はてなキーワード: クリスマスケーキとは
それでもクリスマスケーキに例えられて24過ぎたら笑い者、社員のお嫁さん候補の若い娘どんどん入れたいのに行き遅れ婆が居座ってるの邪魔みたいな時代からすりゃ全然働けるよ。
正しいです。下方婚しないので結婚できません。キャリア女性から何回かそういう事情を聞いたことがあります。
ウェーイ系の女性や国では男が働かずに女だけが働くライオン社会のような社会もあります。
正:女は早めに結婚した方がいいよ。
誤:働きたくない女は早めに結婚した方がいいよ。
バリキャリ、一般に関わらず結婚できるうちにした方がいいです。
無数に存在する合成大西瓜のパクリゲームの中で有料で売りつけている面の皮が厚い輩が「スイカゲーム」だった。
嘘だろ。
ウルティマ→夢幻の心臓→ドラクエⅠのような進化の歴史ってわけでもなんでも無い。
マジでグラを変えただけなんだ。
マジである。
まあ合成大西瓜の前に数字を合体させる落ちものパズルが沢山あったわけだけど。
でも落ちものパズルのグラを変えて可愛くしようってアイディアは合成大西瓜で完成したと言っていいだろう。
そっから「スイカにウィンクさせよう」だけで勝負したのがスイカゲーム。
凄いな。
「ショートケーキの上にイチゴを載せよう」をやったら滅茶苦茶売れまくってしまったみたいなもんだな。
むしろ「クリスマスケーキの上に食えないサンタさんの人形を挿そう」ぐらいのしょーもなさか?
天才的な商才だよ。
それに対して多くの人が「凄い!こんなの初めてだ!」と言ってるわけだ。
なーんということだぁ……。
仕事柄、キャラクタービジネスの代理店営業の人とのつながりが多い。
どういう仕事かというと、例えば鬼滅の刃がヒットしたら炭次郎とかをお菓子のパッケージとして売り込んだり、玩具メーカーと組んで鬼滅の玩具を作ったりする。
彼らが言うには、ジャニーズファンは確かに数字を持っているらしく、
売上アップ効果は他のアイドル(男性系ではなく坂道系などの女性アイドルも含めて)とは比較にならないらしい。
これは別にジャニーズびいきではないし、ジャニーズファンがバレーボールやダブルタッチの大会に押しかけて迷惑かけてる実情を考えれば確かにな、と思う。
この騒動でジャニーズは使えなくなるのだが、今まで商品力じゃなくジャニーズ力で打ってたものの売り上げが下がるのではないかと。
具体的には、コンビニ各社のクリスマスケーキはジャニーズを採用していたものが多いので、
それが使えないとなると一定数売り上げが下がる。
もっとクリティカルな商材にジャニーズを採用している会社を見つけて株を空売りすればいいんじゃない、と言っていた。
クリスマスケーキやら季節の予約品を自腹購入させられる
見解「土用の丑の日にはうなぎ」という固定観念を止めてもいいと思います。うなぎも恵方巻もクリスマスケーキも元はといえば生き物です。
昨日「土用の丑の日に毎年店を閉める」うなぎ専門店へ行って来ました。うなぎに敬意を表し、希少資源であるうなぎの供養のためお寺へお参りするそうです。開店前からお客が並び、うなぎを焼くいい香りが漂っていました。ようやく開店して店内に腰を下ろし、食べたあとは、どのお客さんも「ああ、美味しかったー」と、しみじみとつぶやいていました。食材を大切にし、客に喜んでもらうこのような商売の姿勢こそ、今の大量生産・大量廃棄の日本に必要だと感じました。
この考えはおそらくこの人はゆるベジみたいな感じの人だな
これはもう確たる真実。初婚年齢の平均は27歳。
でも27歳で婚活始めるのは遅い。大体付き合って2~3年は結婚まで時間が欲しいだろう。
何もない平凡な女性が、人生の中で一番価値が上がるのが24歳。
つまり言い換えれば、24歳以降に婚活をしているのは縛りプレイしているのと一緒。
自分と同じくらいの容姿、同じくらいの学歴、職業の24歳が、自分よりいい男と成婚していくことに耐えられるか?
