はてなキーワード: ドライとは
案外、軍人とか殺し屋のほうが、情勢が変わってもドライに割り切れるものなのかもしれないな、昨日までは殺し合いしてた相手と今日からは手を組んでまた別の敵に立ち向かうとか
…けどその場合、信用できる相手とか仲間とかの基準ってなんなんだろう?刻々と切り替わっていくものなんだろうか?出自が土着の農耕民階級で現在リーマンはどうすればいいの???
もはやアイドルみたいな扱い受けてるVtuberの事務所の話だけど、AとB(両方女)の雑談配信で、Aが事務所のスタッフからセクハラを受けてたことをBが怒りながら話してしまう場面があったのね。
で、どういう反応が多かったかというと、勿論AとB推しは「事務所に対する怒り」がほぼほぼだったが、
AとB推し以外は基本的に「自分の推しも被害に遭うかもしれない」という発想を持ってる人間がほぼ居なくて「事務所が燃えると自分の推しに火の子が罹りかねないから不用意に炎上ネタを作ってほしくない」と言うスタンスが大勢でかなりドライだったぞ。
ラク、黒、細すぎず太すぎずのテーパード、ベルトループとファスナーつき、9〜9.5分丈、おれの体型に合う
の要件を満たすってことでここ3,4年くらいマジでユニクロのスラックスしか履いてない。
これだけの条件でも中々なくて、特に最後の条件が厳しい。本当は綿というかチノパンがいいんだけど。汚れてもパッパとはたけばいいし。あとメンズでもせめてウエスト65とかを最小にして欲しい。そんな感じで妥協点はある。
どこもワイドかそうでなきゃスキニーばっかりで、これ好みの若干細めのが本当に見つからない。
ちょっと前までスキニーばっか履いてたけど、パンクスでもないのによう真夏でも履いてたな。金玉壊死するで。マーチンの8ホールも履いてたから下半身だけパンクスだったわ。
ユニクロは是非EZYアンクルパンツ(ウルトラストレッチドライEX)かスマートアンクルパンツ(ウルトラストレッチ)をまた作って頂きたい。今の好みの原点はここにある。
オムプリのプリーツパンツとかkaikoのsave2とかパターンオーダーとか色々試したけれど、結局どれもしっくりこなかった。
サンダーッス
本日は世界自殺予防デー、日本においては下水道の日、知的障害者愛護デー、屋外広告の日、牛タンの日、°C-uteの日、ナイトライダーの日、カラーテレビの日となっております。
世の中には分かりきってるのに認めたくないものがいくつもあります。
普通の顔をしながら過ごしていても、どんな思惑が渦巻いているのかわからなかったりします。
届くはずのなかったものが届いていたと思っていたり、憧れの人の負けを認められなかったり。
まぁ、人間ってそういうもんなんでしょう。
後はそれを仕事に持ち込まなければ良いだけ、ってのはドライすぎますかね?
