サイバーメガネならサイバーメガネらしく、ドールにサイバーメガネを掛けるくらいしてくれよ。
大脳が壊れるとメンヘルになるだけじゃなくアイデンティティも失われてしまうのか。
xevra氏も、あの邪眼みたいな自画像が良かったのになんで二次元キャラにしちゃったのさ。
http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1704/14/news076.html
まじか。
現地の状況を早く知りたい。
入室→トイレットペーパー残量・鍵閉め忘れ・不審物等ないか確認→(持ち物あれば置く)→
尻を出す→座る→排尿→拭く→尿色確認→流す→
ヒップの形を整えつつ尻を仕舞う→(必要があればこの前後に脇の下・足指をウェットティッシュで拭く、ブラの具合を直す)→シャツの出具合整え→
その時の置いてきぼり感が凄い
ちゃんと答えてなかったかもしれないから追記すると、やっぱりかなりの実害がある差別があったということ。
特に子供の頃は隠す意味もわからないから普通に公表してたけど、それが原因でいじめられたこともあったし、何より後から考えてみるとそのいじめを扇動しているのが担任の先生だったということがショックだった。
とにかく事あるごとに自分だけが怒られたし、人前でバカにされるようなことも当たり前だった。他の生徒が同じようなことをしてもそんなことになることはなかった。
なのに他の生徒からはすこぶる評判のいい先生で、自分からしてみると不思議でしょうがなかった。
それ以外にも年上の親戚は日本の企業に就職できないのは当たり前で、他の親戚からも周囲から差別を受けてることは当たり前に聞こえてくるし、隠して生活していれば隠していない人間に対して周囲が差別的な発言をすることも当たり前に耳にしていた。
とにかく書き出したらきりがないほど差別はそこにあって、しかもそれが差別だと認識されていることもほとんどなかった。
こればっかりは一度差別されてみないとわからないことかもしれないけど、それくらい差別は当たり前のようにそこら中にあって、差別されている人は毎日のように苦しんでいるのが世の中の真実だよ。
私は40代男性。現在の私については追ってご説明差し上げるが、かつて、成人を迎えるまでは早漏であった。早漏という概念を人に、特に女性に対して説明するのはひどく難しい。なぜなら早漏の基準が明確ではないからだ。じっさい、私が早漏であったのかどうかよくわからない。具体例をあげるので、私が早漏であったかどうかはこの文章を読んでくれている皆様の判断を仰ぎたいと思う。たとえば、ノーパンで(注/私は束縛を忌み嫌う尾崎豊信者だった)デニムを履けば、数秒のうちに射出していた。あの硬質な布地にテポドンが犯されている感覚を私は忘れることができない。たとえば、キッチンにあるホーロー鍋に早漏なテポドンを押し付けるだけで、数秒のうちに射出していた。事後、母がホーロー鍋でクリームシチューをつくったとき私が二度目の絶頂を迎えたのはいうまでもない。こうした経験から私自身には早漏という自負はあるが、世間一般的にみて私は早漏なのだろうか。1980年代は人権意識が低い時代であった。早漏は人ではないという風潮があった。ホーロー早漏を重ねていた私には地獄の時期だった。さいわい、私のテポドンは適度にムケていたので、見た目で嘲笑されることはなかった。当時から現在まで、包茎テポドンの方々の苦難を想うだけで熱いものが頬を伝ってくる。もし私のテポドンが早漏で包茎だったら…。考えるだけでおそろしい。早漏なだけの私はまだ恵まれていた。ただ、年齢を重ねるにつれ、ホーローに押し付けるたびに、早漏という事実は私のなかで大きな質量をもったものになっていった。都会に隠れる殺人犯の気持ちといったら大袈裟だろうか。早漏であるかぎり、ホーローしか相手にしてくれない。私は寂しかった。女性とちょめちょめしたかった。私は、己のテポドンを鍛えに鍛えた。