君と同じぐらいのことしかしてなくない?
お前が一番おもんない
生まれ落ちてから22年という時間を与えられたのに、自分の人生の舵取りを自分でするという使命感に目覚めることもなく、適当に大学に入り適当に勉強をし適当に遊び呆けていだけの人間を、新卒一括採用という奇習の元に社会が簡単に受け入れてくれるという発想がそもそも間違っていただけだろ。
あら、増田の話題ですって?でもちょっと待って頂戴。あなたの評価、的外れすぎて笑いが止まらないわよ。議論に向いてないですって?なにを基準にそんなこと言ってるのかしら?笑っちゃうわね。流れを追うのが大変とか言っちゃって、単にあなたがついていけてないだけじゃないの?
それから、レスバに向いてるだの向いてないだの、そんなの個人の使い方次第じゃないの。何にでも文句言っちゃうタイプ?そんなにストレス溜まってるなら、お茶でもご一緒しましょ。リラックスできるわよ
先日、出先で雨に降られたので最寄り駅からバスに乗って帰った。
ちょうど二人掛けの席が空いてたので窓側に詰めて座ったところ、後から来た女性が隣に座ってきた。
日頃からはてブやXの男女論に毒されている俺は隣に女性が座ったことで緊張感が生じてしまい、女性に身体が触れないよう窓側に身体を引くような形で座りなおした。
バスが発車して、最寄りの停留所から1つ前の停留所に向かって走行中に事は起きた。
俺の肩口に女性の肩が触れたのだ。俺は焦って更に身体を引いたのだが、その引き方が少しオーバーになってしまったのだ。
その時に視界の端で女性が少し固まった様に俺には見えた。もしかして不快感を与えたか?と内心ビクビクした。
一つ前の停留所に着くと前方の一人掛けの席が空いた。
すると女性がそちらの席にさっと移ったのだが、座ってから暫く女性が妙なことをしていた。
液晶のないスマホの裏面をじっと眺める彼女の後ろ姿は、まるでイライラして爪の先を眺める女性の姿を思い起こさせた。俺のビクビクが加速した。
特にその後何かあったわけでもなく、女性もやがて液晶のある面を眺め始めたのだが、あれから時間が経ったことで、一体あれは何だったんだという気持ちがムクムクと勃起してきている状況だ。
俺の頭の中のえなりかずきと碇シンジくんが「だってしょうがないじゃないか!」と叫ぶのだが、一方で女性に不愉快な思いをさせたとしたら?という疑念とその疑念に対する罪悪感もある。
コミュニティノート:インターネット上の行動と現実世界でのいじめを正当化することは、基本的人権や倫理に照らして適切ではありません。ネット上での行動が問題であったとしても、それを理由に現実世界でいじめを正当化することは認められません。全ての人は尊重されるべきであり、いじめはどのような理由があっても許されるものではありません。
元気出せ。俺とおまえはともだ╰⋃╯
増田のダメなところを教えてやる。まず、文章の長さだ。言いたいことが多いのは理解できるが、ダラダラと長い文を書くことで読者の注意を引きつける力が減じている。重要なポイントを短くまとめることを考えたほうがいい。
次に、論点の曖昧さだ。例えば「昔ながらのインターネット」に対して具体的な批判をしているが、その批判の対象が誰なのか不明確だ。人物像や具体例があれば、説得力が増す。
また、対立する意見への配慮が足りない。「低知能中高年」といった表現は読者に不快感を与えかねない。もう少し中立的な言葉遣いを心がけるべきだ。
さらに、新しいインターネットの魅力について説明する際の視点が一面的だ。新しい技術やサービスに対する批判的な視点も織り交ぜることで、バランスの取れた主張になるだろう。
最後に、全体のトーンがネガティブすぎることも問題だ。もちろん批判は必要だが、それだけでなく建設的な提案やポジティブな見解も含めることで、文章全体が読みやすくなるはずだ。
誰からも相手にされないしょーもない低知能中高年が延々と誰かの悪口言ってるだけの空間になってしまった。
これから伸びていく可能性の満ちた空間から、終わってしまった可能性が吹き溜まった空間へ。
ゴールドラッシュが終わった後の廃鉱山もこんな空気だったんだろうか。
出遅れたツルハシ売りは詐欺を繰り返し、店じまいする寸前の洗濯屋は情弱に店一式を高値で売りつけようとしている。
新しい時代の風を読める人間がもういなくなった町並み、何よりの違いはいる人間の顔つきから漂う知性の低さ。
正直、俺が今のインターネットで一番クソだと思っているのがインターネット老人会なる連中がのさばっていることだ。
奴らはことあるごとに「俺達こそがインターネットを大きくしていったのだ」と偉そうに語る。
本当にそうか?