人には踏み入られたくない領域がありますから、仕方ないとは思っているのですけれど。
ということで本日は【程良い距離感よいか】でいきたいと思います。
先週コロナにかかってしまい、寝込んだりのどの痛みに苦しめられたりしていたが、ようやく落ち着いてきた。
そういえばとふと考えたら、その間に誕生日を迎えていて、また一つ、歳を取っていた。39になったらしい。
あと1年で40歳だと思うと、何というか、もう40かというか、まだ40かというか、何だかウンザリしたような気持ちになる。
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コロナ療養中、熱が下がってきたころに、暇だからと何か小難しい古い本を読もうとした。
読もうとしたが、ちっとも読めなかった。まるっきり頭に入ってこない。
内容が難解なこともあるが、それよりも、この本を読んだところで何になるのか。
中世のプロテスタントにあった倫理観と資本主義との関係が俺の人生にどうかかわってくるのか。
そんな風に思われて、頑張って読み進めるのが馬鹿馬鹿しくなって、結局読むのをやめてしまった。
いや、年間100冊程度の読書量だったので、我、読書家ぞとイキれる程立派なものではなかったが。
それでもとにかく、読書家であるという根拠のない自負はあったし、本を読むのは好きだった。本を手にするとワクワクした。ドゥルーズやデリダなんかも頑張って読んだ。もう一切、内容を思い出せもしないが。
今はもう、気が付けば本も読めなくなった。読んで何になる、何の意味がある、そんな倦怠感ばかり募る。
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仕事も張り合いはない。
責任感を持って、日々取り組んでいるつもりではあるが、10年以上も勤めれば、大抵はどうにかなる仕事ばかりになる。
出世できる性格だとも思わないし、向いているとも思わない。実際管理職向けのキャリアパスには乗っていないし、キャリアの天井も大体見えている。
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子供は、やはり欲しい。まだ諦めたわけではない。
諦めてはいないが、俺の不妊は、先天性の疾患に由来しており、医者からも厳しいと言われると、徒労、という言葉が浮かんで消えない。
妻は、俺との子供は欲しいけれど、いなければいないで、決して不幸ではないというスタンスだ。
こんな俺を選んでくれた妻には、感謝してもしきれないし、妻のことは深く愛している。
だけど、本当のことを言うと、残りの人生はあと…年…と考えると、長いな…。と、ほんの少しだけ、感じてしまう。
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先日見たテレビ番組で、91歳の老爺がインタビューを受けていた。
その爺さんは、朝の4時に起きて、2時間かけて地元の海岸まで散歩するのだという。
それを、日に3度も繰り返すのだそうだ。
早くお迎えが来てほしいが、誰も迎えに来ない、と言っていた。
俺はそれを見て、虚しくなって、気が滅入ってしまった。
一日一日を、ただ歩いて時間を潰す、そんな毎日が終わるのをただ待っている。
俺もやがてそうなるのだろうか。そんな風に日々を送るのだろうか。
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父のことを、最近考える。
70を過ぎた今でも元気に働いている。
小さな頃はあれこれと家族で出かけていたが、高校に入って以降は、父と親しくした記憶はほとんどない。
30代になるまでは、父のことはあまり好きではなかったように思う。尊敬できない人だと思っていたし、大した人間でもないと思っていた。
しかし、俺と姉の二人を、中身はとにかく大人になるまで育てあげたこと、俺などは大学にまで行かせてくれたこと、それを思えば、大変にすごい男なんだと少し前から思うようになった。
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父は日曜の夕方になると、自室でCDを聴いているのが常だった。イーグルスなんかの、古い洋楽ばかり聴いていた。昔は、またかび臭い音楽を流して、くらいに思っていた。最近では、なんというか、父はあれは、楽しいんだろうかと思ってしまう。
飽き飽きしたり、しないんだろうかと。
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このところ自分が感じている憂鬱について色々と調べてみたところ、ミドルエイジクライシス、あるいはミッドライフ・クライシスと呼ばれるものに、どうもよく当てはまっているようだ。中年になって、自分の人生や将来に、不安を覚えたり、なにか間違った生き方をしているのではと疑問を感じたりする現象らしい。
第二の思春期とも呼ぶそうだ。
思春期、なんて言われると、なにを、俺はそんな青臭い、幼稚な人間じゃないぞ、といらだちを覚えるけれど、そういうところが幼稚なんだよ、と言われてしまえば、それはまあ、確かにそうかとなる。
30代でそうなるのは、少し早い気もするが、子供がいないとそういうものなのかもしれない。
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どげんかせんといかんとは思う。
思うけれども、どうにかなるような気もしない。
そもそも、生活に張り合いを求めているかと言われると、そういうわけでもないような気もする。
やりたいこと、というものを考えたとき、何も、本当に何も浮かばない。
ぐっすり寝たいという望みは、先日のコロナ罹患で不本意ながら叶ってしまった。
何をするのも億劫だ。
億劫なのに、しばらくは終わりがくるような感じもない。
そもそもwikiに掲示板的機能がないため話し合いは外部のしたらばで行われていたようだが、そのしたらばが(案内があるのに)閉鎖的だとか周知されない場所で決め事が行われてるとか言われることがわからない。
この「したらば外のwikiユーザー」が、そもそもどこに存在して、一団と認識されているかわからない。wikiで話し合いができないからゆえのしたらばなのに、したらばを使わない彼らの総体はどこにあるのか?個々にあるページコメントでの存在なのか?X上での発言なのか?
