2011年06月25日の日記

2011-06-25

http://anond.hatelabo.jp/20110625014048

なるほど。確かにそれは説得力がある。

はにわオタクもそうだし、中途半端で声がでかいやつほど目について腹が立ってしまうのかもしれない。

http://anond.hatelabo.jp/20110625011511

あなたの言うとおりなのかもしれない。その仮説の真偽は分からないけれども、イメージ(俺の見てきた限りの傾向)としては2005年以前から個人サイトで活動してる人は割とその辺気にしないんだよね。俺はチキンからもともと申請とかしないけどさ。あと、その人らのほうが活動長い分攻撃されてると思うけれども。

pixivでやっと公開出来る場を持った人の一部がこういうこと言って調子に乗ってるのがイメージ

俺のもあくまでイメージから、推測よりも説得力ないけどね。

http://anond.hatelabo.jp/20110625004924

共働きや父親のために土日に授業参観をやるのは別に珍しいことではないと思う。多分。

愛すべきオレのいいわけよ、こんばんは

http://anond.hatelabo.jp/20110625010207

人って生き物は共感できない相手と分かり合うのは難しいもんだし、共感できる人間で群れるもんだろ。

自分が苦しんだなら、苦しんだことがないやつを馬鹿にしたり、同様に苦しんだ(かもしれない)人を勝手に仲間認定したりな。

それがいいことだとは思わんが、心理的・社会的な帰結なのか知らないが自分もそういった傾向のある生き物だという自覚があるし、あるいは本能的なものだと思えば怒りすらわかん。

