれしエリートに当たり前のようになれると思う。
これを見ると子供は普通に3歳にもなればキャラクターや演出のかっこよさを認識できるなるようだ
ナメック星(フリーザ)編(1990年2月 - 1991年9月)2~3歳
人造人間(セル)編(1991年11月 - 1993年7月)3~5歳 幼稚園時代 超サイヤ人かっけえ!ベジータかっけえ!
魔人ブウ編(1993年9月 - 1996年1月)5~8歳 小学生低学年 超サイヤ人3かっけえ!フュージョンごっこ楽しい!
ゲームも買ってたし、ドラゴンケースの目薬も持ってたしドラゴンボールのカードダス、ジャンボカードダスも集めてた
無印は生まれる前だから記憶があるはずがないがZの途中からは普通に記憶があって最初に認識したOPもWE GOTTA POWERじゃなくてCHA-LA HEAD-CHA-LAからだった(絵はトランクスが出てくるバージョン)
これが直撃世代じゃないと?直撃世代の定義の幅が狭すぎだろ anond:20240131030204
10mぐらい吹っ飛ばされてたって何?サイヤ人なの?
もっと広めてくれ〜〜〜
増田は実家も義実家も遠方援助なし東京在住フルタイム共働き子ども2人なんだが
実家義実家援助なしフルタイム無理じゃね???みたいなやつ広めてくれたら
増田夫婦の希少価値も増すので、もっと無理無理いってみんなみんな怖気付いて欲しい!!!
並みの人間じゃ無理だからさーー増田夫婦は並みの努力してないわけですよ夫婦共にサイヤ人なわけですよ
こどもの送り迎えも完全分担わが夫は保育園イチのイクメンだし、増田は仕事と育児両立するスーパーウーマンとして部下にも賞賛され成果もあげあげ