常に自分は飛車角落ちで戦っている無力感に苛まれ、アラサーを悶々とした気持ちで過ごし、焦って顔もブサイク低年収の格下と結婚するだけ。
親元離れると快適すぎる
けど快適
部屋の隅に埃は落ちてるし、クリスマスケーキも餅もひなあられも柏餅も自分で忘れずに用意しなきゃ無いし、Amazonの箱が床に転がってるし、机の上に食器が出しっぱなしになってたり割り箸と紙皿の使用率が上がったり洗濯して干して取り込まなきゃ服が無かったりするけど、格段に快適
歯を磨かなくても食べた後食器を片付けなくても帰りが遅くなっても誰にも何も言われない
歯を磨かなかったら翌日口が臭くて歯磨きに時間がかかるだけ、食べた後食器を片付けなければ翌日起きた時に机の上に食器が残っててカピカピして洗いにくいだけ、帰りが遅ければ睡眠時間が短くて次の日眠いだけ
余計に怒られて不快な思いをせずに済む
ていうか毎回母親にめちゃめちゃ不機嫌に用意されて若干嫌な思い出のほうが強い
今思うと用意するのが負担だったんだろうけどさ、そこまでしなくていいって
ただ嫌な気分になるだけ
それより一人暮らしさせて「食べたらさっさと食器を片付けなさいってこういうことかー」って実感させたほうが100倍生活力付く
日曜日にとある美術館に行ったんだがモヤモヤしてしまったのでどうすればモヤモヤしなかったのか知りたい。
昨日の俺は美術館とは別に買い出しもしてたのでクソデカリュックを背負って美術館に入り、リュックはロッカーに預けることにした。
そこのロッカーは入れた100円があとで帰ってくる今どき良心的なタイプだった。
俺が荷物を入れて鍵をひねると入れたはずの100円がすぐに返ってきた。
壊れているのかと不安になり、確認のために開け締めを繰り返すと100円がいつの間にか2枚になっていた。
前の利用者が100円を回収していないのだ。
この時、前の利用者が100円を忘れた気持ち悪いロッカーは無視して他のロッカーを選び直すべきだった。
今なら分かる。
そうだ。それだけが正解でそれ以外のすべての選択は間違いだった。俺はそこを間違えたのだ。冷静さを欠いていた。
どこから冷静さを欠いたのかと言えばここで間違いない。
買い出しのついでに美術館に寄ったのがそもそもの間違いだったとは思わないのでやはりここなのだ。
俺はひとまず自分の荷物をロッカーに入れて鍵を引き抜きポケットにしまった。
戻ってきた前の利用者の100円は手に握ったままロッカールームを出て、すぐそこにいる警備員に「前の人のが出てきました」と声をかけながら渡した。
俺がすぐ横のエスカレーターに乗ろうとすると、後方から「ロッカーは何番ですか?」という声が聞こえた。
俺が振り返りポケットから出した鍵の番号を見て「◎▲□番です」と答えると「ありがとうございます」が返ってきた。
俺がエスカレーターに乗った直後に警備員が無線に「◎▲□番のロッカーうんちゃらかんちゃら」と喋るのが聞こえた。
そうなのだ。
ここなのだ。
ここで俺の脳は完全にパニックに陥ったのだ。
◎▲□番のロッカーの中に入っているのは俺のバッグだ。中身は人にあまり見せたくない趣味のグッズだ。これ即ちマジのファックだ。脳を飛び交う信号はBPMを加速し続け私の妄想は臨界を突き抜けた。
「俺のバックが前にロッカーを使用した人の落とし物扱いになる!俺は俺を証明してそれを取り返す必要がある!下手をすると俺が他人の荷物をパクろうとした窃盗犯として指名手配だ!それはマジでだるい!」
そう思い込んだ俺は急いでエスカレーターを逆走しそうになるも踏みとどまった。この話で唯一冷静だった部分だ。
エスカレーターのすぐ横に貼られた「お食事お飲み物ご遠慮ください」「マスクをつけてください」「おしゃべりはご遠慮ください」の張り紙が目に映る。エスカレーターの下り口に待つ別の警備員が俺を睨んでいる。
俺を睨んでくる警備員に「これってすぐに来た道を戻るルートってありますか?」と聞いた。
警備員は嫌そうな顔で横を指差す。
エレベーター!見えてなかった!冷静ではない!