初めて風俗に行ってきたので考えたこと、感じたことをつらつら書いていこうと思う。

以下感想

  • 行くのがちょっと遅すぎたか、という感じ。かの偉大な北方先生は「ソープに行け」という万能アドバイスを残しているが、あれって実際、童貞歴が長すぎると効果がないようである
    • これについて、事前の考えとしては、「ソープに行くと気持ちいいので色々悩んでたのがアホらしくなる」、または「童貞で悩んでいたのが、なんだ、セックスなんてこんなものか、と自信がつく」というのがあのメソッドの含意だと解釈していた。実際、こんなものか、とは確かに思ったのだが、あまりにも何もなさすぎて、何の問題も解決しなかったので拍子抜けした感じである女性に対して自信がついたりしたということは全く無い。
    • どうも自分は、童貞であることについて深く考えたり悩みすぎたり、それでいて実際の行動(合コンとか)にはあまり移さなかった結果として、いわゆる「童貞をこじらせた」状態になっているらしく、つまり、手遅れということなのかと思う。
    • 上はどちらかというとメンタル面の話だが、肉体的物理的な話をすると、純粋にそう気持ち良いものでもなかった、ということもある。今まで数年間、散々エロマンガだのエロゲーだのAVだので自慰し放題の生活を続けてきたせいで、女性の生の肉体との接触によってはあまり快感や興奮を得られないようになってしまったようである。これも噂には聞いていたが、実際その通りらしい。
  • はいえ、様々な知見が得られたので決してムダではなかったとも思う。
  • たとえば、風俗店というのは(より正確には自分の行ったソープランドは)、美容室マッサージ店に似ていると思う。相手への信頼のもとに自分の身体の一部の自由を委ねて、何がしか快楽を得る、という店と客との関係が。後付けの知識だが、実際、一部の風俗店業態マッサージ店と限りなく近接・混淆しているようだし、また、台湾では「床屋」とは風俗店のことだとも聞く。フィクションにおいて恋人たちが髪を切ったり洗われたりするのは深い信頼のあらわれであると同時にセックス隠喩である、とはこういうことか、とそんなことを身体を洗われながら思った。
  • 愛のないセックスは虚しい、みたいな話をここですると増田的にはきっと恰好のネタになると思うのだが、まあとにかく、楽しくはなかった。これは純粋自分初体験で緊張していたというのもあるのだろうけど(噂には聞いていたが実際なかなか勃たなくて焦った)、嬢の身体を見ても興奮できないのである感覚としては家族のそれに限りなく近い。キスしてもただ、「肉である」という感想しか得られない。
    • これは相手の嬢の方には非常に失礼なことであるし、態度には出さなかった(はず)。どこまでも当方の問題であるわけだから。実際、ローションプレイはなかなかに気持ちよかったし、最終的には射精まで漕ぎ着けられた、とは付記しておく。
      • ここまで文章を書いていて気がつくのは、自分風俗店に行ったときの話をしているのに口をついて出てくるのは自身についての省察ばかり、嬢の話はこれっぽっちも無い、ということである。今時の男は自分のことにしか興味がない、というスポーツ新聞コラムニストの言を頭から信じるわけではないが、実際そういう部分はあるのだろう。とうとうここまで恋人を作ることができなかったのも、畢竟そういうことか。
    • しかしながら、世の人が「作業になっちゃったセックス苦痛」と言うのが少しだけ理解できた気はする。
  • さて本番、という段になり、愛撫を促された自分は思わず硬直した。いざ抛り出された女性の裸体を前にしたとき、一体どうしたものやらとんと見当がつかないのである。とりあえず見よう見まねで(すなわちAVやらエロゲーやら何やらのように)手を動かしてはみるものの、どうにも奏功している感触がない。初めてだから仕方ない、とフォローは可能なのかもしれないけども。唐突に話が飛ぶが、これは車の運転についてもそうで、ちっとも上手く出来やしない。「誰でも最初から上手いわけじゃない、練習あるのみだ」と人は言うのだけど、どうも自分の拙さはやや常軌を逸してかけているように思えてならない。そういうわけで近頃は世人に対する驚異と尊敬の念いよいよ高まるばかりである
  • ところで奇妙なことに、挿入とピストン運動(古い)、嬢に両足で腰を銜え込まれる感覚は、これまで何度か夢に見たものとさして変わりがなかった。膣内は思ったよりも浅く、ややもすると抜けてしまいそうになるものから腰遣いには注意を要した。といってもただ振ってるだけだったのだが。いずれにせよ、人間想像というのは、ときにはそう外れているものでもないらしい。
  • 店を出て上記のように縷縷思索に耽りながら、ふと頭を過ったのは、これはポルノグラフィティの鑑賞にあたってフィードバックに使える、ということである。今や自分キスの、挿入の感触を知っている、これでまたひとつ豊かな視聴(あるいは読書プレイ)体験の世界が広がったのだ、と嬉しがりながらtumblr.で流れてきた『とある科学の超電磁砲』の佐天×初春キス画像を眺めている。1万6千円はけっしてムダではなかったのだ、と納得しこの稿を終えたい。

ブコメで頻出している「1万6千円って安すぎだろう」という突っ込みに対する応答も含め、補足を書いたのでそちらも参照してもらえると幸いです

http://anond.hatelabo.jp/20110625102225

浮気相手をしていた

どうも、村上春樹小説なら昔の恋人が2人ほど死んでいるくらいの年齢の男です

まだ少し肌寒いころから、3ヶ月ほどの話。

こういうことをするのは人生で二度目。それも相手はその時と同じで、彼女とは以前はちゃんと付き合っていた頃もあった。わりに長い間。

彼女がちゃんと付き合っている彼氏も前の時と同一人物で、以前と違うのは、彼女結婚を控えているということ。

色々と思うところもあったんで書いてみようと思う。

「その気になれば」は実行されない

こんな事日常の人付き合いの中で重々身についているとは思っていたんだけど。

その気になればと言ったところで人はおおよそ「その気になる」だけのエネルギーを持ち合わせていない。現代人は生きるだけでも複雑でそんな余分なエネルギーがない。「進めてる結婚の話だってその気になればどうにかなるしあなたさえ良いなら彼と別れてあなたと一緒になる」とその人が言ったところでその気になる確率はいかほどのものかって話。

自信が持てないと突飛な言動が現れる

自分の言動に自信が持てなくなったり、誤っている点を無視するようになると、自分を認めてくれる意見なり理論なりが欲しくなる。不安からだ。そういう時に人は他人にそれを求めたりするけど、それがとても出来ないようなケースの場合面白いことにそれをなんとか自分で捻出しようとする。そうすると自己の体系の中の欠けている部分を補強するいわば部分工事のような意見なり主張、それに基づいた言動が出てくる。成り立ちが無いのでそれは脆く破綻しやすい。