インターネットは勝手に大きくなっていったものだし、そこに貢献していた人間がいるとすれば、それは通信事業者と広告業界だと思う。
でもインターネットにいた住民の多くは、通信事業者に異常な負荷をかけては「契約では使い放題になっている!詐欺だ!」と迷惑をかけていた。
広告業界に対しても敵意を剥き出しにし、Adblockを使うのが正しい作法だと吹聴して回っていたが、自分たちは広告売り上げを前提にしたサービスに依存し続けた。
ネット住民たちがネチケットやウィルスからの防衛術を広めいったのも、治安の悪い世界で自分を守るための護身術でしかなく、ネットの発展を目指していたかといえば疑問だ。
ただあの時代のインターネットを好き放題に楽しむ以外なにもやってこず、そして最後はSEO最適化合戦に取り込まれて、今のインターネットが出来上がった。
そうして生まれた今のインターネットを蔑みながら「昔は本当に楽しかった」と愚痴り続けるのは鬱陶しいだろう。
昔からのインターネット空間は、こうして愚痴り合う声ばかりが響き合っていてドンヨリしている。
最新のインターネットにちゃんと染まれる人間にとっては、今のインターネットも変わらず楽しい。
それには新しいSNSサービスが出てきたら次々とアカウントを乗り換えていけるだけのエネルギーが必要だし、自分から配信して相互に情報交換していくだけの勇気も求められる。
VR空間を楽しむためにもAI生成を楽しむためにもマシンパワーは必須なのでここをケチっていては始まらない。
自分から発信し、気軽に生成し、気軽にマネタイズして、気軽にマネタイズされたものに金を払う。
最近のインターネットは有料と無料の境界線が昔とは様変わりしている。
昔は企業が作ったものは有料で、素人が作ったものは無料だった。
今はそういった形で境界線は引かれていない。
素人が作ろうがプロが作ろうが、誰にでも無料で配られている部分と、一部に有料で配られている部分がある。
その基準は昔よりもずっと曖昧になっているんだが、「昔ながらの人達」はそういうのに対して「なんでもマネタイズかよゼニゲバだな」と騒ぎ回る。
実際のところは、無料で手に入るモノの質やレベルは昔より上がっているので割り切って無料で味わえるものだけで済ませるなら昔よりいい暮らしが出来る。
何に金を出すのかを自分で選び、要らないと思ったものは買わなきゃ良いだけの話なのに昔ながらの平等を求める人達はそれについていけていない。
自分が変化を拒んでいるくせに、他人ににだけ新しい試みを求めていると矛盾で頭がおかしくなる。
昔ながらのインターネットにしがみついて延々と愚痴ってる人達がまさにそうだ。
変化し続ける世界、今まで見たこともない世界をインターネットに求めていると口ではいいながら、いざ新しいものが出てくると拒否反応を示す。
自分が若い時に生まれたものはイノベーティブで素晴らしく、歳を食ってから生まれたものは間違った存在だと。
そう感じる根拠としてあげているあらゆる言葉は単なる言い訳で、自分が変化についていける靭やかさを失ったことを認めることさえ出来ないから文句をいうだけの壊れたラジオになっているのに。
昔ながらのインターネットは壊れたラジオが延々と文句を垂れているばかりでつまらない。
最新のITがつまらなくなったと感じるひとも、きっとそういう空間に張り付いてそこに染まっているからつまらなく感じるんだろうな。
あえて言っておくが、こんなのは無数の時代で、あらゆる技術が繰り返してきたことだ。
別にインターネットが特別だから、インターネットでだけ特別に起きていることじゃない。
QueenがRADION GA GAを発表してから40年、テレビがGAGAって今度はインターネットの番が来たってことだよ。