はてなキーワード: チャパティとは
適当に刻んだニンニクをフライパンに入れ、上から油を割とどばって感じで入れる。
油はなんでも良い。最悪ラー油とかでもなんとかなる(辛くなるけど)
最弱の火力にしたガスコンロにかけて、その間に冷凍しておいた鶏むね肉(皮付き)を電子レンジで解凍する。
玉ねぎを電子レンジOKな皿に入れ、解凍した鶏肉と入れ替えて3~5分くらい加熱する。
鶏肉は大体自分の一口サイズに切っていく。鶏皮もそのまま刻む。ペローンとなっても気にしない。
肉食ってる感が欲しい時はやや大きめにする。
大抵の場合、肉を切り終わる前に玉ねぎを加熱してた電子レンジから終わったぞー的電子音が流れてくる
フライパンにもう一度火を入れ、今度は中火で焦がさない様に注意しつつニンニクを炒めていく。
ニンニクがきつね色になってきたら鶏肉投入、塩コショウふって軽く炒める。
市販のカレー粉をお好みの量だけ(俺の場合は大さじ2くらい)入れて肉に馴染ませる。
大体肉にカレー粉の色がまんべんなく付いた頃合いで玉ねぎを投入し、軽く炒める。
ここでトマト缶があったら半分くらい入れる。無かったら諦める。
水を具材がひたひたになるくらい入れて、沸騰するまで火を強火にする。
沸騰したら火を弱火にして固形スープの素か、鶏ガラスープの素を入れて味見する。
塩気が足りなかったら塩を、もうちょっと辛くしたい時はカレー粉を追加する。
肉に火が通ったら完成。
ご飯にかけても良いし、冷凍しておいた食パンをトーストにして合わせても良い。
小麦粉があったら適当にこねてチャパティっぽい物を焼いても良い。
──人は皆、いつかカレー作りに熱中する日がやってくる。俺のCデイはまさに今日であると言えた。
これは秘伝のカレーレシピではなく、俺がバターチキンカレーと呼べるものを作るまでの物語である。
カレーとは何だろうか。
カレーだけに一口に言うならばインド発で香辛料をふんだんに使ったスパイシーな料理等とでも言っておけば良いだろうが、誰もがそれを思い浮かべた際、そのイメージは一様ではないだろう。
きっと誰もが心の内に思い思いのカレーを秘めている。
時にナンで食い、時にライス、また時にはチャパティ、パン、ヌードル、言い出したら際限が無い。付け合せや隠し味になんて言及すらしたくない。
台所になぞ録に立ったことのない男子大学生が天啓の如くチャーハン作りに凝りだすように、俺は今カレーに拘りを持とうとしていた。
俺のカレーとは、バターチキンカレーである。インドカレー屋で食べるバターチキンカレーは何故あんなにうまいのか。なぜあんなにナンがでかいのか。なんでどの店でも小鉢のサラダに同じようなドレッシングがかかっているのか。きっと俺はその真実を知ることなく死んでいくのだろうが、それでも家でそれなりのバターチキンカレーを作ってみたいと、そう思ったのだ。
これが昭和の時代なら、俺はインドカレー屋で十年修行どころか単身渡印の上カレーの秘奥を求めて七難八苦を味わう羽目になったかもしれないが、今は情報の時代である。検索したレシピを適当につなぎ合わせて家と近隣のスーパーでどうにかなりそうな材料を見繕う。拘りとは時に労力をかけないことであると俺は都合よく解釈した。
具材はスタンダードなもので、スパイスといった雑多なものを除けばタマネギとニンニク、ショウガにホールトマト缶くらいのものである。あと鶏肉を事前にヨーグルトに浸けて置くといいらしいので、そうした。
理性的な量のバターを鍋に敷いたあと、タマネギとすりおろしたショウガニンニクを精神的に満足するまで炒めた後カレー粉を入れて更に炒め、缶のホールトマトを入れる。
本来であれば投入する量等も一考すべきだが、缶詰ってなんか半端に残すのが嫌なので全部入れてしまう。翌日以降の料理に引っ張られるのが自炊の嫌なところである。
溶岩みたいになってきたところで鶏肉を入れさらに煮る。浸けていたヨーグルトも一緒に入り急に店のカレーみたいな色になる、感動の瞬間だ。ひとまず味を見てみる。
トマトが、強すぎる。
あのカレー粉が完全に力負けしていた。トマト味のカレーかカレー味のトマトかで言うならば、トマト味のトマトである。
一人で食べる程度の量のカレーにトマト一缶は多すぎたらしく、俺の眼前にはホールトマトの壁が立ちはだかったのだ。つまり、ウォールトマトだ。
しかし、勝負はまだ終わっていない、むしろここからが本番なのだ。
カレー粉を少し足し、レシピの生クリームを拡大解釈し牛乳を足していく。きっと店ではちょっと引くほどのバターや生クリームを入れているのだろうな。
カレーの色合いが変わった頃合いで再び味見をするとトマトの向こう側に僅かだがカレーの健康的な浅黒い肌が垣間見えた。
なんだ、待っていてくれたのか。
牛乳を足し、カレーを啜る。牛乳を足し、カレーを啜る。そのたびに遠くで手を振るネパール人店員が近づき、その笑顔が鮮明になっていくかのようだった。俺が脳内で店員と握手を交わした頃、現実ではカレーが完成していた。
もちろん、プロの作るカレーと比べるべくもない、やや一人前の量を逸脱したバターとチキンが入ったカレーとでも形容すべきそれは、しかし俺にとっては紛れもなくバターチキンカレーと呼べるものだった。