「したらばで議論もしているユーザーVSwikiだけのユーザー」のような雰囲気を感じるのだが、肝心の「wikiだけのユーザー」を観測できないので、したらば以外での管理人辞退まで至るほどの騒動がなんか見つけられない。
一体みんな誰と戦っているんだ…とこの場合は透明な相手なんだけどしたらば側しか見えず相手が見えない謎の関係性に見えた。
(記事や各記事へのコメントは愚痴レベルのネガティブさでも削除されるので余計に潜在不穏分子が見えない化されてる気もする)
専用ブラウザも使ってないしレスにアイコンがつくでもないのでだいたいの総人数がわからないし固体識別も困難。肌感覚で定期的に議論に参加しているユーザーは30も居ない気がする。それでもHOST名だけでは誰が過去にどの発言をしたのか追うのは無理(いちいちHOSTでスレ検索する手間をかける熱意もない)だし、したらばを見るハードルはすこぶる高い。スレに参加するならさらにだろう。5chのような匿名の場的運用でもないし配信に対する視聴者という一緒の方向をみてダベるだけの雑談板でもないし、まあwikiを離れた内々の場所感が無いと言えば嘘になる。
ネットコミュニティの不毛な議論を見るのは好きだが、こんな人間たちの管理者になるなんて絶対にゴメンだと思っている。トップページすら読めないんだぜ。増田も大抵よまないけども……
それでも5chやふたばのように収入を得ていれば別だが、今回の話の中でずっと無給で行ってきたことがわかったのは驚きだった。(逆に私財を出したくもないという話もあった)
荒らし判定や裁定という不毛なユーザー間議論の確認と最高意思決定を行えていた原動力は何だろうか。初代の失踪から現管理人の就任経緯については調べてないが、気になるところ。
騒動前を含め管理人のレスから漂うなんだかドライな雰囲気も無償活動であることであったり、レスバは不毛と感じていたりと今回のことで合点がいく部分もあった。
それと同時に管理人の仕事量が月5時間もあれば出来るというのはなかなか面白い話だった。上手く行けば楽して儲けられるwikiは作れるのかもね。
あとたびたび民度が低いとかレスバ含めかなりエラそう(偉いそう)な、コミュに厭世的なのに議論に積極的な59-168-217-152.rev.home.ne.jp氏が管理人をして「相談所でもあなたを慕う人は多いようですし、これまでのやり取りを見る限り、あなたであれば、私以上に管理人の役目を果たすことができるのではないかと思います。」と言わしめるのは不思議なモンですね。理路整然華麗に論破しているのでしょうか。
返答はこれですけど。
~
はっきり申し上げると、ここの住民は民度が低すぎて相手にしたくありません。
管理人氏が任を降りたくなる気持ちも重々。存続に力を貸す気は起きません。
~
jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17534/1592699633/365-367
ニュースで客や地元が「百貨店文化がなくなるのはつらい」言っててもスト参加者がどう思ってるかがよくわからんわ
従業員サイドの思惑としては「雇用が維持されるかではなくこれまでの百貨店文化を守って欲しい(仕事もらえてもヨドバシは嫌だ)」なの?「雇用が維持されるんならヨドバシでもドライな外資系でもいいです」なの?
