はてなキーワード: 謙譲語とは
「申す」の未然形「申さ」+尊敬ほかの助動詞「られる」が付いた「申される」は、現在は謙譲語と尊敬語の混用とされて、明確に(辞書的な意味で)誤りです。
しかし、「申す」は「言う」の丁寧語でもあった時代がありました。というか、そうであった時代の方が、謙譲語一択になった時代よりもよほど長いのです。
例えば、「平家物語」の巻一・鹿谷には「新大納言成親(なりちか)の卿もひらに申されけり」(新大納言成親卿も(欠員の左大将の職を)ひたすら(ご所望なさると)おっしゃられた)とあります。
その他にも用例は多々あり、つまり、中古・中世・近世を通じて、「申さる」は「アリ」な使い方だったのです。
近代になって、明治期の標準語政策が始まると、「日本語の統括的な文法」というものが必要になってきました。ここで初めて敬語には三つのカテゴリ(言うまでもなく尊敬・謙譲・丁寧ですね)があると定められ、「申す」は謙譲語であるとされたのです。
ことここに至って「申される」は規範文法的には誤りだということになり、戦後教育では教科書にも明記されるようになり、現代に至ります。
ですから、現在でも60代以上の方には、この言い方に違和感のない方も多いのです。数年前の「国語世論調査」で、「『申される』という“誤った”敬語を使っている人は高齢者層に多い」というリポートがありましたが
それはそうで、彼らの感覚にしてみればアトヅケで「間違ってる」と定められた使い方なのですね。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1496376054
だってよ
片隅ははてぶ運営に失礼か。謙遜語?謙譲語?わからんがヘリ下り語として勘弁して下せえ。
昭和天皇崩御の日、私は余りにも幼く天皇って何?だった。崩御の前に世間が天皇、天皇騒いでたのを察したのだろうか母に天皇って何?と質問したことを覚えている。その返答は国の顔みたいな感じと言われた事も覚えている。今に思えば象徴天皇の概念を子供に伝えるための表現だったのだろう。でも当時は顔?何言ってんだ?気でも狂ったのか母はという感じに受け止めた。
本題の崩御の日だ、冬休みだったかと思う。朝早くにぐーぐー寝ている私の布団をバッと剥ぎ取ると同時に「天皇が死んだよ!」と威勢よく発したのだ。当時は、で?という感想しかないが、母の発するトーンに普通じゃない気が漂ってたので2度寝する雰囲気ではなかった。そのままリビング?居間?テレビのあるご飯を食べる部屋にトボトボ歩いて点いてたテレビを見たらふむふむ確かに死んだらしい。まあ、でも、なんでこんなに大人は騒いでるんだと不思議には思った。なにより気がかりなのはあの母のトーンだった。
そのトーンから当時も今思い返しても感じるものは、「清々(せいせい)した」である。清々しさ(すがすがしさ)が溢れてたんです。
ローカルに残しても紛失するからとか言ったが、それは半分言い訳も含んでいて、ネットに発信したいという理由も実はあって、それがこれなんです。
平成生まれの人にはこの感情は???という感じなんじゃないかなと思ったんです。平成天皇は大好きですし尊敬に値する人だと私は感じます。
平成は他の時代に比べても又は他国に比べても圧倒的に平和だったからね。
彼を恨んでた人は多いか少ないかはわからないが、存在した。昭和は長かった、その長い時代に世界大戦、敗戦、連合国統治、復興と、明治維新と肩を並べるかそれ以上の濃密な時間帯が存在するのだ、その濃密で長いスパンを一人の天皇が一貫して君臨したわけだ、63年間あったのだ。半分に割って前期、後期と呼ぶとして後期は、まあどうでもいいや、問題は前期。
私の母は戦争未経験者です。所謂団塊の世代です。株価やGDP等の指標をグラフで見ると団塊の世代は右肩上がりのうらやましい時代を過ごしてますが彼ら彼女らが一般的にどうゆう状況に置かれてたのかその右肩上がりのグラフ通りの笑いが止まらない人生だったのかはどうなんでしょう。0ではなくマイナスからのスタートだったのは間違いないでしょう。少なくとも必死に敗戦の負の遺産をできる限り子孫に残さないように自分たちで吸収しようとそうゆう風に生きてたのかなあと今でも感じます。しかし見つめなおすとやっぱりそれは自分のせいではないわけです。なんで俺がなんで私がという感情が気を抜けば心の底に勝手に芽生えて来るもんじゃないかなあと、思うんです。それを押し殺したり見て見ぬふりをしたりしながらなんとか辻褄を合わせて来たんじゃないかなあと思うんです。
それが昭和天皇崩御の日にふと漏れ出してあのトーンが腹の底から沸き上がったんじゃないかなあという推測を書いてみたはいいがいざ書いて見るととてつもなくどうでもいい話だなあ