キモくて金のないおっさん、キモイという抽象的な言葉を使ってしまったため何が問題なのかという部分が霧散してしまったからなあ。経済的な問題とエイジズム的な問題も一緒にしてしまってるのでさらに何が問題なのかが分からなくなってしまっているし。
原作で異性との恋愛エピソードが描かれてるキャラを勝手に同性愛者にしてるやつが言うセリフじゃねえだろ
作者があえて描写しなかったことをアニメで描いてるとか言うけど、あえて描写してないとは誰も言ってないんだよな
ADHDがドーパミンとノルアドレナリンの不足で起きるように、増田いう名もなき無能も何かしらのタンパク質の発現の異常なり何なりで脳内がうまくいってないから起きてるんだ
ただ医学的にケース報告されてないだけ
別に発達じゃなくとも、病的なまでの(日常生活に支障をきたすレベルの)短期記憶の弱さがあるならそれを理由に病院行ってもいいと思うがな
医者によっては「どうにも出来ないのであきらめましょう」と言うかもしれないが。
もうちょいセカオピしてみたらどうだろうか。
あと最近発達界隈で流行ってるらしいが、ビタミンB12欠乏で短期記憶障害っぽくなるらしいから気休めにサプリをとってみてもいいかもしれない。
助成金が出てるらしい。
何がどうデタラメなのか書けばいいのに。これだからクソオタクは。
おすすめの作曲家は推薦する人にも推薦される人にもよるので、元のツイートから変えずに年代の修正だけしてみた。年代は増田の指摘が正しいものとして裏はとってない。下表の年代について、たとえば1800年代は3段で書いているが上段が前半、中段が中盤、下段が後半を示す。登場順と表記名は増田に合わせた(とはいえ国内で一般的でない現地読み的な表記は検索時に初心者を困らすだけだと思うが)。ワーグナーは前期後期があるとか、リストはハンガリー人だがドイツ・オーストリア音楽とか初心者には余計な情報は割愛。
年代 | ドイツ オーストリア イタリア | フランス スペイン | チェコ ハンガリー他東欧 | ロシア | イギリス | 米 |
---|---|---|---|---|---|---|
1600 | ||||||
1700 | バッハ、ヘンデル モーツァルト | |||||
1800 | シューベルト、ベートーヴェン ワーグナー、ヴェルディ、リスト、ヨハン・シュトラウス ブラームス | ビゼー サン=サーンス | ショパン スメタナ、ドヴォジャーク | ムソルグスキー、チーコフスキー | ||
1900 | マーラー | ドビュッシー、ラヴェル | ラフマニノフ ハチャトリアン ストラビンスキー | エルガー、ホルスト | ガーシュイン |
私、趣味でバイクに乗っておりまして、合わせて日々のバイクのことをTwitterで呟いております。そこでは私以外にも沢山の方日々、色んなことを呟かれておりますが度々界隈を賑わせる呟きが『納車』についてのつぶやきでして、
や『スーパーカブ納車”し“ました!』といった具合のものに『貴方はバイク屋ではないのだから納車しましたではなく、納車されましたが正しいよ。正しい日本語を使いましょう。』といった返信が付くことが良くあるのです。
私はこの一連の流れを見るたびに、確かに納車はされるものだが、感覚的に納車しましたという発言がそこまで間違っているものでもないのではないか?と思っております。
自分なりに幾つか仮説を立ててみたけれど誰かに判断して欲しくてとうこうしました。
この納車スルサレル問題について何か回答を持ち合わせておられる方がいたら是非伺いたいです。
■仮説
”納車”という言葉自体が一般化しており、『納車する』ではなく『”納車”する』という意味合いである種のイベント名として使っている。というものです。
しかし納車以外でこれに当てはまるものが私では思いつかず確証がありません。
少し先ほどの仮説を発展させて、バイクを納車する際には必ず購入者が費用を出してバイクを購入しておりますので、納車というイベントを購入者が主催しているという無意識から『納車しに行きます!』という能動的な発言に繋がっているという仮説も思いつきましたがこちらも確証に欠けます。
納車するという言葉を購入者が使うというのが間違っていると言われればそれまでなのですが、それでもいいじゃないかという日本語の懐の深さをしんじたい。
私、趣味でバイクに乗っておりまして、合わせて日々のバイクのことをTwitterで呟いております。そこでは私以外にも沢山の方日々、色んなことを呟かれておりますが度々界隈を賑わせる呟きが『納車』についてのつぶやきでして、
や『スーパーカブ納車”し“ました!』といった具合のものに『貴方はバイク屋ではないのだから納車しましたではなく、納車されましたが正しいよ。正しい日本語を使いましょう。』といった返信が付くことが良くあるのです。
私はこの一連の流れを見るたびに、確かに納車はされるものだが、感覚的に納車しましたという発言がそこまで間違っているものでもないのではないか?と思っております。
自分なりに幾つか仮説を立ててみたけれど誰かに判断して欲しくてとうこうしました。
この納車スルサレル問題について何か回答を持ち合わせておられる方がいたら是非伺いたいです。
■仮説
”納車”という言葉自体が一般化しており、『納車する』ではなく『”納車”する』という意味合いである種のイベント名として使っている。というものです。
しかし納車以外でこれに当てはまるものが私では思いつかず確証がありません。
少し先ほどの仮説を発展させて、バイクを納車する際には必ず購入者が費用を出してバイクを購入しておりますので、納車というイベントを購入者が主催しているという無意識から『納車しに行きます!』という能動的な発言に繋がっているという仮説も思いつきましたがこちらも確証に欠けます。
納車するという言葉を購入者が使うというのが間違っていると言われればそれまでなのですが、それでもいいじゃないかという日本語の懐の深さをしんじたい。
日本は超ハイリスクな研究はせずに、成功しそうな分野を見つけて、いかにキャッチアップするかが重要だった。
中国に関しては2009年くらいに、研究開発費は日本を抜かし、米国に肉薄、日本の数倍と指数関数的に増えている。
生産年齢人口が2015年にピークを迎えるとはいえ、日本と比べ技術政策が具体的かつ広範囲に渡っており、
今後も日本は振り回されるのが目に見えている。
日本から米国への直接投資は増えているのに、米国から日本への投資は増えていない。
ソフトウェアへの転換が乗り遅れたんだとか、サービスに乗り遅れたとか、何度も言われた話題があるが、
ソフトだけ注力しても駄目で、ハードとの両輪でないといけない。
複雑になりすぎていることへの対応にソフト対応が必要だが、日本の場合は色んな物を切り捨てて簡略化する方に向かってしまっている。
法律的に性別に関しては男女の2つしかないのでどうしてそこに引っ張られてしまうのはしょうがないのだけども、性自認というのは単純に男女二つに割りきれると言う問題では無いと思うのよね。本来もっとグラデーションっぽい感じなんだけどもどうしても法的な性別として二分しなければならない故にグラデーション部分が二色に塗りつぶされてしまってる感じ。
法律的には肉体的性別と性自認が完全に異なってる者だけに性別の変更を許可するのが正しいし、そこの基準を緩くしてはならないというのも正しいんだけども、そうすることによって取りこぼされる人が居るというのもきちんと認識しておかないといけない。
マイノリティの中でもマジョリティとマイノリティは存在しうる(マジョリティの中でも同じ事が言える)という認識はコレからの社会をより良くして行くには絶対必要な物だと思う。