日付が変わってから帰って来てるなら上の0時1時くらいに「帰宅」が入るはずなのに入らないから
これ永遠に帰って来ない設定だろ
まあ無理やり考えれば月曜だけ帰って来て後は週末までずっと出張(だから帰宅しない)、とかの設定もあり得るけど
最初はパパ入れない予定だったのが、入れないと母子家庭のように見えるとかそういう突っ込みがあって後から無理やり入れたのかな
だれだよおまえ。
心に響かないのは、心に響かないものばかり見てるからってだけだ。
俺はゴヤの「我が子を食らうサトゥルヌス」とか
フランシス・ベーコンの「インノケンティウス10世の肖像画」が好み。
好き勝手に観賞すればいいんだと判るぞ。
結局、何が言いたかったん?
劇場に弁当もちゃんと売ってて、弁当付きって券もあったと思う、うろ覚えだけど
その時は俺はよそで買った弁当で友達は劇場内で買った弁当持ってたんだけど、昨今のマナーの空気で弁当を広げていいような雰囲気がまったくなくて前半の漫才コーナーの後半くらいまでずっと膝の上に置いたまま
そういう雰囲気がすでにあるのを知ってか知らずか漫才師の人が舞台で弁当でも広げてゆっくり聞いて笑って帰ってくださいな的なこと言ってくれたからようやく弁当食べようって気になって食べることができたけど、その一言がなかったら途中の休憩で一気に食ってたと思う
そんな悲しいこと言うなよ😭
町医者は医者じゃないとでも思っているのか?制度上は町医者が「この患者は自分の手に負えない重症だから大病院に行くべきだ」と判断したときに大病院に紹介状を書いて送り込むのが原則。少なくともド素人が自己診断でいきなり大病院に行くよりはましなはず。どこの世界にもヤブ医者がいないとは限らないけど、大病院にも新米医師とか専門外のことは分からん医師とかいるのでどっちもどっち。
虐待でもされてた?
目が覚めたとき泣いていた。
こんなにしっかり両目からさらさらと涙をながしていたことなんて、今まであったのか思い出せないから初めての経験だったかもしれない。
起きる直前夢を見ていた。
そこには職場や学生時代の知り合いや友達、そこそこ親しい人が数人いる場で、なんとなく和やかな雰囲気だった。
目の前にいくつかの食べ物が置かれて、どうやらその食べ物を適当に選んで昼食のお弁当をこさえるらしかった。
さてあなたはどれを選ぶ??
そう聞かれているらしく、その場のみんなは目の前のおにぎりやら唐揚げやら菓子パンやら?なんかそういうものを見つめてどれにしようかなあなんていいあって、周りの出方を伺っていた。
誰かが何かを選ぶと、少しずつではあるけれどその場で手に取れる食べ物はたしかに減っていき、徐々に自分も何かを選ばねばを焦りを感じるのだけれど、全然選べない。
これとこれ!というタイミングも他の人と被ってはいけなくて、重要らしいこともあって、記憶の中の食べ物はそこまでバラエティ豊かではなく、どれも似たり寄ったりのそこそこ感だったきがするのだが、なんせ全然選べない。
何かを手に取り選んでいく知り合いたち。
その場でただただ焦る自分。
なんとか決めて、もういいこれだと手を伸ばしたその食べ物に、僅差で先に触れニコッとわらって抜けていった同僚。
それをみて、ああもう一瞬判断が早かったら自分も抜けられたのに、と後悔。
最後の一人になってしまいそうにすらなって、あせって、あせって。
もう選べる食べ物が目の前から消えてしまうようで、頭が回らなくて。
気がついたら泣いていた。
しかもだいぶ涙が流れていた。
これどんな夢だ。
目覚めしなになんで泣いてるんだって記憶をだとって整理したら、意味わからなすぎて怖くなった。
食べ物選べないと何に困るっていうの?
夢占いしたいけどしてない。
夢も何かを暗示してる感もだけど、現実で涙をほろほろ流していた事実がまじで怖い。
病気?