人のそれもそうだけど、自戒をこめて。

覚悟を決めておくことが大切

まだぼんやりとしたものだけど、傷付いても良い覚悟、磨り減っても良いと思える覚悟のようなものだと思う。

第三者の深みまで足を踏み入れる時、摩擦が生じる。自分がそれなりのエネルギー・勢いを持って踏み込むのならより一層。

自分過去にこれで痛い目を見た。その覚悟がなかったために色々な人や物を恨まずにはいられなくなってしまった。その学びがあっただけ今回は良かった。一時的なキツさなんて目を瞑っていれば良い。傷が消えそうにないならそれもまた仕方なく引きずれば良い。恨み続け許せない生活が一番キツい。

もうしない

疲れたわ

雑感

何が辛かったって、完全に「二人だけ」だったこと。「いや、それ間違ってないか」と主張したところで、それを正しいとしてくれる人はいない。先述の「自信がないと云々」って話でもなくむしろ自信があった。声を大にして言いたかった。それでもそれを認める人も裁く人もいないんで自分の声は虚しく響くだけだった。

全然関係のない些細なことで痴話喧嘩するのも、夜の駐車場に停めた彼女パッソの後部座席で、勢いづいて変なぬいぐるみをどけてセックスするのも、公園の桜の下で膝枕で眠るのも二人だけで、それぞれの日常に帰ればそれを知っている人は誰一人いなくて、自分自分で何食わぬ顔で生活する。彼女彼女で式の準備なりをして、きっと久しぶりに再開した友人に「結婚もうすぐだねー楽しみだねー」とか言われながら談笑してたんだろう。

そしてその二人だけの小さな世界にあっては結婚数ヶ月前にモトカレと大好き大好きと言いながらセックスすることだって、「私には自分幸せより自分が如何に相手を幸せにできるかという考えしかない」と言いながら「あなた自分幸せしか考えてないのね私はもっと私の幸せを考えてくれる人がいい」と主張することだって、なんだってまかり通るわけだ。

とにかくそんなこんなで自分の「おかしい」という疑念だけが空回りしてキツかった。それなりに消耗していって、最後に「お前の言葉を信じた俺が馬鹿だったよくそったれ」と暴言はいたところ「さっきまでホテルであんなに好きだよと言ってくれたりしたのにそんな事言えるんだね」と言われたけど、もう「さっきまでホテルであんなに好きだよと言ってくれたりしたのに他の人と結婚できるんだね」と言い返す気にはなれなかったなぁ。

だって自分かわいい。みんな自己の中でバランスをとるのに必死で、それと同時に大切にしたい人がいたりする。自己愛と他者への愛はそれぞれ独立もので絶対的にあるもんで、互いの差はあれどどちらに偏っているとかってものでもない。その人の存在が大切なのか、一緒にいて満たされる自分のためにその人が共にいてくれることが大切なのか、とか、そんなの両方大切に決まってるじゃん。当たり前のことなのだけど、前にも書いたように追い込まれるとそういう事すら見失う。だから相手の幸せ自分幸せみたいなしょうもない事を引き合いに出して、格好良い上辺の意見の裏の本音を露見みたいなだっさい真似をしてしまう。

そんな事は初めからわかっていて、そういう全てをひっくるめて受け入れようという姿勢が大切なんじゃないかと思う。

結婚ってのは高校生カップルが「ずっと一緒にいようね」って言い合ってるのとは違ってさ、他人同士が家族になるという割りに重大なことなわけで。

家族ってのは(少なくとも良い関係を構築したいのなら)、そこに必要なのは慈愛であって、それは無条件に相手を受け入れ抱きしめられることだと思っている。

簡単なことじゃない。他人同士がすぐにそんな関係になんてなれないだろ、と思う。けど少なくともそうなろうという前向きな姿勢が大切なんじゃないか。俺は許すよ、私は受け入れるよ、という。