よくある円満売却だと、
売却後も現在の雇用は維持されますよ。だから、安心して、みなさんも一緒に売られちゃってください。
ところが、そごう西武の場合は、雇用保証がついてない売却なので、売却先で雇ってもらえるか自体不明なわけね。
だから、労組は、雇用保証のない売却はやめろーってストをしてる。
ここから起こりえることは、
・売却先が現在と同一条件で無期限の雇用保証をする。これが労組の最大勝利条件
・売却先が一定期間に限り雇用保証をする。これが売却先としての最大譲歩。
・売却先が、一定期間、人数限定で雇用保証をする。よくありがちな落としどころ。
ここまでが、概ねスト成功といえる。
売却先が、人は雇い直すので全員要りません。ってなれば、ストは失敗。
まとめ主と反するコメントを書くと消されるのでこっちで書き残しておく
とあるが
コレは微妙に違う
「富士山」という商標は「東京都千代田区 株式会社ニップン」が取得して、ずっと更新してる
商標法上「その商品」の「産地、販売地等」は商標登録が認められないと規定されているため、出願書類に記載する「指定商品」が「富士山」を産地や販売地としそうなものであれば商標登録が認められない。
というような構造があり
変な話だが、青森で酒を作っているAfuriの方が、山に関係ないとして商標を取りやすい
そんな馬鹿なと思うかも知れないが、そういう規定のものなのである
山の名前、川の名前、そういった類の物は実は商標登録可能で、【産地じゃない】方が使えるのだ
もちろん、消費者感情を完全に無視できれば、という条件はつくが
変な話、Afuri社が、大山の麓で酒を作っていたら、その方が阿夫利で商標取るのが難しいまでありえる
もちろん、このあたりの判断はこうして社会的な話題にならなければ緩いものだ
「阿夫利大山」という日本酒は、伊勢原市(まさに販売地)の酒屋が商標を所得できている
産地であり販売地でありながら取得できている、八海山、高千穂等の実例もある(この辺は過去の経緯等も重要だろう)
この話は、例外事項が多すぎて、変にうだうだやる方が深みにはまる(人が一般的に感じる人情と乖離する)ので
至極ドライに進めるのが正解だった
八海醸造(1925年)高千穂酒造(1902年)を例に語れば、歴史や地域性で判断されてしまう
だから、そっちで戦っては駄目なんだ
ひたすらドライに
ただただビジネスライクに
法的にどうかという点はともかく
とにかく、社長の動き(facebookやインタビュー)が燃料になってしまっている
これ、だんまりを貫くのが正解だと思うんだよ
「権利者の苦労」とか言ってるまとめ主も、盛大な後ろ弾だと思うんだよね
酒造さん側の苦労がないとでもいいたいのか?
企業買収をお涙頂戴で語って、再建物語をプロジェクトX風に語ったら勝てるのか?
違うだろ?
ラーメン側のほうが苦労が大きいと?
違うだろ?
なんの苦労もない思いつきで作った商品を
売ったら売れちゃった、みたいなケースも、商標は守るんだよ
CCっつったらカーボンコピーじゃなくてクリエイティブコモンズライセンス。
いやまあ松尾研の話なんですけど。
アメリカでPDSがもめごとのもとになって散々バチバチにやった結果、決してソースを奪われてしまわないために自由なソフトウェアという意味でのフリーソフトウェアという言葉が使いだされ、これがその用語の混乱から無料ソフトウェアと思われたりしてこれまたもめごとのもととなってしまい、(地球の裏側の日本なんかではソースの提供なんか最初からなんにもない無料ソフトウェアの意味で作者自身が使ったりしていた)ぐちゃぐちゃに殴り合いになったため思想とか立場とかいったん置いといてビジネス的な展開もちゃんとできるための新造の用語としてオープンソースソフトウェアという用語を創造してうまくやっていたらこれが硬すぎてクリエイターのお気持ちを一切斟酌しないしあまりにもドライかつソースコード寄りなのでプログラマー以外にとってやりづらいということでクリエイティブコモンズという用語が創造された、という感じに把握してるんだけど
そこへきて「AIでーす、CCのライセンスの一つをチョイスしてまーす」という実態のものを「オープンソースでーす」っていうのは「三波春夫でございます」ぐらいにどつかれるの当たり前っつーかなんつーか
オープンソースライセンスとかいうガチガチな定義の用語(IA-64が何を指しているかぐらいに明快)がつかいづらい状況で使いたいからクリエイティブコモンズライセンスのCC-BY-NC-SAですとか書くわけじゃんか。
クリエイティブコモンズライセンスのことをオープンソースとか言うの、x86-64とかx64とかEM64TとかIntel 64とかAMD64とか書くべき状況でIA-64って書くよりなお悪いと思う。