誰しも生涯に一度は、敬語やマナーみたいな儀式は無価値、廃止した方がよい━━みたいな発想にかぶれる時期が来るんだろうが、おれは、
「おれはあなたと会うのは初めてですが、きちんとした尊敬・謙譲語が使えるくらいには賢いし、開けたドアを後ろ手で閉めない、社会に気を遣えるマトモな人間なんですよ」ということを爆速で伝えられるクソ便利な儀式なので、やっぱりこの儀式は有った方がいい、という結論に落ち着いた。
それはそれとして、有りもしないマナーを創作して吹聴するマナー講師的存在はクソ(自分と相手が儀式のやり方を共有していないと上の威力は発揮されないので)
Permalink | 記事への反応(2) | 22:37
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それは下手の人がやる想定だからまぁいいんだけど、偉い人がそれ強制すんのは害悪にしかならんと思うのだ
マナーが身についていない人間にも当然中身のある人間はいるのだけど、関わってみなきゃわからないからランダム要素が強い。 時間や労力を無駄にしたり、時には反社会的な人物と関...