終戦間近の軍需化学工場に学徒動員されていた若者たちの話である。
SEALDsの代表やT―nsSOWLや山田洋次が共同代表をつとめる反戦劇とあって、会場の白髪率は異常に高く、アベ許さないと書かれたカードをカバンにつけた人もちらほら。
けれどわたしは何も知らずただなんとなく観劇した。面白かった。映画や小説やアニメや漫画やいろいろ見るけどその中でも特別素晴らしいと思った。
ファンタジーのふりをした戦争物やSFもののふりをした恋愛ものはよくある。宣伝文句と実際のテーマが違うのはむしろデフォだ。
イラク戦争の時もミュージシャンが曲を作ってテレビに取り上げられてたし、「反戦」というわかりやすいお題目で客を寄せつつ好きなことを表現するんだろうと思っていた。
演劇の内容自体はそんな偏りがなく、そもそもエンタメとして完成度が高かったからだ。
ところが実際は違った。完全に左翼による左翼のための芸術だったのだ。
役者も裏方も一致団結して反戦という表現に取り組んでいたのだ。
役者自ら戦争法案反対デモ等に参加し、劇のビラを配った。そういう左翼的表現活動を真面目にやる世界があると初めて知った。
違和感を持ったのは芸術の扱われ方だ。わたしは今まで芸術には受け取り手の自由があるもんだと無意識に思っていた。作者の意図を一応汲んだ上で好きに解釈する自由。
だがあの劇は作る側も反戦、中身も反戦、受け取る側も反戦でそれ以外はなかった。
そんな芸術があるということも初めて知った。
T―nsSOWLの高校生が役者と同じ壇上に上げられて、ちやほやされて、利用される光景も直に見るとなかなか辛かった。
金使うならもっと生きてる若手アーティストに金使ってくれっていうイラストレーターの意見をみたが、悲しいかな若沖のほうが全然いいw 芸術性とかじゃなく派手で分かりやすい。確かに生活苦ないなら有利だけどそこじゃないんだよね…まあイラストレーターと比較するのもヘンだけど。
でもいまいち売れてないイラストレーターのヒトってそういうひとたまにいる。でも社会的地位とかお金あるなしじゃない。絵の問題。
ああ
やっぱそういう人いるか
俺もいうほどセブンドーナツに対する優位性感じられないよなーと思ってた
ブコメにあるみたいに「出来立て」喰えたら違うのかな
ほとんどのは店晒しだもんなミスドだって
俺が思い出を美化しすぎてたせいだろうけど、昔に比べて小さい・まずいで、ミスドの優位性なんてもうないよ
店にもよるんだろうけど
時々だけど、月に2~3回生理が来る。
けどやっぱり女同士でもそんな話しないな。
突然来てナプキン持ってないとか、旅行で温泉入れないとか、あるいは腹痛が辛すぎて周りに言わざるを得ないとか、そういう時くらいしか話題にのぼらない。
ストーカー事件について、殺すって書いてたブログに警察が気づいてれば・・・とか、警察がもっとやってれば・・・みたいな警察せめるようなあまりにも馬鹿らしい論調でほんとムカついた
ストーカー被害とかいちいち取り合うリソースがないっていう現実的な問題無視して好き勝手言いやがって
じゃあストーカー相談に全部全力で対応するために税金増やしますっつったら全力で叩くんだろ
アホらし
だよなー
トラブル好きなやつとかストレスたまってるウエメセ説教好きな奴とかはそういう場面で嬉々として乱暴に押し通ったり聞こえよがしに舌打ちしたり説教したりするんだろうが、ほとんどの善良な市民はそんなこと一切したくないんだよ
まさに今実感中。
できないのかやらないのかわからないが、まず意思疎通から難しくそもそも返事が返ってこない。
真面目な人がその日中に回答くれることを10日くらいは余裕で放置するしとにかく情報をくれない。向こうは知ってることなのにこちらに調査させる。
直接その場でいうでもなく
ブコメにもその場で言えよとか押せよとかあるけど
なんでそんな不快なことをこっちが押し付けられなきゃいけないのかわからん
なんか気付けなくてもしょうがないような繊細な配慮求めてるとかじゃなくて公道を明らかに塞いでるというバカ話だろ
自分等で気づいてさっさとどけよ
画面操作時の動きとそこからのデータの流れまでわかってる人だからもうほぼ書けると思うんだよね
基本的に既存の流用か改変だし PG歴浅くてこの言語はじめてな自分がなんとかしてる状態だから
確かに適切じゃない資料が残ってたらそれはそれで厄介だ
ニュースを見ても何のスポーツを観ても、あいつが悪いこいつがバカだとこき下ろし、
挙句一人で勝手に機嫌を悪くする人というのがいるけど、ありゃなんなんだ
わざわざ不機嫌になりたくてテレビ見てるのか?
漫画、ゲーム原作のアニメって、作画崩壊してない、話も原作に忠実なのになーんか面白くない奴があるんだよね。
なんでだ?って思ってたら、もしかしたら「カメラアングルとかの演出」が原因の1つなのかもしれないと気づいた。
例えば推理ゲームや日常漫画系、またはバトル要素がない漫画が原作だと、アニメ化する時工夫しないとただキャラが話してるだけの地味な絵面になってしまう…気がする。それだとただキャラの口だけが動いて、声が流れてくるだけの紙芝居となり、見てる側としてはすごい退屈に感じる。しかもそれが30分続く…。そんで「原作だけでいいや」みたいになる。
その分会話が多くても、地味な絵面になり易くても演出が凝ってると凄い面白く感じる。例えば化物語なんかはただ会話してるシーンが非常に多いけど、画面の演出やカメラアングルが飽きさせないような作りになってるから退屈せずに見ることができる。後遊戯王もカード効果の説明とかでセリフ量が多いアニメだけど、作画監督の人が「手のアップや派手アクションでキャラを動かして飽きさせない画面作りを試みてる」「キャラのイノキの真似もなんとなくキャラが格闘技好きそうなのと、派手な画面にするため」(うろ覚え)みたいなことを言ってて成る程…と思った記憶がある。確かにセリフが多いけど作画良い回はメリハリの効いた画面作りになってるから遊戯王も見てて退屈しないんだよね。キャラが話してる時の顔芸もドキッとするし。
逆に個人的に逆転裁判は、1話2話見た時裁判パートとかもっと絵面や動きを派手にして欲しかったって思ったなあ。展開が熱い分、画面が落ち着きすぎてて物足りなかった。多分遊戯王みたいなのを期待してた。
アニメは絵面が大事だけど、それは只「キャラの造形が綺麗な作画」なだけじゃなく「カメラワークや演出、動きが凝ってる」ってのが視聴継続に関わるほどウェイトを占めている…ような気がする。あんま詳しいと言えるほどアニメを知っているわけじゃないけど。