1990年生まれ現在28歳のグラフィックデザイナーです。
絵を描くのを一度諦め、何年間か描いていなかったものの、最近になってまた戻ってきた話を1年前、はてなで投稿しました。
あれからちょうど1年経ちましたので、改めてまとめようと思いまた記事を書いています。
https://anond.hatelabo.jp/20180130030322
1年前、この記事を書いた後、思った以上の反応がありとても驚きました。
まさかあんなにコメントが頂けるとは思っておらず、戸惑いつつも全て読ませていただきました。
私と同じように、夢を追っていたけど諦めた人。
オススメの本を教えてくださった人(全部読みました)。
全てが嬉しくて、おそらくこの記事とコメントがなければ、この1年絵を描けていなかったかもしれません。
1年間何をしていたかと言うと、とりあえずは具体的な目標を立てようと思い、
ピクシブに投稿したりpawooに登録したり、イラスト雑誌に投稿したり
特にコミティアでは、本を出すため仕事の合間を縫ってちまちまと絵を描き、帰宅後すぐ絵を描く日々が続きました。
それでも枚数が少ないためどうにか本の形にするために考えたことは、文章を添えることでした。
絵を描くのをやめてからもあまりに自然な昇華活動として行なっていたために、
自分が文を書くのが趣味ということにも気付いていませんでした。
昔、文章を書いていて同級生にとても馬鹿にされた経験があり、ずっと表には出していなかった趣味でもありました。
思えば長い間、人の目を気にして何もできなくなっていました。
そう思われるのが嫌で、自分をずっと殺していました。
それは絵だけじゃなくて、文章も詩も、着る服も選ぶ小物も言動も、全てそうだったように思います。
目立たないように。ダサいと思われないように。だってそれは何よりも恥ずかしいことで、
本当の自分を少しでも出してしまってもしダメだった時、自分の全てを否定されたような気分になり、傷つくのがわかっていたから。
せっかく恥をかくんだ、どうせなら徹底的に自分が好きなことしかしないでおこうと思い、
知り合いには誰にも見せないようにしながら、好きな題材で絵を描き、好きに文章や詩を書いて絵に添えました。
仕事では「ダサい」と思われるのが嫌で徹底して自分の好きなものを殺して作ってきましたが、もうこの際だと、好きにデザインしました。
普段は絶対使わないけど実は気になっていたフォント。無駄だらけの装飾。自分に浸った言葉の羅列。普段は絶対言わない主張を書いた文章。…
とにかくもう誰の目も気にしないように気をつけながら、自分の好きを探すことからはじめました。
同人イベントにサークル参加すること自体が初めてで、それだけでも緊張していましたが、
不安で吐きそうになりながら、一人でポツンとお客さんを待ちました。
こんなにたくさんの人が居る中、自分の絵なんて、見てくれる人が居るのだろうか。
1冊でも売れるだろうか、いや、1度でも手にとってもらえるんだろうか。
今日、誰も来なくても、誰にも見てもらえなくても全くおかしくないな。なんて、ずっとぐるぐる考えていた気がします。
会場後30分くらい経っても人が来ず、ずっと一人で、泣きそうになりながら机を睨みつけていたら、
ひとりの女性が本を手に取り、しばらく眺めた後
「これ、1冊ください」と、お買い上げくださりました。
あの瞬間のことを多分私はずっと忘れないと思います、
いただいた300円を、しばらく、見つめて
生業であるデザインの仕事では、時には1、2時間の作業で5万円稼ぐこともあります。
時給換算すると本当にちっぽけなものでしたが
私はあんなに大切な300円を今後も知ることがないと思います。
あんなにたくさんのサークルが居る中、私のサークルを見てくれたこと。
涙をこらえながら、何か、今までの全てが溶けたような感覚になりました。
絶対に愛されないと思っていた自分を愛してもらうこと、そんな奇跡を、
その後も、たくさんの人にお買い上げいただき、とても好きな絵柄ですと言っていただいたり
ツイッターではとても好きな絵描きさんと相互フォロワーになれたり、
しかもそれは、取り繕った私ではなく、全面的に自分をさらけ出した正真正銘の私としての結果で
もう好きなことを殺さなくて良いこと。自分を出しても怖くないということ。
良い意味で、作り続けなければいけないという強迫観念がなくなったこと。
今まで自分はスタートラインにすら立っていなかった事に初めて気づきました。
戦わない。比べられる土俵に上がらない。向き合わない。そうして自分を守ってきたつもりだったけど、
裸になって、真正面から「作ること」に向き合い続けたこの1年間で、
「誰か」と比べる必要は全くないこと。自分のことだけ見つめて良いこと。何も怖くないということを知りました。
一歩を踏み出す勇気さえ出せれば、全然違う世界が広がっているということを知りました。
多分それは絵だけじゃない、全てが、少しずつ変わっていくのを感じます。
1年前に比べて、驚くほど自分に対して穏やかになったことを実感しています。
これからの人生において「物を作るか」「作らないか」に一旦決着をつけたいと思ったのです。
どちらに転んでも、もうこれ以上このことで悩まないように。
もうこのことでは全く悩まないようになりました。
勇気を出してよかったと、この世界は見えていなかったと思います。
「本当の自分」を好きと言ってくれる人がこの世に1人でもいれば
きっとずっと私はものを作れるし、
改めて、1年前コメントをくれたみなさま、本当にありがとうございました。
みなさまからのコメントがなければ、ここまで勇気を出せなかったと思います。
これからは気の赴くままに、頑張ったり頑張らなかったりしながら