警備員に礼をつげてエレベーターに走り寄ると、目の前を通過したのがドアのガラスから見えた。
俺は階段を駆け下りる。発声器官が再び野生に帰る。もうこの美術館にとって俺は「100円をちゃんと返した人」ではなく「迷惑な○ピー○○ピー」だろう。クソ!入館料を払った直後なのにすでにここを出て行きたくてたまらない!ポケットの中でチケットに八つ当たりしていると気づけばそれはパチンコ玉ぐらいの大きさに織り込まれた紙玉になっていた。
ロッカーにつくと荷物はまだあったのでひとまず鍵を空けて荷物を取り出し、別のロッカーに移すことにした。
立て付けの悪いロッカーがあり、あの100円は忘れられたのではなく「機械の調子が悪く飲まれていた」可能性に思い至る。
調子のいいロッカーを探して荷物の移し替えを終えて、最初のエスカレーターに戻る。
100円を渡した警備員と目が会うので気まずくなりそっと目を逸らす。
エスカレーターに乗ってから「ロッカーに前の人のカバンもまだ残っている可能性を感じた俺が急いで盗みに戻ったと勘違いされていたら?」という不安に襲われた。
流石に妄想だというのは分かっていたのだが、さきほどエレベーターを教えてくれた警備員の不快感を顕にしたような眼差しと視線がぶつかると妄想の圧力が増した。
この時に俺は「近くの警備員ではなく受付に100円を返していたらどうだったのだ?」という後悔に取り憑かれた。
今思い返すと、そうした所で結局同じような流れにはなっていただろうし同じように妄想に取り憑かれただろう。
やはり正解は「100円が出てきたロッカーは無視して他のを使う」だったのだと思う。
俺は受け付けにいかず安易にすぐ近くの警備員にお金を渡した自分を強く攻めていた。
そうではなくもっと前に、落とし物の100円をロッカーから取り出した時点で、問題のロッカーにそのまま荷物を一度預けたまま離れた時点で間違いだったのだが。
自分に対しての苛立ちと僅かなボタンの掛け違いに心のモヤは最大限となった。
情報が入ってこない。
紙玉になったチケットをポケットで握りつぶしながら展示の目の前を早足で進み、それを丁寧に眺める人々を次々に抜き去っていく。
数分のうちに全てを見て回り、ロッカールームへと戻り顔を怒りに歪ませながら美術館をあとにした。
入館時に気になっていたミュージアムショップを見て回ろうという気はもう起こらない。
その気持ちを思い出そうものならこんな奴らにこれ以上無駄金を払えるものかという憎しみで自分が壊れてしまうと感じ押し殺した。
入館料も美術館によった時間もあの100円のせいで全部ゴミに変わった。
思い出してもモヤモヤとしてくる。
冷静さや人生経験が足りなかった。
諦めはつく。
展示のポスターを見たときのキラキラした思いが汚泥にまみれたカスになったことさえ割り切れはする。
クリスマスケーキを帰り道に川に落としたとでも思えばいいんだ。
家に待つ誰かが悲しむでもなく自分が辛いだけなのだから飲み込める程度の痛みだ。
それでも悔しさは残る。
どうすればいいのか、どうすればよかったのか。
本当に全く同じことがまた起きたら対処は出来るが、少し違う形で起きたならまた同じように失敗する気がする。
なにかないものか?