途中我慢できず何度も味見をしたが、その度にうますぎて思わず笑ってしまった。
冷凍のナンをトースターで焼き、カレーを通販で買ったカレー屋でカレーが入ってるあの金属器に入れる。なんならラッシーも作ってみればよかったと後悔した。
仰々しく食レポをする暇もなく、俺のバターチキンカレーはあっけなく胃袋に消えていった。後に残るのは汚れたキッチンと皿くらいなものであるが、それでも俺は満足感に包まれていた。消去法で厳選された材料を目分量で適当に入れたカレーは、決して店のカレーの代替にはならないものだ。
それでも。
それでも、カレーを作ってみてよかった。
月並な感想ではあるが、自分でやってみることで、それをとりまく楽しさ、苦労といった感情が実感できるものである。
またいつか俺はカレーを作るだろう。
それはビーフカレーかもしれないし、フィッシュヘッドカレーに挑戦するかもしれない。
しかし、カレーを作るたび、俺は初めて心からカレーに対面した今日のことを思い出すのだ。
モロコシ(蜀黍、唐黍、学名 Sorghum bicolor)は、イネ科の一年草のC4植物・穀物。熱帯アフリカ原産。ソルガムとも呼ぶ。
また、中国での呼称であるコーリャン(高粱)ともかつては呼ばれた。主要な栽培食物のひとつであり、穀物としての生産面積では
コムギ、イネ、トウモロコシ、オオムギに次いで世界第5位である。
熱帯、亜熱帯の作物で乾燥に強く、イネ、コムギなどが育たない地域でも成長する。
穀物として食べた時はソバに似た食感があり、北アフリカではクスクスや粥の、インドではチャパティなどのフラットブレッドの
材料として使われる。ひき肉のような弾力とコクがあるので「たかきびハンバーグ」などとして主食の材料にも使われるほか、
アメリカ合衆国南部では、濃褐色のシロップが作られ、ビスケットにつけて食べられる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%82%B7
男(稀に、女性)の思い通りに動く性的対象が描写されるのみだ。当然、ワンパターンなものにしかなりえない。
確かに、ポルノのジャンルには舌を巻くものがある。しかし、人々は自分の“抜ける”ものしか見ない。すなわち、個人レベルにまで視点をもっていくとやはりワンパターンで無味だ。
ポルノのジャンルの豊富さは、東アジアでは主食にごはんを食べ、南米ではトウモロコシを食べ、という違いでしかない。
獣姦と脳姦の違いなんて、ウガリとチャパティの違いと変わらない。どちらにしろ、ポルノは主食だ。ごはんだ。
ポルノは、しばらく間をおくとまた欲しくなる。
海外から帰ってきた日本人は口を揃えてこう言う。「白い米が食べたい」、と。
ポルノも同じだ。ヤることは全く同じであるつまらない動画も、日をおけばまた見てしまうのだ。
この国では、ポルノのことを『オカズ』と呼ぶ習わしがあるが、この風習がポルノの本質の理解を遠ざけているように思える。
いちいち動画見直すのも面倒なんで自分用にメモ。自分用だから細部適当
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6153483
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6165178
・全粒粉300g →これで5枚分
・ぬるま湯210g (水との比率は10:7、気温や湿度を見て調整すること)
・塩ひとつまみ
いい感じに捏ねたら濡れ布巾をかけて15分
中火で熱したフライパンに油を引かずに乗せて焼く。
色が変わってきたら裏返しつつ両面まんべんなく焼く。
膨らんでない場所を軽く抑えながらある程度膨らみ始めたら直火にかける。
一気に膨らみおいしそうな焦げ目がついて出来上がり。
・気温が低い時は水温を高めに
・IHの場合は膨らんだ箇所を押さえて膨らんでない箇所に空気を送りながら
色の濃い火が通ってない箇所も押さえて焼きムラを無くしつつ焼く。
膨らませた薄いの→冷めると美味しくない
膨らませない厚いの→冷めても美味しい
・一人分なら150gで充分。ちなみにパスタ1人前は100g
・焼き始めから頻繁にひっくり返すこと。
のんびり片面だけ焼いてると出来上がりの上下の生地の厚さに差が出てまずい。(下が厚くて上がペラペラに)
・直火にかけると結構簡単に膨らむ。
カルヴァンクラインもめがねを作るのか。おおいやしき商業主義よ。
私が美味しんぼ海原雄山風めがねセリフを作っても無意味なのだな
「主(あるじ)、このメガネはまじりっけなしの本物のメガネか?そうだというのなら、教えてもらおうメガネっ子とはなんだ?メガネっ子の定義は何だ?メガネをかけていればメガネっ子か?目が悪ければすべてメガネっ子なのか?さらにメガネっ子というがコンタクトレンズのCMの前半だけメガネをかけている者たちはメガネっ子ではないのか?また古来より少女漫画でいわれているところのメガネをとったら美人という女はメガネっ子なのか?それがメガネっ子の元祖であるなら、われわれもそうしてメガネを外したメガネっ子を愛すべきではないのか?またインドにはナンやチャパティといったパンがある。それらと一緒に食べるのがメガネっ子の正しいあり方なのではないのか?」