それも理想的に過ぎるのかもしれないけど。若者の戯れ言と思われるかもしれない。現実はそう上手くも運ばないかもしれない。

まぁとにかくそんなこんなで春先からドタバタは終結。俺はまた冴えない生活に戻る。結婚どうこうなんて言ってらんない。

でもまぁ少なくともあんな結婚はしたくないな、俺は。

消毒さんがアニメ語っててマジがっかりっすよ

http://anond.hatelabo.jp/20110625010207

ここからはもうただの深読み推測なんだけど、その絵師たちは、絵師やってることで何かと嫌な目にあったことがあるんじゃないか

絵に限らず、作品公開してる人間ってのは、外野から容赦なくこき下ろされうる不利な立場の存在だしね

で、絵師からすれば、そういう外野の攻撃者というのは「絵を描く努力も苦労も楽しみも知らない知ろうとしない奴」に見えるものなのかも知れない

しかしまあ、物言いとしてちょっとひどいのは確かだよな

http://anond.hatelabo.jp/20110625010522

そうか。

俺は絵を描ける人とも作曲できる人とも勉強できる人とも運動できる人とも何もできなくとも俺の意見に耳を傾けてくれる人とも、とりあえず交流したいと言ってくれる人とも、交流したいと思うけれども、

そうじゃない方が普通で当たり前で当然でよくあることだったんだな。

http://anond.hatelabo.jp/20110625005409

確かに「人による」し、「絵師活動に関わるコミュニティ人間との交流専用」に使おうって姿勢自体は分かる。

同好の士を求めるってことなら俺も納得する。だからとりあえず「絵描きに限らせてくれ」っていうなら俺も何も思わない。学士会とか学歴(+一部職歴)だけで人を見るわけだしな。

でも、「絵を描く努力も苦労も楽しみも知らない知ろうとしない奴は来るな」ってこと こんな物言いはないと思う。

「絵を描く努力も苦労も楽しみも知らない知ろうとしない奴」っていう表現に物凄く見下したような、変な傲慢さを感じるし覚える。

「絵を描く努力も苦労も楽しみも知らない知ろうとしない奴」とは人間として違うんですよ、みたいな。

一方でプロフィールには「見てくれてありがとうございます。」とか抜かしてるから余計に。「ありがとうございます。」はいい顔したいだけかよって思う。

佐藤裕美さん あなたヌード想像して抜きました

http://anond.hatelabo.jp/20110623053845

あなたが好きで、好きで たまりません。

顔写真をAV女優グラビア差し替え毎日抜いています

一度でもいいから言ってみたい。

 

エッチさせてください!

おっぱいチューチューさせてください!

 

今日も頑張って抜くぞ!

http://anond.hatelabo.jp/20110625004644

そこは「人による」で片付く部分じゃないかなあ

あるいは、方向性を変えて見るならば、「絵師をやっている個人が“絵師として持っているアカウント”をどう使うか」って話でもあるわけで、

それを「絵師活動に関わるコミュニティ人間との交流専用」に使おうってのは、そんなに奇妙な話じゃない

つーか、別に絵師以外をブロックしてるわけじゃなくて、「相互フォローの申請は勘弁して」ってことなんでしょ?

http://anond.hatelabo.jp/20110624220831

十分すぎるほど、筋の通った説明だと思うけど。

これを「わからん」というやつは、よほどおつむの弱い人間

「わかりたくない(有罪を認めたくない)」だけの人間だろう。

違う筋で説明できるなら、ぜひしてもらいたい。そういう異論は「あり」だと思う。

ただただ「わからん」では、自分はアホです証明しているようなもん。

http://anond.hatelabo.jp/20110625004432

あーごめん。元記事消したわ・・

つーかまじかよ。

誤用ツッコミ入れまくるのも無粋だし、でも話がかみ合わないのもアレだしと思って、いろいろ勉強中なんだけど

もうだめだ心が折れそうだ

http://anond.hatelabo.jp/20110625003526

そういう感覚はあるのかもしれないけれど、それとしか交流したくないっていうのは階層意識に感じてしまうな。

俺だったらいろんな人と交流したいと思うけれども、俺のほうがおかしいのか?