多分AIには答えられない。
奴らはどうせ「ロッカーから出てきた100円は遺失物です。盗めば窃盗罪になります」とでもわかりきったことを言うだけだろう。
性格悪くて旅行に行ってもインスタ用の写真ばっかとって自分がゆっくり見たかったのに嫌だといわれたり
遠距離になった時もこっち来なくて自分が生かされたり、薬剤師のくせに朝じゃれついて起こしたらてんかんがうつるとか言われたり、ワイの修論のプレゼンやESみてゴミとか行ってきたり、雨の中クリスマスケーキ一人で買いに行かされたし、自分が好きなもの見て欲しいから向こうが好きなの見たりしたあとに勧めたのに見てくれなかったり
正直顔も可愛くなかったんだけど、なんだかんだで3年続いたから関係性とかよかったんだと思う
なんか今元気かなあとか考える
別れてまだそんなに経ってないのもあると思うけど
そのあとすぐにマッチングアプリで可愛くてスタイル良くて性格もいいし良く笑ってくれて、年下なのに割り勘にしてくれる彼女ができてすごい幸せな感じだなあとか思ったりするんだけど
自分が振った罪悪感かな
自惚れだけど向こうが自分以上にいい相手に出会えると思わないのもあるかもしれない
あと別れ際にお互いすごい泣いてしまったのもあるかもしれない
嫌なことたくさんされたのに自分が泣いたのは自分も酷いことたくさんしたり、なんだかんだ楽しかったのもあるからかもしれない
結婚するのかなとか考えたことがあったのもあるからかもしれない
恋人って別れるまですごい近くの存在だったのに別れると連絡取らなくなるからどんなふうに過ごしてるんだろうとか考えるけど、想像だけでわからないからもやもやするというか、表現が難しい
カフェ巡りとスイーツ食べ歩きが趣味でインスタ頻繁に投稿してたのが彼女にバレてから「下手なもの食べさせられない」って、お菓子作りが趣味だったのに全然食べさせてくれなくなった〜
ストーリー見てたら彼女の家族や友だち、会社の女性社員同士なんかの集まりで彼女の作ったお菓子囲ってお茶してる様子が投稿されてる時があったから、作るの辞めてるわけじゃなく本当に俺だけ貰えてない・・・
バレンタインも今年は高級洋菓子店の記事ばっかり調べて読んでいて、今年はそういうところのを買ってくれようとしてるらしい
去年は手作りしてくれたし、誕生日ケーキもクリスマスケーキも彼女が焼いてくれたけど、今年はもう作ってくれないと思う
俺も手作り食べたいよって言ったけど「投稿してたお店のに比べたら絶対美味しくないから」「舌肥えてる相手に素人の手作り食べさせてた事が恥ずかしく思えてきたから渡しづらい」ってさ
お正月の歌と言えば、これ。
『お正月』
もういくつねると お正月
こまをまわして 遊びましょう
はやく来い来い お正月
この歌、子供の頃からずーっと思ってたんだけど、「お正月の数日前」の歌なんだよ。
なんでこんなことになってんだ?バグか?
そう思って少し調べた。
まずこの曲の作曲者は、あの瀧廉太郎!(名前だけはなんか知ってる!)
どうやら、荒城の月や花(春のうららの〜隅田川〜)などの作曲者みたいだ。
なんかすごい。
東くめとその夫、あと瀧廉太郎らが「子供でもわかりやすい歌を」というコンセプトで作ったようだ。
120年以上も前!歴史あるんだなぁ。
今まで文語体だった子供向けの歌を口語体で作ったという、当時としては画期的な歌だったそうだ。
だからお正月と誕生日が同時に来るので、子供はことさら楽しみだったみたいだ。
数え年ではなくなったことも一つの理由だが、大きな理由はこれらしい。
1904年に銀座の明治屋がクリスマスツリーを店頭に飾り、1910年に不二屋がクリスマスケーキを発売。
その後昭和初期に、大正天皇の誕生日である12月25日が休みになった。
(それなら今の12月23日と合わせてクリスマス連休にしてほしいところだ)
つまり、クリスマスを祝う慣習が生まれたので、お正月の歌詞は現実から離れていったようだ。
こう見ていくと、お正月の歌が年末しか歌えないのはバグではなく、時代の流れだということが分かる。
瀧廉太郎は無実だった。誰も悪くなかった。
もういくつ寝ると お正月
お正月には餅食って 腹を壊して死んじゃった
不謹慎すぎてひく。ここに書くのもためらったが、当時のオリジナリティを尊重して載せた。
これも今じゃ子供も歌わないだろうな。