反抗、不健康、暗い、厨二病、などのネガティブなイメージではなかったの。
2016年4月6日発売の1stシングル「サイレントマジョリティー」は大人への反抗だけでなく、
「君は君らしく生きて行く自由があるんだ」「Yesでいいのか?サイレントマジョリティー」と他者にも蜂起を促す曲なの。
のちの1stアルバム「真っ白なものは汚したくなる」のリード曲「月曜日の朝、スカートを切られた」はサイマジョの前日譚とされたけど、
歌詞を読んでも全然つながらなくて、全く文字通り後付け設定なの。
メンバーはどちらかといえば大人しいタイプだったけど、この頃は冠番組「欅って、書けない?」などでキャッキャしてたの。
センターの平手友梨奈さんは流れ星のちゅうえいが好きと公言し、振られたらGO!皆川の「うんちょこちょこちょこぴー」とか、「コマネチ」とかやってたの。
パフォーマンスにおいても、
顔面真っ白で体調悪そうとか、俯き気味で髪で顔隠しがちとか、みんなでやるおじぎを一人だけしないとか、当日まで出演するか不明とか、
そういうのはなかったの。
グループとしても「普段は普通にアイドルだけどパフォーマンスはかっこいい」っていう、最高にクールなグループだったの。
のちの演出過剰な「笑わないアイドル」「アーティスト」って言葉に乗っかっちゃうようなイタさとは違ったの。
2ndシングル「世界には愛しかない」、3rdシングル「二人セゾン」も素晴らしかったの。
これらの表題曲だけでなく、カップリングもユニット曲あり、ソロ曲ありで楽曲の幅が広くて、厚みがあったの。
3枚のシングルを経て同年12月24日と25日に有明コロシアムで初のワンマンライブをやったの。
本当に奇跡のような1年の集大成で、Abema TVで生中継もされたからファンはみんな見れたの。
そこのアンコールで「W-KEYAKIZAKAの詩」という曲が初披露されたのだけど、
夢に向かうメンバーとそれを応援するファンを包み込むまさにアンセムで、
本当に2016年末までは最高だったなぁ。
①別に人種差別じゃない。中国に今いる日本人にも入ってきて欲しくない
②「入国禁止っていうけどそこまでする必要はない」とかでもトレンドに加担する
④Twitterなんて毎日グラブルのガチャがトレンドするほど偏ってる人しかいないのに日本人の総意だと思うようなやつはネット向いてない
えらいやん、すごいで
まず、この枝では言葉がここ500年で変化したかどうかが議論になっています。ある増田はそんなに変わっていないと言い、ある増田はいや変わっているだろと反論する。
後者の増田は、時間軸だけでなく空間軸でも変化があると論じている。
私はこれらに明確に答えを出せないけれども、二人の言わんとしていることはなんとなくわかる。
これはたしかにその通りで、たとえばwikipediaの「中世日本語」の項目を見ると、「この時期に古代から備わっていた特徴の多くは失われ、現在の日本語にかなり近い形となった。」
とあり、その細かい要件が書かれている。わかりやすい例でいうと、散々古文で苦しめられた「係り結びの法則」が最終的に崩壊するのがこの時期。
私たちが古文で苦しむのは、この時期に古文が古文になったことが関係している。
増田はこの辺りを論点として「変化がない」と主張したのだろう。
ネットで見られる具体的な原典として大英図書館所蔵『天草版平家物語』を見てみよう。
https://dglb01.ninjal.ac.jp/BL_amakusa/show.php?chapter=2&part=1
発音に多少違いはあるのだろうがこれ、令和を生きる私たちも結構読める。
と表題に書いてある。ぜひ原典と対応させて読んでみてほしい。読める。
正長元年ヨリ
ヘカラス
正長元年より先は、神戸四箇郷に負目あるべからず。字の流れ的にはいけなくはない。
前段では意外に室町時代くらいの日本語ならば通じるのではないかという話をしたが、実は通じないかもという話をする。
世話にやはらげたる
のところ。「世話」も「やわらげたる」も現代語でもほぼ通じそうだ。「世話」という言葉は今も使われるし、「やわらげたる」は「やわらげている」とすぐに発想できる。
ただ現代では、直接「世話にやはらげたる」の意味がわからない。
ところが他に「話し言葉、世俗で使う言葉」という意味がある。現代ではほぼ失われた用法だ。
つまりここでは、『平家物語』を(当時の)現代語に和らげて書きましたよ、ということを示している。
つまり、文法は近いけれども、用いられる言葉やその意味が全然異なるのだ。
方言の問題、あるいは発音の差異の問題と絡めて、この点は500年前の人と会話を難しくする要因になる。
二つの異なる意見が、それぞれ正しさを持っていることを見てきた。
見てきた通り、行けそうでもあるし行けなさそうでもある。私は、それでも、いけるんじゃないか、と思っている。
なぜなら日本語には文字がある。それも、平仮名も片仮名も漢字もある。そして、述べてきた通り音もある。
『論語』やそれこそ『平家物語』など、共通の「話題」もたくさん存在する。
これらを駆使して「会話」すれば、互いの言語感覚を調整・修正しながらコミュニケーションを取れるのではないかと思う(そして、当然と言えば当然なんだが平安人より室町人の方が格段に「会話」は簡単だと思う)。
この点は、元増田の「言語的に正しい大河ドラマ」を作ったり私たちが見て楽しめたりできる可能性を肯定する。
字幕入れたり解説入れれば、英語の字幕より近い感覚を持って楽しくドラマを見られるのではないか。
俺は、俺好みの室町の貴族の娘や守護大名、守護代クラスの娘(前髪ぱっつんの「のじゃ」口調の姫(大人っぽくてもロリっぽくても可))が異世界転生して俺の部屋にシュワみたいにやってきた場合に備えて、室町人と対話する準備はできている。
電子書籍は本当に便利だ。
ギッチギチに混んだ満員電車内でも、少しだけのつもりのトイレタイムも、一瞬のエスカレーターでも、すぐに読書タイムに突入することができる。
でもボタンひとつですぐに購入できることはダメだ。ダメなんだ。本当に困る。本も漫画も好きすぎて、書店なんかに行くよりも何倍ものお金を使ってしまう。どこでも読めるからすぐに読み終わる。積読なんてない。すぐにまた新しい物語が読みたくなる。助けて。
読みたいけれど何冊も続くシリーズものが電子化されていないことに安心している。
追記。毎日鬼のように混む駅を使っているので歩きスマホだけは絶対にやらない主義です。エスカレーターも立ち止まって読んで、降りたら即スマホはしまいます。みんなも歩きスマホはやめよう。やめよう!!
大きなマックが3個買える位。
あ、7はリメイクやるな