他にも「人が多すぎると捌ききれないから」とかいう理由で「絵描きに限定してます」っていうなら分かるけれども

http://anond.hatelabo.jp/20110624233220

>モラリアム

あ、ゆとりなんだ。と安心した。

でも逆に釣りかなって・・・・

http://anond.hatelabo.jp/20110625002925

「おもむろに」は、こないだ小6の子に正しい意味を教えたよ(教科書準拠テキストで)

21世紀用法はさすがにまだ誤用扱いみたいだ

http://anond.hatelabo.jp/20110625001408

自己レス!!!

やや古い辞書の「広辞典」(広辞苑じゃないよ)に、「ニュートラル意味として」載ってたじゃん!!!

あーよかた。俺が間違ってただけだったわ・・・

ただ、「語源としては」やっぱり悪い意味だったのね。

いろいろ納得。

小学校授業参観

小町でやれ、って言わないで。ここで書かせて。

先週の土曜日に、小学校授業参観に行って来た。

で、思ったこと。

最近小学校授業参観(ちなみに地方都市の公立小な)って

ビデオ写真撮影デフォなわけ?

うちの小学校ではプリントで「撮影禁止です!」を謳ってるわけじゃないから、

尚のことなのかもしれないけど。

それにしても、どいつもこいつもあいつもそいつ

ビデオフラッシュ撮影!なわけ。

いやー、びっくり。あれって、何の文化なのだろうか。

暇だから(いや、授業参観って結構暇だよね。自分が参加できる場面があるわけじゃないし)

他の父母観察していたのだけれど、

自分の観察範囲における考察としては、ビデオ撮影してる人って父親率が高い。

たぶんさ、お母さんはやっぱり他のママさんとの繋がりがあるから

いわゆる女の同調圧力ってやつがね、

から、「ビデオ撮影」っていう若干後ろめたいことはおおっぴらにはできないんだと思うんだよね。

でもお父さんって、あんま、パパ友とかないじゃん。

から人の目とか、気にならないんだろうね。

と、自分の目には映った。自分も大概暇過ぎ。

授業参観の科目は図工だったんだ。厚紙使った工作。

先生がさ「お父さんお母さんも、そんな端じゃなくて奥のほうに入ってお子さんの様子見てください」

なんて言うもんだから、みんな自分子どもの隣にばっちり着いたんだよ。

そしたらさー、うちの娘の隣の席の子どものお父さんが、やっぱりカメラ構えてて

自然な感じで!そう、手動かしたままでいいよ。カメラ目線は要らないから!」って

指示飛ばしながら撮影してたのに超うけた。

見た感じ、普通のお父さんっぽいのに。どうしてそうなっちゃうんだろうね。

指示出すと言えば、他のお母さんたちも凄かった。

「同じ色の紙ばっかり使わないで、そっちの紙も出して使いなさい!」

「もっと細く真っ直ぐ切らないと、うまくいかないわよ!」

「それで完成なの?だめだめ、他の子の見てみなさい!」

色々と、びっくりした。ちなみに小学2年生です

http://anond.hatelabo.jp/20110624230447

10年後にはきっと、せめて10年でいいからもどってやり直したいと思っているのだろう。

今やり直せよ。未来を。10年後か、20年後か、50年後からもどってきたんだよ今。



これ思い出した

http://anond.hatelabo.jp/20110625002926

画像見えねえよ(`Д´)どうせわかんないと思うけど

リファラfc2にしないと弾かれるんだっけ?

FirefoxでもChromeでもいいけど、なんかオススメアドオン教えろお前ら

http://anond.hatelabo.jp/20110625001939

なるほどね、了解

まあぶっちゃけ、「絵を描く努力も苦労も楽しみも知らない知ろうとしない人との交流には興味ないです」という感覚自体はよく分かる

前半部分は「門外漢との交流」と抽象化してもいい

から、そこにあるのは階層意識とかそういうものじゃないと思うんだけどな

まり、「絵師としての感覚を共有できる」「共有できない」という縦の関係ではなく、「絵師である」「絵師でない」という横の関係

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