私は映画「ベストキッド」の特訓のように握りしめたテポドンをライトサークル(ブルん)、レフトサークル(ブルッ)、アップダウンアップダウン(ブルブルブルブル)と振り回した。冷水をかけ流したあとで熱湯につけた。痛めつけたりもした。繰り返した。当初、ブルブルするたびにドラゴンのごとく白き炎を吐き出していた私のテポドンは熱湯コマーシャルを重ねるうちに大人の階段を登り、多少の刺激にはビクともしなくなった。それからしばらくして、私は、私のテポドンは死んだ。勃起しなくなってしまったのだ。祈るような気持ちでライトサークル、レフトサークル、アップダウンアップダウンしても、私の、かつてドラゴンのように咆哮したテポドンは、ミミズの死骸のような無惨な姿を晒すだけである。現在の私は包茎や早漏以下のインポテンツ、最近はバイアグラも効かなくなった。何も感じなくなった世界で、私はときどき、あの早漏の頃を思い出しては、そろそろとだらしなく精液を垂れ流している。
親の世代に遡るけど、差別から身を守るためにはそうしたコミュニティに属するか、そうしたコミュニティから逃れて隠れるかという選択肢があってうちはその後者だった。
それは言葉を変えると、朝鮮人としての在日として生きていくのではなくて、自国から離れて在日朝鮮人として生きていくということの選択でもあった。
マイノリティとして生きる上で日常的な差別から身を守るには被差別者であることを公表しないことが何より効果的だった。
帰化すればいいのにって言うのは簡単で、例えば関西の人が東京に出てきて関西弁を捨てて東京人になりたいか?というような問題だと思う。
さっきサイバーメガネの人にブクマされて思ったけど、誤解を恐れずに書くと、今、福島を離れて都市部に出てきている人も同じように考えているんじゃないかな。
日々周りを取り囲む差別に怯えて、地元に残る人の一部からも白い目を向けられて、それでも本籍を変えて故郷を捨ててまで生きていきたいか?という感じ。
そんな簡単な問題ではないと思うので、でしゃばった意見だったら申し訳ない。
要するに自分が被差別者だったからこそ得られた経験が沢山あって、何よりもアイデンティティでもあるってこと。
今は隠す隠さないというより、必要があればその都度公表するし、不都合があればあえては口にしない生活。日常的な嘘からは解放された生き方がやっと出来てきた感じです。
そりゃそうだ
結婚生活を送るだけなら役所に届け出して籍なんか入れなくても別にいいし
式なんてやらずに籍だけ入れてもいい
そこをわざわざ式までやるっていうのはそういうこと
Picoプロジェクターっての買ったんですよ。超小型で、手のひらに乗るサイズ。バッテリー駆動でスマホと無線で繋がります。
スマホの画面をミラーリング出来るので、スマホの画面に映るものなら大抵投影出来るわけです。
スマホに画像や動画を入れておけばそれを投影できる。なんなら動画ファイルとかをマイクロSDカードに入れてプロジェクターに挿して再生することも出来る。
でね、当然やるわけです。エロ動画を投影って。最初三脚にセットして壁に映してみました。うん、大画面。でもなんか、イマイチ面白くない。大画面の女優さんはまるで巨人。進撃されても困ります。興奮よりも食われる恐怖が勝つ。
そこで、三脚を外して手に持って自由に投影してました(※)。壁や床、どこにでも好きなサイズで投影できます。
とてもすごい。
女優さんの顔や体やいろいろが、手元で、あたかもそこにあるように実物大で投影される。これはすごい。
もう、ARです。
むしろVRです。
どっちでもいいです。
AVRです。
スケッチブックなのでどういう風にどこに置くかは自由。プロジェクターは手に持っているので、サイズや角度も自由です。
自由。すばらしい。プロジェクターにこんな使い方があったなんて。
※…ピントは1mくらいで見えるように調整した。
単にマイルドヤンキー下にみてただけじゃね